ティラール王国における聖女の称号
聖女ガブリエルが処刑されると聞いて急ぎ駆け付けた聖神教教皇イジドールは、火炙りにされた聖女の遺体を目にする事となった。
「何と言う事を……。オノレ殿下、貴方は、自分が何をしたか解っているのですか!?」
イジドールの庇護の下にいたガブリエルは、婚約者であるオノレ王太子に呼び出されて王宮に向かった。
ところが、突然罪人だとして捕らえられたと言う。
ガブリエルを守ろうとした護衛は殺され、辛うじて逃げ延びた侍女からそれを聞いたイジドールは、オノレに怒りを抱いた。
「解っているとも。その女が、聖女に相応しからぬ性根である事も、私が愛するジャニーヌを殺そうとした事も!」
オノレが、ジャニーヌと言う素朴な少女に入れ込んでいる事は、イジドールも聞いていた。
「陛下が、ガブリエル様を処刑する事を許可したと?」
そんな事をすれば、聖神教会との関係は終了する。
教皇からの戴冠を受けなければ王として認められないのだから、そんな許可は出さない筈だ。
「このような些事で、病床の父上を煩わせる必要は無い」
その返答に、イジドールは、怒りを通り越して呆れてしまう。
聖女を無断で処刑し教会との関係を切る事が、些事とは。
「オノレ殿下は王太子でありながら、聖女と言う称号がどのような人物に与えられるかご存じ無いようですな」
「馬鹿にするな! 聖女の呼び名に相応しい行いをした女性に与えられる称号だろう?」
「表向きはそうです」
「表向き、だと?!」
オノレが、何故裏を知っている者から聞いていないのかは、どうでも良い。
イジドールは、更に尋ねる。
「最古の聖女リュディヴィーヌは知っていますか?」
「当然だ! 最も有名な聖女ではないか! 旱が続き、危機に陥った国を救う為、命と引き換えに恵みの雨を降らせた。それにより聖女と認定された王家の姫だ」
「そう言う事になっていますね。ですが、実際は、異母兄である国王によって生贄にされたのです。その後、雷雨が続き、国王とその母・国王の側近達が悉く落雷で命を落とした為、当時の教皇マルスランが聖女として手厚く供養しました」
オノレにとっては、初めて聞く話だった。
「それは、本当なのか?」
「ええ。他の聖女も同じようなものです。王家の血を引く姫が王家の血を引く殿に殺害された結果、殺害した殿とその周りの人間が悉く命を落とす。その度に教皇は、殺害された姫の魂を慰める為に、聖女として祀り上げて来ました」
「なら、何故、お前は、生きているガブリエルに聖女の称号を与えた?! おかしいじゃないか!」
オノレは、嫌な予感を振り払うように、大声で矛盾点を指摘する。
「殿下は、ガブリエル様が12歳の時、実家のカントルーブ公爵家が使用人も含め悉く命を落とした事を、ご存じ無いのですか?」
「わ、忘れていただけだ。確かに、彼等が流行り病で無くなったとは聞いていた」
「流行り病が原因であれば、犠牲は、カントルーブ公爵家だけに留まらないでしょう」
疑問に思わなかったオノレの知能には、何の期待も出来ないとイジドールは思った。
「カントルーブ公爵夫妻は、ガブリエル様を虐待していました。ガブリエル様が12歳の時、オノレ殿下の婚約者を次女の方に変える為に、ガブリエル様を亡き者にしようとしたのです。結果、ガブリエル様は生死の境を彷徨い、カントルーブ公爵家の者は、次々と命を落としました」
イジドールは、オノレとその側近達、そして、オノレの恋人のジャニーヌの顔色が悪くなったのを確認したが、話を続ける。
「私が聖女の称号を贈り、手厚く看病した結果、ガブリエル様は奇跡的に一命を取り止めました。そうしなければ、カントルーブ公爵と血縁が有る王家にも犠牲者が出たかもしれませんね」
カントルーブ公爵は王家の血を引く殿で、その実子のガブリエルは王家の血を引く姫であると突き付ける。
