【挿話】エマ①
聖都の北部一帯は、緑豊かであるこの町を一層濃くしたような景色が広がっている。その美しい風景の中に溶け込むように北部一の教会があった。この地域に住んでいる人々にとってその教会は、人々が集まる場所としていろいろな用途に利用されていた。お祭りを開催するとき、貴族たちの会合、子供達への臨時の学校など、そこは北部の人たちにとっては大切なコミュニケーションの場でもあった。
そしてこの教会の女神像は特徴があると有名である。通常の女神像は厳正かつ美しさを強調された女神像であるのに対して、この教会の女神像は笑っている女神像であった。
「侯爵様、今日もお祈りをされますか?」
「はい、毎日行っていることですから、こちらに来れない日があると、どうも体が落ち着かなくて……」
「ふふ、わかります。おや、今日はエマ様もお祈りですか?」
ミリオン侯爵の後ろでは父の服を片手で掴みながら俯いた女の子がいることを聖者トーマスが目を細めて見つける。
「エマ、トーマス様にきちんとご挨拶しなさい」
エマは侯爵家の令嬢らしからぬ控えめな少女で、遠慮気味に父の前に出て挨拶をする。トーマスはその姿にさらに微笑んだ。
そのあと、トーマスとの挨拶を終えた父と娘は、いつものように笑顔のアルテミス像にお祈りをしたのだった。
歴史が古い侯爵家の現当主であるミリオンは、北部の地域代表であり、女神信仰を強く推し進めた人であった。教会や社会不幸を抱えている人たちへの寄付や救済に熱心に取り組み、北部の人たちから尊敬の眼差しで見られていた。
そんなミリオンは教会での祈りの後も、北部地域の建築業の者たちと街道整備の打ち合わせをしたり、自身が立ち上げた孤児院の援助や、無償で聖者たちから癒しの光を受けられる場を整えたりと慈善活動に余念がない。当時の大聖教ジョーイ五世も彼を褒めたたえ、聖都で彼を悪く言う人などいなかった。
娘のエマも幼いながら父の背中を見て育ちその影響もあるのか、彼女は聖者としての素質も発見され、聖女の道へ進みたいと父に相談した。ミリオンは娘が聖者としての素養があることを大いに喜び、娘のために早くから教師を雇い、彼女の教育にも熱心さを見せた。
しかし、時が過ぎてエマが大人へと成長すると、そんな父であったのは過去の話となってしまう。今のエマが父との生活の中で、唯一、悲しい顔を見る時がある。それは彼が愛してやまない妻のクレアを見るときであった。
エマは毎日同じ時間になると侍女を伴って母がいる部屋に挨拶にいく。エマには幼いながらもやさしい母の記憶がある。クレアはいつもエマの手を繋いで自身が熱心に育てている白い花を咲かせる花壇へ連れて行っていた。侯爵夫人では珍しく自ら土で手を汚し、お気に入りの白い花”セイレン”を熱心に育てる母の姿は、エマにとっては美しく、やさしい、教会にある女神像を想像させた人であった。
そんな幼い時の情景がエマの心に甦る……
「ここにいると思ったよ、クレア」
後ろからミリオンがクレアとエマに声をかけてきた。
その声にクレアは優雅な所作で立ち上がりミリオンに挨拶する。
「おかえりなさいませ、夜通しの移動でお疲れでしょう? 朝食にしましょう」
「ああ、その前にわたしにもセイレンを見せてくれ。おお、何度見ても綺麗な白花だな、体の疲れが取れるようだよ」
「ふふ、あなたったら、この花に治癒の属性があるかのように仰って」
ミリオンは笑ってエマを持ち上げると妻に言う。
「はは、クレアとエマと美しい花、癒されないはずがないだろ」
侯爵邸の庭に笑い声が響いた。




