アルテミス対ベルン
壁際にズラリと並んだ女神像にゴードン達も驚きを隠せないでいた。みな何が起きたんだと周囲をキョロキョロと見渡している。それらの女神像はアルテミスから放出された魔力に反応するように一斉に光輝いて中央の間を明るく照らした。そうして聖属性魔力がその場を支配すると、ベルンから発していた闇の魔力はいつの間にか消え去り、彼の体からは煙が立ち昇りはじめた。ベルンはこの場に満ちている聖属性の魔力に体が重い。
「なんという魔力だ、く……いや、こんなことで……や、闇は屈しない!」
煙に包まれながらもなんとか体勢を立て直すと、ベルンは右手を前に出し、なんとか言い放った。
「ロ、ロベリア!」
そう言うと、黒い書物を中心に強烈な魔力がベルンの周囲に壁を作った。ロベリアから放たれる闇の魔力がベルンを包み込み降りかかる聖属性の魔力からその身を守っている。それによって体が軽くなったベルンは、すぐさま攻勢に転じるべく魔力を集中させた。
「女神よ、洗練された闇魔法をその身に味わえ!」
ベルンは左手に持っていた黒剣を真上に掲げて「第九十八番 黒渦炎」と念じる。
すると中央の間に小さな黒い渦が多数出現した。その黒い渦は次第に大きくなり轟音を鳴らしながらグルグルと空間に浮いている。そしてその黒く高速で渦巻いた魔力は炎に変化して空間を燃やし始めた。これによって中央の間は聖属性と闇属性の魔力がぶつかり合っている。その黒い渦は十分に魔力を充填すると、黒い炎と闇の魔力が混ざり合って回転し、下にいるアルテミスに襲い掛かった。
「いけ! わが魔力よ、剛強なる闇よ!」
ベルンは空間に漂う聖魔法を蒸発させたことに手ごたえを感じた。ロベリア最高対人魔法に笑みを浮かべる。
―――がしかし次の瞬間、どうしたのかベルンの意識が混濁した。
(なんだ、体が…………後ろに引っ張られている?)
「ぐおお…………」
ベルンの体が壁際に強く叩かれた。彼は何かの力で後ろに吹っ飛んだのだ。
「ぐぐ……がは!」
その衝撃で内臓を傷めたのか、彼は口から血を吹いてしまう。そのままベルンの体はズルズルと下へ落ちた。
彼が落ちた先で並んで立っていた等身大の女神像は、明らかに形状を変化させていた。いつの間にか女神像は動いていたのだ、それぞれが杖を一斉に前に突き出していて、すべての女神像の目が銀色に輝き、一寸の闇も許さない気迫が像から放たれていた。それはまるでアルテミスが複数存在しているかのように女神像たちは本体であるアルテミスと感情を共有して動いていたのだ。これによって再び中央の間は聖属性が支配する。
「な、なにが起こった?」
壁際に吹っ飛ばされたベルンの横では女神像が彼を見下ろしていた、視線を感じたベルンはその像を見てみると不思議とそこから冷たい視線を感じ取った。女神像からも静かな怒りがベルンという闇に向けられていたのである。
アルテミスが白銀の目を光らしてベルンに問う。
「…………ロベリアですって? ご冗談でしょ? ベルン」
ベルンはぼんやりした意識をなんとか取り戻すと辺りを見渡した。
(わ、わたしの魔法はどこにいった? どうなっている?)
