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朝ご飯に目玉焼きとベーコンとパンと彼女

 彼女の家は国の端の端、森林の中にひっそりと建てられていた。

 大きくもなく、小さくもなく、現代風と言えば、そうでもなく、かと言って西洋によくあるファンシーな可愛らしい小さな家みたいなものでもない。


 黄色い土壁が目印の三角屋根の家だった。黄色い土壁には所々老朽化で色が剥げ黄土色に変わっていた。この色褪せ方にわたしはアンティークじみた親しみがあり、気に入っていた。何より壁の色は森林の緑と混ざり合って、自然と一体化しているようで風景に染み込んでいるように感じ、美しいとさえ思っていた。


 ここは恐ろしい魔女の館なんかない。ただありふれた建物があるだけ。そう、気に入るにつれて強く感じていった。


 ありふれた建物に彼女のような大魔女が住んでいるのを知っているのはわたしだけだ。


 召使のわたしにこんな特別な秘密があるなんて信じられなくて誇らしかった。


 そうだ。わたしは彼女だけの召使なんだ。

 そんな一言さえわたしにとっての名誉の勲章だった。


 だけど、彼女だけしか居ないこの家の召使なんだ。

 そんな一言がわたしにとっての悲しい思い出を蘇らせた。


 この家の景色は以前を思い出すとがらんとしたものに見えてしまった。


 この家には彼女の家族が住んでいた。彼女の家族は兄と妹と母と父の五人家族で、たまに襲来する叔父と叔母が毎日を彩り、笑顔が絶えない理想的な家庭だった。


 私が来る前は彼女の祖父や祖母がいたようだけれど、亡くなってしまったのかその姿を見たことがなお。

 家には祖父母の写真は一枚もない。家族から彼らのことを詳しく聞いたこともなかった。


 そんなことはどうでもいいだろう。


 彼女以外に魔法を使える人は二人。兄と母だけだった。


 それも彼女に比べればほんのちいさな規模の魔法だ。

 例えば、一輪の花の蕾を開かせたり、風一つない部屋にそよ風程度の風を生み出したりする魔法だ。


 だから、家族の方々は大きな魔法を使える彼女を誇らしく思っていた。

 しかし、特別扱いにはせず、ずぼらな彼女を時には厳しく叱りつけ、他の兄弟と同じように扱った。


 昔を思い出すと込み上げてくるものがある。


 彼女の兄はコーヒーを飲むのが嫌いだったことや、妹が父のお気に入りのカップを壊した時はひやひやしたこと。どれも懐かしく、わたしが持つにしては温かな思い出だ。


 わたしはこの家の彼女に拾われたから未だに此処に残っているけれど、彼女に出ていけと言われるならば出ていかざるおえない身だ。その後どこに身をゆだねれるか考えるだけでも身が縮まる思いだ。


 どうかそんな日が来ないことを願ってはいるが、来ないとは限らない。彼女の家族もそうして出ていったのかもしれないのだから。一つの可能性を考えるとなくはない。


 彼らは今どこにいるのだろうか。また戻ってきてくれるのならわたしは密かに最高級のお茶とお菓子を用意するのに、みな晴れ間があってからは音沙汰ない。


 お手紙の一つでもよこしてくれてもいいのに、と分不相応に心の中で文句を垂れる。


 この寂しさも、切なさも、誰にも分かりはしないのだろう。


 彼女の寝起きのために、と朝ご飯を用意しお茶をカップに注ぎ入れる。


 机と椅子が数個ダイニングには揃えられていて、机の上には出来立ての食事も用意していた。今日の朝ご飯は彼女の好きな半熟の目玉焼きとベーコンそして昨日夕飯に出したパンの残りだ。


 さて、そろそろ彼女を起こす時間だ。


 空気の換気にと半分開けていた窓を閉める。開けていた窓の傍の床は薄く濡れていた。


 濡れた木の床が生き生きとした色を吹き返している。隣り合わせた壁には妹様の落書きが描かれていた。色とりどりの花の絵と共に、黒い帽子を被った人の姿が添えられていて微笑ましくなる。


 彼女の妹様は彼女のことを好いていた。魔法が使えるなんて、しかも大きな魔法を使える彼女に憧れて彼女によく引っ付いていた。引っ付きすぎて、彼女の癖一つ一つ乗り移っていたこともある。


 彼女が疑問を持つと頭を傾ける癖がある。そうすると、妹様も同時に傾ける。

 彼女が口を丸め大あくびをすると、妹様も口を丸め小さなあくびをする。


 彼女が二人いるみたいで、あの時は彼女の家族が大笑いするとともにわたしもついくすっと小さく声に出してしまった。


 けれど、そんな妹様に彼女は一回も魔法を見せはしなかった。泣いてせっつかれても、駄々をこねられても、彼女は頑として魔法を使ったことがない。


 わたしが知る中で彼女が魔法を使ったのは晴れ間を見せる国民のためとわたしを救い出した時だけだった。


 いけない、つい晴れの時と同じように窓を開けっ放しにしてしまった。床も濡れている。部屋に冷えた風を送りこんでしまった。


 思い出に耽っていたらこんなミスはしないのに、先日の彼女を思うと居なくなった彼らのことを頭に浮かべてしまい、気が逸れてしまう。


 彼女を起こす時間まであと数分しかない。急いで手に持っていたふきんで床を拭くが濡れてしまった床は拭いても拭いても濡れた部分が広がっていくようで、終わりが見えなかった。


