月と小麦と嬌艶花《アムール・フー》6
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大半の町の人が家に引き上げていたが、行方不明のメアリーを探す有志の姿はちらほら見えた。気づかれたら、一人で歩き回っているウィルが怪しいに決まっているので、彼らの目をかいくぐりながら、たくさんの人の匂いを嗅ぎわけながら町中を歩いた。最後にたどり着いたのは、一軒の家だった。
この扉の向こうに、メアリーの匂いが続いている。一番新しい匂いだ。
コルがかぎ爪を鍵穴に差し込んで鍵を開けた。
寝静まった家に、ウィルはするりと入り込んだ。
バン!
ウィルの何度目かの体当たりで、扉ごと吹っ飛んだ。
おそらく地下室だ。メアリーの匂いは、玄関から入ってまっすぐこの先へと続いている。
その扉を体当たりで破って真っ先に目に飛び込んできたのは、暗闇の中に浮かぶ裸の男女だった。
頭が真っ白になった。
てっきりメアリーは事件に巻き込まれたものと思っていたが、俺の被害妄想でしかなかったらしい。
一瞬そう思い、羞恥を抱いたが、二人の様子はどこか変だった。
「ああ、邪魔が入っちゃった。せっかく二人で楽しんでいたのにね」
メアリーの匂いを辿ってきたのだから、男の下で横たわっているのはメアリーに間違いない。しかし、その四肢に力はこもっておらず、だらりと伸びた手足と闇に輝く小麦色の髪が、光の届かない地下でぼんやりと明るかった。
男がメアリーに口づけた。メアリーは人形のように、ぴくりとも動かない。
ウィルは混乱していた。男の口調からは、まぎれもなくメアリーに対する愛情を感じる。しかし、本能で、メアリーを助けなければと思った。
「お前、メアリーに何をした」
ウィルが低く、うなるように問いかけた。
扉のなくなった入口から、月の光が入ってきた。
地下室が少しだけ明るくなる。
メアリーから体を引きはがした男は、ウィルも見たことがある顔だった。
「お前、昼の」
その男は、それ以上ウィルに喋らせなかった。
「やっぱりお前なんだな。メアリーを助けに来たつもりかもしれないが、あいにく、彼女の運命の相手は俺なんだ」
男は歌うように自慢した。
「彼女に何をしたかって? 俺は何もしていない。俺たちはただ、愛を確かめ合っただけさ」
メアリーを見下ろした顔は、いとしさと、そして狂気をはらんでいた。
月明りを受けてうっすらと見えたメアリーは、手と足を縛られていた。
髪はもみくちゃに荒れ、四方に広がっている。
メアリーは一糸まとっておらず、代わりに周りに布切れが散乱していた。身につけていた衣服が引きちぎられたことは明白だった。
ウィルがメアリーを観察している間も、男は語り続けていた。いわく、男がどれだけメアリーを愛しているか。メアリーがどれだけ男を愛しているか。幼少期から二人の縁は繋がっていることや、メアリーの魅力に真っ先に気が付いたのが自分だということ。メアリーの胸が女性的だとか、脚が綺麗だとか、もっと自分の魅力に気が付いて、男からの目線を気にするべきだとか。
吐き気を催すような独白だったが、その男の意見には、賛成だった。現に、こうなってしまった。
男の演説は、常軌を逸していた。
本当に二人が恋人同士だったとしたら、これはなんだ?
縄に手足を縛られ、自由を奪われたメアリー。
乱暴されたのだ。
そのことを、間違った運命を信じる妄想男の歪んだ視点のせいで、やっと理解したウィルは、怒ればいいのか、呆然とすればいいのか、ウィル自身にも分からない感情に襲われた。
宙をさまよっていたメアリーの目が、一瞬動いた。ウィルと目が合った瞬間、その目に力が宿った。
その目が何を語っていたのか、ウィルには分からなかった。
「助けて」なのかもしれないし、「見ないで」だったかもしれない。
分からなかったが、気が付いたら体が動いていた。
体の奥がカッと熱くなる。それは怒りだった。
メアリーを、こんな姿にして。彼女の目に絶望が宿っていたのだけは、まぎれもなく事実だ。
月の逆光の中で、ウィルは大きな黒い狼へと変身していた。
一跳びで、男の喉笛にかみつく。
ウィルの口に、男の、メアリーを汚した忌まわしい男の生暖かい血があふれ、こぼれた。
男が驚愕の声を上げるより速かった。
メアリーが目を見開いて、その光景を見つめていた。
ウィルは濡れた口元をぬぐった。袖口が赤く濡れた。
殺した。
殺したのだ。
もうこの町には留まっておけない、とウィルは思った。