女神ディアーナ
「エドムント様、防御壁の構築が終わりました」
帝国兵が西側防衛責任者のエドムントに報告する。
エドムントが考えた防衛戦は、乱立する建物を使って応戦していく作戦であった。そのことから建物の屋根や窓など至る所に細かい闇の防御壁を構築していた。
エドムントは地図を広げ、部下が構築した防御壁をチェックしている。
「よろしい、それでは配置につくように」
「はっ」
市街戦に陣取る兵は全て暗部兵で、エドムントが犯罪組織「黒鳥」のメンバーを闇魔法師まで手塩に掛けて育て上げた者たちだった。暗殺に長けた闇魔法を習得しているが、盾を前にして突っ込んでくる騎士相手には正面から当たっても分が悪いことがわかっていたため、エドムントが彼らのために用意した布陣だったのだ。
一方、対するローラシアは……
「フレッド団長、敵は建物に潜んで陣取っています」
「厄介だな、敵は暗部兵が中心か?」
「はい、前衛にいるのは暗部兵です。それとこの建物群の奥には公園があるのですが、そこには例の黒い軍団が陣取っていました。おそらく指揮系統がそこにいると思われます」
「わかった、まずはこの暗部部隊を倒すことが先だな。では小隊を編制して敵を発見次第、各個撃破して進むことにする」
フレッドは細かく隊を分け一個一個潰していく作戦を立てた。そうして攻撃方針が決定すると小隊長達はそれぞれ担当区画を確認し準備を整える。準備をし終えた各小隊がフレッドの号令の下、散り散りになり前進をはじめた。
「隊長、迂闊に進むと危険です」
その小隊の一つで第二小隊長チェスターは、二十人ほどで屈みながらゆっくり前に進んでいた。彼は建物陰から慎重に辺りを見渡す。すると至る所に小さな闇防御壁が張ってあるのが見えた。
「くそ、やっかいだな。敵がいるのはわかるが、一軒一軒、踏み込むのか」
「ここから魔法を撃っても、ほぼ当たらないでしょうね」
「だな」
チェスターはここで立ち止まっても仕方がないと思い、それぞれ建物に攻め込むことを決める。
「二隊に分かれて殲滅していくぞ」
「了解」
チェスター達はなるべく固まらず、バラバラになりながら建物に踏み込む。外に囮役を数人残し、彼等が建物の中から闇弾を撃ち込んでくる兵を引き付けた。幸い暗部兵達はいままでの戦いとちがって守りに徹しているせいか積極的に出てこない。なのでチェスターは女神の加護を信用してどんどん建物の中を突き進んだ。
そして踏み込んだ先で暗部兵を見つけると、盾を前にして一直線に突っ込む。このような戦法は今までであったら考えられないことだった。そもそも一般属性の盾は闇弾を受けることができずに吹っ飛んでいたからである。彼らローラシア兵が恐れずに突撃できるのは皆が銀色に輝いているからだろう。
「なんだこいつら、闇魔法がきかない! ぐあぁ!」
暗部兵たちが撃つ闇弾は銀色に輝く鎧や盾に吸収されてまったく手ごたえがない。そのことがわかったチェスターは難なく接近して暗部兵を斬り捨てていく。それだけアルテミスが与えた加護は強力だったのだ。相手も同じように闇魔法が体に付与されていたはずだが、そこは女神の加護が勝ったといえた。
「女神の加護はすごいぞ! 一人一人の力量ではローラシアは負けない!」
「ああ、闇の魔力が通じない奴らはこれほど脆いのか? いままでの屈辱を思い知れ!」
後方で指揮を取っている魔法騎士団長フレッドは、各個撃破の報告を連絡兵から次々と聞いている。それを聞いて彼は顔を引締めて空に向かって叫んだ。
「ロッド、アラン、お前たちの仇はとるぞ! 見ててくれ!」
その後もローラシア兵達はまるでアリの巣を駆除するかのように敵の住処に侵入していった。
―――帝国軍後方拠点……
「エドムント様、て、敵が市街地を突破してこちらに向かってきます!」
「なんだと! 早すぎる! どういうことです!」