ベルンはすぐさま自分に治癒をかけて転がっていたロベリアを拾った。
「それがロベリアですって?」
「そ、そうだ。これが父から頂いた神の書、ロベリアだ。ただこれは父が持つロベリアの複製本だがな」
アルテミスは心底呆れた表情をベルンに向けた。
「ロベリアはそのような汚い色をしていないわ。私が彼から見せてもらった本物のロベリアは紫色をした美しい魔力を放っていた。その魔力は私には出せない優しい思いが詰まっていたわ……」
そう言うとアルテミスはエデンを縦に持ち、カンっと強く床を叩いて音を中央の間に響き渡らせた。その音からアルテミスの怒りが伝わってくる。
「偽物の書物を本物のロベリアであると騙ることは彼を侮辱することと同じこと…………ああ、私の中にある感情は怒りを欲している、これも人の生によるものでしょうか。いいえ、違いますね。おまえたちのような者に呆れてしまった感情が怒りと混ざって私を苦しめているのでしょう」
「ロ、ロベリアは父の本…………ぐあああ!」
ベルンは最後まで言うことが許されず、ロベリアを持っていた手が地面から突き出してきた銀の刃によって切断された。それによって闇の書はベルンの手首と一緒にばさりと音を立てながら前に転がっていった。
アルテミスは感情が揺れてしまったことに即座に修正にかかる。ふーっと息を吐きだし目を閉じた。そして二呼吸してから再び目を開けると、ベルンが這いつくばって転げ落ちたロベリアを拾おうとしていた。
「よろしい、ベルン。その偽の書物を使ってご自慢の闇魔法を見せてみなさい、それで最後にしましょう」
ベルンは這いつくばりながらなんとかロベリアをある方の手で掴むと、ふらふらとその場で立ち上がった。
「こ、この書物には尊厳を持っている、馬鹿にされたままで終わらん!」
ベルンは黒い書物を前に突き出し再び闇魔法を繰り出した。
「第九十九番 黒い使者」
そう念じると偽のロベリアから再び膨大な魔力が放出された。その黒い魔力は地面をスルスルと進んで一定の範囲を黒く染めると、そこからゆらゆらと黒い影を立ち昇らせた。次第にそれは人型に変化し、触れれば生命の源を奪い去る即死魔法を現出させたのだ。
後ろにいるバルトスやゴードンは危険を察知して思わず剣を抜いた。しかし黒い床から次々と生まれる黒い影は、後ろにいるバルトス達には目もくれずアルテミス一人に狙いを定めて立ち昇っている。
「最後の魔法がこれですか? この魔法に尊厳などありはしないわ……偽りの尊厳などなんの意味がありますか」
「く、黒い影たちよ、早く奴を攻撃せよ!」
ゆっくりと向かっていく黒い使者たちだったが、アルテミスは視界にそれが入っていないかのように悠然と立ったまま両腕を広げて赤い唇を動かした。彼女はこれが最後とばかりに自身の魔力を一気に解放していく。
「見なさい、ベルン、この魔法を! この魔力を! 女神たちの想いを!」
彼女から放出された魔力に、ベルンの体は再び後ろに吹っ飛んだ。
「聖なる魔力よ、この場に蔓延る無法者たちを光で照らせ! そして闇に苦しむ人たちを救え!」
アルテミスはエデンを上に掲げて膨大な魔力を放出した。その強烈に放出された魔力に黒い影たちは一瞬で消え去っていく。しかも放出された魔力はこれだけでは終わらない。壁際に並んでいた女神像たちも一斉にアルテミスと同じように杖を上に掲げている。それによって中央の間は聖属性の魔力が再び溢れかえって、人の影すらも照らして打ち消すぐらいに闇という黒い色を消滅させた。
そしてアルテミスの膨大過ぎる魔力は、中央の間に留まることが出来ず部屋の天井をも突き抜けた。その光は瞬く間に大聖堂を覆い尽くし聖都中央に光柱を立てた。聖都全域から誰もが目にしたその魔力は、意思があるかのように動いて北部で病に苦しむ人たちのもとへと向かっていっている。アルテミスの想いが一気に北部一帯を覆ったのだ。それは大聖堂の外で戦いの行く末を案じていた多くの騎士達にも勝利を確信させるに十分な魔力だった。
「ぐ……うう……」
聖属性魔力にまたもやベルンの体からは煙が出ている。神の魔法に闇は近づくことさえできない。彼は女神が座るとされる椅子の下で自分の体をかろうじてそれにもたれ掛けている。彼が大事に持っていた闇の書も黒い剣も一足先に燃えてなくなっていた。
「聖魔法は神の魔法だというのか? や、闇は…………」
「……あなたは何か勘違いされているようですね、闇も神の魔法です。それを今回貶めているのはあなた達なのです。闇の管理者はあなたと同じように人々のために生活魔法を生み出しました。ロベリアは本来、闇の管理者だった彼の書物であり、ロベリアに書かれていた魔法はほとんどが生活魔法だったのです。彼はそれを私に自慢気に見せていました。けれどその内容を不服としたのが弟子のカーディスですよ」
「…………」
「ふふ、納得できないようですね」
「今更、そのような話聞きたくもない、私が聖魔法を憎んでいたのは確かだ。私の意志でここにいる」
