雨?
家に帰ると、父親と母親の笑い声がして、安堵した自分は急いでリビングに向かう。でも、そこに両親の姿はない。だから、家中を探し回る。すると、笑い声がどんどん遠退いていくことに気がつくんだ。そんなはずない。どこかにいるはずなんだ…。息が上がる。
そして、あの部屋の前にたどり着く。笑い声は確実にこの部屋からする。
駄目だ。開けたら。
開けてしまったら…。
「うわぁぁ!!」
朝だった。
大量の汗が布団の色を変え、手が震えたままだった。
「夢か…」
言い聞かせるように、呟いてみた。
あぁ…
今日は、二人が命を絶った日だ。
日向は、気分が最強に悪かった為、高校は休んでしまった。けれど、家にいると気が滅入ってしまうので、公園で午前中を過ごしていた。
息子として、墓参りに行かなければいけない。頭では分かっていても、身体が動いてくれないんだ。
あれから七年ほど経った今も、日向は両親を許せていない。
不思議だ。世の中は人で溢れているのに、自分の胸の内を話せる人が一人もいない。
自分の汚い部分や、卑しい部分をさらけ出せる人がいない。
「すみません、ここ空いてますか?」
「えっ?」
背広を着た、細身のサラリーマンが視界に入ってきた。
「あ、はいっ」
慌てたせいか、何故か無意味に姿勢を正してしまった。
「なんか、暑いっすね」
サラリーマンはとても気さくで、日向に話しかけてきた。
「はい…そうですね」
ただでさえ会話が苦手なのに、その上、赤の他人となると変な汗をかいてしまう。
「公園って、親子連れが多いんすね」
「はぁ…」
公園なんだから、当たり前だろ。と突っ込みそうになった。
「親子…なんかいい響きっすよね。無敵な感じがする」
無敵。
「それにしても暑いなぁ…」
サラリーマンは苦笑いする。
「…君は、一人なの?」
「え?」
「いや、こんな昼間に公園のベンチに一人でいるからさ…友達は?」
「あぁ…学校、サボったんで」
思わず、俯いてしまった。口にすると、凄く悪いことをしてしまった気がしたから。
「サボりかぁ。何でもありだね」
サラリーマンが笑う。
「授業をサボる学生、セクハラする教師、虐待する親、患者を見殺しにする医者、飲酒運転するドライバー、悪を黙認する警察…本当、何でもありだよね。この世界」
鳥肌が立った。
「さぁてと、会社に戻るかなっ!じゃ、また」
「え…は、はい」
サラリーマンは、あっさりと公園から立ち去っていった。
何だったんだ?という日向の疑問だけが、広い公園に取り残されていた。
夜になっても暑さは和らぐことはなかった。一切風が吹かない。身体から滲み出る汗が、一層気分を害していた。
バイトを終えた日向は、星一つ見えない夜空を見上げながらため息を漏らしていた。
今年も、結局行かなかった墓参り。こうして自分の弱さに悔やんでいる面もあれば、この日が一刻も早く過ぎ去ってくれるよう祈ってる自分もいる。
要するに、とてつもなく弱虫だということに変わりはない。
携帯が鳴る。
誰だ?この番号。
「ひ…日向…」
受話器の向こうから聞こえてきた声は、谷上だった。
「な、どうした?!」
何で番号を知っているのかと問いたかったが、彼の声に嫌な予感が襲い掛かった。
「たの…む…駅の…」
電波が、引き裂くように邪魔をする。
「谷上?!」
怒鳴っても、応答なし。
ヤバイ。
日向は、走り出していた。
「谷上っ!!」
駅前のバスロータリーに着くと、ベンチに傷だらけの谷上が倒れていた。
終バスがなくなると、ここには人がいなくなる。
「おう…着てくれたんか…」
掠れ声。
傷から流れる血が、闘いの激しさを物語る。
「…どうしたんだよ」
「あかん…来てもうた…」
振り向くと、人の腕をくわえたままの魔物が、ゆっくりと向かってくる。
「…二段や…」
段とは、魔物のレベルを表す言葉だと、比上が言っていた。乗っ取った生者の数で、そのレベルが分かる。乗っ取った回数が多い魔物ほど、饒舌で頭がいいらしく、力も強いと比上が面倒臭そうに話していた。
「お前呼んだんはな…俺をおぶって…逃げてくれ、頼も思てな…」
鼻から、日向が倒せる相手じゃないと言っている。
「…初段より、強いの?」
「当たり前や…ビビる…はよ、逃げるで…」
谷上が息を止めながら立ち上がる。
見ているこちらまで痛みが伝わってくる。
「おいオイ、逃げるダッテ?逃がすワケねぇーだろッ!!!!」
魔物が、飛び上がる。
ヤバイッ!!
「解錠っ!」
怪我人が自分の肩に寄り掛かっていることも忘れ、日向は叫んだ。
谷上が無惨にも地面に倒れる。
「お前…無理やて!!」
確かに無理だ。奴の殺気を感じ、勝てるなんて微塵も思えない。
でも、もう立ち尽くしたままでいるのは御免だ。
「死ねぇぇェェッッ!!!!」
鋭い剣となった魔物の腕と、日向の鍵がぶつかる。
その圧倒的な力の強さに、息が止まりそうになった。
「甘いなぁっ!まだまだぁぁァア!」
吹っ飛ばされた日向が、電柱に激突する。
地面が血で染まる。
痛みと恐怖で、自分がこんなにも使い物にならないなんて、思いもしなかった。目の前で死にそうな仲間も助けられず、なんて…
無力なんだ。
「ご馳走ガ、二つ!ドッちから、食べようか…」
無力だ。
情けないくらい…。
魔物が、谷上の前に立つ。
「でワ、いただきまぁアス!!!」
谷上っ!!
「時雨の鍵は、雨を降らせ…この世の憎悪を洗い流す…」
天から声がした瞬間、突然、大雨が降り出した。