「み、味方はやられたようです!」
「だからなぜやられたのだ!」
そう言ってエドムントは報告兵を叩いた。普段上品に振る舞っている彼は暗部兵の敗北を聞いて取り乱している。
「私たちには闇の補助魔法が付与されているのですよ、こんな簡単に突破されるはずがない!」
彼らがそんなやり取りをしているうちに前方からゆっくりとローラシア軍が現れた。エドムントは現れた彼らを見て部下がやられた訳を悟った。なぜなら姿を現したローラシアの騎士達は皆眩いばかりに銀色に輝いていたからだ。彼らがその身に聖属性の魔力を纏っているのは一目瞭然だった。
「なるほど、道化師の魔法というわけですか。だがここから先は通しません」
両軍は闇の防御膜を前にして睨み合う。
エドムントはベルンの張った闇の壁から出ないようにして魔法を撃つ戦法に決めた。しかし相手のフレッド団長率いる兵たちも魔法騎士だ、魔法の撃ち合いには慣れていた。
「ここに防御壁を張れ! ここから撃ち込むぞ!」
フレッドは隊列を整えると、そう号令して前方に一般魔法を撃ちこむ。しかし、そこはやはり聖属性ではないためベルンが築いた壁は全く突破できない。
「ハハ、おかしな奴らですね。纏っているのは聖属性なのに撃ち込んでくるのは火魔法とは、やはり道化師が作った人形! 愉快です」
エドムントは撃ち込む魔法が火魔法なことに大笑いしている。
「フフフ、さてそれではこちらの番ですかね」
そう言うとエドムントは後続の重鎧兵に号令をかけた。
「お前たち、闇弾を撃ちなさい!」
重鎧兵が黒剣を真っすぐ前に突き出し魔力を溜める。そして突き出された剣からビュンビュンと魔力が放たれた。
「全員! 盾を出せ!」
それに対してフレッド隊は盾をがっしり前に構えた。帝国兵が撃った魔力は火属性の防御壁は難なく破壊するものの、ローラシア騎士たちが構える聖盾には吸収されるように消えていく。それを見たエドムントは目を見張った。
「ほう、闇魔法を打ち消すとは、なるほど暗部兵がやられるわけですね、では……」
他方、フレッドは撃ち合いで決着がつかないことがわかると、次に女神の加護が生かせる近接戦闘で決着をつけようと部隊に号令をかける。女神の加護があれば十分戦えると考えたのだ。
「我らには女神の加護がある、突っ込むぞ!」
「待ってください、団長! あの指揮官なにかやってきます!」
「なに?」
チェスターの警戒にフレッドは前を見る、するとエドムントが一人で闇の結界ギリギリまで出てきていた。
「ふふ、あなた方に私の修行のせいかを見せてあげましょう!」
そう言うとエドムントは重鎧兵を背にして両手を広げた。
「おまえたち、私に魔力を捧げなさい!」
その命令に後ろにいる重鎧兵達は手を前に掲げエドムントに魔力を流し込み始めた。それによって彼はその集められた魔力に全身が黒く染まっていく。次第に黒い塊から不気味に赤い目だけが爛々と発光しだした。
「ハハハ、やはり闇の魔力は心地いい! ああ、もっと浸っていたい……ですがこれが限界のようです」
エドムントは十分に魔力を充填できたのがわかると広げていた両腕を真上に掲げた。
「私が構築した最高傑作を見せましょう。ベルン様の書物に書き加えられた自信作です、さあ! 闇の魔力を存分に味わえ! 第七十九番 死海!」
そう念じるとエドムントからあふれんばかりの魔力が放出された。その黒い魔力は地面を覆い、フレッド達がいる足下も侵食していく。そして目の錯覚か、徐々に地面が歪み、ズルズルと液状化していった。
「なんだこれは!」
地面の変化にローラシア兵達が驚いている。フレッドの足元もびちゃびちゃと、どす黒い水たまりができ始めた。それによって彼は足元を取られ立っているのも覚束なくなった。
「に、逃げろ! 退避だ!」
