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06年4月(上):やる気が一番の問題っすね

□三月(下)の報告書

当番:くあ


 タカオは報告書とかも苦手そうだから、月に二度かわりばんこで報告書を書き合うことにしたっす。


 まずは自分を表現することが大事っす。だから日記みたいな内容でオッケーっす!


 無駄な格好つけはダメっす。いつかメッキは剝がれるものっすよ?


 という事で最初はくあが書くっす。と言ってもあまり書くことがないっす。


 でもタカオがどういう状態かはなんとなく分かったっす。ヒモ路線まっしぐらっすね!


 それじゃ困るっす! くあは貢ぎに現れた訳じゃないっす!


 このままタカオが無職童貞ニート貫くなら、くあもそれなりの働き方しか出来ないっす!


 これは契約の話じゃなくてモラルの範囲っすよ、モラル。


 それに今月はたくあんが買えないって言うじゃないっすか! 頭きたっす!


 これで来月になってくあの給料頼りで家賃も払えないようだったらガツンと言ってやるっす。


 お金も一切出さないっすから!




 でも、来月にこれを見たタカオが真っ赤な顔で怒ってくれれば、くあはそれで嬉しい。

 くあもやれることはやってみるつもり。

 たとえ、くあが悪者になっても、邪魔な存在になっても。最後まで付き合うつもり。

 そう、失うのは誰だって怖いのだから。



* * * * * * * * * * * * * * * * 



最終学歴:高校卒業


資格:特になし   以上。



「ずっと見てたって何も出ないっすよ」


 仰る通りで。

 学歴が有り得ないから学歴詐称だ、とか。資格欄なしでよくも出せたものだ、とか。

 喚くだけならいくらでも出来る。


 高校の名前はどこかで見たことがある。

 うろ覚えだけど、バイトの時に顔を合わせた子の出身、だったような気がする。

 それがどのバイトだったかまでは思い出せない。


 写真はよくある証明写真が貼り付けてあるだけ。

 違うのは黒い髪と瞳の色。

 ついでに言えば新社会人と呼ばれるような新鮮な印象を受けることぐらい。


 字は丁寧な楷書でほぼ等間隔に並んでいる。

 とは言っても機械で印刷するような完璧なものじゃない。

 『職』の字が少し幅を多めに取っていたり、上下の字の位置が微妙にずれていたり。

 それでも丁寧に書かれているという印象を受ける。

 手書きの履歴書の強みとはこれのことだろうか。



 他人の履歴書を分析したことは無かったが、確かにどことなく自分とは違う何かを感じる。

 そうしたところで採用通知が俺に渡るわけではないが。

 

 次に採用通知を覗いてみる。

 雇用はパートタイム。十時から十五時と一般的だが、時給は千円。

 単純計算で言えば年収百二十万円。

 月七万円のギリギリ生活の俺よりも稼ぎが良い計算になる。

 情けないことに、七万の内いくらかが元の貯金から切り崩しているもので、実際はそれより少ないのが現状。

 貧相なりにでも人間らしい生活が成り立っていたことを褒めて欲しいぐらいだ。

 

「どうせ学歴が嘘だとか思ってるっす。一応その高校を卒業したことにはなってるっすよ」

「…どう見ても納得してないっすね」

 

 クアは沈黙を返す俺に仏頂面だ。

 納得するわけないだろ。


「細かいことは気にするなっす!」


 そう言って笑うと履歴書が煙を出して消えた。

 

「何するんだよー」

「何って、ファイルにしまったっす」


 文字通り煙に巻かれて消えた紙に対しては何も突っ込まないでおく。


「繰り返しになるっすけど、クアを頼りにしたらもう一つのルールが発動するっす。よってタカオはクアと同じぐらいは収入を得て貰わないと困るっす」


 クアはふわりと体を浮かしながら呆れ顔だ。

 似たようなことはさっきも言っていた気がするが、その詳細は聞いていない。


「その、もう一つのルールというのは?」

「言えないっす。タカオはこのルールを開示する条件を満たしてないっす」


 門前払いだ。

 しかし条件とはなんだろうか。

 それも尋ねてみたが「言えない」の一点張りで聞き出すことは出来なかった。

 


