自己分析のセッション
京都旅行から菅野を意識してしまう長谷部涼平は、自分の気持ちと過去と向き合うことになる。
友人や家族に助言されながらも、自分の中で否定していた想いが色付いていく。
それから授業中は、上の空だった。
きっとこの後、悪魔2体が家を襲来して俺のプライベートを暴きにかかって来る。
彼らの行動力は凄まじく、そのまま芸能レポーターにでもなればいいのにと思う。
そんな気持ちで俺の足取りは重かった。
しかし、ここまで来たら誤摩化すのは困難だろう。
俺は部屋の片付けを名目に、先に帰宅する。
一時間の猶予を貰い、俺は自分の心の中を整理することにする。
それにしても…。
「困ったものだ」
「何が困ったのだ?」
自室に入り、ドアを閉じると同時に出た独り言に反応する人物が、もう部屋にはいたのだ。
そいつは、モトと呼ばれる『自称、死神』だ。
自称というのは、彼女が勝手に名乗っているだけで、立証しようがないのでそういう呼び方をしている。
「独り言だ」
「独り言というのは、不思議だな…私が居るというのに」
こいつと話していると、イラっとする。
態度が常に上から目線で、わざと神経を逆撫でさせているのではないかと思うくらいだ。
「忘れていたんだよ」
「ところで、本当に俺のプライバシーは守れているんだよな」
最初は心配だったのだが、彼女は必ず報告だけはしているので安心していた。
しかし、この頃は急に話しかけていたり、先に部屋にいたりするので気が気じゃない。
こちらも他人には見られたく無い瞬間はある。
「大丈夫だ、居る時は声をかけている」
ほっとした。
確かに、学校以外は声をかけている。
修学旅行の時も、わざわざ他人に見えるようにして、俺と話そうとしたくらいだ。
「それとも二十四時間体勢で、監視していたほうが良いのか」
「そんな事したら、ストレスで気が狂ってしまうよ」
意地悪そうに笑われて、『こいつならやりかねない』とゾッとする。
「で、何が困ったのだ?」
急に話を戻されて驚いたが、こいつはそういうやつだ。
数ヶ月一緒にいれば、嫌でも分かってくることもある。
「そんな事を言っていない」
とりあえず恍けてみるが、勿論通じない。
「いや、言った」
「俺は『籠った芋だ』と言ったんだ」
「何故、いきなり芋の話などするんだ、君は馬鹿なのか」
何も考えずに言葉にした冗談も、こいつの前では言葉の暴力の的となる。
手加減というのを知らないのだ。
「その罵倒は一先ず置いておいても、もしかしたら芋の事を思わず口にしてしまうかもしれないだろう」
「百歩譲って、芋の話をしたとしても、籠った芋というのは何なのか分からんだろう」
「そのままの意味だろう、土に籠った芋だ」
自分でも何を言っているのか理解できなったが、とりあえず日本語にはなっていた…はずだ。
しかし、そんな無理矢理な言葉遊びに、元は侮蔑の眼差しと深い溜め息で、俺を蔑んでくる。
甘んじて受け入れよう。
「で、何が困ったのだ?」
「それは数行前で行われた会話だと思うのだけど」
また冗談で返したが、今度は怒りの目つきで返される。
これ以上は冗談抜きで、俺の命が危ないかもしれない。
「別に、そろそろ菅野をどう幸せにしたものだろうなって…」
「関心なことだな…しかし、君は最近消極的じゃないか」
「作戦を練っているのだよ」
本当は違ったが、この死神にとっては納得いく理由だろう。
「君は『やれば出来る』と言って、全てを後回しにするタイプだろう」
「その意外と的確な指摘を止めてくれないか」
あまりに、的確で泣きそうになる。
モトと距離を取るように、俺はベッドの端に腰をかける。
「確かに作戦は大事だが、動かなければ何も始まらないだろう」
「動いてばかりもいられないだろう」
「最初の恋愛相談以降は、何もしていないだろう」
言い返せなかった。
確かに9月以降、俺は自分の問題を解決しようとして、菅野の幸せは置き去りになっていた。
彼女との接触や話し合いは持たれていたが、具体的な打開策は何一つ思い浮かばなかった。
「それに君は最近、彼女への態度が変ではないか?」
「それは…」
