殺戮の森
大地を覆うかのような暗闇が広がるガルマ近郊の森。広範囲に続くこの森は、気が遠くなるほどの遥か昔から存在して少しずつ少しずつその領域を広げてきた。今ではウルティマ帝国の国土の約半分を占めるまでになった森は、深く入れば生きて帰れないという不気味な噂がある一方で、慣れ親しんだ地元の人たちにとっては生活する上で必要不可欠な、まさに恵みの森でもあった。
その森に今日も狩人たちは獲物を探して歩いていた。
「今日は獲物が少ないな、どうするよ?」
一人の男が目標としている獲物の数に到達していないことに不満を漏らしている。
「こんな日もあるだろ」
「チッ、今日に限ってこれはないわ」
「まったくだな、今日は大事な日だっていうのによ」
彼らは十人ぐらいの隊を組んで狩りを行っている。そんな彼らが今日、町へ獲物を持ち帰れないことに不満を漏らすのも無理はなかった。というのも猟師たちは獲物によって得られるお金のほかに組合から熟練度に応じて金銭が支給される仕組みになっていたからだ。その金額は歳に関係なく優秀な者に多く支給されるきまりである。それはあまり豊かではない土地柄のため、この国にとって山林で得られる物は一つの大事な資源であった。そのため危険を伴う狩人たちを保護する目的でこの支給制度が設けられていた。
そして今日はその支給額を決める抜き打ち選定日であったのだ。抜き打ちとなっているが、彼らはそれがいつ行われるかを実際は裏ルートで把握していたのである。
「おれはかみさんにでかい口たたいちまった」
「俺だって息子の小遣いを上げる約束をしちまっている」
「もう少し粘るか? 場所を変えるか?」
「そうだな、しかたがない。手つかずの場所に行ってみよう、少しなら大丈夫だろう」
彼らが狩りをしているこの森には古くから暗黙の了解がある。「ネメシスの森」には踏み入ってはいけないと。それは代々引き継がれてきた約束事であったが、たまに昔話だと馬鹿にして踏み入る者がいる。そういった者は決まって行方不明になっていた。行方不明になった者を探すための捜索隊も帰ってこないありさまだ。こんな話を聞いているためか、よほどのことがない限りはそこに足を踏み入れる者はいなかった。しかし、狩場を生業としている者たちはそうはいかず、しかたなく危険を承知でそこへ行くこともあった。彼らは決して迷信だと馬鹿にしているわけではないのだが、生活のためにあえて踏み入る者はいたのだ。今日、その森に歩を進めたこの狩人たちもその一組だったのだろう。
「おい、やっぱりだ。ここら辺は獲物が多いじゃねぇか」
「はは、ある意味穴場だぞ、もっと早く来ればよかったな」
彼らは同業者が滅多に踏み入れない場所で思うように狩りができてご満悦である。先ほどの不猟がうそのように、獲物を次から次へと見つけていけたせいか、ついついそれにつられて森奥深くまで足を踏み入れてしまっていた。今日の支給選定日も彼らを後押ししてしまったのだろう。
「やったな、大猟だ! これは他の奴らよりいい額になるぞ!」
「ああ、だけどこのあたりでやめとくか?」
「そうだな、結構深く入っちまった」
その言葉に冷静さを取り戻した彼らは、やっとまわりの景色をみる余裕ができた。そして彼らは何かおかしいことに気づく。
「ん? なんだ? この木、おかしくねぇか?」
よく見ると森にしてはおかしな光景が広がっていた。不思議なことに木が斜めに向かって生えている。真っすぐに生えている木がない。それのせいか、道もなくなり、いつの間にか獲物を狩れる場所ではなくなっていた。
「どうなったらこんな生え方になるんだよ」
「はは、まったくだな」
彼らは夢中になって禁忌とされる領域に踏み入ってしまったことに今さらながら気が付いたのだった。
「もう、ここはネメシスの森じゃねえか? 道がわからなくなる前にはやく帰るぞ」
「そうしよう、ん?」
皆が帰ろうと踵を返したところ、一人の狩人が何かを見つけた。