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



「もう困ったものですよ。それから履歴書、面接と練習の連続で」

「それじゃあどっちが年上かわからないね」

「本当にそうですよ。あ、今日は歯応えがちょうどいい」


 ありふれた愚痴を話す女性に男性が苦笑する。

 女性は白米に添えた漬物を咀嚼すると幸せそうに表情をなごませる。

 この為に毎日を生きている。そんなことを言い出しそうなくらいに。


「ルカさんって変わった人だね」


「そうですか?」


「来てから二週間ずっと白米と沢庵セットしか食べてないのもそうだけど、普通だったら自分の仕事の愚痴でも吐くものだよ。」


「やる気がないだけですよー」


「残念ながらやる気がない子はまめにメモをとらないし、要領を得るのも遅れる」


「それって、私なんかに話して良いんですか?」


「問題ないさ。人事と新人教育をやってる身だからこんなことは世間話。あ、個人に対する皮肉を言うほど暇じゃないってことね」


 男性はラーメンをすすりながら答える。

 

「若い割に大人びた見方をする子は何人か見てきたけど、それとは違う人も稀にいてね」


「二十歳になりたての若輩者ですから、叱咤激励として受け止めておきますね」


 女性がすぐさま答えると男性がすすっていた麺を吐き出しそうになる。

 麺を口から垂らしたまま咳込むとスープが少しだけはねて、テーブルに粗相を残す。

 男性は口に入りきった麺を水で流し込んで、沢庵を端から徐々にかじる女性を見る。


「深読みされているのか流されているのか分からないけど、そういう意味じゃなくてね?」


 苦笑しながら頭を傾げる男性。

 女性はもぐもぐと次の一かじりを吟味しながら男性を一瞥する。


「君の場合、その昼食の内容が若い子とは少しずれているって言いたいだけだよ」

 

 

 

 就業開始から二週間が経つ。

 ルカと名乗り(そもそもクアと名付けられたことが予定外だ)一般的な事務を業務として週の五日間をここで過ごす。

 その五日間の繰り返しも今日で二回目。与えられた席に座るにも違和感がなくなってきた。


 条件通り五時間という短い時間だが、初めての事ばかりで更に短く感じることもざら。

 普通の人であれば、そうとでも感じるのだろうか?

 

 クアは固定された昼食を幸せそうに食べながら、そんな疑問を浮かべていた。

 ばつが悪そうに傾げる男性には悪いが、最後の二言は右から左へと通り抜けていた。

 

 対面でラーメンのスープを飲んでいる男性、木下大樹はクアの指導係。

 採用後の一ヶ月は一対一で面倒を見る予定らしい。

 

 木下に対し、最初のうちは機械的に対応するだけのつもりだった。

 必要な愛想と適度な距離感で他人事のように話さない。そして仕事に対しては真摯に取り組む。それだけのつもりだった。

 

 ただ、相手が一方的にでも心を許す、あるいは円満な関係を保つための態度を見せるようであれば、それなりの姿で対応するのが当然のコミュニケーション。

 その第一段階として年齢や趣味を聞き出してくるのはセオリーと言える。

 

