憲兵隊
オットーが連行された次の日も厳しい訓練が行われた。訓練の合間にオットーのいろんな噂話が飛び交ったが真相は誰も知らなかった。オットーは基地内でその太り過ぎた体と愛嬌のある顔が有名だったこともあり彼を知る者は皆多少なりとも彼の連行を知って動揺していた。僕自身もオットーとは仲が良かったこともあって彼のことが気になり訓練に全く集中出来ていなかった。バウアー大尉はそんな基地内の不穏な空気を感じてか僕らにはいつも以上に訓練に集中するように厳しく接してきた。バウアー大尉は他の軍人と違って滅多に部下を殴ったりしなかったがこの時ばかりは皆よく殴られたり蹴られたりした。だがそれは理不尽なものではなく集中していなければ命を落とすぞというバウアー大尉なりの僕らへの喝なのだということを全員が理解していた。僕らも次第に訓練中はオットーのことを考えないようになっていった。
だが訓練には集中出来るようにはなったもののどんなに日が過ぎようともオットーの連行の真相は明らかにはならなかった。一切のことが秘密にされているようで憲兵隊からは何の情報も漏れてこなかった。僕はどうしてもオットーの真相を知りたいと考え藁にもすがる思いである日の訓練終了後にバウアー大尉の部屋を訪ねた。
「失礼します。」
「おお!フランツ。今日はどうした?まあ入れよ。」
バウアー大尉も疲れていて夜は事務処理の仕事なんかがある筈なのに嫌な顔一つせず僕を温かく迎えてくれた。大尉の部屋は僕らの部屋より広かったが想像していたよりシンプルで大きな両袖机と肘付回転椅子が一組とあとはベッドとストーブに応接用のソファーとテーブルがあるだけだった。僕はソファーに座るように勧められた。
「飲むか?赤ワインだ。補給部隊の連中に賄賂を送って手に入れた高級なやつだぞ。」
そう言って大尉は棚からワインボトルとワイングラスを二つ持ってきた。
「頂きます。」
僕がそう返事をする前から大尉は僕の前にワイングラスを置きワインを注ぎ始めていた。そして赤くなったワイングラスを片手に僕の顔を見ながら大尉は言った。
「今日の訓練も御苦労だったな。まあ飲めよ。お疲れさん。」
その大尉の言葉を聞いて僕はワインを一気に飲み干した。だが飲み干した瞬間思わず僕は驚きの表情で大尉の顔と空になったワイングラスを交互に見ていた。僕が今まで飲んできたワインとは明らかに味が違っていたからだ。
「フフ、美味いだろう?もう一杯飲め。」
「あ、ありがとうございます!」
大尉は僕のワイングラスにまたワインを注いでくれた。僕がそれを美味そうに飲み始めると大尉が口を開いた。
「お前が俺の部屋を訪ねるなんて珍しいな。まあゆっくりしていけよ。」
大尉はおそらく僕が何か相談があって来たことは分かっていたのだろう。僕が話をしやすいようにワインを使って二人の間の空気を少し和ませてくれたのだ。僕は大尉の心遣いに感謝しつつ話を始めた。
「大尉はこの前の事故の時に会った太った補給部隊の指揮官を覚えておられますか?」
「若い兵士がトラックに挟まれた時だな。覚えているぞ。」
「はい。彼の名はオットーといい士官学校時代の同期で親しい友人でもあります。彼があの事故の後に憲兵隊に連行されるのを見ました。私以外にも彼が連行されるのを目撃した人間が何人かいたようですが誰も何故彼が連行されたのかを知りません。顔の広い大尉でしたら何か知っておられるかと思って今日はここに来ました。」
大尉はやや俯き加減で腕を組みながらじっと僕の話を聞いていた。ただその様子がいつもの明朗快活な大尉の態度とは明らかに違っていた。大尉はおそらく何か知っている。そう思い僕は言葉を続けた。
「彼とは長い付き合いで苦楽を共にしてきました。彼が何故連行されたのか、今どうしているのか気になって仕方ありません。もし大尉が何か御存知なら教えて頂けませんか?」
大尉は暫くじっとテーブルの一点を見つめていたが急に頭を上げ小さく息を吐きそして僕の顔を見た。
「俺がお前の立場でも確かに気になるだろうな。同期で仲の良かった相手なら尚更だ。」
大尉はそう呟く様に言いワインを一口飲んでから続けた。
「フランツ、俺はお前のことを凄く信頼している。部下としても一人の男としてもだ。俺がこれから話すことを誰にも口外しないと約束出来るか?」
僕は大尉の目を見ながら言った。
「約束します。」
「分かった。では話そう。」
大尉はそう言って残りのワインを飲み干し改めて僕に向き直って話を始めた。
「お前の友人のオットーという男は殺人と殺人未遂の二つの容疑をかけられて憲兵隊に連行されたのだ。」
僕は最初大尉の言っていることが分からなかった。大尉の言葉が頭の中で二、三周して初めてその意味を理解した。
「殺人と殺人未遂ですって?オットーがいつそんなことをしたんですか?」
僕は思わず大きな声を出してしまった。僕やオットーは兵士なので命令とあればいつかは人を手に掛けるかもしれない。だが今現在のあの優しいオットーが殺人を犯すなどとは到底想像出来なかった。
「俺たちが三型戦車のG型のテストをやっている頃に整備工場でベテランの整備兵が装甲車の下敷になって亡くなった事故があっただろう。あの事件でまず殺人容疑をかけられている。」
