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Chapter3

Chapter3


 公園にはまだ誰もいなかった。時刻は23時を回っており、街頭には羽虫が集まり蠢いていた。真夏の夜にしては肌寒かった。時折温いような冷たいような夜風が吹いた。

「おい、京子。なんでここなの?俺のアパートでも京子の家でもよくない?」

 公園の入り口にタカオが立っていた。彼とはもう5年近く交際しているが、家以外で待ち合わせることは滅多に無かった。京子は座っていたベンチにタカオを招いた。

「大事な話があるの。きっと家だと言い出す勇気が湧かないから。だからここで。」

 京子の口調には緊迫感があり、タカオはいつもと違う恋人の雰囲気に違和感を覚えた。

「タカオ、あなた昨日どこで何してたの?夜のコンビニのバイトも行かなかったよね?ずっと家にいたの?」

「え?話ってそれ?説教するためにわざわざこんなとこに呼び出したの?」

 平静を装ってみたが、内心はかなり動揺していた。

「はぐらかさないでちゃんと答えてよ。」

「いや、体調悪かったから休んだだけだよ。店長になんか言われた?欠勤の連絡はしてるんだけど。」

 アリバイを詰められるなんてまるで警察の取り調べみたいだと思った。長年付き合ってはいるが同棲すらしていない恋人の同行を確認する必要など、事件以外にないだろう。そして実際に事件を起こした身としてはその事を連想してしまう。あの小学生を殺したのは昨日のことだが、それにしては異変に気付くのが早過ぎる。警察に通報があったのだととすれば自分のもとに来るのは恋人ではなく警官のはずである。

 恋人の語気には有無を言わさぬ強さがあって、それが彼女の覚悟を表していた。タカオは京子がどのようにして情報を入手し確証を掴んだのかを究明するよりも、冷静さを取り戻して事態を収拾する方が重要であると判断し、思考を巡らせた。隣り合わせでベンチに腰掛けた2人だったが、互いの顔は見ていなかった。横目で京子に目をやると、緊張で顔が紅潮しているのが分かった。

「じゃあさっきは?本当はタカオの家で話そうと思って寄ったんだよ?でもいなかったよね?体調が悪くてバイト休んでるのに何処行ってたの?」

「何処って、夜食買いに出掛けてたんだよ。寄ったなら待っててくれればよかったのに。」

「やめてよ。嘘吐かないで。夜食買うだけなのになんで何時間も帰ってこないの?言ったでしょ?本当はタカオの家で話そうと思ってたって。いつまで待っても帰ってこないからどんどん不安になった。ごめんね、タカオ。あなたがいない間に部屋の中調べたの。そしたら浴室に…」

 京子は堪らず泣き出した。自分が見たものをそのまま言葉にすることは憚られた。あの場面を回想すれば、連想してしまう。それはもう人の所業ではない凄惨さだった。

「タカオ。自首しよう?私も付いていくから。逃げたりしないで。一緒に償おうよ。」

 血痕を見られたのか。死体の処理にばかり気を回していたから、浴室の血痕のことは後回しにしてしまった。山中に死体を棄てて戻ってきてからシャワーを浴びたが、その時ついでに浴室を洗浄した。まさか留守の間に誰かに探られるとは考えていなかったので、京子に見られたのは大きな誤算だった。不審に思ったアパートの住人に来訪または通報される可能性も十分にあり、リスクの高い行動は慎むべきだったと後悔した。だが同時に疑問も湧いてくる。部屋の処理を怠って外出したことは軽率だったが、京子が突然家に来たことも無断で部屋を調べたことも予想外の出来事だった。これまでの交際期間においては一度だってお互いのプライバシーを侵害した事などなかったし、京子の性格を考えればこの一連の動きは不自然だった。京子は勘や第六感のような不確かな根拠で動くほど愚かな女ではない。話ぶりからすればある程度確信があってアパートを訪ねて来ているようだった。

 ともすれば、外力が働いたと考える方が自然な成り行きか。外力、つまり情報提供者がいたということだ。だがなぜその人物は警察ではなく京子に先に教えたのだろうか。新たな疑問が浮上した。

「お願いだから、何か答えて!」

 タカオがしばらく黙っていたことで、京子は焦燥感を募らせた。沈黙は、即ち肯定を意味していた。

「ごめん。少し考えてた。質問に答える前に、一つだけ訊いても良いかな?」

 京子は興奮状態にあり、問答を繰り広げたところで状況が悪くなることは明白だった。一つだけ、と限定して問うことで京子の思考の幅を狭くし、一時的に冷静さを取り戻させた。現状における最悪手は京子が暴れて大声を出し人を集めてしまう事だったため、先手を打って回避した。

「誰かに何か言われた?もし京子が何か疑ってるんだとしたらその誤解は解きたいし、僕だって聞かれたことはちゃんと答えるつもりだよ。それに…」

「あなたが部屋に子供を連れ込んだって言われたの。」

 連れ込んだーー。その表現が全てを物語っていた。頭から血を流し気絶した子供を引き摺って運び込む状況を、部屋に連れ込むとは解釈しない。つまりあのアパートの住人が偶然自分達を目撃してしまったという線は消えた。一階の血溜まりを見たのであっても同様である。あるとすれば2人の当事者だが、その内の1人は細切れにして確実に処分したのだから答えは得られている。

