降伏
「今何時っスか? 俺の時計動かなくなっちゃったんスよね。」
ペットゲンが大あくびをしながら誰にとでもいうわけでもなくそう聞いた。するとハンスが答える。
「午後三時十五分だ。」
砲隊鏡から周囲を見渡していた僕の耳にもその言葉が入ってきて僕はふと思った。昨日まではひっきりなしに敵の攻撃が繰り返されていたのに今日はそれが一度もないと。しかももう時刻は午後三時を回っているというのに。そして僕は今までずっと張り詰めていた皆の緊張の糸が緩み始めていることも感じずにはいられなかった。だが僕は何も言わなかった。そしてただ少なくとも自分だけはその緊張の糸を切らすまいとして周囲に敵の姿がないか警戒を続けていた。
「今日は静かっスね。」
ペットゲンが涙を拭きながら眠たそうに一人言を言った。誰も何も答えないので僕は砲隊鏡を覗き込むのを一瞬やめてペットゲンの方に向き直ると言った。
「確かにな。昨日までの猛攻は何だったんだろうな。嵐の前の静けさでなければいいのだがな。」
僕はそう言って車内をぐるっと見回した。皆連日の戦闘でかなり疲れているのだろう。ペットゲンはさっきからあくびばかりしている。イーヴォの方を見ると彼は照準器を覗き込んでいる振りをしながら居眠りをしていた。ハンスも車体前方の覗き窓から外の様子を窺っているが目は虚ろだった。本来ならここで「貴様ら! 弛んでいるぞ! 目を覚ませ! 」とでも言うべきなのだろうが今までの皆の頑張りを知っている僕はそうする気にはなれず見て見ぬ振りを続けた。警戒態勢を取るように命令が出ているので本来は寝てはいけないのだが少なくとも今は敵は現れておらずやることはないのだ。すこしぐらい皆を休ませてもいいだろうと思い僕は一人で歩哨役を引き受け再び砲隊鏡を覗いて警戒を続けた。
「少尉、こちらユアサ伍長! 前方正面一時の方向の瓦礫の陰にチラッと何かが動いているのが見えました! 」
急に無線からユアサ伍長の大きな声が聞こえた。車内の全員が同時にビクッとして目を覚ます。その様子はすこし滑稽だった。だがのんびりと皆を微笑みながら眺めている訳にはいかない。僕は砲隊鏡を正面に向けてそのレンズを覗き込んだ。すると確かに瓦礫の陰にル・カメリカ兵がチラッと見える。どうやらこっそりと近づこうとしているようだ。僕は無線で叫んだ。
「こちらマイヤー小隊一号車、前方六百mの瓦礫の陰に敵兵発見! 砲撃を開始する! ペットゲン、榴弾装填だ。イーヴォ、照準!」
その声を聞いてイーヴォは慌てて照準器を動かし始めた。居眠りしていたイーヴォだが無線の内容や僕の命令は寝ぼけずにきちんと理解しているらしく彼はしっかりと突撃砲の主砲を目標とする正面の瓦礫の山に向けた。イーヴォもなかなかやるものだと思いつつ僕が砲撃を命令しようとしたその時だった。白いものがチラッと見えた。
「イーヴォ、待て! まだ撃つな! 」
僕はそう言うと砲隊鏡でもう一度瓦礫周辺をよく見てみた。すると敵兵が大勢瓦礫から姿を現しこちらに恐る恐る歩いてくるではないか! その敵兵の集団の先頭の人間は白旗を掲げており他の全員が両手を上げていて武器を持っていない。それを見て敵兵が投降してきたのだと僕はすぐ分かった。だがハンスは事態を完全に飲み込めていないようで僕に何が起こっているのかを確認してきた。
「少尉、あれって……? 」
「あぁ、敵が降伏したのだ。だがまだ何があるか分からん。警戒を怠るなよ! 」
僕はそう答えるとシラー少将のいる第七装甲師団本部に無線で連絡をした。
「こちらアマクヤード大通りのマイヤー小隊、敵兵多数投降。連行されたし。憲兵隊を寄こしてくれ。」
僕がそう言うと師団本部から返答があった。
「了解、だがアマクヤード内の至る所で敵兵が続々と投降してきているようだ。憲兵隊もバタバタしている。暫く待て。」
その無線を聞いたハンスが嬉しそうに言った。
「ということは敵は全面降伏しアマクヤードは陥落したってことですよね?! 」
「あぁ、そうだろうな。」
