嫌なときに見るもの
ご閲覧いただきありがとうございます。
これはなんてことないただの「メモ書き」でございます。
ただし、ただのメモ書きではございません。
これは私が考えたことをただただ書き連ねたものでございます。
そしてこれは完全な私の趣味で書いているものでございます。
故に何を思い、何をコメントされてもかまいません。
ただ、私ができる精一杯の「偽善」を
ここに記して参りたいと思います。
「何だ、小説ではないのか」
そう思われた方はお帰りになっていただいてかまいません。
ただ、何かにつらくなったときや嫌なことがあった場合、限界が来た場合に
これを見ていただければありがたく思います。
では、どうぞ
___
この中に「死にたい」と思っている方はいらっしゃいますか
いらっしゃる前提で書きますが、それはどうして?
嫌なことがあった?
その嫌なことって何でしょうか?
上のひとから怒られた、テストの点数が悪かった、友達関係が良くない、ずっと一人で生きてる
実に様々な要因があるでしょう
そうですね
とてもつらかったですよね
私などが共感したところで、「何様なんだお前は」とか「お前に何が分かるんだ」とか
そう思われる方がいるのは重々承知しております
確かに私はあなたの気持ちを知ることはできません。
私は今「死にたい」など思ってもおりませんし、上の人から怒られるというようなことも、テストの点数だって悪くもありませんし、決して一人で生きているわけでもないのですから
故に、私はいま、あなたよりも「ほんの少し」幸せを多く感じているのです。
ふざけるな
ほんの少しだと?
そう思った方もいることでしょう。
ですがよく考えてください
私とあなたではおそらく、「幸せ」を感じるメーターが違うのです。
あなたはきっと、幸せを感じるのは、完璧に近いレベルでないと行けないのでしょう。
上のものから認められないといけない、テストで100点取らないと行けない、友達とずっと仲良くしてないと嫌だ、一人で生きているのはつらい
そう考えて、自分に鞭を打っているのではないですか?
あなたは素晴らしいです。
ええ、本当に素晴らしい。
だって、そんな嫌なことばかりを感じる人生にいても、あなたは頑張っているではありませんか。
私は頑張ることがなかなかできませんでした。
少々、私の昔話にお付き合いください
私は今、大学に通っているごく一般の男です。
見た目もそんなに良くない、勉強がすごくできるわけでもない、女の子にもてるわけでもない
それだけではありません
友達が多いわけでもないし、高校時代は1つの考査で欠点を5コ取ったことがあります。
部活を頑張ってやっていた中学時代でも、最終的にはレギュラーになって活躍することもできませんデしたし、高校時代の大学受験では全落ちしました。
幼稚園から小学校では何度かいじめられていました。なんなら、生まれてくる際には私は肺炎でして、1ヶ月間保育器にいたらしいとのこと。
どうです?
ひどいものではないですか?
それでも、なぜか私は今「幸せ」なんです。
何ででしょうか?
嫌なことばかりあった人生ですが
なぜか幸せを感じているのです。理由も分からないのに。
嫌なことなんて、いくらでも思い出せるものです。まだまだ出てきますからね。浪人時代も嫌なことありました。
それでも、こんなにめちゃくちゃなことがあっても
幸せを感じてしまいます。
皆さんの苦しみに比べれば雀の涙かもしれませんが、幸せを感じている人でもどこかで苦しさを感じているものです。
「なんだこいつは、偽善者ぶるな」
そう思われて結構です。
私は「偽善者」ですから
話を変えてみましょうか。
皆さんは、荀子という人をご存じですか?
私もそこまで詳しいわけではございませんが、この方、どうやら「性悪説」を唱えているのですねぇ。
性悪説とは、「人間の本性は悪」であるという考えです。
そう、人間は全員悪を持って生まれているとのこと
私たち人間には、確かに悪の部分がありますよね。
でも、私たちにはすべて「悪」しかないのでしょうか?
そんなことはありません。
現に、皆さんはとても優しいではないですか。
だって
つらくて苦しくて、もう死んでしまいたいような時
こんな訳の分からないメモ書きを見てくださっているのですからね。
全く
やさしいにもほどがあります。
皆さんのようなやさしい人たちだって、人間にもいるのです。
荀子は続けてこう言いました。
「その善なるは偽」と。
荀子の言う「偽」は「にせ」とか「嘘」という意味ではありません。
この「偽」は「人の為したもの」ということです。
すなわち、あなたの持っている優しさは、確実に誰かのおかげで成り立っているのです。
あなたに「善」を為した人は誰でしょうか?
