シュトルヒ
「マイヤー少尉、こちらです。」
次の日の朝僕はグラツィエ准尉とマシューさんに連れられて村のはずれにやってきた。そこは木や草が刈り取られて広場のようになっている場所でそこに立つと地面が押し固められてカチカチなのが分かる。周囲を見渡すと小型の連絡機が一機出発の準備をしていた。
「ここは滑走路なのかい? 」
僕がそう聞くとグラツィエ准尉は笑って頷いた。
「はい、そうです。即席の滑走路で長さも短いですが小型機の離発着には十分です。あのシュトルヒで本国まで飛びますよ。」
そう言ってグラツィエ准尉はその小型の連絡機を指差した。シュトルヒというのは連絡機の名前らしい。
「この滑走路は五十mぐらいしかなさそうだけど……この距離で離陸出来るのかい? 」
僕がそう尋ねると准尉はまた柔かに答えた。
「正確には七十mほどです。でもシュトルヒは離陸に要する距離が短いのが特徴なんで五十mもあれば十分ですよ。あ、トラックが来ましたね。バウアー大尉ではないでしょうか? 」
僕らが立っている滑走路の脇に一台のトラックが到着した。トラックの助手席から降りてくる人はグラツィエ准尉の言った通りバウアー大尉だった。大尉は僕らを見かけると笑いながら近づいてきた。
「遅くなってすまん、フランツ。前線を離れる前にシラー少将から散々雑用を言いつけられてな。結局アマクヤードを出たのは昨日の夜中だ。ありゃ多分俺への嫌がらせだぜ。」
そう言って笑う大尉に僕は敬礼しながら答えた。
「大変でしたね、ご苦労様です。到着そうそうですがもう飛行機は出発の準備を始めているようですよ。あ、こちらはPK隊員のグラツィエ准尉と従軍カメラマンのマシューさんです。」
僕が大尉に二人を紹介すると大尉は笑顔で握手をした。准尉がまた昨日のように興奮したような大きな声を出した。
「マシューさん! 写真、写真! こちらが歴戦の勇士のバウアー大尉殿だよ! 早く! 」
マシューさんは急かされて苦笑いしながらも写真をバシャバシャと撮り始めた。暫くすると准尉は何か閃いたようで急に僕の方を振り返ると大声で言った。
「そうだ! マイヤー少尉、バウアー大尉殿の横に並んで下さい。今日は二人でのショットを撮りましょう! 騎士鉄十字章受賞者が二人並んでの写真なんてなかなか撮れませんから! 」
そう言って准尉は僕と大尉を並ばせるとまたマシューさんにシャッターボタンを押させた。僕は照れ臭かったが嬉しくもあった。今までの努力が報われて一人の戦車兵に過ぎない僕が今こんなにちやほやされているのだ。しかも戦争が始まる前に僕を一人前に指導してくれたバウアー大尉と一緒にだ。嬉しくない訳がなかった。
「ではそろそろ飛行機に乗り込みましょうか? 離陸準備もそろそろ出来たようですし。」
撮影が終わると准尉がそう言った。だがその時また僕らに一人の綺麗な女性が近づいてきた。ナタリーだ。
「少尉! ちょっと待って下さい! 」
ナタリーはそう言って走ってきた。両手で胸の前に小さな籠を抱きかかえている。するとそれを見た大尉が言った。
「フランツ、先に乗ってるぞ。准尉、マシューさん、行きましょう。」
大尉はそう言うと飛行機の方に歩き出した。僕は大尉の気配りに感謝しつつ走ってくるナタリーに声を掛けた。
「やぁ、ナタリー! 」
「今から帰国なんですってね。長旅でしょう? これ、良かったら皆さんで食べて下さい。」
そう言ってナタリーが差し出した籠からはいい匂いが漂ってくる。ケーキか何かのようだ。
「ありがとう。頂くよ。本当に君にはお世話になったね。」
そう言うとナタリーは俯きすこし涙ぐみながら言った。
「もう……会えないのかしら? 」
「いや、二、三日帰るだけですぐ戻る筈さ。ここのミルクは美味しいからまた飲みにくるよ。」
僕はそう言ったがナタリーはハンカチを取り出し目頭を押さえている。彼女は声を絞りだした。
「……フランツ、ありがとう。あなたがル・カメリカからあたし達コノハ族を解放してくれたから今は皆笑顔になったわ。本当に感謝してます。」
涙ながらにそう言う彼女を見ていると「俺達がやってきたことで喜んでくれる人もいる」ということが感じられて僕は嬉しくなった。そして開戦から今日までの出来事が頭の中を走馬燈のように駆け巡ると僕も涙が出てきた。任務を全うした達成感といったものを感じる喜びもあったがそれ以上に死への恐怖が常につきまとっていた中を生き延びてこれたことにふと心が緩んだからであろうか? 実際に何人も人が死んだしいつ自分もそうなるのか? という恐れも半端なものではなかったのだ。だがその僕の経験は無駄ではなかった。僕達はその恐怖を乗り越え国家の為に戦いその結果として圧政に苦しむ少数民族を救ったのはハッキリとした事実なのだ。ただの人殺しではない。胸を張って本国へ帰ろうと僕は思った。
