内側の外側
六月後半の湿気におおわれた東京は気分を沈める。自殺、自傷。そんなものも増えてくる時期。そんなもの?簡単には口に出してはいけなかったか。
教育機関の一年生や新社会人が少しずつ学校や職場、自分のおかれている場所に慣れ始める頃、奥田孝はまだまだ自分のおかれている場所に慣れてはいなかった。
ただ一人孤独であるかのように、そんな顔をしていた。広い砂漠にポツリとあるサボテンのような彼はただただ何かを待っているようだった。
今日は何を考えようか
僕は思索に耽っていた。自分の内なる部分に入っていくように彼は考えることだけに神経を使った。何でもないこと。今日の夜ご飯は何なのだろうか。そういう類のことではない。
もしも世界に色がなかったら。そんなありもしないようなことを考えるのが、孝にとってはとても楽しかった。深い深い海に潜っていくような感覚に近いのだろう。何も見えない底知れぬ場所へと嵌まっていく。
孝は決して不自由な暮らしをしていたわけではない。求めるものは与えてもらい、親の愛も十分にもらってきた。それなのにいつからか自分の外側に大きな殻を作っていた。殻というべきではないか。もっと強固な壁、そう表現した方が適切かもしれない。