 この木下という男性の場合は『名前』からそれを始めるのがお得意のパターンのようだった。


 クアは名前を『川瀬流花』と名乗り採用されている。

 経験上、自己紹介をすると半分ぐらいの人がどのような漢字を使うのかと聞いてくる。

 木下も例に漏れずその一人だった。


「私は名前が大樹だからね。花には憧れているところがあるかもしれないな。木の下にあるというのに大樹とは、私の両親は身の丈は弁えろとでも諭したかったのだろうかね」


 初対面で名前に対して言及するとはなかなかに勇気のある人だ。

 木下の自嘲気味な話し方にクアは戸惑いを隠さなかった。

 しかし、これが木下なりのコミュニケーションなのだろう。


 それでもコンプライアンスを教育の一つとする企業内で、差別に繋がるような発言はご法度。

 名前を批判するのは人格否定として扱われる事すらままに聞く話だ。

 対象が自分自身なら? それは単なる自虐で笑えない冗談として聞き流されるのがオチ。

 それに何が言いたいかも的を射ていない。

 言われた側としては困惑するのは当然。


 距離を縮める与太話としては評価できない。


 初日はやや印象悪く始まったこの関係も、今になると道理で、と感じる場面が多々ある。


 この昼食の会話もそうだが、木下は思ったことを口に出さなければ気が済まない性質らしい。

 失礼なことだと察すれば婉曲表現を選ぶ。

 言葉を飲み込めば良いところだが、それは性格なのだろう。

 

 その事でいざこざが生まれ、波風立たせてきたのだろう。

 

 他人の事情を詮索するなんて失礼だと思うが、新人の面倒を休憩時間まで共有し、それが不自然じゃないことが一つ。会話の内容でもう一つ。


 二つの要因から木下の立ち位置がどんなものか詮索する。

 失礼だとしても、身を守る手段として『関わらない』を選択するのは重要だったりもする。


 但し、クアがそれに対して特別悪い感情を抱くことはなく、全ては円滑に業務をこなすための手段。

 


 だけど、もしも自分が人間で同じ境遇であったならばどうなんだろうか、そう考えることはある。



 そう、自分が人間なら。

 真新しい環境で時間が短く感じることはあるのだろうか。

 この人は嫌だ。そんな嫌悪感を抱くのだろうか。


 

「それじゃあ午後はさっきの帳票の説明から始めようか。書類の話ばかりで申し訳ないね」


「あ、いえ、こうして熱心に教えて頂けているだけで幸せですよ」


「はは、君が言うと何故だか不快に感じないね。冗談として受け止めれるよ」


 ま、素直な人なんだろう。

 クアは自問自答は傍に置いて、会釈を返して席を立った。




 業務という観点で木下の感想を言えば、技量は確かなものなのだろうと言える。

 もちろん人格は除外したとしての話だ。


 質問に対しても間を置かずに答え、根拠を書面やパソコンの画面で説明する。

 間を置かずに答えるというだけでも安心感が違う。

 紙ベースの情報を取り出す動きにも潤滑さが欠けていると不安が残るものだ。

 

 それに別部署の社員が質問に来てもすぐに回答し、大半は最初の返答でそこを去っていく。

 

 求められた答えを的確に回答することは見た目以上に難しい。

 言葉の選び方、必要な資料の見せ方。要素は様々だ。

 更に難しいのは、人それぞれに合わせた適切な対応をとること。

 極端に言えば社員全ての性格や癖を把握すること。それにはそんな能力が求められる。


 そこまでとは言わないまでも、十分な対応をとれているのは間違いないだろう。

 経験則から作られた評価基準によれば、木下という男性はかなり高評価。

 

「木下さんは仕事人ですね」

「いや、私もまだ未熟者の一人だよ」


 ふとした賞賛の言葉にも苦笑いを返すばかりだが、クアは『仕事をする人間』として木下を認めているのは確かなのだ。



(タカオもこれぐらいは仕事というものに向き合ってもらいたいっすね)



 素の表情が出そうになるほどに、木下の姿は理想に近い。

 だが、その度に曇りを見せているらしいクアに木下は尋ねる。


「何か分かりにくい部分でもあった?」


「あ、いえ、そうじゃないです」


「それじゃあ個人的な悩み?」


「まぁ、そんなところですね」


 個人的な、と付ける場合は深く追究してくることはない。

 木下が決めている公私混同を防ぐラインがその一言なのだろう。

 たった二週間でも数回は聞いた台詞だ。


 だからこそクアも正直に答える。

 これはあくまで個人的な悩み。


 

