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豪雨

進路を南に向けてから進むこと二十分、僕らの突撃砲は軟弱な地盤に覆われた悪路の上を走り続けたが墜落した友軍機のパイロットとは出会えなかった。雨の中周囲は広大な泥の海で人影はまったく見当たらない。僕は双眼鏡を覗きながらハンスに聞いた。

「脱出したパイロットが風で流されていったのは確かにこっちの方向だったよな? 」

「はい。間違いありません。ですがもっと遠くに降りている可能性もあります。もうすこし進んでみましょうか? 」

ハンスは操縦手席から前方を睨みつつそう答えた。確かにハンスの言う通り移動するしかいない。ここにいても見えるのは泥しかないのだから。

「そうだな、では前進。」

僕がそう言うと突撃砲はゆっくりと進み出した。

「でも少尉、このままそのパイロットが見つからなかったらどうするっス? いつまでも南下し続ける訳にはいかないっスよね? 」

ペットゲンがさっきオストホフ伍長から貰ったパンを頬張りながら僕に聞いてきた。確かに見つからない場合どのタイミングで捜索を打ち切るのか、それは僕の判断に委ねられているのだ。僕は双眼鏡を手に上部ハッチを開けて頭だけを出し周囲をちらっと見る。だが雨は先ほどよりも激しくなり視界はどんどん悪くなってきていた。そこで僕はハンスに突撃砲を停止させると雨よけ用に迷彩のシートを被り大胆にも突撃砲の上に立ち上がって全周囲をじっくりと見渡そうとした。視界は悪いがすこしでも高いところに視点を変えれば何か見えるかもしれないと思ったのである。それにこの激しい雨なら少々離れたところに敵の狙撃兵がいても見つかることもない。だが僕の突然のその行動を見てペットゲンが心配そうに叫ぶ。

「大丈夫っスか? 無茶はやめて下さいっスよ! 」

僕はペットゲンの言葉を無視して双眼鏡を覗きながらぐるっと左回りに回転し始めた。そして丁度突撃砲の正面から九十度回って左を見た時だった。我々の左側の地形はちょっと丘のように小高くなっていてその丘の横にちらっと戦車の砲塔らしきものが動くのが見えたのだ! 僕は息を呑み慌ててしゃがんだ。

「どうしたんスか!? 少尉! 」

僕が突然しゃがんだのを見て撃たれたとでも思ったのだろう。ペットゲンが慌てて声を掛けてきた。僕は唇に右手の人差し指を当てながら言った。

「静かにしろ、戦車がいる。敵か味方かは今から確認する。」

僕はもう一度上半身を起こし中腰になって先ほどの方向を双眼鏡でおそるおそる見た。すると距離は百mぐらいであろうか? 敵戦車I-34が僕らの突撃砲と並走するように南に向かって走っていたのだ! だが幸いにもこちらは背の低い突撃砲でたまたま丘の陰にいたこともあったので敵にはまだ気付かれていない様子だった。僕は皆に言った。

「左にI-34が二台いる。俺達と同じ南の方角に向かっているようだ。」

「友軍のパイロットがあいつらに先に見つけられてしまう可能性がありますね。」

ハンスがそう言った。確かにその通りでパイロットが彼らに殺されたりするようなことがあれば我々の今までの行動は一切無駄になってしまう。僕は決断した。

「よし、敵をこのままやりすごし後方から攻撃するぞ。不意打ちなら敵が二台でも何とかなるだろう。ハンス、左ターンだ。 見つからないようにすこし距離をとって後方から徹甲弾をぶち込んでやる! 」

僕らの突撃砲はエンジンを震わせてI-34を追いかけるようなかたちでまた南に進み出した。


「少尉、どうっスか? 」

進むこと十分、我々は敵戦車を追いかけていたがその姿を完全に見失っていた。敵との距離をとりすぎてしまったことと泥だらけの不整地での走行速度が我々の突撃砲よりもI-34の方が予想より遥かに速かったことが原因だった。僕は突撃砲を停止させその上に乗って周囲を双眼鏡で見渡したが視界が悪いこともありI-34は影も形もなかった。ペットゲンの問いかけに僕は力なく答えた。

「すまん、俺の判断ミスだ。敵はもうどこにも見当たらない。」

するとハンスが言った。

「少尉、敵の履帯の跡を辿っていきましょう。それで何kmか進んで敵戦車もパイロットも遭遇しなければもう諦めましょう。」

「そうだな、それで判断するか。」

僕はそう答えたものの内心はハンスに慰められるような言い方をされた自分が情けなかった。パイロットを救出しつつ敵戦車を二台とも血祭りにあげるという僕の野望は潰えてしまったのだ。だが落ち込んでばかりもいられない。僕はまた前進を始めた突撃砲の上部ハッチから目を皿のようにして周囲を警戒した。だが雨はますます激しくなり視界は悪くなる一方だった。履帯の跡も雨で流されて確認出来なくなり前進再開後十分も経っていなかったが僕はこれ以上の捜索はもう無理だと判断しハンスに言った。

「ハンス、停止だ。」

「了解です。」

ハンスが履帯の動きを止めた。それまで鉄の軋む音で煩かった車内が静かになる。するとその時だった。僕の耳に何かが聞こえた気がした。僕はその何かが気になってハンスにまた言った。

「ハンス、一旦エンジンを切れ。」

「はい。」

これでエンジンのアイドリング音も消え耳に入るのは激しい雨音だけとなった。その中で僕は先ほど気になった何かを聞き取ろうと耳を澄ました。

「少尉、どうしたんスか? 」

「静かに! 」

話し掛けてくるペットゲンを制して僕は目を瞑り意識を音だけに集中した。すると雨音の合間に紛れてやはり戦車らしきもののエンジン音が聞こえるのだ! 僕は皆に言った。

「近くに敵がいるぞ! ペットゲン、徹甲弾装填だ。イーヴォ、いつでも撃てるようにしておけ。ハンス、俺が敵を見つけたらすぐにエンジンを掛けて俺の指示する方向へ転回してくれ。」

