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「君は何も悪くないよ。それは僕もおそらくあの時心の底では分かってたんだ。だけど僕は君のお父さんへの憎しみとカーソン教への偏見、それに自分の運命への悲観が重なって君へ愛情を注ぐことをやめてしまった。……正直なところ僕もどう君に接していいのか分からなくなっていたんだと思う。」

僕はエヴァと別れた時のことを思い出しながらそう言った。クレリバーの川沿いでベンチに座って二人で話したあの日のことを。エヴァはハンカチを片手に言葉を絞り出した。

「でもやっぱりあたしはパパと同罪だわ。あなたを大変な目に遭わせたのはあたし達親娘よ。謝って済むことではないけれど……ごめんなさい。」

彼女はまた激しく泣き出した。僕は彼女の頭を撫でながら言った。

「もう……謝らなくていいよ。」

僕が戦場で辛いことをたくさん味わったのと同じように彼女も自分の父親がしたことでずっと心を悩ませてきたのだ。僕は彼女をその呪縛から解放してあげようと思った。だが彼女は俯いていた顔を上げてこう言った。

「優しいわね、フランツ。でもあたしだけが許されるという訳にはいかないの。一生かけてでもあたしはあなたに償いますから、パパの分も含めて。」

僕は慌ててエヴァの言葉を遮った。

「お父さんの分も含めて? 何も悪いことをしていない君が親娘というだけで父親の僕に対する仕打ちの償いをするっていうのかい? 」

僕がそう言うとエヴァはハンカチで涙を拭きながら暫く俯いて黙っていた。何十秒かの沈黙のあと彼女はポツリと言った。

「だってもしパパがあなたに申し訳ないという気持ちがあったとしても……パパはもうあなたに対して何も出来ないのだから。」

僕は彼女の言葉の意味が分からなかった。

「どういうことだい? 」

僕が聞き直すと彼女はまた沈黙したがそれはとても長いものに感じられた。でも僕は彼女が答えてくれるまでいくらでも待っていようと思い彼女がハンカチを握りしめたまま膝の上に置いている両手の辺りをぼんやりと眺めていた。

「……パパは入院しているの。この前クレリバーの駅で大きな爆発があってたまたまそこを通りがかったパパは大怪我をしたわ。」

大きな爆発というのはマシューさんが言っていたテロのことだろう。それにエヴァの父親は巻き込まれたのだ。エヴァへのわだかまりはもうないがエヴァの父親までも許してしまうほど僕は人間が出来ていない。僕の人生を狂わせた罰がエヴァの父親に当たったのだと思うと僕は心の中で「ざまぁみやがれ! 」と大きく叫びたいぐらいだった。僕は淡々とした態度を装い彼女に父親の容態を聞いた。

「怪我はひどいのかい? 」

「右半身が麻痺してしまっているわ。もう一人では何も出来ないの。ママが付きっきりで看病しているわ。」

僕は顔色一つ変えずエヴァの話を聞いていたが内心は小躍りしたいぐらい痛快な思いだった。あのぎょろ目で神経質そうなエヴァの父親がベッドの上で寝たきりになっていると思うとスカッとする。僕が戦場で辛い日々を過ごしたのと同じようにエヴァの父親も今怪我で苦しみながら辛い日々を過ごしているのだ。エヴァの父親のところへお見舞いに行って嫌味の一つでも言ってやれば更に気が晴れるな、などと思っているとエヴァは話を続けた。

「入院には凄くお金が掛かるわ。だからあたしは今軍需工場で夜働いているの。今までの薬局の仕事ではもう生活出来なくなっちゃって。」

彼女は今仕事帰りだったのだ。軍需工場でおそらく夜通し働いてきたのだろう。彼女の疲労に満ちた表情というのはその為だったということを僕はようやく理解した。改めてエヴァの顔をよく見ると綺麗なもののやはりかなり疲れていて以前の彼女が持っていた輝くような魅力はかなり薄らいでしまったようにも思える。暫く続いた沈黙の間に僕の心の中で先ほどまで満ちていたエヴァの父親への嘲笑は消え彼女に対する同情の思いがそれに取って代わっていた。

「……エヴァ。」

「何? 」

僕の問いかけに彼女は答えた。彼女はその時初めて僕を真っ正面から見つめ返してきた。その瞳には自分の置かれた状況を嘆きつつもそれを乗り越えなければならない試練だと捉えている覚悟のようなものが含まれているようだった。僕は言った。

「エヴァ、もういいよ。僕は君のお父さんに対する恨みを全て今日で忘れる。だから君は僕に対する償いとかそういうことはもう考えないでくれ。」

その言葉を聞いた彼女は一瞬瞼がピクッと動いた。そして何かを言いかけたけれども僕はそれを制して言葉を続けた。

「人生なんて不条理なこと、納得いかないことだらけさ。それをもっとも強く感じながら生きている人間の一人がこの僕だと思っていたけどそうじゃない。君達親娘も人生の辛さを十分味わっていたんだね。そう思ったらもう恨むだのなんだのって気持ちは無くなったよ、本当に。これから大変だろうけど君は君と家族の為だけに生きたらいい。もう余計なことは一切考えなくていいからね。」