 どうしよう。先に彼女を起こしに行った方ががいいかもしれない。でもこんな失態彼女に見せられるはずない。どうしよう、どうしよう。


 と、その時ーー


「おはよう」


 彼女がわたしの居るダイニングに入って来てしまった。


 いつもより起きるのが早い。一体どうしたのだろうか。

 そんなことよりこの床を見せないようにしないと。


 ふきんを後ろ手に隠し、わたしは立ち上がった。


「おはようございます。今日は早いんですね」


 いつもはわたしが起こしに行かないと梃でもベッドから離れない。


「やることがあってね」


 やることというのは魔法の下準備だろうか。


 彼女にしては珍しくやる気がなさそうに席に着いた。


 ご飯の時の彼女は「この世の一番の至福はご飯を食べることだ」と言わんばかりに席に着く時、大きな笑みを浮かべていたのに、今の彼女は顔が青ざめ、目に狂気じみた光を宿していた。


 少しばかり怖い。


「寝ておられないのですか」


 彼女からの返事はなかった。


 不躾な質問だっただろうか。考えてみれば、先日は泣いていたのだ。何か落ち込んで泣いていたのだから、彼女の態度がおかしくたって変ではない。魔法を使うたび周りの人がどんどん居なくなって孤独に苛まれるのもまたおかしくはない。


「それより」


 彼女が切り出した言葉に彼女のことを考えていたので曖昧に返事してしまった。


「その後ろに持ってるものは何?」


 私の顔が一瞬にして火照る。


「いえ、これは、その」


 またぼかして答えてしまった。彼女に失礼だ。


「これはふきんで」


 彼女に問われれば、逃げ道なんてない。失礼極まりないし、彼女にとって信用を欠いてしまうのは召使として、拾われ、雇ってくれている身としていただけない。


 わたしは大人しく失敗を打ち明けることにした。


「窓を開けてしまい、床を雨で汚してしまって……申し訳ありません」


 勢いよく頭を下げた。


「なんだ、そんなこと」


 けろっと彼女は告げた。

 わたしは一瞬にして心が開け放たれたようにすっきりと晴れる。


 このお方はお優しい。


 そんなことは救ってくれた時に知っていたのに、どうも先日のあの顔が思い出されて怖い人だと頭の片隅に印象が刻まれてしまっていて、失敗が怖くなっていたのかもしれない。


 いつものように「すみません」と素っ気なく告げたら良いのに、力を入れてしまった。


 ふきんは食事が終わった時にでも片付けようと思い、エプロンのポケットにしまいこんだ。そしてくるっと彼女の方を向きかえる。


「ご飯、できていますよ」


 頭を上げ、机に手を差し伸べた。


 ほかほかのベーコンと目玉焼きに彼女なら目がないはずだ。今日のはきちんと彼女が好きな固めの半熟感が出ていて上出来だった。


 得意げになり、彼女が食事に手を付けるのをじっと見つめる。フォークを右手に、ナイフを左手に取った。


 早く彼女の感想が聞きたい。

「おいしい」の一言を待つ。


「ねえ、あなたも座ってくれない?」


 けれど、彼女が発した一言は余りにかけ離れていて、「えっ」と声を上げてしまった。


「そんな、わたしが、同じテーブルにつくなんて滅相もないです」

「いいから」


 握られたフォークとナイフが震えている。


「そんな…」


 そんな対等な立場をとっていいのだろうか。わたしなんて存在が彼女と同じ食卓になんて、身に合っていない。


「いいから座って」


 彼女は聞き分けないわたしに対してか、怒ったようにナイフとフォークを木の机の上に勢いよく押し付け、立ち上がる。そして、顔を見る見るうちに真っ赤にしていき、やかんが沸騰したように顔から火を噴いた。


「わたしだけで食べるなんて、寂しいじゃない」


 ぷすぷすと沸騰したやかんが萎れていく。


 ふふ。

 なんだ、やっぱり変わってないじゃないですか。


「分かりました」


 わたしなんかで良ければ、あなたの寂しさを埋める糧となりましょう。


 彼女と対面するように正面の席に座った。


 座ったのは彼女の母の席。木の椅子に木の机。腰かけると木の温かみが伝わってきた。


 こんな場所に座れるなんて夢にも思わなかった。一家団欒の朝食を食卓の端でみていたから、今は彼女が目の前に居て落ち着かない。「これでいいのか」と不安になる。


「そう、それでいいの」


 そうか、これでいいのかと彼女の言葉で胸をなでおろす。


 彼女は食卓に着き、わたしと目線を合わせた。


 彼女は若い。魔女と言えば、年老いた老婆のイメージが世間一般には浸透しているが、彼女はそんなイメージに当てはまらない容姿をしていた。

 彼女の年は20代半ばと言ったところで、少しだけ太っていて、それを気にしている。乙女のようなところもある可愛い女性だ。目にかけている黒縁眼鏡は彼女を知的に見せたし、まぁるい顔はえくぼを際立たせた。