しかしローラシアの騎士達は上手く足が動かず、ズルズルと地面に沈んでいく。黒い水が鎧の隙間から騎士たちの体を浸食して彼らを暗い海へと引きずり込む。やがて浸食した黒い水は彼らが身に着けている銀色の光をも遮り体を黒く染め上げた。彼らは体が下へ沈んでいくため、誰もが恐怖の表情を浮かべて藻掻いている。この黒い水には恐怖心を煽る精神系の魔法も付与されていたのだ。
エドムントは彼らが藻掻きながら落ちていく様をみて興奮していた。
「これだ! わたしはお前たちのその表情が見たいのだ! ふふ、存分に恐怖を、黒い水を飲み込め! 道化師に絶望を見せてやれ!」
ローラシアの騎士達は為す術なく下へと沈んでいっている。フレッドも精神がやられているのか、恐怖の表情を浮かべてただ手をバタバタさせているだけだった。そんなフレッドに横にいたチェスターが言った。
「だ、団長! このままでは全滅です! ア、アルテミス様から何か預かっていたのではないのですか!」
チェスターがたまらずフレッドに言う。フレッドはその一言で正気を取り戻した。
「そ、そうだった! 鍵を預かっていたんだった」
フレッドは恐怖を煽る相手の魔法に飲まれて思考も停止していた。なぜそれを思い出さなかったのか、フレッドは闇魔法の恐ろしさを知ると同時に正気だったチェスターを尊敬するのだった。
「は、早く団長!」
「お、おう!」
もぞもぞと黒い水の中を探すフレッドは、ポケットにしまった重たい物体にたどり着いた。
「だ、団長、そんな大事な物をすぐに出せるようにしといて……ごほ」
「すまん、つかんだ……ぞ、がはっ」
フレッドは掴んだものの、そういえば鍵の使い方を教わっていなかったことを思い出した。鍵を受け取る際、アルテミスを至近距離で見てガチガチに緊張してしまったせいだ。しかし考える余裕はもうない、フレッドはその鍵を片手いっぱい掲げて見せた。その動作で彼は片手のみを黒い水の上に残して沈んでいく。ところがフレッドと共に鍵が黒い水に沈む瞬間、突然その鍵が光った。その直後、どこからともなくカチリとカギを回した音が辺りに響き渡る。そして―――
「……は? なんだここは?」
エドムントは呆然と佇んだ、なぜなら周りの景色が一変したからだ。
そこは美しいピンクがかった空に白い星々が煌々と輝いている。地平線近くの空は明るく、ピンク色の空を美しく照らしていた。白い星々と照らす光、そして空のピンクとが混ざって幻想的な色をそこに描いていた。
景色が一変したことにより、黒い海から解放されたローラシアの騎士達は、皆いつの間にか地面に足をつけていた。彼らが不思議そうに足元を見れば、心地よい風がサラサラと緑鮮やかな草原を揺らしている。そして再び空を見上げると、美しい空に一つ流れ星が落ちた。
「……なんだ?」
エドムントは気配を感じて後ろを振り向いた。そこには相変わらず黒い重鎧兵たちがいるのだが、その後ろにあるものにエドムントはさらに混乱した。というのはいつの間にかグレー色の神殿がそこに出現していたからだ。
エドムントはしばらく呆けてその神殿を見ていると、銀色に輝く重厚な扉がゆっくりと開きはじめている。そのゆっくり開いていく扉に黒い重鎧兵達も兜を放り投げて扉に注目している。そしてすでに地に足を着けているフレッド達も帝国兵と同じように少しずつ開く扉に注目していた。そうして皆が注目する中、ゆっくりと開かれていく扉の先では、人の形をした光るものが見えている、それがはっきりと形が出来上がると一人の女性が姿を現したのだった。光を纏って静かに歩いてくるその人は、水色の髪と目をしており、服は透けた水色のドレスを着ていた、そして頭の上には宝石を散りばめた小さな王冠が乗っていて、前で組んだ両手には小さなステッキが収まっていた。そのステッキにも美しい宝石がはめ込まれている。