僕がそう答えると車内には歓喜の声が飛び交った。狭い車内でイーヴォとハンス、それにペットゲンがハイタッチを繰り返す。目標としてきたアマクヤードの占領をやり遂げたことへの達成感、そしてそれ以上に少なくとも当分の間は戦争をしなくて済むという期待感が彼らの喜びを大きくさせているようだった。そこへペットゲンがさらに付け加えた。
「これで戦争が終わんないスかね? 」
「終れば家に帰れるぞ、ハハッ! 」
ハンスがそう答えるのを聞くと僕も嬉しさがこみ上げてきて思わず笑ってしまった。するとあとの三人も大笑いを始めた。地理的にはアマクヤードから敵の首都ズヤハイゲまでは目と鼻の先の距離なのだ。アマクヤード占領は戦争の長期化を望まない我が国のル・カメリカに対する和平交渉に有利に働く筈だ。そうなれば一気に戦争終結にも繋がるかもしれない。そう思うと僕は笑いが止まらなくなった。おそらく皆も似たようなことを考えているのだろう。僕達は酒も飲んでいないのにやたらと明るくなり大声で暫く笑い続けた。
「おいおい、皆ハイになり過ぎだぜ。ちょっと落ち着けよ。」
暫くしてから僕は上官という立場から一応そう言ったがまともに僕の言うことを聞く奴など一人もいなかった。
「何言ってんスか! 少尉が一番笑ってるっスよ! 」
逆にペットゲンにそう言い返される始末だった。確かに僕自身も帰国出来るのでは? という期待からかなりそわそわして落ち着きを失っていた。家に帰ったら何をしよう? 好きなものを腹一杯食べようか? 酒をベロベロに酔っ払うまで飲みまくろうか? それとも家で二〜三日好きなだけ寝ようか? 戦場で出来ないことはいくらでもある。そんなことを考えるだけで僕はかなり気分が高揚してしまっていた。そしておそらくその場にいた全員がそうだったであろう。だがその時不意に全員を冷めさせる出来事が起きた。
「マイヤー小隊、聞こえるか? こちらバウアーだ、聞こえたら返事をしろ。」
それはバウアー大尉からの無線連絡だった。車内の空気が急に凍りついた。バウアー大尉にこんな姿を見られたら僕らはおそらく全員二〜三発殴られるどころでは済まないだろう。大尉は気の抜けた態度が大嫌いなのだ。僕は全員に静かにするように伝えいつもと変わらないように呼吸を落ち着けてから無線で返事をした。
「はい、こちらフランツです。何かありましたでしょうか、 大尉殿? 」
僕がそう答えると大尉は普通に話し始めた。どうやら浮かれまくっていたのはばれなかったようだ。
「そちらの様子はどうだ? 」
僕はそう聞かれて慌てて外の様子を眺めてから言った。
「は、はい。敵兵が投降してきました。数は二十から三十人程でしょうか。今歩兵隊が彼らを拘束しています。憲兵隊の応援を要請しましたので憲兵隊が到着次第そちらへ捕虜を護送してもらいます。」
「そうか、分かった。ところで俺も一時間後にそちらへ行くからな。マイヤー小隊はそこで待機しておいてくれ。ではな、気を抜くなよ。」
そう言うとバウアー大尉の無線は切れた。車内は今までのお祭りムードが一変して静まりかえっていた。だが暫くするとハンスがポツリと言った。
「浮かれていたら駄目だってことですね。国への帰還命令が出るまでは今まで通りちゃんとしましょう。」
僕もそこへ言葉を足した。
「その通りだ。ちょっと俺達は頭を冷やさないといけないな。まだ終戦ではないのだから。」
「映画なんかだと気を抜いてる時によく登場人物が殺されたりするっスよね。気を引き締めるっス。」
ペットゲンがそう会話を締めくくった後にイーヴォが照準器を覗き込みながら言った。
「前方に敵の捕虜が集められていますね。」
イーヴォに言われて僕は上部ハッチを開けて上半身を乗り出し前方を見た。暗くすこし怯えた表情をした敵兵の捕虜を見ているとさっきまで帰国だ何だと騒いでいた自分達がとんでもなく阿呆に思えた。冷静に考えると自分達もひょっとしたらああなっていたのかもしれないし今後戦争が長引けば立場が逆になることもあり得る。浮かれるのはまだまだ早いのだ。僕はそのことに気が付くといつの間にか彼らから目を背けていた。
「全員警戒態勢のまま待機、バウアー大尉が来られる。きちんとしよう。」
僕が自分に言い聞かすようにそう言うと車内はまたいつものように静かになった。