「なんだ、あれ? あれだよ、向こうだよ。紫に光っているぞ!」
一人の男が指さす先には、淡く紫に光っている場所があった。そこは紫色の光が辺りを幻想的に照らしていた。
「なんだ、あれ? 聞いたことあるか?」
「ないな。気になるな、行ってみるか?」
「ちょっと見るぐらいなら大丈夫だろ」
狩人たちは好奇心に負けて淡く紫に光る場所へ近づいた。
「おお! なんだこれ?」
狩人たちの視線の先にあるのは紫色に光る花畑であった。綺麗な花が紫に光っている。
「こんな光る花見たことないぞ。これは希少なものにちがいない、そうだよな?」
「少し持って帰るか? 組合長が喜ぶかもな、選定に有利になるぞ」
この鬱蒼とした森の中に突如現れた花畑は、よく見れば明らかに人工的に育てられていた花たちだった。そうであるのにまるで目の前に宝石が転がっているかのように錯覚してしまい冷静に判断できる者が誰もいなかったのだ。彼らは何ら疑うことなく我先にと光る花に手を伸ばしていく……
ところが彼らが花をもぎ取ろうとした瞬間、前方からガサリと音がした。彼らはなんだと音がした方向を見ると、花畑の向こうにいたのは予想していた動物ではなく、ポツンと人が一人佇んでいたのだ。こんなところにいる人に狩人たちはびっくりしてしまう。
「え? ……お、お嬢さん、こ、こんな所でどうした?」
花畑の向こうからこちらを見ていたのは美しい少女だった。黒い髪に紫の瞳、上品な黒いドレスを着ていたが、羽織る紫のマントはボロボロであった。
狩人たちはその少女を見て自然と後ろへ一歩下がった。あまりにも場違いな少女の出現に狩人たちは恐怖のためか、それ以上動けないでいる。少女は美しい顔立ちをしているのだがその表情は鬼のような渋面を作っていた。遠くからでもわかるその顔に狩人たちは恐怖して足が震えてしまった。しばらく沈黙が支配したが、少女の口から出た言葉に男たちは小さな悲鳴を上げた。
「薄汚い人間どもが、お前たちのような醜い奴らがこの花を見るとここが汚れてしまうだろう。不快だ、死ね」
そう言うと少女は手を前にかざしてそこから黒い煙を生み出した。その煙は次第に鋭い鎌に変わり男たちに迫る。狩人たちは一瞬のことで身動きができず、踊るような動きをして向かってきた鎌によって四体が瞬く間に切断されててしまった。ボトリと落ちる死体に残りの男たちは悲鳴を上げて逃げる。しかし高速で追尾する刃に狩人たちは逃げ切ることができず、次々と体を切断されていった。緑深い森が狩人たちの血で赤く染まっていく。
唯一、花畑の前から動けなかった一人の男は逃げれば殺されると思い、助けてくれと懇願することを選んだ。狩人はその少女が誰であるかを予想して名前を呼んだ。
「ネ、ネメシス様、い、命だけは…………小さい子供が待っているんです。な、何卒、す、すぐに出ていきますから命だけは……」
「ふふ、おまえたち人間はすぐこれだ、いい気なものだな。本当に薄汚い奴らだ。お前たちは信用に値しない、生きる価値もない」
「そ、そんな、何卒」
狩人は花の前で膝をついてさらに懇願した。しかしその時しゃがんだ膝で数本、花の茎を折ってしまう。
「あ…………いや、これ……」
狩人は言葉を発すると同時にその首が空高くあがった。
ネメシスは血で花が汚れること嫌って、すかさず「燃やし尽くせ」と言うと、男は死体もろとも塵と化した。
静かになった花畑でネメシスは視線を下にさげ花を見つめる。花から滲むように出ている紫の光が彼女の顔を照らしている。その顔は先ほどと違って悲しい顔をしているようにも見える。ネメシスはゆっくりと折れた花に近づき手で掴むと名残惜しそうにそれを魔力で燃やした。それによって紫の光が風に流されて暗闇へと消えていった。
ネメシスは紫の残像が完全に消え去ると静かに自分の胸の辺りに手をかざした、すると胸が淡く光ってそこから宝石のような紫色の欠片が出てきた。ネメシスはまるで愛おしいものに触れるようにそれを大事に両手で包み込む。彼女はしばらくその欠片を眺めてから再びスーっと胸に仕舞い込んだ。