 タカオとの契約のもと、お金を稼ぐためにここにいる。

 自分の役割は、それだけなのだ。

 だから、それ以外の事は、考えてはいけない。



「変な悩みは考えないが吉。出来ない先輩からのアドバイスだ」


「それも、そうですね」



 そう考えないためにはどうすればいいのか。

 それが分からないから、悩みなんだ。

 簡単に言わないでほしい。


 

 初めて抱いた反抗心は、鋭いナイフに胸を突き刺されたかのようだった。

 



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




「ただいま」


 家に帰ればお決まりの一言。

 だけど、その一言に未だに慣れを感じない。

 返事を返してくれる相手がいるなんて何年も経験していなかったんだ。

 子供に戻ったようで少しむず痒いのは当然だろう。


「違うっす! やり直しっす!」


 ただ、同居人は「おかえり」とは返してくれないのがたまにキズ。


「入る時はまずノックをするのが基本っす。ほら、やり直すっす」


 帰宅=面接の練習だそうで。クアはあの日からずっとこの調子だ。




 ― それは二週間前。


 妖精だと自称する不思議な少女とよく分らない契約を交わした日。

 

 部屋を見回す、いや空き巣が物色する姿と言った方がしっくりくる。

 ふよふよ浮きながらと移動する自称妖精は、ひと回り部屋を移動すると押入れの襖を開けて体ごと中を覗き込む。


「椅子はないっすか?」


 謎の物色が終わると残念そうに俺に言ってきた。


「無いの知ってるだろ?」

「代替品も用意出来そうにないっすか?」

「……廃品回収で運が良ければ」

「聞かなかったことにするっす…」


 何か馬鹿にされた気分だ。いや、そんな方法論を提示した俺も俺か。

 顎に指を当てながら、うわの空に天井を見上げるクアの表情を読むに、聞いてください、と暗に訴えると見た。

 理由はとりあえず聞いておくべきなのだろう。何か面倒そうな予感がするけど。


「で、その理由は?」

「机はあるから良いっすけど…」


 机と椅子が必要?

 確かにその二つがあれば畳に座らずとも夕食が楽しめそうだ。楽しむほどの食事が並ぶわけじゃないが。

 それ以前にこちらの言葉が届いていない様子なのが気になる。

 

 どちらにせよ、理由を推測するなら食事に白米とたくあんを付けろなんて要求をしてきた漬物妖精の考えていることだから、『夕食の環境をもっと良くしたい』とかその程度だろう。


「まぁ、部屋と扉があれば良いっすね。分かったっす、椅子は無くても良いっす」


 頭に疑問符が浮かぶのも仕方がなかった。

 部屋と扉と机と椅子。

 食事とは関係なさそうだが。


「タカオもずっと日雇いでやっていくのは難しいっす。よって、タカオよりは社会人歴が長いクアが最初の関門、面接の練習をするっす! クアがその気になってるっすからタカオをラッキーっす!」


「…………」


 えっへん、と鼻から大きく息を吐かれた。


「今日は準備日っすからやらないっすよ?」

「そうじゃなくて」

「受講料はたくあんで良いっす」

「いや、その話もちょっとワケありでしてね?」


 こんな謎の生物に、出会って一時間弱で、そんなことを言われれば、何も言えない、そう思ってはくれないのだろうか。


 言いたいことはそれ以外にもあるが、物申すより先にクアが血相を変えた。


「たくあん、訳ありってどういうことっすか」


「今月、食費厳しい。あり合わせで食い繋ぐ、それが限界」


「たくあんは?」


「来月」


 浮いていた体がゆっくり畳へと落ち、顔を畳に押さえつけるように突っ伏してしまった。そんなにもショックなのか。

 ここまで落ち込まれるとこちらも気が悪くなる。

 そもそもたくあんという漬物はそこまで崇高な食糧だったのか。

 記憶が正しければそんなことはないはず。俺の常識は少し間違っているのか。


 そっと手を近付けて話しかけようとしたところ、ぱっと顔だけを上げたクアに仇を見るかのように睨みつけられた。

 