ギクリとして、頭の中が真っ白になり言い訳が思いつかない。
こいつ、俺の学校でのやり取りを見ていたのか。
確かに、菅野との会話を聞いていないと、俺に出した条件をクリア出来たか分からないが、またプライベートが守られているのか心配にもなった。
「彼女に惚れてしまったのだろう」
「そ、そんな事はない…」
「昔の彼女は、もう吹っ切れたのか?」
変な方向に舵をきられて、心が緩む。
「自分でも分からないんだよ」
「相変わらず融通が利かないんだな」
相変わらずの態度に苛立っていたが、何も言い返せない。
俺の心境は、凄く中途半端だからだ。
完全に智との過去を無かったことになど出来ないが、いつまでも前に進まないわけにもいかないのも分かっていた。
「そんな事より、彼女と両想いになれば一石二鳥じゃないか」
「簡単に言うなよ」
「悠長な事も言ってられないだろう」
「それはそうだけど…」
モトの言うことも、もっともだった。
だが俺は、素直にその案を受け入れることもできなかった。
これは、俺個人だけの問題ではないということ、最悪のケースはフラレてタイムアウトになることだってあり得る。
それならいっそ、彼女の友人として幸せにすることを優先するべきではないだろうか。
「それに、相手の気持ちもある…あいつは未だ日高の事が好きかもしれないだろう」
「フラレて二ヶ月経つんだ、もうそろそろ次に行くんじゃないか」
「立ち直っても、そんなコロコロ切り替えられるとは限らないだろう」
「君が言うと、何故か説得力があるな」
菅野は数ヶ月前まで、友人の日高が好きだった。
また、彼女は俺の過去の出来事を知って、一緒に智の家まで行っている。
そんな彼女が俺の気持ちを、真剣に受け入れるとは思いにくい。
ハッと、俺は今の会話の流れに一つの疑問を持つ。
「で、何故に俺が菅野を好きな事が前提で話しているんだ」
「君が否定しないからだ」
「そんな簡単に否定は出来ない、でも次の恋愛をするのが怖いのも事実だ」
「罪悪感か?」
「それもある…白状だって思われるかもって」
色々な要因があった。
もちろん、罪悪感もその一つだ。
ただ、その要因は一つではない。
まだ次に行くには早いのでは…とさえ思っている。
では、いつになれば良いのか。
そんなものは分からないという矛盾に、我ながら馬鹿だなとは思う。
「君の元彼女とやらは、そんな相手だったのか?」
「ヤキモチ妬くなんて想像出来ないけど…」
そういう状況さえも楽しんでしまう、そんな才能は智は持ち合わせていただろう。
もし幽霊として見ているのなら、彼女は俺のこういう些細な戸惑いも笑って見ているに違いない。
「そうだろう?」
「でも、分からないだろう…あいつはもう居ないんだ」
「君に彼女は『幸せになってほしい』と言っていたんだろう」
「ああ」
「それなら、君が立ち止まる理由はないだろう」
「そうかもな…」
初めてかも知れない、モトの言葉でこんなに納得したのは。
しかし、俺は無意識で歯切れの悪い返事をしていたのだろう。
モトが「やれやれ」と言わんばかりに、呆れた顔をして俺を見ている。
「他にも何かあるのか?」
「彼女の気持ちもあるだろう?」
「まあ、それは確かに分からないな…君が玉砕して終わる可能性もある」
「だろ?」と返す俺に、死神はこう言い放つ。
「でも、その気持ちも確かめずに何もしないでいいのか?」
「いやでも、菅野を傷つけるかもしれないって…今の関係が凄く楽しいし」
「今日の君は、いつもの三割増で馬鹿だな」
「馬鹿って…」
この死神は。俺を罵倒することしか出来ないのだろうか。
せめてもっとオブラートに包むとか、心に優しい言い方をしてほしいものだ。
「君は彼女とどうなりたいんだ?」
「一緒に居て楽しいよ、安心するよ…でも、大切だから気持ちを押し殺すこともあるだろう」
「君は彼女と別の誰かと付き合っても良いのか?」
その問いに、俺は反応できなかった。
今まで、考えたことがなかったわけではなかった。
ただ、その質問の答えを自分自身も出さずにいたのに、本当は気付いていた。