皆の前にその姿を現した女神ディアーナは神殿の前まで来るとニッコリと微笑んだ。エドムントはその美しい人に一瞬、見惚れていたのだが、次に彼女が発した言葉に戦慄を覚えた。
「ごきげんよう皆さま、さっそくですがわたくしたちの母の命により、邪な魂に罰を与えることをここに宣言いたします。わたくしディアーナがこの場の見届け人を務めさせていただきます。どうぞ宜しく」
そう言うとディアーナは軽くお辞儀をして美しく微笑む。
「こ、ここはどこだ! おまえも道化師の仲間か? わたしの魔法はどこへいったのだ? 闇の壁はどうした? 私の黒い海はどこだ!」
ディアーナは、エドムントの荒い言葉にも笑みを崩さず穏やかに答えた。
「この場は罪ある魂かそうでないかを判定する場です。よって、魔法は一切使えません。罰の判定はこれから呼びます天兵が行います。お静かにお待ちくださいませ」
「何を言っている⁉ ここから出せ!」
「あらあら、お一人せっかちなお方がいらっしゃるようです。わかりました、ご要望を受けて早く終わらせましょう。皆の者、はじめなさい」
「いやいや、話を聞け!」
ディアーナはステッキを軽く前に振った。すると彼女の後ろから銀色に輝く屈強な戦士たちがズラズラと出てきた。その戦士たちは迷うことなく前にいる帝国兵に近づいていくと、全員手から光る剣を出現させた。
「ま、まてまてまて、これはおかしい! わたしの相手は後ろにいる屑どものはずだ! なぜこいつらの相手をしなければならない!」
そう言ってる間に天兵が帝国兵の心臓に光る剣を突き刺した。不思議なことに刺されたというのに血が出ず、帝国兵はシュルシュルと空間に消えていく。
「お、おまえたち、何を突っ立っている、戦え、殺されるぞ!」
エドムントの言葉に戦意を取り戻した帝国兵は剣を構えた。だが光る天兵は、丸い球状になってそれぞれが高速に移動する。人の速さで振りかぶる剣が当たるはずがないぐらいの高速移動で丸い球体は動いていく。それが重鎧兵の前まで来ると人型に戻り容赦なく光る剣を突き刺した。それはまるで今も美しい夜空に落ちる流れ星のように、手で触れることが出来ない星となってチカチカと地上に星空を作った。
「こんなことが許されるはずがない! こんな暴挙が! 魔法を封じるなどと! や、闇の神が黙っていないぞ! 必ず父が、ベルン様が、我らの仇を討ってくれる!」
エドムントは最後に叫びながら空間に吸いこまれて消えていった。
天兵達はエドムントを最後に邪な魂がいなくなると、使命を終えたかのように皆丸い球体となって神殿の扉の中に帰っていく。
そして一人神殿前で佇む女神ディアーナは、戦士たちが判定を終えて全て扉に消えたのを確認すると静々とカギを持っているローラシア騎士達に近づき笑みを浮かべた。フレッド達は全員膝をつきながらその美しい笑みに年甲斐もなく顔を赤くしている。その中で一番顔を赤くしてディアーナを凝視しているフレッドに、チェスターが横から肘で突いた。
「今回、アルテミス様のご希望により、特別に天兵の神殿を開錠しました。これはアルテミス様より、あなた方誰一人として命を閉じることがないようにと望まれたことによります。あなた方の側に女神がいることをお忘れなきように」
「はい、ディアーナ様、我ら騎士一同、お力添えのこと心より感謝いたします」
そう言ってフレッドは手に持っている鍵をディアーナに渡した。その時、彼は彼女の手に触れてしまったことにまたもや顔を赤らめた。ディアーナはそんなフレッドを見てにっこりと笑うと徐々に風景が元に戻っていく。フレッドは名残惜しそうに消えゆくディアーナをいつまでも見ていた。
「チェスター」
フレッドはディアーナが消えていったところを見ながら隣で跪くチェスターに声を掛けた。
「はい」
「俺、また会えるかな……ディアーナ様に」
「…………無理だと思います」