ご両親?ご兄弟?恩師の先生?それとも関わってきた人全員ですかね?
あなたの優しさはかけがえのないものになっている
だって、私はそんな優しさ持てませんから。
私はどちらかと言えば性格が悪いので、常に自分のことを考えて行動してしまうのです。
なんて醜いのでしょう私は…
あなたのような美しく純粋な心を持っていたい
そう感じます。
私は心が汚いので、いつかきれいになるのを祈るばかりですが…
私の「偽善」とあなたの「偽善」は違います。
私の偽善は、これを書くことで自分の意見を誰かに見てほしいという、「自己中心的」なもの
あなたの偽善は、頑張った自分を追い込んで、他の人に迷惑をかけないようにしようとする「利他的」なもの
おそらく皆さんの偽善の方が、私よりも純粋です。
透き通っているはずです。
私は、あなたのような心をどうやって養うことができるか知りたい
それもたとえ「偽善」だとしても…
さて、ここまで見てくださった方
ありがとうございます。
まだまだ私の偽善は続きますよ
___
テストの点数がとれないと悩んでいる方、きっと学生さんが多いのではないでしょうか。
もちろん、社会人になっても勉強している方もいることでしょう。
お疲れ様です。
頑張ってますね。
え?
頑張ってない?もっと頑張らないと?
何を言いますか。
あなたは「頑張りすぎ」てますよ。
あなたの周りに「サボってばっかりの人」はいませんか?
そして、そういった人に対して密かに「なんなんだあいつは…」とか、「なんで勉強もしてないのにあいつは…」とひがんだことも多くあるのかもしれません。
分かります。
共感できますよこれは。
勉強を全然していないのにあいつはできると言うことにイライラする。
仕事を全くしない人に対してもっとやれよと思いイライラする。
確かに共感できます。そう思って当然でしょう。
しかし
それって自分が頑張っているからではないですか?
「何を言ってるんだ」「頑張ってもあいつに勝てないんだからあいつよりも頑張らないと」
そういったことを思えるだけで、あなたは立派なんですよ
私ならどうなるか教えましょう
「やーめた」です
はい
ただそれだけ
私は頑張ることがあまりできませんでした。幼い頃からずっとです。
しかし、「頑張る」というものを考える機会があったのですが、そのときにふと思ったのです。
「頑張る」って何だろう
あなたの「頑張る」とは何ですか?
結果を出すこと? 数字を挙げること?
確かにそれが一番でしょう。
かの有名なサッカー選手、リオネル・メッシ選手も言ってますね。
努力すれば報われるのではなく、報われるまで努力するのだ、って
本当に素晴らしい名言であると思いますし、あなたも納得するでしょう。
しかし、疑問があります。
「報われない人は努力できない人なのか?」と
私が大好きな本で、これに似た内容がありました。
詳しくは「ケーキの切れない非行少年たち」、「どうしても頑張れない人たち」というものを見ていただければと思います。(まあ私の大好きな本って言うのがこの本なんですがね)
この質問、あなたはどう考えますか?
皆さんはNOと答えるのではないですか。
私は全力でNOと言います。
だって、努力しているひとは全員報われていくのでしょうか?
いいえ、決してそうではありません。
努力に関して、私はこのように考えます。
「努力」は才能であり、それができる人間は他の人間に比べて成功する確率が上がるのだ。と。
つまり、あなたはめちゃくちゃ頑張って努力して
それでも自分が成果を上げられなくて
それでも頑張って、頑張って、頑張りまくって
それでも報われないのをなげいているのではないですか?
それで自分を苦しめても、つらくなってしまうと思います。
あなたはやはり優しすぎます。
もっと、性格悪くなっても良くないですか?
もっと周りを使ってみましょう。
それであなたの成果が上がれば万々歳です。
頑張りすぎる才能と、他者との協力を取り付けたあなたは最強です。
まさに鬼に金棒
そんな自分を想像してみるといいんじゃないでしょうか。
___
続きはまた後日に…