「あの日高とか言う男以外にも、彼女が好きになる可能性があるだろう」
モトの言葉の意図など読めていた。
俺の嫉妬心を試そうというのだ。
そんなことは理解していた。
「それで今度こそ、彼女の恋が成就したら…」
「俺は生きていれるし、菅野が幸せになるしハッピーエンドじゃないか?」
「他の誰かに取られても良いのか?」
「それは…」
理解していた。
モトが投げかける言葉は、ただの誘導尋問だと。
だが、俺は今言葉を詰まらせてしまった。
その答えを口にすることを拒んでしまったのだ。
「それに君は勘違いしている」
そして、その死神は俺に確信を投げかける。
「さっきから、彼女を好きだという事を前提に話を進めているのは、君のほうだよ」
「いや、それは話の流れって言うか…」
「今さっき君は『気持ちを押し殺す』と、口にしたばかりじゃないか」
唖然としてしまう。
俺は自ら認めていたのだ。
「あの時点で、認めているのと同じだぞ…君は自分の気持ちを自覚しているのだと思ったのだが、違ったか?」
俺は沈黙で応える。
彼女の予想通り、俺は自分の気持ちなど最初から分かっていた。
自分の心の中など、本当はあの修学旅行の時から変化していることに気付いていた。
しかし、それを素直に自覚しようとしない自分がいた。
いや、自覚していないフリをしていた。
「君はそんな事で悩んでいる場合でもないだろう」
「しかし、これが本当にそうでも、結局は叶わない恋だろう」
「まだあるのかい?」
必死の足掻きに、溜め息を零して彼女は質問してくる。
「悠木さんっていただろう…彼女はきっと、俺の事が好きなんだと思う」
「それと何か関係があるのか?」
「菅野は悠木さんの親友だ…その彼女を応援している時点で、彼女は俺は恋愛対象ではないということだろう」
もう一つ、きっと彼女は俺のことを恋愛対象には思っていない。
片思いでも良いかもしれないが、わざわざ親友の想い人に想われても彼女が困ると気にしていた。
このことを保留していたのも、きっと悠木結花の問題がある限りは何も始まらないからだ。
そして、それは彼女の性格からもそんなに早く解決するとは思いにくい。
だから俺は、この気持ちを保留にして、彼女を今のままで幸せにすることを選んだ。
「そんなの本人に聞いてみないと分からないだろう」
「俺は今のままでも、きっと彼女を幸せにしてみせるよ」
「そうか…」
強がって見えたのかもしれない。
モトの顔が少し寂しそうだった。
次の瞬間、視線がこっちをじっと捉えて、そのまま彼女は口を開く。
「お前には話しておかないといけないのだが…」
「何だよ、改まって」
どこかしら神妙な空気になる。
居心地の悪い沈黙が走る。
そして、彼女が口を開く瞬間に、部屋のドアが開く。
「お兄ちゃん」
「何だよ、急に…」
急な来訪者は真帆だった。
慌てて表情を取り繕い、今までの会話から切り替える。
「今、誰かと話していた?」
「ああ…電話だよ」
手元に偶然持っていた携帯を見せる。
真帆は疑って部屋内を見回すが、勿論モトの姿が見えることは無かった。
今でもモトは、俺の目の前に立っている。
こういう時、この死神が本物なんだと思い知らされる。
「彼女?」
「違う」
「つまんないの」
「彼女が出来たら、大好きなお兄ちゃんと遊べなくなるぞ」
「はあ?」
露骨に嫌そうな顔をされる。
腐った生ゴミを見るような目で妹から見下ろされ、俺はすかさず頭を下げる。
「すいません、調子乗りました」
「智さんの時も、そんな事無かったのに、今更彼女の一人が出来ても…」
真帆は言いかけて、「ご、ごめん」と口を塞ぐ。
こういう気遣いを俺は、この家で何年もされてきた。
真帆は勿論のこと、両親も俺が智を失ってから彼女の話をしなくなった。
それは悲しくもあったが、家族だからこその気遣いだと思った。
申し訳なさそうにする妹に俺は、「いや、大丈夫だ」と笑ってみせる。
「…この前、智の墓参りに行って来たんだ」
「そうか」
真帆がホッとしたのが分かった。
こういう時、兄妹というのは難しいのだ。
下手に素直になれない。
しかし、俺は妹の優しさに応えられずに数年が経ってしまった。