僕は記憶の片隅にあった事故のことを思い出した。確か僕が休暇中に起きた事故だ。事故の後にオットーとその事故の原因について話をしたことも思い出した。もし殺人が本当ならオットーが人を殺した直後に僕と普通に話なぞ出来るものなのだろうか?僕はますます信じられず大尉に聞いた。
「あれは事故ではなかったのですか?それともオットーが何かやったという証拠でも出てきたのですか?」
「…自白したらしい。」
「自白ですって?それは憲兵隊に拷問されたからではないのですか?拷問による自白なんて信用出来ませんよ!」
僕はすっかり熱くなってしまっていつの間にか自分の上官である大尉に非常に失礼な口の聞き方をしていた。普段こんな態度を取れば一発殴られるぐらいでは済まないだろう。だが大尉は淡々と僕の質問に答えてくれた。
「拷問による自白強要かは分からん。俺も聞いた話だからな。だがもう一つの殺人未遂容疑の方では目撃者がいるのだ。」
「目撃者?その二つ目の殺人未遂容疑の事件という方ではオットーは誰を殺そうとしたんですか?どういう事件だったのです?」
僕はワインを飲むことも完全に忘れて大尉を問い質した。
「さっき話に出た補給部隊の事故があっただろう。若い兵士がトラックに挟まれた事故だ。あれが二つ目だ。」
大尉は自分の空になったワイングラスにワインを注ぎながら話を続けた。
「あの事故の直前にお前の友人のオットーがトラックの車輪止めを外すのを補給部隊の一人がたまたま見ていたのだ。そして事故にあった若い兵士がトラックの前で何か作業をしている時にオットーが後ろからトラックを押すところまで一部始終をその男は目撃してしまった。凍った道路上は非常に滑りやすくなっている。補給物資満載の重たくなったトラックとはいえ車輪止めを外した状態で力を加えれば簡単に動くことぐらい想像がつくだろう。しかもトラックが動いた方向に人がいるとなれば殺意があったとしか思えん。」
その話を聞いて僕はひどく動揺していた。心拍音が体中に低く響き耳鳴りのようになって聞こえてくる気がした。僕は心拍音に掻き消されないように声を絞り出した。
「しかし何故オットーがそんなことをしたのでしょうか?」
「これは憲兵隊からこっそり聞いたのだがそのオットーという男は実は反カーソン教の団体に所属していたのだ。そして事故にあった兵士は二人ともカーソン教の信者だった。」
「反カーソン教の団体?」
僕の頭の中は混乱していた。オットーに関して大尉の口から出てくるのは僕の知らないことばかりだったからだ。それにこれだけ沢山知らないことを言われると僕とオットーの間に本当に友情が存在したのかどうかも疑わしく思えてきた。そこへ大尉が言葉を続けた。
「この前飲みに行った時にも話が出たがカーソン教を嫌う人間は多い。中にはカーソン教の勢力の増大を危険視しカーソン教を根絶しようという考えの人間さえいるのだ。彼らはカーソン教信者というだけで簡単に人を殺す。そういう人間が集まって反カーソン教の団体を作っているのだ。」
僕はさらに驚きで開いた口が塞がらなかった。そんなこと何一つ知らない自分が情けなくも思えた。だが大尉はそんな僕には御構い無く言葉を続けた。
「憲兵隊はそういった危険な団体と関わりを持つ人間が軍の規律と秩序を混乱させるような行動を取らないかということに常に目を光らせている。オットーが反カーソン教の団体と繋がりがあるということを憲兵隊は薄々気付いていたようだ。おそらく最初の事故の時からオットーは目を付けられ泳がされていたのだろう。そして二度目の事故の時に憲兵隊がこれ以上野放しにするのは危険と判断しオットーを連行したのだろうな。補給部隊の人間にもオットーを監視せよという指示が憲兵隊から出ていたのかもしれん。」
大尉はワインを一度口に含んだ。そしてまた僕の目を見て話を続けた。
「今回は反カーソン教の人間の犯行だったがカーソン教信者も似たようなことをしているらしい。憲兵隊からすればどちらも同じようなもので危険と見なされれば反カーソン教だろうがカーソン教だろうが御構い無くマークされる。そして憲兵隊は軍の内部でカーソン教と反カーソン教の人間がそれぞれ秘密裏に派閥を形成していることを察知したようだ。素性を隠しお互いが裏で足を引っ張り合って今回のような事件が起こっているのだろう。憲兵隊は派閥を構成する人物の特定とその動向を探るのに躍起になっている。おそらくそのオットーという男は憲兵隊から執拗に取調を受けるだろう。」
僕は取り調べを受けて苦しむオットーの姿を想像した。だがオットーの身柄が憲兵隊に預けられている以上僕にはこの話を知ったところでオットーには何もしてやれないことも分かっていた。
「フランツ、世の中にはこういうことはよくある。裏の汚い世界なんて自分が知らないだけで身の回りに腐るほどあるのだ。気を落とすな。」
大尉が励ましてくれたが僕の心は暗く沈んでいた。そしてショッキングな話を立て続けに聞いたので僕自身ヘトヘトに疲れていた。時間も遅くなったので僕は真相を話してくれた大尉に御礼と他言は決してしない旨を伝え部屋を出ようとした。すると大尉が言った。
「フランツ、明後日の夜7時に司令部へ出頭しろ。いい話がある。」
「了解しました。」
僕は最後の気力を振り絞って大尉に敬礼して部屋を出た。そして自分の宿舎へ戻るとベッドに倒れこみそのまま疲れ果てて寝てしまった。