プロローグ
明かりの少ない薄暗い研究室。
そこには、巨大な水槽があった。
その中には、仄かに発光する透き通る蒼白い液体。
そして、周りには数多くの優秀な研究者達。
「今から模擬実験を開始する。全ての扉を閉鎖し、この部屋を密室にしろ!誰も決して出入りすることのない様、厳重にだ!」
1人の長身の研究者が怒鳴った。
彼は、この研究チームのリーダーを担う天才研究者と呼ばれる男。
名前は、栗栖野 紺。
両親共に優秀な研究者であり、その影響を直に受け、現在着々と実績を積んでいる若手研究者だ。
その顔は自信に満ち、いかにも満足げに佇み、その鋭い眼光を光らせる。
栗栖野の気持ちは押さえようが無いと言うほど、高揚していた。
何故ならこの開発が成功すれば、両親のみならず、周りの全ての研究者を出し抜くことの出来る程のものなためである。
現在開発しているこの発光する液体は、あらゆるものに形を変化することの出来る夢の様な液体型ウイルスなるものである。
ウイルスと呼ばれるのは、人間に害を及ぼす可能性が無いとは言えないとされているからだ。
あくまで、仮の名前ではあるが…。
また、判明していないことも多く、最大級に危険な研究ではあることはここにいる研究者全員が承知の上だ。
しかし、研究者達は皆、一様に安心していた。
『天才研究者が居るのだから、大丈夫だろう』
と…。
そんな他の研究者達の絶大な信頼を知っていてか栗栖野は、自らを誇らしく思っていた。
自分は他の奴等とは違う。
誰もが自分を信頼し、自分について
きたがる。
自分は生まれながらにして、特別な
存在。
…俺は、天才研究者。
栗栖野の目が自慢げに鋭く光る。
「さぁ、模擬実験を開始する。奇跡の瞬間の訪れだ!…だが、お前ら油断は禁物だぞ?予想外の事が起こっても決して狼狽えるな」
栗栖野の掛け声とともに、実験は開始された。
今回の実験の目的は、液体の増殖の仕方、増殖したところから他の物体へと変化を遂げるのかどうかの観察、しかし、その実験を開始した直後、液体の体積が一気に増え始め、その量は倍近くまで増殖した。
水槽の空気の隙間もすぐに無くなってしまいそうなほどに。
異常とも言える増殖の仕方に研究者達の目に、不安の色が宿る。
栗栖野も思わず顔をしかめる。
何だ?この増殖の仕方は?余りにも
勢いが速すぎる…。これは……
そこまで考えた時、何かを感じた。
水槽の方から、その違和感はきている様だ。
これは、視線…?
何故だか分からないが、水槽の方から視線を感じるのだ。
一層眉間に皺をよせ、顔をしかめた時、脳裏に語り掛けてくる声がした。
『嗚呼、君は愚かだ。余りにも愚か。その深く浅ましい欲望。それを知れ。そして気付け。己の醜さに…』
その声が消え、遂に、水槽の隙間が無くなり、満杯になった。
その瞬間、水槽が割れ、閃光と共に研究室は跡形も無く飛び散った。
驚異的な力を発揮した液体は、細かく霧状になりながら、空へと消えていった。
研究室は粉々に砕け散り、そこにいた研究者達は、皆血塗れであった。
挙げ句の果てには、研究室の近くを通っていた数人の一般人まで巻き込む始末だった。
既に息絶えた者、大量出血で意識の無い者も居る中で、栗栖野は重傷ながらも、朦朧と意識があった。
人生初の大失敗。
挫折。
汚点。
築きあげてきた栄光も、名誉も、地位も、名声も、何もかもが崩れさっていく瞬間だった。
崩れ去る、失うなどだけでは止まらない程の余りにも大きすぎる喪失感。
栗栖野は初めて絶望というものを知った。
嫌というほど胸に刻み込まれる。『失敗』の二文字。
栗栖野は意識が無くなる前にうわ言の様に呟いた。
「…嗚呼、世界が…、地球が…、人類が…、俺が……。俺の手によって…全てが…壊れてゆく…何もかもが…失われてゆく」
そんな栗栖野を嘲笑うかの様な空から響く笑い声を聞いたものは、誰一人としていなかった。