罠
「前方I-34! 距離千二百! 逃がすな! イーヴォ! 」
「了解! 」
北上を続けたティーゲル中隊は遂に目標としていたガバナー盆地に到着した。盆地を守る敵の数は少なくI-34が一台と対戦車砲が七門、それにあとは僅かな数の歩兵だけだった。塹壕を掘りその中で我々を待ち受けている敵対戦車砲に対してティーゲル中隊は8.8cm砲の長射程を生かして遠距離からの砲撃戦を挑むと十五分と掛からずに全ての対戦車砲は沈黙し、たまたま生き残った最後のI-34は逃げ出した。僕はこちらに側面を晒して慌てて逃げようとするI-34の破壊をイーヴォに命じたところだったのだ。
「照準よし! 」
「撃てっ! 」
イーヴォの放った8.8cm砲弾はいつも通り正確にI-34を捉えた。爆発を起こして動きを止める敵戦車を尻目に僕は随行してきている自走砲隊と歩兵隊に命令を出した。
「よし、粗方片付けたな。歩兵隊はすぐに敵陣地を占領して反撃に備えよ。この盆地は敵のアマクヤード南への前進を阻む重要な拠点となりうる。今はたまたま敵の防御が薄かったが体制が整えば強烈な反撃が予想されるぞ! 急げ! 」
もくもくと煙を吐き続ける敵の対戦車砲が設置された塹壕に友軍の歩兵隊が飛び込んでいき敵の生き残りがいないかを調べていく。散発的に射撃音と悲鳴が聞こえてきたがそれだけで僕らには塹壕の中で何が起こっているのか想像出来た。それと並行して工兵隊が地雷が塹壕周辺にないかを確認している。二十分程経つと工兵の一人が僕らにOKの手合図を送ってきた。
「よし、ハンス、前進だ。」
僕らティーゲル中隊は自走砲隊を率いて敵陣地の近くまで来るとまず敵の対戦車砲の残骸をロープで牽引して引っ張り出した。雪が相変わらずチラチラと舞い続け地面はもう真っ白になっている。その中を僕らは戦車や自走砲の搭乗員、それに歩兵や工兵が皆一緒になってその白い地面を更に掘り返し友軍の自走砲が入れるぐらいの更に大きな塹壕を掘った。地面は固くそれは大変な作業だったが皆没頭し僕らは寒さが全く気にならないぐらいだった。
「ちょっとは陣地らしくなってきましたね。 」
四台の自走砲をそれぞれ四つの塹壕に入れて即席の固定砲台が出来たところで汗ばんだハンスが僕にそう言った。歩兵隊も機関銃や迫撃砲をセットしたりして敵を迎え撃つ準備は急ピッチで進んでいる。僕はスコップの手を止めて答えた。
「ああ、でも凍りかけた土を掘るのは大変な作業だな。なかなか重労働だ。」
僕がそう言うとハンスは笑って言った。
「実家にでかい庭があってそこでよく兄貴と穴を掘って遊んでたのを思い出します。楽しかったですよ。」
ハンスもスコップを持つ手を止めた。そこで僕はハンスにふと尋ねた。
「お兄さんがいるのか? 」
「はい、銀行に勤めてる堅物な男ですけどね。仲は良かった方だと思います。」
そう言うハンスの目はいつの間にか遠くを見ていた。兄弟の思い出が今ハンスの頭の中を駆け巡っているのだろう。僕は続けた。
「お前はお兄さんに似たんだな、堅物とまでは言わないけどかなり真面目なところとか。」
「俺、そんなに真面目ですかね? 」
「ああ、ペットゲンの十倍は真面目だな。それに頭も良い。帰国したらお兄さんに頼んで銀行で働かせてもらえよ。」
僕がそう言うとハンスは俯いてちょっと考えてから言った。
「確かに少尉の言う通り僕は真面目かもしれませんね。帰国したら兄に頼んでみますよ! 数学は好きでしたしね! 」
僕の言ったことをさっそく真剣に考えているハンスの姿が滑稽で僕はフッと笑ってから言った。
「じゃあ早く無事に帰国して再就職しなきゃな。俺の口座もお前の銀行に開設してやるよ。」
僕とハンスは顔を見合わせて二人微笑んでいた。ハンスとは付き合いは長いがあまりこういった話を二人でしたことは無い。次に戦車長に推薦するとすれば今のメンバーの中ではその候補は間違いなくハンスでそれだけ僕からの信頼も厚いのだが真面目過ぎるところがあるので任務の話以外を彼にしようという発想自体が僕にあまりなかったのだ。こちらの話の仕方次第でいくらでもハンスとの任務以外の話が引き出せていたのかもしれないと考えるともっと早くそうしておけば良かったと僕は思った。そうして二人でいろいろ話し込んでいると一人の歩兵が僕らに近づいてきてにこやかに笑みを浮かべてこう言った。
「中隊長殿、私は狙撃小隊のフォルケ軍曹であります。敵兵が使っていた塹壕を調べるといいものが見つかりました! ちょっと来て頂けませんか? 」
「ん? 何だ? 」
僕がそう答えると軍曹は続けた。
