サラリーマン?
人は、自分に欠けているものを求めたがる。
そして、人が持っているものを、羨む。
今あるものだけで十分なのに。
「日向、眠ってないで帰るぞ」
居眠りなんて久々にしてしまった。しかも、比上が起こしてくれなかったら、いつまでも寝ていただろう。
比上と日向が校内で会話することが増えると、周りはいち早く噂話を広めた。
ネクラな日向と、問題児の比上。実に奇妙な組み合わせだと、笑い声がする。
どうでもいい話しだが、周りに自分がネクラだと思われていたことは、悔しいが納得してしまった。
「未弘と連絡は取ってんの?」
比上は首を横に振る。
「必要事項以外の連絡は一切取らない。鍵屋の情報網を侮るな」
比上が教室を見渡す。
「こうしている間も、どこかで見張ってるかもしれないからな」
寒気がした。
「だからお前も、行動には十分に気をつけるんだな。むやみに谷上になんか連絡すんなよ」
お見通しだった。
日向は、あの日から谷上のことが気になって仕方なかった。
正直言うと、今日辺り連絡でもしようかと、軽く考えていた。
「分かってるよ」
自分に言い聞かせるように、返事をした。
キーパーソンとして動くのは、真夜中が多い。バイトが終わってから、比上と行動に出る日向にとっては、この生活がはっきりいって辛い。
授業中に爆睡してしまうのは、このせいだ。
「今日は、あんまし活動してないのかな?」
「あぁ…魔物の臭いもあんまししない」
比上が言う、魔物の臭いというものがどんなものなのか、日向にはまだ分からない。
「あのさ、前に言ってた、扉ってどこにあるかは分かってないの?」
「扉は世界各国にある。だから、キーパーソンも鍵屋も世界各国にあるんだ。日本に散らばった魔物たちが通った扉は、この地域近辺にあるとは分かっているが、正確な位置は、数十年過ぎた今も分かっていない」
魔物を倒しながら、扉も捜す。本当にそんなことを、比上は幼い頃からやっているのか…。
頭が下がる。
「辞めたくなんないの?」
「キーパーソンをか?」
日向が頷く。
「さぁ。考えたこともない。生まれた時からこの世界しか知らないからな…これが当然と思って生きてきた」
どれほど過酷か、身を持って体感したから分かる。これが当然なんて思っていたなんて…
胸が痛くなる。
「日向っ!解錠しろっ!!」
気が抜けた空気が、一瞬にして張り詰める。
「か、解錠っ!!!」
「心してかかれよ。こいつは、ヤバイ」
比上の額に汗が溜まっている。
こんな姿、初めてだ。
でも、暗闇からは何も現れない。それが、日向の張り詰めた緊張を、ほんの数秒だけ緩めてしまった。
その時だった。
「日向っ!!」
日向の横を、何かが通り過ぎた。突風のように。一瞬。
なのに、何故だ?
日向の腕からは、大量の血が噴き出した。
遅れて、激痛が彼を襲う。
「ぐぁぁあ!!」
「日向っ!!」
衣服を破り、比上は素早く止血する。
「な、何だよ…」
気が動転する日向とは反対に、比上は集中力を最大限に高めていた。
取り乱したら、殺される。
「最近ここら辺で暴れてるキーパーソンがいるって噂を聞いたからさぁ…確かめに来たんだ」
闇夜から静かに現れたのは、くたびれた背広を着た細身のサラリーマンだった。
「…おや?君は、いつか会ったサボり高校生じゃないか」
そうだ。前にサボった時に会った…
あのサラリーマン。
「そうかぁ君、キーパーソンだったんだぁ」
サラリーマンが微笑む。
「困ったなぁ…また会えるかなって思って、よくこの公園には着てたんだけど…まさか敵だったなんて」
ため息をつきながら、サラリーマンは頭を掻く。
「…貴様…」
初めてだ。
日向を支える比上の手が、震えている。
「…とりあえず、自己紹介しましょうか。折角、こうして再会できたわけだし」
サラリーマンは、ネクタイを締め直し、姿勢を正した。
「カラスです。好きなことは読書とジグソウパズル。嫌いなことは、運動」
無防備なその姿が、より不気味さを増していた。
そして、サラリーマンはゆっくりと続ける。
「漆黒、四天王の一人です。以後、お見知りおきを…」
生暖かい風が、日向の身体を固まらせた。