「うう…それならいいっす! もうこれは先行投資っす! タダでも何でもとにかくタカオを鍛えるっす!」


 握り拳をばたばたと叩きつける姿は子供の地団駄そのもの。

 だが、この日の宣言通り、翌日からクアの面接講座らしき何かが始まった。




 ― そして二週間後の今日。


 十回も繰り返すと反抗する気もなくなるらしい。

 一般的に正解とされる仕草をより自然に見せるにはどうすれば良いか、帰宅と同時に試していこう。そんな好奇心が先行している。


 その好奇心が楽しさに結びついているからこそ素直に対応もできる。

 それにクアが的確な指摘をしてきて、素直に聞かざるを得ないのも理由の一つだ。


 この“講座”の内容は日によって違うが、例えば今日なら入室のやり直しを要求された。

 つまり今日は入室の練習。


 間違っていれば割と耳が痛いことをずばっと言われた後に正解を教えてくる。

 元から毒のあることを言う性格なのか、失敗時の毒吐きが意外にも堪えるのだ。


 おかげで週に一回の本屋の立ち読みが、マンガ雑誌コーナーから就職活動コーナーへと変化したのは事実で、今週は三回の立ち読みによる予習をしている。

 これが的中すると少し嬉しかったりもする。


「…失礼します」

「ストップっす」


 ノックをしてから扉を開け、一言を添えて扉を閉めた俺は即座に止められた。


 実は予習が的中すると嬉しさを感じるのには理由がある。


 これまで予習が的中したのは十回中一回。

 本屋の立ち読みでじっくりと読んでいるつもりだが、なぜか頭に残している内容とは別のところを上手く突いてくる。

 思考を読まれているかのような錯覚すら感じる。

 ゲーム感覚にも近い俺にとっては『的中=ミッション成功』と言ったところだ。


「タカオが扉をノックする場面、それはどんな時っすか?」


 どうやらノックの時点で間違いだったようだ。

 言われてみれば扉をノックする場面なんて日常ではあまり無いかもしれない。


「トイレ、とかかな」

 

 すぐに思い浮かんだのはそれぐらいだ。


「それじゃあトイレの扉なら何回ぐらいノックするっすか?」


 気にしたことはない。入っているかどうかさえ分かればいいものだし。


「トイレの紙の先が三角に折られているのが清掃終了を意味してたりするように、何気ない事にも意味があるっすよ」

「そうなの?」

「あ、取り出しやすいように折られてたって思ってたクチっすね?」


 こういう話をされるのも十回目のだったような。


「ちなみにタカオは二回ノックしたっす。まさしくトイレのノックっす。あとドア開けてから小さい声で言われたら迷い込んだ小動物と勘違いされるっす。声が小さいのはご近所さんに免じて許すっすけど、片手で開けたのは有り得ないっすね」


「はいはい。ドアは両手で開けてノックは…何回だっけ?」


「…やる気ないっす。そんなんじゃ今日はもう良いっす。明日を楽しみにするっす」

「明日は土曜日」

「ぬぐ…口の減らないボンクラっす…」


 そう、明日は土曜日。

 何故か平日のみ行われるこの講義が終わる。少し気分が浮かれていたのは本当だ。


 明日の帰りはこれを意識しないでも良いことが嬉しい。

 それに今日はもう一つ嬉しい出来事があった。


「で、今日はどうだったっすか? 予定よりちょっと遅かったっすね?」


 クアの嬉しそうな表情を見るとこちらも少し嬉しい。


「あっちが募集内容間違えてて、予想より重労働」

「ありゃ、災難っすね」

「ま、代わりに給料も予想より多かった訳だ」

「おお、そんなこともあるんすね」


 日雇いの仕事だからこそかもしれないが、そんなことがあった。

 クアには言っていないが、先週の中頃から工事関係のバイトを継続している。

 