だからこそ、今言うべき言葉があった。
「心配かけて、すまなかった」
「し、心配なんかしてないんだから」
「そういうのツンデレっていうんだろう?」
「デレてなどいない」
「はいはい」
気付けば、二人で笑い合っていた。
「今は、この前の電話の相手?」
急に話を切り替えられて、俺は言葉に詰まる。
それは、智のことを立ち直った原因を聞かれているのだと、気付くのに時間がかかったからだ。
「お兄ちゃんは、分かりやすいね」
「何かお前に見透かされていると、無性に腹が立つな」
俺は敢えて否定せず、それを答えとした。
しかし、得意げに名探偵ぶりを披露する真帆に、若干の苛立を覚える。
「意外と素直に認めるね」
「何か認めてしまったのが、ついさっきだからかな」
「私は、お兄ちゃんが前に進むって言うのなら、全力で応援するよ」
年頃の兄妹にしては、他の家庭よりは仲が良いと思う。
それも智の事があったせいで、落ち込んでいた俺を妹は心配してくれていたからのだろう。
「ありがとう…でも、そんな単純な話じゃないんだ」
「そんなに複雑って、不倫とか教師との禁断の愛とか?」
「いや、そんなのではないが…」
「じゃあ、お兄ちゃん曰く複雑な事情とやらは何よ?」
ぐっと顔を近づけて、真帆は問いつめてくる。
俺はそれに逃げるように、目を逸らして答える。
「彼女には友達が居て」
真帆が手を組んで、「ふむふむ」と偉そうに相槌をうつ。
「その友達が、どうも俺の事がす、好きみたいなんだ」
「お兄ちゃんの勘違いなんじゃないの?」
「かもしれないが、彼女は友達と俺をくっ付けようとしているのは事実だ」
「眼中に無いって感じなのね」
「多分」
自分で言っていて、かなり傷ついた。
きっと菅野にとっては、元想い人の親友であり、自分の親友の想い人なのだ。
それ以上に俺らは男女というより、一緒にいて安心出来る友人になっていたのだろう。
「で、お兄ちゃんはどうしたいの?」
「俺は…分からない…」
「またどうせ、要らない事でウジウジ悩んでいるんでしょう」
「相変わらず手厳しい意見ですね」
と、弱々しく答えてみる。
確かに要らない心配かもしれない。
でも、自分の命もかかっているのだ、心配することに超したことは無いだろう。
「一人で抱え込みすぎないで」
「分かっているよ」
「でも、最近のお兄ちゃん変わったよね」
妹からの意外な指摘に、きょとんとしてしまう。
変わった?どこが?
俺が、「どんな風に?」と聞く間もなく、彼女はその答えを聞かせてくれる。
「言葉では言い表しにくいけど、根暗っぽくなくなった」
「お前が普段から、お兄ちゃんの事をどう思っているのかはよく分かった」
根暗。
妹から言われると、自分のことを理解してくれている分、他人よりもダメージが大きい。
「お兄ちゃんは、ムッツリだからね」
「ムッツリとか言うな」
「じゃ、ムックリ?」
「それじゃ、まるで赤いモサモサした生き物みたいだ」
「グッツリ?」
「何か煮込まれているみたいだな」
「我侭だな」
「そもそもムッツリではない」
そうだ、俺はムッツリではない。
「あんな、どう考えても特殊な性癖丸出しの本をお持ちのくせに」
兄の威厳が一瞬で崩壊する。
何故、この妹は俺の愛蔵する禁書の秘蔵場所を知っているのだ。
あれは、戸松ですら知らないはず。
「それも、あんなに大量に…」
駄目だ…こいつ、早くなんとかしないと…。
しかし、ここで焦ってはならない。
何故なら、その書物の場所を本当は知らない可能性もある。
誘導尋問ということだ。
ここはとりあえず誤摩化すことにする。
「いやいやいや、お兄ちゃんはそんな本を持っていないぞ!」
「明らか声が震えているよ」
くそ、身体は正直ってやつか。
こういう時に、己のポーカーフェイスという能力を持っていないことを後悔する。
「俺に記憶改竄の能力があれば…」
「お母さんも知っているよ」
時間が止まる。
一万歩譲って妹は良いとしよう…だが、母親にまで…終わった、俺の人生が。
俺はその場で崩れ落ちて、こう呟いた。
「俺、卒業したら絶対家を出るわ…今決めたわ」