「さて。皆様。彼女は既に聖女なので、それ以上の称号を与えなければなりません。私に、聖女以上の称号を教えて頂けますか?」
それから、数ヶ月。
何も起きずに過ぎた為、怯えていたオノレ達は、イジドールの作り話だと判断して安心していた。
しかし、国王が亡くなり、オノレは即位の為に同じ神を崇める別の宗教を創った。
そして、即位し戴冠式を行ったものの、聖神教の戴冠式では無いから無効だと貴族達が反発し、王位継承権を持つオノレの再従兄弟を旗頭に蜂起した。
彼等は、オノレが聖神教の聖女を処刑したと聞いた直後から、戦の準備をしていたのである。
聖神教の聖女を処刑し、即位と結婚の為に新宗教を創って国民に強制するオノレに味方する者は少なく、何方が勝つかは、判り切っていた。
その為、オノレ達は隣国に亡命しようとしたが、叶わず捕らえられてしまった。
正当な即位をしなかったオノレは、簒奪者として公開処刑される事になった。
彼の側近・王家の血を引かぬ母・新宗教の教皇となった弟、そして、ジャニーヌも、共犯として処刑される。
死刑執行人は、ガブリエルを処刑した者ではない。
彼は、火事で命を落としたからだ。
「これが、ガブリエルの祟りなのか?!」
「ただの自業自得ですね」
丁度、聞きたい事があって牢を訪れたイジドールは、冷たく声をかけた。
「イジドール!?」
「強いて言うならば、逃亡がバレて捕まった事でしょうか? 貴方方の命は、彼等が奪ってくれますし。ガブリエル様と同じ火炙りだそうですよ」
「いやあ!」
向かいの牢に入れられているジャニーヌが、ガブリエルの処刑を自分の身に置き換えて想像し、悲鳴を上げた。
「ところで、王妃殿下。オノレ殿下は、陛下の血を引いているのでしょうか?」
イジドールは、ジャニーヌの隣の牢に入れられた王妃に、本題を切り出した。
「無礼な! オノレは陛下の子です!」
「左様で。では、祟りの犠牲者が増える恐れがありますね」
オノレの姉妹達が、火事で死んだ死刑執行人のように命を落とすだろう。
「聖女以上の称号は、思い付きましたか?」
「我等が助からぬのならば、知った事ではない!」
「教皇様、助けてください!」
ジャニーヌが命乞いをする。
「貴女は、ガブリエル様を助けなかったのに?」
その言葉に、ジャニーヌは絶望してイジドールを見上げた。
「それに、彼等に処刑を思い止まらせる言葉などありません」
そう言うと、イジドールはその場を立ち去った。
彼等の処刑には、多くの市民が集まった。
聖女を罪人に仕立て上げて処刑し、聖神教もどきに改宗するよう命じた悪人共が罰せられるのである。
見逃す手は無い。
「聖女殺しの悪党が出て来たぞ~!」
オノレ達が刑場に連れ出されると、見物の市民から声が上がった。
「神の敵対者め!」
「悪魔!」
聖女を殺した事を責める市民に、この状況を自業自得と思えないオノレは反論する。
「ガブリエルは、殺人未遂の犯罪者なのだ! 私は何も悪くない!」
「ふざけんなー!」
「うそつき~!」
「さっさと、処刑しろー!」
新宗教を創ったので、聖女の処刑はオノレの聖神教への嫌悪によるものと思われていた。
なので、殺人未遂と言うのはでっち上げの冤罪としか思われない。
「皆、ガブリエル様に操られて……」
火炙りの為に棒に縛り付けられたジャニーヌは、貴族達がオノレを国王と認めなかったのも・蜂起してオノレ達を捕えたのも・彼等が自分達を処刑すると決めたのも・民衆から罵詈雑言をかけられるのも、全てガブリエルの祟りだと思っていた。
そうでなければ、こんな事になる筈が無いと信じて疑わない。
いや。彼女だけではない。
オノレ達も、そう信じていた。
「火を付けよ!」
「いやあ!」
「止めよ!」
聞こえる筈も無いガブリエルの高笑いを聞きながら、オノレ達は命を落とした。