 支払は週末に一度、つまり今日が二度目の給金。

 

 体を動かすことは慣れていないが、やってみると意外にも問題にならなかった。

 条件は日に約一万円、弁当付き。これまでのバイトから考えると破格の条件。


 来週も継続することが確定していて、最低でも十二日間の勤務。

 既に支払の危機は脱している。


 それに今日は社員の一人が急用で来れなくなって、その人の分も手伝うことになった。

 本来は五時半に終わるところが今日は六時半まで長引き、追加の一時間分は社員に支払われるはずだった金額をそのまま加算された。

 気前が良いのか当然の結果なのかは知らないが、問題の内容は至極単純で、人手だけが必要なものだったからこそ成立したのだろう。

 

 金額で言えば約千五百円だが、それだけあれば件のものを買うには十分。


「ということで、これを買ってきた」


 ポケットに潜り込ませていたのはたくあん。

 袋に入れていると帰宅と同時に怪しまれる。


「それ、偽物じゃないっすよね」

「もちろん」



「ご主人! どこまでも着いてくっす!」


 さっきまでボンクラ呼ばわりが一転してご主人呼ばわり。

 現金なやつとはこのことか。


 でも、この二週間で一番の笑顔を見ることが出来たのは良しとしよう。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 白米と漬物三切れで見れる最高峰の幸福顔を観察したところで、食器の片付けを始めようと水を流し始めた時だった。


「そういえばタカオはクアのことを疑わないっすね」


 後ろからクアの声が聞こえた。

 いや、胡散臭いという点では疑ってるけど。


「信じられるわけはないだろ。妖精って何言ってるんだよこいつって思ってるよ」

「じゃあ昔話とかに出てくる妖精はどうっすか?」


 昔話というとあれか。桃から生まれたり灰で桜が咲いたりの。


「ありゃ作り話だろ」

「そうじゃなかったとしたら?」


 そうじゃないことは無いと思う。

 そう返しておきたいが、どうも水かけ論になりそうで言うのを止めた。


「ここ掘れわんわんとか、良いんじゃないか?」


 よく覚えていないが飼い犬が吠えたところを掘ったら小判が出てくるとか、そんな話だった気がする。

 本当なら何ともいい話だ。


「ああ、シロのことっすね。あれも妖精っすよ。というかクアの弟子っす」


 何度も言うが、「何を言っているんだお前は」と返したところで水かけ論になる。

 何を言っているか分からない話でも、だ。


「なら呼んできて欲しいもんだな。このアパートはペット禁止だけど」


「ペットじゃなければ良いっすよね?」


 それを言ったらクアも禁止事項の一人じゃないか。

 心で嘲笑していたら背後に刺すような視線を感じた。

 なかなかの良いタイミングで振り向きにくい。

 やはり読心術の持ち主なのか。


「それにあの話は決して良いものじゃないっす。小判を出した後は金づる扱い、果ては知らないやつに失神するまで殴られる始末。腹が立ったシロは人の姿になって城に懲らしめるよう訴えに行ったっす」


 もうここまで来ると童話の裏話を聞かされているような気分に浸るしかない。

 

「あの時代は狐が人に化けてたって許される時代っす。シロは割と城内でも気に入られてる部類の姿形で、簡単に仕返しが成功したって話っす」


 よく聞く裏話とはちょっと路線が違うが、それも面白い設定だ。


「ちなみにすぐにでも呼び出せる場所にいるはずっす。野良犬歴は誰よりも長いっすからね! 貧乏生活なんて苦じゃないっす!」

 

 そうか、俺は野良犬と同クラスってことか。

 せめて人間同士で比較してもらいたい。


 とりあえず、ここ掘れわんわんに出てくる犬はクアと同じ妖精である、と。

 どうでもいいけど、どこまでが妖精絡みなのか聞いてみるとする。

 

