チーム
「少尉殿、雨はなかなかやみませんね。ちょっと寒いぐらいですよ。」
イーヴォが僕にそう話かけてきた。僕とイーヴォ、そして負傷が癒えた兵士十人余りが一台のトラックの幌を被せられた荷台に乗せられている。そのトラックは朝の七時にイカサの町のリリーのいる病院の近くで我々を乗せた後四時間ほど東へ向いて走行していた。トラックは悪路に揺られつつその幌に当たる雨粒をぱたぱたと弾きながら走っている。入院している間に八月は終わって九月に入りちょうど夏から秋への移り変わりの時期にさしかかっていて僕にも今日はちょっと肌寒く感じられた。
「そうだな。この時期はル・カメリカは雨がよく降るらしい。この雨季が終わると冬になって今度は雪らしいぞ。」
僕はトラックの中で備え付けられた長椅子に腰掛けて頭上を覆っている幌をぼんやりと見つめながらそう答えた。
「雪ですか? こちらの雪が降り始めるのはマイルヤーナよりも早いんでしょうね、緯度が高いですからね。」
イーヴォはそう言ったが僕は今度は黙っていた。彼は僕の部下になるということで僕に気を遣っているのかやたらと僕に話しかけてきたが僕は今日はあまり喋る気分ではなく正直なところすこし黙っていてほしかった。すると今度は幌の隙間から外を見ながらまた僕に話しかけてくる。僕には彼が全然落ち着きがないように思えた。
「少尉殿、トラックの外を見て下さい。凄いことになってますよ! 」
「ん、どうした? 」
イーヴォが幌の隙間から外を見て驚いたように声を上げるので僕はすこし面倒臭いと思いながらも彼の言葉に反応して外を見た。すると僕は思わず「あっ! 」と驚嘆の叫び声を洩らしてしまった。外は一面泥まみれなのだ。後で知ったことだがル・カメリカでは秋の降雨量が年間で最も多くその大量の雨水が地面を泥濘に変えてしまうのだった。イカサの町の道路は舗装整備されていたので気が付かなかったが一歩町から足を踏み出せば周囲は泥の海なのである。僕らの乗るトラックはアマクヤードの手前にある友軍の基地を目指していたが泥に足を取られてなかなか思うように進めずついには動けなくなってしまった。トラックを運転していた兵士が運転席からトラックの荷台に乗っている僕らに申し訳なさそうに言った。
「すみません。深い泥にはまってしまいました。押して頂けませんか?」
「やれやれだな。だが動けなくなってしまったものは仕方あるまい。イーヴォ、トラックを降りて押すぞ! 」
僕はそう言って席を立とうとしたがイーヴォがその動きを制するような仕草をして言った。
「少尉殿はここに座っていて下さい。僕が行ってきますよ。」
「馬鹿者、こういう時こそ士官が率先して行動しなくてどうする? さあ、降りるぞ。」
僕は大きな声でそう言ってトラックの荷台から飛び降りた。すると驚いたことに僕の両足は膝上ぐらいまでズボッと埋まってしまったのだ。僕はル・カメリカの泥濘をかなり甘くみていたようだった。イーヴォが心配そうに僕に声を掛ける。
「大丈夫ですか? 少尉殿!? 」
「いや、大丈夫ではないな。イーヴォ、悪いがちょっと俺の身体を持ち上げてくれ。動けないんだ。飛び降りた場所がたまたままずかったのかな? 足が埋まっちまった! 」
僕はその後なんとか泥地獄から脱出したものの支給されたばかりの新品の軍服は一瞬にして泥まみれになってしまった。その後トラックの乗員全員が荷台から降りて泥に埋もれないように足場を選びつつトラックを押してなんとかトラックはまた動けるようになったが皆僕と同じように泥まみれになってしまった。
「大変な目に会いましたね。折角病院で綺麗な格好をさせてもらったのに。」
イーヴォはそう笑いながら言った。彼の額には汗が光っている。他のトラックの乗員は皆ぶつぶつと泥だらけになったことで文句を言っていたのにイーヴォはそんな素振りは一切見せなかった。
「どうせ前線に戻れば遅かれ早かれ汚れるさ。また洗えばいいんだ。」