 あの時逃げた少年が京子に密告した。

 なぜ警察でも自分の家族でもなく京子に?あのアパートにずっと隠れていて、たまたま部屋に入ろうとした京子に話した?否、それはあり得ない。京子が部屋に来たのは密告を受けたからだと言っていた。いつも部屋に来る時は事前に連絡をくれていた。連絡をもらっていれば、少なくとも数日は部屋に上げたりしなかった。ならば残るは一つだけ。

 あの小学生は以前から京子を知っていた。

 抗えないほど大きな力が自分を支配していくような感覚に陥った。衝動的ではあったが結果から考えれば落ち度は無かった。アリバイは証明出来ないが、追求されるだけの証拠も当面は出てこない算段だった。まさか死体遺棄の帰りにそのまま暴かれるなんて。気持ち悪さは拭いきれなかったが、今は密告の経緯を探っている場合ではなかった。一刻も早くこの状況を整理しなければならない。整理とは即ちーー。

 タカオの顔も見ずに遠くを見つめていた京子は内心で動揺していたのとは裏腹にかなり油断していた。恋人が殺人犯であるという事実は変わらないのに、なぜか自分だけは彼の良き理解者になれると自惚れていた。安全圏にいると錯覚していた。タカオはその油断を読み取ると、まるで練習してきたかのような滑らかさで行動を起こした。

 左手で京子の首を絞め、右手で顔を掴んで勢いよくベンチの背もたれに後頭部を打ちつけた。呼吸困難と鈍痛が同時に京子を襲い、パニックになりながら手足をばたつかせた。その勢いでベンチからずり落ち、奇跡的に拘束から逃れた京子は咳をしながら距離を取った。尻餅をつき後退りしたがうまく手足に力が入らなかった。

「なん…なんで…?」

 京子はようやく理解した。目の前にいるのは恋人ではなく、凶悪な殺人犯なのだと。何らかの事故で子供を死なせてしまったわけではなく、明確な殺意を持って犯行に及んだのだと。そしてこの男は保身のために自分のことを殺すつもりなのだと悟った。

 タカオは、逃げようとする京子の腹の上に跨り動きを封じた。時間をかければ確実に人目につく。やるなら可能な限り最短で効率よくやるべきだが、男とはいえ非力な自分には策も技術も無かった。せめて何か道具があればーー。

 ガラン、と金属の鈍い音がした。手を伸ばせば届くほど近くに街灯の光を反射する銀色が見えた。それはあの時のスパナだった。先端に赤い血の跡があった。

「タ、タカオくん…?」

 京子が遠くを見つめて何か言った。タカオはその言葉の真意も、あの時のスパナがすぐそこに落ちていた理由も、気にはなったが推理している時間などなかった。スパナを拾い、振り上げ、そして振り下ろした。銀色のスパナは鮮血を浴びて更に赤くなった。何度目かの殴打で京子の身体は完全に停止した。京子の虚な瞳は、自分を見ているのか空を見上げているのかよく分からなかった。深呼吸を一つ吐くと、これまで聞こえていなかった周りの音が戻ってきた。気が付けば公園の周囲にはパトカーが集まり、複数の警官がこちらへ走ってくるところだった。誰かが通報したのか。やけに早いなと思いながらも、これでようやく全て終われるという安堵が口から漏れた。途端に全身から力が抜けていき、タカオは背中から地面に倒れた。

 薄れゆく意識の中で、公園の木陰から誰かがこちらを見ているのに気付いた。あの時の少年だとすぐに分かった。月明かりは木の葉に遮られ、少年のいる場所は闇に包まれていた。

 夜の暗がりの中で、タカオは小さく笑ってみせた。



『…神奈川県横浜市で、交際相手の女性と同市内に住む児童の2人を殺害したとして、神奈川県警は11日深夜、同市内の公園にて諸星隆雄容疑者(31)を殺人及び死体遺棄の容疑で緊急逮捕しました。警察の調べによりますと、諸星容疑者は同市内にあるコンビニエンスストア従業員で、交際相手の富士京子さん(31)を殺害した他、昨日10日から行方不明だった同市内の小学校生徒の喜楽功明くん(10)を殺害したと自供しました。亡くなった女性教員は児童の担任であり、2つの事件の関係を確認しています。児童の遺体は住居であるアパートからおよそ10km離れた地点にある山中に遺棄したと話しており、警察は事実確認を急いでいるとのことです。尚、凶器として使われた工具については、偶然同じものが現場に落ちていたと供述しており、捜査撹乱を狙った虚偽の申告とみて捜査を続けている模様です。』






Chapter…


 この世界は美しい。

 月の輝きは生まれたての様に無垢で、星の瞬きは命の灯火の様に儚い。空の光は放射状にこの地に降り注ぎ、乱反射して万物を煌々と照らし出す。宵の闇はその輝きに目を眩ませ深淵となって僕らを待ち受ける。光を求めるのは闇から逃れるためじゃない。仄暗い深淵の中身を知るのが怖いのだ。光に近付けば近付くほどに影が大きく濃くなってしまうのに。振り返れば後ろに暗がりが広がっているのに、知らない振りで誤魔化して、仮初の安寧に想いを馳せる。この世界は醜く、そして美しい。