僕の言葉を聞いて彼女はまた大きな声で泣き始めた。そして暫くしてからポツリと言った。

「……ありがとう、フランツ。」

僕らはそのあと喫茶店を出て別れた。自分の家に歩いていく彼女の足取りは疲れてはいるけれどもそれでもすこし力強くなったように見えた。


喫茶店を出てからまた暫く歩いて僕はようやく実家に到着した。

「ただいま! 」

そう言いながら門の扉を開けようとすると鍵がかかっている。暫くすると扉の内側から声がした。それは僕の母親のものだった。

「はい? どなた様ですか? 」

「母さん、僕だよ。フランツだよ。」

僕がそう言った次の瞬間、門の扉がゆっくりと開いた。扉の向こうに現れた母さんは目を丸くして棒立ちになっている。久しぶりに会う母さんは痩せて小さくなりすこし老けたように見えた。僕は微笑むとこう言った。

「母さん、ただいま帰りました。」

すると彼女の目にはあっという間に涙が溢れ頬を伝ってこぼれ落ちた。彼女は駆け寄ってくると僕を力強く抱きしめ子供のように大きな声でわんわん泣き始めた。

「……フランツ、よく無事で帰ってきてくれたね。」

母親にこうして抱きしめられるのは小学生の時以来だろうか? 戦争が始まって僕が戦場に赴く時は何も言わなかったけれど実はこれだけ僕のことを気にかけてくれていたのだ。抱きしめられるのは照れ臭かったが僕は暫く彼女の好きなようにさせてあげた。

「お父さん! フランツが帰ってきましたよ! 」

すると母さんはそう言って父さんを呼んだ。父さんは家の奥から慌てて走ってくると僕の目の前で立ち止まり暫く呆然と僕を見つめていた。父さんもすこし痩せたような気がする。でも元気そうだ。

「よく無事で帰ってこれたな、まぁ入れ。」

父さんはそう言って笑顔を見せると近づいてきて僕の肩をポンと叩いた。さすがに父さんは泣いたりはしない。でも嬉しそうだ。今まで僕は他人と比べると家族をそれほど大事にしてきた方ではなかったがそれは間違いだったとこの時思った。帰るところがあって出迎えてくれる人が居てくれるということがこんなに喜ばしいことだということに僕はようやく気が付いたのだ。僕ら三人は家の中に入った。


僕は帰休兵の為に軍から支給された缶詰なんかの食料を全て母さんにあげた。母さんは僕に礼を言ってそれを受け取ると夕食の用意を始めた。母さんがポロっと「最近は食べ物の値段が凄く上がっちゃって……」と言ったので僕はマイルヤーナ国内も食糧事情はあまりよくはないということを察した。戦争で苦しむのは兵士だけではないということを僕はまたこの時思った。

「まぁ飲んでいけよ。今日は泊まれるんだろう? ゆっくりしていけよ。 」

母さんが夕食の用意をしている間父さんと僕は家のリビングにある椅子に腰掛けてテーブルを挟んだ。父さんはワインとワイングラスを棚から出すとテーブルの上に置いた。おそらくワインはなかなか今では手に入りにくいだろう。僕はそんな貴重なワインを飲んでしまっていいのか? と思い躊躇ったが父さんはワイングラスにワインを注ぎながら言った。

「遠慮するなよ。お前が帰ってきた時の為にワインは飲まずにとっておいたからたくさんあるのでな。ふふ、お前と飲むのは久しぶりだ。」

父さんはそう言いながら三つのワイングラスをワインで満たした。するとそこへ夕食を作り終えた母さんが加わってきた。

「フランツ、もう戦争は終わりなんでしょう? 」

母さんはワイングラスを片手に取りながらそう聞いてきた。その顔には笑みが浮かんでいる。どうやら彼女は世間で囁かれているル・カメリカの降伏の噂話を信じているようだった。僕はすこし答えにくいと思いつつもありのままを話した。

「それは分からないよ。確かにアマクヤードは陥落したけどル・カメリカの国力は侮れない。まだまだ戦争が続く可能性は十分にあるさ。」

僕がそう言うと母さんはひどく落ち込んでしまったようだった。僕が急に帰ってきたのは戦争が終わったからだと思い込んでいたらしい。父さんは深い溜息をついて僕に言った。

「そうか……そうだろうな。母さんは終戦の噂を信じようとしていたが俺はそれほど現実は甘くないと思っていたんだ。ところでフランツ、戦争が終わったわけではないのならお前はどうして帰ってこれたんだ? 」

そう言われて僕は無造作に胸ポケットから騎士鉄十字章を取り出して両親にそれを見せながら答えた。

「その勲章の授与式があったからだよ。」

「勲章だって!? 」

父さんは驚きながらその光り輝く騎士鉄十字章を僕から受け取ってまじまじと見つめていた。父さんはそれが軍人にとってはそれなりに名誉なものであることを見抜いたようで暫く眺めた後嬉しそうに僕にこう言った。

「フランツ、立派になったな。」

それを聞いて僕は嬉しかった。今までは学業の優秀な兄と比較してあまり褒めてくれなかった父さんが僕のことを初めて一人前の男として認めてくれたような気がしたからだ。

「さぁ、母さん、折角フランツが帰ってきたんだから笑顔になりなさい。では乾杯! 」

その父さんの掛け声で僕ら三人はワイングラスを高く掲げた。そして三人一斉にワインを口に含む。そのワインは美味かった。そして父さんがまた声を張り上げる。

「さぁ、今夜はとことん飲むぞ! 」

その日上機嫌な父さんはワインをガバガバと飲んだ。落ち込んでいた母さんもワインを飲むにつれて元気を取り戻したようだった。そして宴は夜中まで続き翌日は三人とも二日酔いに悩まされる羽目になってしまった。

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