僕はそう言うと泥の付いたままでトラックの荷台の元居た場所に戻って座った。イーヴォも僕の横に座り僕らはお互いどちらからということもなく笑った。そしてトラックはまたゆっくりと進みだした。
「ふぅ、もうへとへとですよ。」
イーヴォが疲労の色を顔に浮かべながらも僕にそう言って笑いかけた。結局トラックはその後何度も泥に足を取られて僕らはその度に荷台から降りて車を押さなければならなかった。退院直後の僕らにはかなりの重労働だったがその甲斐あってかその日の深夜に我々は目的地の友軍の基地に到着した。基地の司令官に挨拶した後僕とイーヴォは基地内のとある建物の一室に案内され次の命令があるまでそこで待機するように命じられた。その部屋には第七装甲師団の戦車大隊の人間が何人かいるという。僕はバウアー大尉でもいるのかと思い期待しながらドアを開けた。
「マイヤー少尉! 」
ドアを開けた途端にそう言って見慣れた顔が二つ出迎えてくれた。僕は満面の笑みを浮かべてその二人と抱き合い再会を喜んだ。
「久しぶりだな、ハンス! ペットゲン! まだ死んでなかったか! 」
「それはこっちの台詞ですよ!最後の戦いを覚えてます? 真っ青な顔で担架に乗せられて運ばれていった少尉の顔を見て僕らは半ば諦めかけてたんですから! 」
ハンスが柔かな表情でそう言うとペットゲンが続いた。
「そうっスよ! でも何日か経って少尉もバウアー大尉もオッペルも皆生きてるって風の噂で聞いたから取り敢えずほっとしてたんスよ! また一緒にチームを組めて嬉しいっス! 」
「俺が入院してた間はどうしてたんだ? 戦況は? 」
僕がそう聞くと場の雰囲気が微妙に変わった。ハンスが口を開く。
「戦況は我々にとってあまり良くはなっていません。アマクヤードの街では今も激しい戦いが続いています。敵も味方も消耗戦に陥っていますが物量で劣る我が軍は戦車も不足してきております。僕らも他の戦車に乗ったりしましたが破損したり故障したりで乗る戦車がなくなり結局この基地に行くように言われました。今敵のI-34は主に対戦車砲と歩兵の肉弾攻撃によって破壊されているのです。」
決して上手くはいっていないであろうと思っていたアマクヤードの攻略ではあるがハンスの口から改めてその事実を聞かされると僕はやはり内心がっかりしてしまった。戦争の早期集結は難しいのだ。前線に復帰してもすぐにリリーのもとへ帰れるのでは? という淡い期待は早くも消え失せてしまった。
「まぁまぁ、そんな硬いお話は後でいいじゃないスか! まずは乾杯しましょう。」
ハンスとの会話にペットゲンがワインボトルとワイングラスを手に割り込んできた。聞くと補給部隊の倉庫から盗んできたものだという。テーブルの上にワイングラスが四つ並べられそこにワインがなみなみと注がれる。僕らはそのワイングラスを各々が右手に持って高々と掲げるとペットゲンが言った。
「では再会を祝して、乾杯っス! 」
僕らはワインを口に運んだ。久々に飲むワインは仲間と一緒ということもあってか非常に美味に感じた。そしてその後暫く僕らがワイングラス片手に歓談に耽っていると僕らの居る部屋のドアが急に開かれた。乱暴な開け方だったので僕ら四人は一斉にドアの方を見た。するとそこにはゲッハ中尉の姿があった。以前から僕とはそりの合わない第七装甲師団戦車大隊の副官だ。中尉はいつもの機嫌の悪そうな表情で僕らを睨みつけている。僕らは慌てて立ち上がり中尉に敬礼した。
「マイヤー少尉か? 久しぶりだな。俺が苦労している間長い休みをもらいやがって! 貴様は腑抜けておる! 」
いきなり言いがかりのようなことを言われて僕は内心かなりむかっときた。だがそんな思いは表情には全く出さず淡々と言い返した。
「申し訳ありません! 負傷の為長期入院しておりました! 明日からその休んだ分を挽回する働きをするつもりであります! 」
僕が直立不動のままそう言うと中尉は僕を睨みつけたまま暫く黙っていた。ゲッハ中尉は初対面の時から僕のことが嫌いでそれ以降僕は常に中尉に睨まれ続けているような気がする。中尉はゆっくりと僕らに近づいてくるとテーブルの上のワインボトルに目を遣った。そしてニヤリと笑みを浮かべたかと思うと急に大きな声で怒鳴り始めた。
