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クレリバー

コツ、コツと乾いた音がリズムを刻んでいる。僕のブーツがクレリバーの歩き慣れた石畳の道を踏みつける音が響いているのだ。人通りの少ない駅前の通りにその音はよく反響している。時計の針は朝の八時を回っていて周囲は明るいが人通りは戦前に比べるとかなり少なくなっていることが実際に歩いてみると分かる。僕の周りは数人の女子供と老人しかいない。出勤中の女性や登校中の子供、そして散歩を楽しむ老人。その脇を軍服に身を包んだ僕が一人クレリバーの駅から実家に向けて歩いていた。

「あら! あんたマイヤーさんとこのフランツ君? 帰ってきたのかい? 」

不意に呼び止められたので声のする方を向くと実家の近所に住むミミおばさんが驚きの表情で僕を指差して立っていた。ミミおばさんは僕が小さい頃よく遊んでくれた優しい女性だ。太っていて背も低いがそれ故にコロコロとした感じがしてとっても愛嬌のある人だ。僕は彼女が大好きだった。

「おばさん、お久しぶりです。今日は休暇をもらえたので実家に帰ってきました。」

僕がそう言うとおばさんは目に涙を溜めて言った。

「無事で何よりだねぇ。それに立派になって。あんたと会えておばさんは嬉しいよ! 」

そう言ってハンカチで目頭を押さえるおばさんに僕は慌てて声を掛けた。

「おばさん、泣かないでよ! 皆こっちを見てるよ! 」

周囲の人にジロジロ見られていたので僕がそう言うとおばさんは笑顔を作って言った。

「そうだねぇ、泣いちゃいけないね。でも兵隊さんになったあんたが帰ってきたってことはもう戦争は終わりだよね。やっぱり噂は本当だね。」

「噂? 」

僕がそう聞き返すとおばさんはその噂について説明をしてくれた。

「世間ではル・カメリカがもう降伏するんじゃないかと噂になってるよ。早く戦争なんて終わればいいのにねぇ。」

「そうだね、そうなるといいね。」

僕がそう返事をしてもおばさんはまだ涙を流し続けていた。僕と会えたことがそんなに大泣きするほど嬉しいものなのかな? と僕がすこし戸惑っているとおばさんがふと気になることを口にした。

「……ごめんね、あんたを見てると息子を思い出しちまって。」

おばさんにはネッケという僕より三つ年下の子供がいたのだ。僕はネッケとそれほど親しい訳ではなかったので彼が今どうしているのか知らない。僕はまさかと思いおばさんに聞いた。

「ネッケはどうしてるの? 」

「一ヶ月前に死んだよ。志願して兵隊になってから半年であの子の死を知らせる手紙が届いたのさ。お国の為とか何とか言ってたけど何の役にも立たずに死んじまった。あの子らしいよ。」

そう言いながらも涙を流し続けるミミおばさんに僕は何と言っていいのか分からなかった。彼女は僕と会えて嬉し泣きをしていたのではなく僕と会ったことによって亡き息子を思い出して泣いていたのだ。戦争で辛い思いをするのは戦場の兵士だけではないということを僕はこの時思い知らされた気がした。

「……ごめんね、変な話しちまって。さぁ、早くお母さんのところへ行っておあげ。喜ぶよ。」

そう泣きながら話すおばさんを見てると僕は居た堪れなくなりその場を離れようとおばさんに背を向けた。だけど僕は何か一言励ましてあげないといけないと思い咄嗟におばさんの方を振り返って言った。

「おばさん、軍の通知は間違いも結構あるそうですから! 」

そう言うとおばさんは驚いたような顔を一瞬しながらも涙を拭きながら笑顔で僕に手を振ってくれた。余計なことを言って気を遣わせてしまったのかもしれないと思った僕は申し訳なくなって足早におばさんの元を去った。もっと気の利いたおばさんを元気付けられる言葉を選べば良かったと後悔しつつ。


その後歩き続けること十分、だいぶ家が近くなってきた。家を離れてから一年も経っていないのに妙に懐かしい。僕は戦場で感じていたノスタルジーを思い出しつつふと歩みを止めて後ろを振り返った。特に理由は無い。なんとなくだった。だがその次の瞬間僕は息を呑み一人の女性の名前をポツリと口にしていた。

「……エヴァ。」

僕の後方三十mぐらいのところをトボトボと歩いている女性が目に入ったのだがそれは紛れもなくエヴァだった。長い手足にスタイルの良い身体、そして一見冷たそうに見えるほどのすっきりとした顔立ちの美人。間違いない、というか間違えようがない、以前僕が付き合っていたエヴァだ。僕は思わぬところでの昔の恋人との再会を嬉しく思ったものの彼女に積極的に声を掛ける勇気が無かった。 僕はどうしていいか分からず暫く黙って彼女を見つめていた。すると俯いて歩いていた彼女が僕の手前十mのところでふと頭を上げそこでようやく僕に気付き驚いて叫んだ。

「フ、フランツ! 」

すこし疲れている感じがするけれど相変わらず彼女は綺麗だ。彼女は幽霊を見るような感じで僕の顔をまじまじと見つめ返している。

「久しぶりだね、エヴァ。」

別れた恋人に何を話しかけたらいいのか分からない僕だったが無意識にそう言葉を発していた。するとエヴァは一瞬笑顔になったように見えたがすぐにそれは消えた。彼女は目線を下げ伏し目がちに言った。