「それじゃあ鶴の恩返しは?」

「見習いの妖精っす。何で鶴の姿に戻ったんすかね?」

「桃太郎」

「大体は妖精だったらしいっすよ。ほとんどが『何かくれたから気まぐれでついていった』だけらしいっす」

「浦島太郎」

「喋る亀がいるわけないじゃないっすか」

「舌きりすずめ」

「あれは度が過ぎてるっす。裏で何かあったみたいっすね」


 手強い。動物シリーズはダメか。


「鉢担ぎ姫」

「なんつー微妙なところを。あれは妖精の仕事じゃないっす」


 よしきた。ようやく否定させてやった。


「あれは妖精なんかよりもっと高位な人の行いの結果っす。クアの大先輩っすからおそれ多くて何も言えないっす」


 うぬぬ、かなりマイナーなところだったつもりがそう返されるか。

 

「分かった。それなら証拠を持ってきてくれよ。だったら信じてやる」


 こうなれば意地でも「作り話です」と言わせてやる。


「む、言ったっすね? それはクアに対する挑戦とも受け止めれるっす」


「妖精なんてでたらめな存在、簡単に信じれる訳ないだろ? クアも含め」


 クアが頬を膨らませて仏頂面になる。

 クアを疑っているというのは今になっては半分嘘だが。


 例えば火でも吐かれているのなら、何の疑いもなく十割で信じてるところだ。

 代わりに家からは追い出しているだろうけど。


「なら見てるっす。後悔しても知らないっすよ!」


「話だけ聞いてると良い話ばかりにも感じるけどなぁ」


「表があれば裏もあるっす! 甘い考えは許さないっす!」


 分かってる。

 昔話は善悪を一緒に描かれているのが通説だ。

 それも含め作り話。


 こうして頭に血をのぼらせているクアを見るのは少し面白い。


 夕飯の片づけをしながら後ろでぼそぼそと独り言をつぶやくクア。

 これから何を見せてくれるのか楽しみだ。




 数時間前、そんなやり取りをしていたことを思い出しながら、真っ暗な天井を見上げていた。



 そういえば、何でそんな話になったのだろうか。


 今日は臨時収入もあり、これからの見通しも明るくなってきたところで少し気分が高揚していたのかもしれない。


 それでも、他の妖精がどうだとか、そんなどうでもいいことを気にするなんて。


 周りと比較すれば自分の生活水準は低いままだ。

 どうでもいいことを気にかけている余裕なんてないはず。


 クアの話なんて、仕事の話以外は聞き流すのがちょうど良い。

 金に繋がるからこそ聞く価値もあるのだから。


 世間話にもならない、どうでもいい夢物語にむきになるなんて、どうかしてる。


 そう、どうかしてただけだ。

 でも、何でそうなったのだろう。



 そんなことを考えていること自体がどうでもいいことだったのかもしれないが、気付けば窓の外が少し明るくなるまで考え続けていた。



 目を覚ますと外はすっかり日が高く、クアに「休みだからって寝坊しすぎっす」と怒られた。


 そして報告書、いや交換日記を目にした俺は、

「好き勝手書いてくれやがって! あのたくあん捨てるぞバカ!」

 と、激怒した。


 対してクアはくすくすと笑って、

「その調子っす。日雇い続けてるタカオがクアの年収を超えれるっすかね?」

 と、楽しそうに部屋を飛び回った。

 

 日記の最後の方には入念に消された跡が残されていたが、更に辛辣なことでも並べていたのだろう。

 そこだけやけに文字が集中してたから一気に書いてストレス発散!とか。

 このやろう。

 少しでも感傷的になっていた自分が馬鹿だった。


 絶対に見返して、二度とこんなことが書けないようにしてやる。


 そう心に誓いをたて、俺は休日の昼間の本屋へと足を運んだ。



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