車内に緊張した空気が張り詰める。ペットゲンが75mm砲弾を両手で抱えながら僕に聞いてきた。

「敵がどこにいるか正確な位置は……分からないんスよね? 」

「あぁ、雨音に掻き消されそうなエンジン音が微かに聞こえるだけだからな。ペットゲン、お前も周囲の警戒に当たれ。」

僕とペットゲンはそれぞれ自分達の座席の上部ハッチを開けて頭を出し前後左右をきょろきょろと見渡した。激しい雨は視覚と聴力を奪おうとするが僕らはそれに抗い敵の接近を何とか察知しようとずぶ濡れになりながらも必死に目と耳に神経を集中した。

「確かに音だけは聞こえるっスね。」

ペットゲンがそう呟く。だが雨雲のせいで周囲はかなり暗くそこに激しい雨が重なって視界は二十m程度であろうか? 敵と出会うとすればかなりの至近距離なのだ。先に敵を見つけた方が勝つ。車内には重い空気が漂っていた。

「ゴゴ……ゴゴゴ……。」

さっきよりもエンジン音ははっきり聞こえるようになっていた。音を発する対象が近づいてくる証拠だ。口を開く者は誰もいない。

「くそったれ、早く来やがれ。」

僕は小さく呟いた。敵が近くにいるのに姿が見えないというのはむしろ敵が見えている時より落ち着かない。僕は身体が宙に浮いているような感じがしていた。ふと時計を見ると昼の二時四十九分だ。昼間なのに周囲は真っ暗で雰囲気は深夜のようだった。

「ふぅ、小便ちびりそうス。」

僕の右横でペットゲンがそう言ったので僕は思わずペットゲンの方を見た。すると今度は僕が小便をちびりそうになった。I-34らしきシルエットがうっすらとペットゲンの背後に見えたのだ。例えるなら海で泳いでいて知らぬ間に人喰いザメが真横を泳いでいたような感じだった。僕は悲鳴に近い声で叫んだ。

「ハンス! 右九十度旋回! 敵戦車距離三十! 急げ! 」

「は、はいっ! 」

僕の声を聞いてハンスもかなり驚いた様子だった。声が上ずっている。ペットゲンも僕の声を聞いて自分の背後を一瞥し真っ青な顔になっていた。

「急げ! 」

僕がもう一度そう叫ぶとようやく突撃砲のエンジンがブルンと掛かり車体の旋回が始まった。だがこの時程自分の乗る突撃砲の動きが遅いと思ったことはなかった。焦れば焦るほど全てがスローモーションに見える。僕はイライラして気がおかしくなりそうだった。

「早くしろ! 」

僕はまた一人でそう叫んでいた。敵戦車は右側面から我々に向かってくるように現れたのだ! 敵の主砲は我々の方を向いており敵が先に我々に気が付いて撃てば我々はあっという間に撃破されてしまう! 視界が悪いことでこちらが撃つまで敵が我々に気付かないことを祈るしかなかった。だが敵もさすがに手前二十mのところで我々に気が付いたらしく履帯の動きを止めた。そして砲塔が微かに動く。この距離で撃たれればまず助からない。僕は髪の毛が白くなっていくような気がした。

「旋回完了! 」

その時ハンスがそう叫んだ。こちらも敵戦車にその主砲をようやく向けたのだ。僕は緊張の為か一瞬声が出なかったが喉に力を込めるような感じで何とか声を絞り出した。

「イーヴォ! 撃てっ! 」

僕がそう叫んだのにイーヴォはなかなか撃たなかった。もう敵戦車は目の前だというのに! 僕がイライラしてイーヴォの砲手席を後ろから蹴り飛ばしそうとした瞬間だった。轟音が響き大爆発が起こった。その爆発は激しく僕は一瞬敵戦車が先に撃って僕らの突撃砲が破壊されたのかと思う程だった。だが実際はイーヴォの放った徹甲弾がI-34を距離二十mで捉え切り裂いたのだ。炎が顔に迫り鉄片が飛んでくる。目の前で爆発するI-34を見ながらほっとしつつも僕は全身びっしょりと汗だくになっていた。

「まったく、焦らしやがって。」

僕はそう悪態をついたが考えてみればかつての上官であるバウアー大尉も僕に対して同じように思っていたのかもしれない。長い時間に思われたが時計を再び見るとまだ二時四十九分のままだった。僕は一人で焦ってパニック状態になっていた自分に思わず苦笑いをしていた。だがそこへハンスが僕に叫ぶ。

「撃破した敵戦車周辺に敵歩兵多数! 」

僕は苦笑いしている場合ではなかった。前方を見るとこちらに反撃する意思はなさそうではあるが敵の兵士が何人か燃え盛るI-34の周囲をうろうろしているのだ。僕はMP-40を取り出すとその敵兵の群れに向かって射撃を繰り返した。機関銃の射撃音と悲鳴だけが響くが敵は全く反撃してこない。僕は冷静になって皆に言った。

「敵戦車は二台いた。もう一台が近くにいる筈だ。ハンス、全速後退! 今の場所に居続けると狙われるかもしれんからな。ペットゲン、徹甲弾を念の為装填しておけ! イーヴォもいつでも撃てるようにしておけよ! 」

僕らはそうして敵戦車を撃破した場所から数十m後進しそのままじっとしてもう一台の敵戦車との遭遇に備えたが結局この時は遭遇することはなかった。

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