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はじまりの雨

 雨が降りしきる中、彼女は泣いていた。

 傘もさすこともなく。


 雨が降り始めると彼女はいつも泣いていた。わたしはいつもそんな彼女を遠目で見ていた。彼女は肩を震わせていたから、彼女がこの空の雨模様を見て泣いているのだと分かった。


 この国は雨がよく降る。雨の日を十とすれば晴れの日は一しかないほどに、お天道様の恵みからはかけ離れていた。雨が降らない日はない、そう思わせるほどに毎日空からは大粒の雨が降り注いだ。

 歴史にまつわる本によると、そんな国になってしまったのもここ数十年の話で、以前は適度にお日様が顔を覗かせる明るい国だったそうだ。こんな国になった原因は分からない。一説によればそれは魔女のせいだとされた。


 しかし、わたしには魔女がそんなに悪いものだとは思えない。


 そう思うのも、わたしの身近に魔女が居たからだ。しかも、小さな魔法しか使えない魔女ではなく、大きな魔法を使える大がつく「大」魔女だ。その人は雨が降るとこうして泣いてしまう彼女だった。


 雨が降り続くと、国民の生活に弊害が生まれる。植物は育たず、食物はつき、土壌は汚染され、疫病が流行り、国民の気持ちが沈む。彼女は大きな魔法が使えるから、焦った国民に魔法で天候を晴れさせてくれとよく頼まれた。魔法なら雨を止ませることなど容易く出来るだろうと、国民は彼女に大きな期待を抱き、彼女に縋った。国民が浮かべる悲痛な表情は本来魔法を使いたがらない彼女に重い腰を上げさせた。


「魔法を使おうと思う」


 と、彼女が彼女の家族に告げたあの日から、日光はこの国に差し始めた。


 国民は彼女を称え、栄誉を授けようと国の中心に銅像を建て、そして幾ばくかの報酬を彼女に持ってきた。


 しかし、彼女はそれを一切受け取らない上に国から譲渡されている豪華なお城のような豪邸にも住まず、慣れ親しんだ森の中にある家に住み続けた。


 それからだ。彼女はそれから、魔法の効果が切れ、空に雲がかかり、空が泣き始めると、彼女もつられて泣くようになった。


 そして、彼女の周りから身近な者が去って行った。


 今の彼女には誰にも傘を差してくれない。

 いつしか彼女は孤独な女性になっていた。


 わたしはそんな彼女の召使だ。


 体を悪くしてはいけないと思い、わたしは恐れ多くもそんな彼女に近づき傘を差しかけた。


 いつもはわたしから彼女に傘を差しに行かない。

 前は彼女の叔母が居てもたってもいられず、急いで傘をそっと差しかけ、その前は彼女の叔父が彼女をいたわるように差しかけ、その前の前の前は彼女の母が力強い意志を目に宿し彼女の傍に寄りそった。その前の前の前の……魔法を使い、二回目の魔法の効果が切れた時には彼女の兄が彼女に素っ気なく差しかけた。


 彼らはもういない。

 彼女は雨の中一人ぼっち。


 わたしは彼らのようにきちんと差せただろうか、心配になって彼女の顔を覗き込む。


 この天気の時の彼女の表情を見るのは初めてだった。どんな顔で彼女は泣いているのだろうか、辛そうに顔をくしゃくしゃにしているのなら、彼女になんて言葉をかけようかと言葉を頭の中で思い描いた。

 けれど、思っていたのと全て違って彼女の顔は無表情だった。目からはとめどない涙が溢れていて、体はあきらかに小刻みに震えているのに表情からは何の感情も伝わってこなかった。


 だから、か。

 わたしはある合点がいった。彼女から、だからみんな離れていったのかもしれない、と。


 彼女の周りに人が居なくなったのは、彼女の感情が分からなかったからかもしれない。感情が分からなければ、その人が見えない。

 いつもの彼女なら、感情を怖いくらい面に出すものだから、みんないつもと違う雨の日の彼女に怯えたのだろう。


 わたしはいつも彼女は魔法を使うことに喜んで笑いながら泣いているのだろう、と思っていた。今の今まで、そうであってほしいと願望めいたものを抱いていた。


 雨が降ったから、暫くしたらまた国民は彼女に魔法を請うてくるはずで、彼女にとっては魔法を使うことは国民のためになる、喜ばしいことのはずだ。それなのに何の感情も彼女は示さない。彼女の表情は人間味のない恐ろしく悍しい無感情だ。


 だから、彼らは帰って来てくれないのかもしれない。


「風邪をひきますよ」

 声が震えた。


 途端にわたしも彼女が恐ろしくなった。


 彼女は大魔女。

 偉大な魔女。


 しかし、感情はない。

 そんな魔女にわたしは傘を差している。なんだか分からない彼女と言う存在が傍に居る。


 わたしの知らない彼女がそこにいて、彼女が変わってしまったことに心がざわめいた。


 しかし、彼女はわたしの意なんて介さず、その震えあがるほどの偉大な存在を示すように平然と言葉を紡いだ。


「いらない」


 若い女性であるにも関わらず、しわがれた声だった。


「こんな雨なんて魔法で吹き飛ばせる」


 彼女は威勢を放っていたのか胸を張るが、目から溢れる大粒の涙でわたしには悲しそうに見えた。恐怖を感じる以上に寂しがり屋な彼女が哀れに見えてしまった。


「もう家に入りましょう。お体に障られたらいけません」


 言ってしまった後に召使にとって過ぎる言葉を言ってしまったのに気付いた。慌てて、次に謝りを入れようと口を開けたが、彼女は頭を振ってわたしの言葉を遮った。


「もういい。もういいから、私を一人にして」


 ぽつぽつと降る小さな粒だった雨はその大きさを変えていく。雨は増し、白い雪崩のように一粒一粒が白線を描き落ちていく。重い雨は周囲の木々に宿る葉にあたりぽんっと跳ね返る音が響く。


 差しかけた傘に雨があたり次々に弾けた。重い重い雨達はカーテンとなり、わたし達を風景から消していく。


「一人になんかしません」


 この言葉さえ、雨の音は消してくれるだろうか。

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