「……帰ってたんだ。元気そうで良かったわ。」

その言い方は僕にはもう関心がないということをアピールするような冷たい言い方だった。確かに彼女と僕は別れたのだ。それは仕方のないことで僕も今更彼女とどうこうする気もなかったが僕は彼女と会えたことだけで嬉しかった。生きて彼女と再会出来たことだけで物凄く喜びを感じるのだ。

「ああ、元気だよ。特別に休暇を貰ったから家に帰るところだったんだ。君の方は最近どうなの? 」

「……何も変わりないわ。」

彼女はそう言ったが彼女の目の下にはクマが出来ていてとても疲れているように見える。顔立ちが綺麗なだけにその疲労感がより濃く表情に出てしまっていて目立っているのだ。僕はそれが気になった。

「じゃあ、あたし帰るから。」

彼女はそう言って僕の脇をすり抜けようとした。だが彼女の瞳にはうっすらと涙が溜まっているかのように見える。何かあったのだろうか? それに折角会った彼女をこんなに呆気なく行かせてしまってもいいものだろうか? そう思うと僕は咄嗟にまた彼女へ声を掛けていた。

「エヴァ、良かったらちょっとだけ話をしないか? ほんの少しの時間でいいからさ。」

彼女は立ち止まると暫く考え込んでいるようだったが無言のまま僕の方へ振り向いて頷いた。


昔よく二人で行った喫茶店に僕らは立ち寄った。お洒落なテーブルと椅子が並べられたこじんまりとした喫茶店だ。今日は日差しが強かったから僕らは店の奥の方のテーブルに座って珈琲を注文した。

「……昔よくここへ来たね。」

「そうね。」

思い起こせば僕が彼女の家が世間から疎まれているカーソン教を信仰していることを知ってしまいそれで僕を邪魔に思った彼女の父親が僕を最前線に送り込んだのだ。その時僕はエヴァの父親に対する怒りを覚えたしその娘でカーソン教信者であるエヴァにも複雑な思いがあった。そして今もその思いは昔ほどではないにしても消えた訳ではない。そのわだかまりがあるにせよ彼女との再会を僕は嬉しく思ったのだが実際のところ僕は彼女に何を話せばいいのか分かっていなかった。暫く沈黙が続いた後ウェイトレスが珈琲を運んできた。

「珈琲を二つお持ちしました。」

「ありがとう。」

話す言葉が見つからない僕は取り敢えず珈琲を口に運んだ。だがその珈琲はあまり美味しくなかった。おそらく戦場で飲む粗悪品の珈琲に自分の味覚が慣れてしまっているせいなのだろう。僕は自分の舌までもが兵士の仕様になってしまっていることに一人苦笑いをしていた。するとエヴァが急に口を開いた。

「……フランツ、実はあなたに謝りたいことがあるの。」

それを聞いて僕は慌ててカップを口から離した。僕が彼女の顔を改めて覗き込むと彼女は顔を俯けたままだったがはっきりとした口調で語り始めた。

「あなたと最後に会った日の後、あたしはパパに何度も聞いたの。あなたから聞いたこと、パパが本当にフランツを疎ましく思って戦場に追いやったことが本当なのかどうかって。」

わだかまりの核心を突然話し始めた彼女にすこし戸惑いつつも僕は俯いたままの彼女を黙って見つめながら話を聞いていた。

「最初パパは否定も肯定もしなかった。誤魔化してばかりだったわ。だけど戦争が始まって一ヶ月程経った頃にパパはようやくその事実を認めたの。あたし達家族の為に仕方のないことだったって。」

僕は彼女との別れ際に感じた彼女の父親に対する怒りの炎が心の中でまた再燃するのを感じながらその話を黙って聞き続けた。

「あたしはパパに怒ったわ。あたし達家族の秘密を守る為にパパはフランツの人生を捻じ曲げたのだもの。それは人として間違ってるって。」

彼女は目に溜めた涙をポタポタとテーブルの上に落としながら話を続けた。

「あたし、あなたに謝罪の手紙を送ろうとしたわ。でもそこでふと思ったの。あなたはパパのことも憎んでいるだろうけどその娘でしかもカーソン教信者であるあたしのことも憎んでいるんじゃないか?って。そう思うとあたしはあなたに手紙を送ることは出来なかったわ。」

彼女はそこまで言うとハンカチを取り出し目頭を押さえた。彼女が僕に対して申し訳ないという気持ちを持っていてくれていることが分かったのだ。僕の心の中で何かが消えた気がした。そして僕は彼女に優しく言った。

「……もういいんだよ、エヴァ。今生きてこうして君と会えただけで僕は凄く嬉しいのさ。」

そう言うと彼女は人目もはばからずにワンワンと大声で泣いた。彼女は僕に対してこれだけ罪の意識を持っていたのだ。それは彼女にとってかなり辛いことだったのだろう。

「さっきあなたと会った時、あたし本当は死ぬほど嬉しかった。でもあなたがあたしのことどう思っているか想像すると怖かったの。」

そう言って泣きじゃくる彼女の頭を僕は優しく撫でた。彼女も苦しんでいたのだ。もう何も彼女に対して言うことはなかった。

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