「この先にある敵の塹壕の一部は地下まで掘ってあったのです! そこでしたら寒さを十分に凌げます! それにそこでは酒や葉巻も見つかりました! 」
「そいつは勲章ものだな! そこへ連れていってくれ、軍曹。」
僕はそう答えるとハンスを連れてフォルケ軍曹の後に従い地下の塹壕まで行こうとした。だがたまたまそこにいた僕とハンスだけが戦利品の恩恵に預かるというのもどうかと思ったので僕はハンスに言った。
「ちょっと待ってくれ、俺はペットゲン達を呼んでくる。ハンス、先に軍曹と一緒に行っておいてくれ。」
「少尉、戦利品が無くなっちゃいますよ。」
ハンスはそう言って笑うと軍曹と一緒に歩いていった。僕はハンスと逆の方向に歩いていき自分のティーゲルの前まで来ると皆を呼んだ。
「オッペル! ペットゲン! イーヴォ! 戦利品の奪い合いに参加したいならすぐに出て来い! 来ないとハンスに全部持って行かれちまうぞ! 」
僕が戦車の前でそう叫ぶとペットゲンとイーヴォが慌てた様子で戦車から降りてきた。
「今度は何があるんスかね? 」
「美味い食物でもあれば最高ですね! 」
二人は少し興奮気味に話した。普段は無口でどちらかといえばおとなしいイーヴォですら戦利品をかなり楽しみにしている様子なのだ。
「いろいろあるらしいぞ。まぁ行って見てからのお楽しみだな。オッペルは行かないのか? 」
僕がそう言うとオッペルが車内から頭を出して言った。
「私はここに残ります。何か本部から無線で連絡でも入って誰もそれを聞いていないとまずいでしょうから。」
オッペルはそれだけ言うとすぐにティーゲルの車内へ頭を引っ込めた。オッペルとは以前同じ戦車に搭乗していたがお互いに負傷して前線を離れた後に傷が癒えてから再会してまたこうして同じ戦車に乗っているのだ。だが負傷をする前と後とでは彼のイメージはかなり変わっていた。負傷する前は明るくて皆の前でおどけたり冗談をよく言っていたが負傷して復帰後は寡黙であまり口を開かない男になってしまっていた。おそらくオッペルの傷は深く入院生活やリハビリがかなり辛かったのだろう。僕はオッペルが体験してきた辛いことを想像すると彼の態度のあまりの豹変振りにも何も言うことは出来なかった。
「分かった、じゃあお前の取り分は俺が確保してきてやるよ。済まないな。」
僕はそれだけ言うと戦車に背を向けて地下の塹壕へと歩き出した。その時だった。
「ドオーン! 」
大きな爆発が起こった。僕とペットゲン、それにイーヴォは反射的にその場に伏せて頭を抱えた。空中からパラパラと爆発で舞い上げられた土が降ってくる。だが敵の野砲の砲弾が発射されて飛んできたような音は何もせずいきなり爆発音が我々を襲ったのだ。訳が分からずそのまま伏せていると地下の塹壕の方から友軍兵士の叫び声が聞こえてきた。
「何かが爆発したぞ! 」
「塹壕の中だ! 」
「衛生兵! 衛生兵はいないか?! 」
どうやら敵の砲撃ではないようだったが皆錯乱したように喚いている。音と振動から判断してもかなり大きな爆発だったのだ。
「運が良かったっス! 巻き込まれなくて助かったっスね! 」
思わずペットゲンがそう言って笑顔を浮かべ上半身を起こそうとしたが僕はペットゲンに怒鳴った。
「馬鹿野郎! ハンスが塹壕に行ってるんだぞ! 呑気なことを言ってる場合か! 」
そうなのだ。ハンスは塹壕に先に行っていたのだ。僕は一目散に駆け出した。
「ハンス! 」
僕はそう叫びながら爆発のあった地下壕のところまで来ると思わず両手で顔を覆った。地下壕は爆発の為に崩れて兵が何人も埋まってしまっているようだった。
「ハンス! 何処にいる?! ハンス! 」
僕はそう叫んだが返事は無い。僕はイーヴォに言った。
「掘ってハンスを助けるぞ! スコップをすぐに調達してこい! 」
イーヴォは返事もせず慌てて何処かに走っていったがすぐにスコップを三つ持って帰ってきた。僕とペットゲンとイーヴォは埋れている地下壕を闇雲に掘りだした。気が付くと歩兵隊の連中も埋まってしまった仲間を一人でも助けようと其処ら中を掘っている。
「ハンス! 頼む、生きていてくれ! 」
僕はそう心の中で叫びながら必死に地面を掘り続けた。ハンスは長い間一緒に戦場で過ごした同郷の友なのだ。ハンスがいなくなることなど考えられない。僕らは必死にハンスを探そうとしたが地下壕は土に深く埋まりその作業は難航した。そしてスコップを振りまわしているうちに僕は全身汗だくになったがいつの間にか汗に混じって大粒の涙が頬を伝っていた。絶望的なことは頭では分かっている。でも万に一つの可能性を今は信じるしかなかった。