 鷹尾タキが富士京子を殺そうと決断したのは、喜楽功明の件で相談をした翌日のことだった。結果として虐めは収束どころか加速し、無能な担任教師は喜楽家の犬に成り下がった。教室に入り何事も無かったかのように授業を始めた無恥な女は、鷹尾と目が合うとまるで心の痛みを共有した同志のような態度で目配せをし、再び黒板へ向かった。その瞬間、頭の上から伸びていた世界と自分とを繋ぐ糸が音も無く切れ、真っ逆さまに下へ下へと落ちていった。光は遥か遠くに消えて行きまもなく何も見えなくなった。あるのは唯、真っ黒な闇だけだった。

 富士の身辺を調べると、すぐに不遇で不出来な諸星という恋人の存在に行き着いた。コンビニで実際に姿を見たが、卑屈で陰鬱なその男は計画に不可欠なピースだと確信した。その男が子供嫌いというのは接客態度からすぐに分かったが、その原因はおそらく恋人が小学校の教員であるということに対するコンプレックスの表れなのだろう。器の小さな男だがこれ以上ない程に適任だった。

 頭の悪い喜楽を殺すのに労力は殆ど費やさなかった。予め調べておいた諸星のアパートの踊り場に学校の備品から拝借したスパナを見やすい位置で設置し、諸星の部屋のインターホンを鳴らして本人がいることを確認した後に、適当な理由で呼び出した喜楽と口論をする。内容は何でも良かったが、偶然にも喜楽の父親が諸星と張るくらいのクズっぷりだったので、分かりやすい表現で罵詈雑言を浴びせ、喜楽と諸星の尊厳を踏み躙った。読み通り諸星は興奮した状態で登場し、ちゃんと鈍器を見つけてそれを使用してくれた。一応、目撃者がいる場合と、諸星が途中で断念する場合の対策は用意していたが、考え得る最良の形で諸星は喜楽殺害を遂行した。スパナを回収しアパートから立ち去ったが、その後に諸星が証拠隠滅を上手くやろうが、誰かに見つかって頓挫しようが構わなかった。諸星は誰かに縋って生きるしか能がない。犯行が明るみになれば間違いなく逃げ出すし、自首する勇気もない彼は最後には富士を頼る。鷹尾の取るべき行動は既に決まっていた。

 喜楽の行方不明の件に諸星が関わっていることを伝えるだけで、富士は諸星を疑い始める。恋人ではあるが定職に就かず日陰暮らしの男の事を富士は快くは思っていなかった。自身の職場に対して不満を抱えストレスが募っていた富士にとって、本来なら良き相談相手になるはずの恋人が、むしろ気を遣わなくてはならない厄介な存在に成り下がったことを下卑していた。その不満は口にこそ出さなかったが、日々のくたびれた表情がそれを多分に物語っていた。信じる者も頼るべき者も周りにいない孤独な女性教員にとって、教え子との会話こそが救済であり、その言葉は疑いの余地なく心の奥深くに突き刺さった。発言の真偽よりも内容の真偽を確かめる方が優先された。

 鷹尾の思惑通り、富士は迅速に行動を開始した。富士との社会的格差と、社会から淘汰されたという負の感情を常に抱える諸星が、制御を失って凶行に及ぶ可能性を否定できなかった。心の何処かには恋人を信じたい自分がいたが、猜疑心が勝った。その結果、諸星の部屋の浴室の壁に飛散した血痕を見つけ、恋人がもう人間ではなくなったのだという事実を突き付けられた。

 鷹尾は富士を尾行し、問い詰められ自制心を失った諸星が暴行を始めたタイミングで、回収していたスパナを与えた。凶器を目にする事で喜楽を殺した時の光景がフラッシュバックすれば、二度目の凶行に対しての抵抗感は消え去り、間違いなく同じアクションを起こす。感情の昂りと言い逃れのきかない状況とが強く結び付き、諸星の理性は呆気なく砕け散った。

 ここまで計画通りに動いてくれた諸星には申し訳ないが、役者はもう必要無かった。有害だった2人は排除され、鷹尾の心には平穏が訪れた。鷹尾の両親は争いや揉め事を極端に避ける傾向にあるので、今回の事件を知ればきっとまた転校の手続きを取るに違いない。環境の変化は慣れていたが、次の学校でも頭の悪い連中が部外者を攻撃する事だろう。ならば何度だって滅ぼしてみせよう。世界をほんの少し綺麗にするために、愚者を滅ぼそう。世界の片隅のほんの小さな暗がりから、囁くように禍いを与えよう。


「さよなら世界。また逢う日まで。」


 夜の暗がりの中で、鷹尾は小さく笑ってみせた。


三部(四部)構成にしてみました。

過去に書き溜めたものをこうやって投稿してみておりますが、自分の文章力の低さに驚かされます。

誰かの目に留まりますように。

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