「ナタリー、こちらこそありがとう。君が感謝してくれたこと、忘れないよ。」
僕達は無意識のうちに抱き合って別れを惜しんだ。彼女は異国の地で出来た初めての大切な友人なのだ。いや、一緒に辛い戦いを経験した彼女に対してこの時僕の心の中にはそれ以上の感情があっただろう。おそらく彼女もそう思ってくれている。だから僕らは思わず抱きしめあったのだ。だが僕にはイカサの町にリリーという恋人がいる。彼女を裏切ることは出来ない。僕は彼女を抱きしめながらも彼女に対する気持ちが今以上に大きくならないように心の中で無理矢理押さえ込み彼女と身体を離そうとした。だがその時だった。
「フランツ、……大好き。」
彼女は小さくそう言うと僕に素早くキスをした。それは唇と唇が触れあうだけの一瞬のものだったがその感触はとても優しくて温かいものに感じられた。リリーへの罪悪感を感じながらも僕は涙ながらに僕にキスをしてくれたナタリーをもう一度抱きしめずにはいられなかった。
「また……すぐ会えるよ。」
安っぽいその場しのぎの言葉を口にするのが精一杯だった。僕は彼女への思いを断ち切る為に彼女と身体を離すとそのまま彼女に背を向けて早足でその場を離れて飛行機に乗り込んだ。勿論一度も振り返らずに。
「離陸します! 」
パイロットが叫んだ。その言葉を聞いて思わず僕は飛行機の窓越しにナタリーを見ようと振り向きかけたがなんとかそれを止めた。飛行機は轟音を立てるとあっという間に離陸してしまった。
「いいんだ、これで。」
僕はそう一人言を呟いた。ナタリーとこれ以上唇を重ねることは彼女の心をもて遊ぶことに等しい。僕はそのまま目を瞑り飛行機に揺られた。
二、三時間ほど経った頃だろうか、寝てしまっていた僕は目を覚ましふと飛行機の窓から景色を眺めた。窓からはル・カメリカの大地が広がっているのが見える。僕らが数ヶ月かけて進んできた陸路を僕は今空路で逆に進んでいるのだ。低空を飛んでいるのでたまに出くわす友軍の陸上部隊が僕らに手を振ってくれるのが見える。それを見ているとバウアー大尉がグラツィエ准尉に質問をするのが聞こえた。
「この辺りは完全に我々の勢力圏下に置かれたようだな。ところでグラツィエ准尉、本国の様子はどうだ? 何か変わったことはあるのか? 」
そう聞かれて准尉は笑顔を浮かべて答えた。
「私が本国を出発する前は特に変わったことはありませんでしたよ。ですが今はアマクヤード占領の一報が本国にも届いているでしょうからねぇ。ひょっとしたらお祭り騒ぎになっているかもしれませんよ! 」
「もしそれが本当なら浮かれるのはちょっと早いんだがな……。」
大尉は苦笑いしながらそう言った。敵の大都市が一つ陥落したとはいえ戦争が終わった訳ではないということを大尉は言いたいのだろう。するとマシューさんが口を開いた。
「今は街に戦勝ムードが溢れているようですがル・カメリカの今後の態度次第ではそのムードが続くかどうかは分かりませんね。戦争継続となり市民の暮らしが苦しくなるようなことがあれば今のままという訳にはいかないでしょう。それに反戦のテロ行為などはあまり大きく報道はされませんが実際に今もマイルヤーナ国内で起こっているのです。警察と軍隊が治安強化に努めていますがテロ行為は無くなってはいません。お二人とも万が一のこともありますので気を付けて下さい。」
マシューさんは新聞社に勤めているだけのことはあってその辺りの事情には詳しいようだった。テロ行為が国内で起こっているなんて僕は全く知らなかったからちょっと驚いてしまった。
「テロ? 結構頻繁にあるんですか? 」
僕がそう聞くとマシューさんは話を続けた。
「ちょこちょこありますね。二ヶ月前には鉄道の駅で爆弾テロがあって市民が二十人以上犠牲になりました。その時の実行犯は捕まったようですがね。」
本国に一時でも帰れるということで浮かれていたがマシューさんの話を聞いているうちに僕はすこし不安になってきた。本国に帰れば命の心配などしなくて済むと思っていたのにそういう訳ではなさそうだからだ。父さんや母さん、そして兄さんは元気なのだろうか?騎士鉄十字章の授賞式が終われば家に帰って皆の安否を確認しようと僕は思った。
「そろそろ空軍基地です。ここで着陸したら次は列車に乗り換えですよ。そうすればいよいよマイルヤーナ本国です! 」
突然パイロットがそう叫んだのを聞いて僕はテロの恐怖などすぐに忘れてしまった。平和だった頃の懐かしい思い出が胸を過ぎる。そして僕は自分の強運に感謝した。ついつい数日前まではいつ死ぬか分からないと思っていた僕が生きてマイルヤーナの土をこの足でまた踏むことが出来る強運に! 今僕が見ているこの飛行機の中の光景は実は夢ではないのかな? とふと思った。