 彼女は魔女らしからぬ魔女だった。


「あなたの朝食は?」

「わたしなんか気になさらないでください」


 朝食は彼女のご飯の余りで、彼女がこの後部屋に戻った時に陰で食べる予定だ。食べているところを見られることに慣れていなくて、むしろ恥ずかしく思ってしまうから。


「その『わたしなんか』禁止ね」


 こんなわたしに接してくれるのはとても嬉しかったけど、こんな入れ込んだ指摘は初めてだった。わたしがこの家に住み込みで働くようになって、召使としてのわたしを彼女は避けている気がしたから。何か心の変化があって、わたしに親しく話しかけてくるのだろうか。思い当たることはある。


「それから、これからはあなたも一緒に朝ご飯を食べること」


 奇妙な命令が増えた。食事を見られるのは嫌だけれど、これは拒否することはできない。寂しい食事は嫌いだから、彼女が要求しているなら、わたしの羞恥心なんて小さな問題だ。


 寂しい食事……


 そう言えば最後に彼女と一緒に食べた親族は彼女の叔父だった。彼らは親しい間柄とは言えなかったものの、日に日に親密になり、朝食は彼らの会話で溢れていた。


 彼女は魔法歴史学の研究職をしていて、叔父は街のお菓子店の支店長を担っていた。お菓子と研究は数奇な運命を辿り、彼らの話で繋がった。


 ややこしい話は分からない。ただ彼女と叔父は魔法とお菓子は似ていると盛り上がっていた。


 そんな朝食にわたしができるかしら。気を悪くしないといいのだけれど。


「分かりました」


 二つ返事をすると、彼女は鼻を高くした。その頬にはえくぼが刻まれていた。


「私も、明日から一緒に朝食を作るからね」

「分かりました」


 いや、ちょっと、待って。


「いえ」

 流れで分かりましたなんて、言っちゃいけない。

「それはだめです。いけません。わたしの仕事なので、わたしがします」


 なんてことを思わず漏らしてしまったのだろうか。私も魔法が使えたら時間を巻き戻して至らないさっきの発言を取り消すのに。


「でも、さっき『分かりました』って」


 彼女は悪戯に笑みを浮かべる。


「前言を撤回させてください」

「撤回させない」


 うんうんと頭を巡らすけれど、彼女の強情さを打開する術が思いつかなかった。


 仕方なく、小さく頷いた。

 いろいろ了解したくない。


「良かった」


 眩しい笑みを浮かべて彼女が意気揚々とナイフとフォークを手に持つ。


 じっと彼女の口に運ばれるベーコンを見つめていた。肉汁が垂れ落ち、彼女の唇を伝う油の終わりを見つめる。顎まで来る。


 彼女の家族がいるとここできつい叱責が彼女にあびせるのに、居ないので、わたしが袖で彼女の顎まで来た油を拭う。


「もしかして、わたしにその頼みをするのがあなたの言っていたやることですか」


 いつのまにか彼女の顔色はいつもの色に戻っていた。目もぎらぎらと照っていない。ふんわりと優しい眼差しを向けていた。だから、もしかしてって思った。


 ごっくんとベーコン飲み込むと頭を傾げた。疑問を持っているのだ。


「分かった?」


 何で分かったのだろう、と彼女は思っているに違いない。その疑問に答える以上にわたしの何故彼女はそうしてまでわたしに接して来たかの疑問が大きかった。


 あの目や顔色はわたしに関わるのが恐ろしかったからに変わりはない。

 彼女の疑問に答えてしまうと口をついたようにわたしの疑問も出てしまう気がした。そんな疑問抱いてはいけないとは思う。そんな質問していいのかとも、戸惑った。どのようにして彼女の疑問に答えたらよいか分からなかった。


 彼女はわたしが何を思ったのか気づいたのか、食事の手を止め優し気に目を向けた。


「あなたと対等になりたかったの」


 わたしの疑問が呆気なく解消された。


 それからもくもくと彼女は食事を続けた。ベーコンからなくなって、目玉焼き、パン。


 パンには彼女は何も付けずそのまま食べる。女性と言う自覚がないのか一つ一つ千切りながらでなく、豪快に齧りつく。

 パンに歪な歯形がついた。


 もぐもぐ、ごくん、と食べ終わると「うん」とこくんっと頷いた。


「おいしい」


 先ほどの言葉といい、この言葉といい、感極まってしまった。


「わたしなんかにもったいないお言葉です」


 言った傍から口を覆った。なんともおっちょこちょいなわたしの口だ。『わたしなんて』は禁止だったでしょっと自分に注意する。


「すみません」


 彼女は再び頭を傾げた。


「何が?」


 さっきまでの言葉は何だったのか、わたしは苦々しく笑った。

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