「それは構いませんが、だからといって多くの人を殺していいことにはなりませんよ」
「まだだぞ…………わたしにはまだやるべきことがある。終わってはいない……弟子と同じようにやられるわけにはいかないのだ!」
「かわいそうな人」
ベルンは辛うじて動かせる片腕を内ポケットに突っ込むと、くしゃくしゃの紙を取り出した。震えながらその紙をなんとか開いていく。
「ここに百番の魔法のページを切り取っておいた。カーディス様から託された最後の魔法だ。おまえの魂を凍結、破壊する魔法が込められている」
「…………」
「恐れたかアルテミス」
「ふふ、恐れる? 最後までかわいそうな人」
「わ、わたしを見下すな! もう見下せはさせない!」
そう叫ぶとベルンはページを抱き寄せて自爆の魔法を念じた。百番が記載されたページが体の内側に吸いこまれていく。その闇の魔力がベルンの体に溜まって光らすと、彼は覚悟を決めて内側に溜まった魔力を勢いよく外へと放出させた。
「消し飛べぇぇぇ!!!」
―――彼は最後の言葉を叫んだつもりだったが、即座にその魔法は発動しなかった。なぜなら彼がそう言った刹那、ベルンの体に覆いかぶさる者がいたからだ。
ララが自分の魔力を放出させながらベルンに抱き着いていた。彼女の魔力によって強制的に蓋をされた闇の魔力は、行き場を失ったかのようにベルンの体をさらに光らす。次第に彼の至るところにヒビが入り闇の魔力が漏れだした。
「お、お、おまえ! 最後まで私を!!」
ララはベルンを抑えながらアルテミスに言う。
「我らの主、アルテミス様、ベルンの過ちは彼一人の責任ではありません。わたしにもその一端があります。彼が犯した罪をわたしも受けなければなりません。そして多くの失った命も、この大陸を混乱させた罪もわたしにはあります」
後ろではサリーやバルトス達が、ララが一人でベルンのもとに走って行ったことに驚いている。
「ララ!」
「ララ様!」
ベルンの内側から発する自爆の魔力は、ララの魔力で覆い被さっている状態であったが、行き場を失って今にも溢れ出す勢いだ。
「どけ!! おまえはやはり殺しておくべきだった!」
「ベルン、これ以上はもうやめて、これ以上の罪は!」
ベルンとララの前にいるアルテミスは、動じることなくララを問いただした。
「ララ、わたしは前にもそのことについてはもう思い煩う必要はありませんと告げたはずですよ」
「アルテミス様、申し訳ありません。やはり私の中でどうしても自分を許すことができませんでした。今日、彼の言葉を聞いてこの人が行った罪を彼だけに背負わせてしまっては、これから先、わたしは後悔という闇を抱えて生きていくことになります。アルテミス様、どうか、わたしの魂を亡くなった人々の安らぎのために……その使命を私に与えてください」
ベルンを抱えるララの目に一切の揺るぎはない。弱々しくなってしまっていたララの目は強い光を帯びていた。
「…………ララ、これがあなたが考えた自分に対しての決着ということでいいの?」
「はい」
ララは力強く頷いた。それを見たアルテミスは悲しい顔をして瞑目する。
「そうですか」
目を開けてそう言うと、アルテミスは後ろにいるサリーに言った。
「サリー、ララの決意は固いようです。残念ですが彼女を女神界に帰還させます」
そう言うと、サリーやルーシー達、聖者は無言で涙を流しながらその場に跪いた。アルテミスの判断に誰もが異を唱えることはしない、彼女が決断したことをサリーたち聖者は厳粛に受け止めなければならないと理性が訴えたのだ。それにララは崇拝する女神アルテミスに了解を求めていたのだから。
「お、おまえにこの魔法が抑えられるのか! ララ!」
「さあ、ベルン、いきましょう」
「や、やめろ!」
ララは自身の魔力でベルンを覆うと、力いっぱい彼を抱きしめた。
ベルンはもはや彼女を引き剝がすこともできず、ララに抑えられながら最後を悟ると自分の魂が崩れていくのを感じた。彼の体から抜けだした魔力がバリバリと体を引き裂いていく…………
中央の間の玉座には、ララとベルンが持つ聖属性の魔力と闇の魔力が混ざり合ってそこが光に包まれている。
ララは子供の時から大切に持っていた小さなアルテミス像を片手で持つと、今も前でこちらを見ているアルテミスにそれを掲げてニコリと微笑んだ。死への扉を開ける前にアルテミスを一目見て満足したララは、小さなアルテミス像を強く自身に引き寄せて魔力を限界まで放出させた。それによって闇の魔力は聖属性の魔力に吸収されるように静まっていく。同時にベルンとララは体のいたるところにひびが入り魔力の塊へと変化していった。ララは小さなアルテミス像を握りしめながら、最後に力いっぱいベルンを抱きしめた。そして彼の意識が消失したのがわかると、それを追うように細く弱い糸で繋がっていた意識を静かに切り離したのだった。
前でそれを見届けたアルテミスの白銀の目からは、光るものが零れ落ちていた……