「いい気な人間どもめ、お前たちが平穏に生きることは許されない」
その怒りに森の木々が揺れた……
入り組んだ木々がそれを隠すかのように質素な木の家があった。もう何年、いや何百年と人が来た形跡がないぐらいにその家は森に埋没していた。
この家の主であるネメシスは、家に入るといつものように木の椅子に座って窓から外を眺めている。外を見るといってもそこは木々や草木で埋没していて見通せないのだが、彼女はそこを見てはいないのか、ただひたすら外を眺めるだけだった。その表情はもう先程の殺戮を忘れてしまったかのようにいつも通りの無表情に戻っていて、彼女はその椅子に座ると数時間動くことなく、外を見たり、自分の小さな手を見つめたりして過ごしている。その姿はまるで時間が止まってしまっているかのようで儚げだった。
そしてネメシスがその椅子に座り、動かなくなって数時間が経つと、いつものようにこの小さな部屋からどこからともなく女性の泣き声が聞こえてくる。木々や草で埋没した木の家は常に薄暗く、当然ネメシス以外人はいない。そんなところから聞こえる女性の泣き声は不気味の一言である。
今日もその泣き声がネメシスの耳に届いた。
―――シクシク、シクシク、ぐすん
「…………」
―――シクシク、シクシク、シクシク
「…………」
―――シクシク、シクシク…………
「…………うるさいわね」
―――シクシク…………
「いい加減にしてよ、毎日毎日、何百年も」
―――だって、シクシク
「もう放っておいてと言ってるでしょ!」
―――いやだわ、放ってなんかできない、シクシク
「あんた暇なの? 女神ってそんなに暇だったっけ?」
―――ひどいよ、ネメシス。私はあなたを思って…………
「何を言っても私はこのままよ。この地で人が栄えることは許さない、許すはずがない」
―――もういいのよ、ネメシス…………あなたは十分、苦しんだわ。アルテミス様に任せましょ、ね?
「…………は? 急になんなの? 久しぶりに聞いたわ、その名前」
―――アルテミス様は、今こちらにいるのよ
「…………冗談でしょ? サンドラ」
―――嘘は言わないわ、聖国に立たれたのよ
「アルテミスが来るわけないじゃない」
―――嘘なんかいいません。いずれ聖国からこの北の大地を目指して来られるでしょう
「来てどうしようというのよ、女神界を留守にしてどういうつもり? そんなことするなんて頭おかしいわ。ふふ、それともとうとう私を消しにきたのかな」
―――違うわ! カーディスがまた暴れているから罰を与えに来たのよ
「カーディス? ははは、あのバカはまだ生かされていたのね。ほんと駄目よね、アルテミスは、あんな者に煩わされているなんて」
―――やめて! アルテミス様を愚弄するのは!
「ふん、もう関係ないでしょ。……でもそうなの、アルテミスがいるのね。ふふふ、なぜかしら? 無性に邪魔したくなるわ。サンドラ、カーディスは相変わらず刃向かうものを殺しているのかしら?」
―――ネメシス…………もうやめて
「ならカーディスはいいわ、もっと殺せばいい。ただ、人を守るアルテミスには納得できないわ、クラウスのこと知っているでしょうに。知っててそうする奴は誰であろうと許さない」
―――ネ、ネメシス! だめよ!
「ふふふ、そうなの、アルテミスがね。久しぶりに外に出かけようかしら。楽しみに思うことなんてこの先ないのだとあきらめていたけれど」
そう思い立つとネメシスの顔に血の気がもどっていく。
「そうと決まればあの花たちには結界を張っときましょう! しばらくあの子らを見られないのは寂しいけどね。サンドラ、あなたも付きまとわないで、いい?」
―――嫌よ、お願いだからもう人を殺すのはやめて
「あいつらが悪いのよ」
そう言った後、ネメシスは数百年ぶりにその重い腰をあげた。




