【挿話】エマ④
ミリオン親子とエドムントが急いで帰国すると、侍従長から「奥様の容態が悪化しましたので、やむを得ず聖者トーマス様に相談しました」と報告を受けた。ミリオンはその報告を聞いて激怒し侍従長を叱責した。
「聖者の治療はもう意味がないことがわかっていただろう? わたしは何のために帝国へ行ったと思っている。帝国よりクレアを治癒できる魔法師殿を連れてきた、もうトーマスには連絡を取らぬように」
ミリオンは侍従長にそう指示し、振り向いて言った。
「エドムント様、クレアを早速で申し訳ないが見ていただけませんか?」
「わかりました、案内してください」
それからミリオン達、三人がクレアの部屋に入る。侍従長が言うように帝国へ行く前よりも容態は悪化していた。彼女はやせ細り、顔も青白く、死期が迫っていることを理解させた。それを察したエマは、クレアのベッドに縋って泣き崩れた。
「侯爵、ご安心ください、すぐに闇魔法を行使しましょう」
エドムントはそう言って指先を自らの額に付け念じる。
「第五番、闇の静穏」
そう念じた後、クレアが寝るベッドに闇のオーラが降り注いだ。
そしてしばらくすると、闇のオーラはクレアの体内に入り魂を黒く染め上げた。その直後、ミリオン親子にとってなんども夢見たクレアの目が開いたのだ。
「あ、あなた……」
「ク、クレア!」
「お母さま!」
ミリオンとエマはすぐにクレアに抱き着いて嗚咽を漏らす。後ろでそれを見ていた侍女たちは皆放心していた。
起き上がったクレアに前と変化はなかったが、目の色だけは綺麗なグリーンの目から赤い目へと変化していた。だがそんな変化など長年苦しんできた父と娘にとっては些細なことであった。
「わ、わたしはどうしたのかしら?」
「クレア、君は盗賊に襲撃されて長年意識を消失していたんだよ。どんな聖魔法でもダメだったのに彼の闇魔法で意識を呼び戻すことができたんだ」
「うう、ごめんなさい、そのような記憶がなくて……」
「いいんだよ、君さえ目を覚ましてくれれば、そうだ、あの白い花は憶えているかい、君の大好きな花だ。また庭にセイレンの花を育てよう、種は毎年取り寄せていたんだ」
「セイレン?……セイレン……ああ……そうね、あの白い花が見たいわ……」
「おお、好きな花を思い出せたのかい」
「お母さま、歩けるようになったらわたしも手伝いますね。今度こそ育て方を教えてほしいです」
エマは後悔していた花の育て方を母から教えてもらえる日が来るとは夢のようだと喜んだ。
そんな二人を余所にクレアはセイレンを思い出し、小さな声で呟いた。
「ええ、女神様が好きなあの白い花を……もう一度……見たい……」
それからの侯爵はエドムントを執事に登用し、今まで通りの仕事をこなすが、すべて行うのは書類での仕事のみで、彼は一度も教会へ足を運ぶことはなかった。北部代表者としての仕事よりも、人が変わったようにララを糾弾することに熱をあげ、大聖堂の士官たちを困らせる。
そしてララの糾弾がなかなか思うように進まないことに怒りを露わにした彼が次に行うのは、エドムントの指示のもと、外部組織「黒鳥」を統括し、犯罪性を強化させることだった。程なくして「黒鳥」は暗殺集団に変貌し、ミリオンの潤沢な資金がそれを後押しした。
ある日、西区画の元教会があった建物の地下に「黒鳥」を集合させ、ミリオンは言う。
「お前たちにはいずれ偽聖女ララを暗殺してもらいたい、だが私が見る限り暗殺の練度が足りないと思われる。なのでまずは小物から練習していけ、よいか、はじめに偽聖者であったサイモンを殺せ、成功報酬は期待していい」
◇
侯爵邸の庭にはいつもの二人がいた。クレアとエマは熱心にセイレンの花を育てている。エマは母を介護しながら今度こそ花の育て方を一から学んだ。
そうして二人はそれからも何事もなく季節を重ね、ようやくセイレンが咲く頃の温かい空気を感じ始めた。
エマは聖者の道には進まず、エドムントから闇魔法を学び、魔法に関しても自信がついてきている。この闇魔法に関しては、一応、大聖堂の許可を貰っているため何も隠れる必要はない。むしろ友人たちから注目されるほどだ。それはエマの心に慢心を呼び寄せた。その慢心はいつしか女神信仰を蔑視していくことに繋がっていく。
そして帝国が隣国へ侵攻すると、聖国にも戦争の匂いがするようになる。ミリオンが、聖者を、ララを暗殺する日が近い。
エマは暴走する父を横目で見ながら、懐かしいあの日の、親子三人での屈託がない笑顔を思い浮かべた。自分たち親子があの日に戻れるのはセイレンの花が再び、侯爵邸の庭に燦然と花開く時だとエマは思っている。
「エマ、セイレンの花を見に行きましょう。やっとあの美しい白い花を見れるわ」
「はい、お母さま、この日を楽しみにしてきましたからね。庭師から連絡があったのですか?」
「そうよ、あとでお父様も呼びましょう」
「はい、楽しみだわ!」
セイレンの花は夜の間に一気に花開いたと知らされた。今頃、朝日に照らされて辺りを白く輝かせていることだろう。
彼女達は逸る気持ちを抑え、早足に花壇へと向かう。ところが花壇の横に立っている庭師はなぜか顔を下に向けていた。
「そんな……」
クレアは花を見て放心した……あの光輝く女神さまの好きな花、穢れを知らない、華麗、純真な白い花はそこにはなかった。
一面に花開く花びらの色は辺りも暗くするような黒い花。どこを探しても黒い色。
それを見てクレアは赤い瞳から黒い涙を流した。