「貴様! このワインはどうしたのだ!? 」
ペットゲンが「まずい! 」という顔をした。僕は何も答えなかったが中尉は死肉を見つけたハイエナのようにニヤニヤしながら言葉を続けた。
「まさか貴様ら、盗んだのではあるまいな? もしこのワインが盗品であれば貴様ら全員軍法会議ものだぞ! 」
僕はそれを聞いてうんざりしていた。確かに本来はやってはいけないことであるがこの混乱した前線の中で酒や煙草を失敬することなぞ皆やっていて日常茶飯事なのだ。他人の失点をちまちまと指摘して喜んでいるこの中尉の姿を見て僕はこんな奴が上官なのかと思うと情けなくなってきた。
「何か言わんか! 」
中尉が語気を荒げる。僕やハンス、ペットゲンはこの手の中尉の脅しにはある程度慣れっこになっていたので黙って遠くを見つめて「早く何処かへ行っちまえ! 」と内心思っていたがイーヴォだけはすこし違った。イーヴォは軍隊歴も僕らより短いせいか中尉の言葉を真に受けてすこし震えているように見えた。するとそれに気が付いたのか中尉は今度はイーヴォを目標にしてきた。
「貴様、確か名はイーヴォといったな。真実を話せ。盗んだということをな! そういえば貴様は確かカーソン教徒だったな。嘘をついているとカーソンの神様から天罰が下るんじゃないか? まぁカーソン野郎にはまともな兵士はおらんがな。」
中尉は侮蔑の表情でそう捲し立てた。僕は久しぶりにカーソン教という言葉を聞いたと思った。イーヴォがカーソン教信者だと聞いてちょっと驚いたが考えてみれば信者の一人や二人ぐらいが周囲にいても何もおかしいことはない。以前の僕はカーソン教絡みのことでトラブルに巻き込まれたこともあったのでカーソン教のことは毛嫌いしていたが最前線で生死の境を彷徨いながら生きている今の僕にはイーヴォがカーソン教信者であるかないかということはあまり意味がないような気がした。イーヴォがどちらであろうとも僕が今後生き残れるかどうかということには関係ないことなのだから。
「イーヴォ! 話せ! 」
中尉がまた激しくイーヴォに詰め寄った。イーヴォは今にも泣き出しそうな顔をしている。僕は咄嗟に中尉にこう言った。
「それはバウアー大尉に頂きました。」
僕がそう言うと中尉は僕の方に向き直りその脂ぎった顔を僕の顔の数cm前まで近ずけて言った。
「なんだと! 出鱈目を言うな! 」
「いえ、事実であります。もしお疑いでしたらバウアー大尉に確認をお願い致します。」
そう言うと中尉は黙り暫く僕の顔を真っ赤になって睨み続けていたがどうやら僕らに対する嫌がらせを諦めたようでこう言った。
「……分かった。大尉には確認しておく。だがもしこのワインが盗品であったなら貴様ら覚悟しておけよ! 」
バウアー大尉と僕の仲が良いことは中尉もよく知っていてバウアー大尉を巻き込んでまでこの盗品騒ぎを大きくするつもりは中尉もないようだった。中尉はその後も僕を睨み続けていたが暫くすると黙って部屋を出て行った。
「あいつ、本当に大尉に確認なんかしたりするっスかね? 」
中尉が出ていったことを確認するとペットゲンがそう口を開いた。
「大丈夫さ、大尉には俺から上手く口裏を合わせてもらうように言っておくよ。まぁ大尉なら何も言わなくても分かってくれるとは思うけどな。」
僕がそう言うと皆一斉に安堵の表情を浮かべた。だが一人イーヴォだけはまだやや暗い表情をしている。どうやらカーソン教信者だということを皆に知られてしまったのですこし決まりが悪いようだ。確かにカーソン教は世間一般からは嫌われているしそのことをあまり周囲に知られたくないと思う彼の気持ちは分かる。だが少なくとも今日一日の彼はとても一生懸命で真っ直ぐな奴だった。僕は彼に言った。
「イーヴォ、俺たちはチームだ。お前が一生懸命チームの為に尽くしてくれるのならお前が何を信仰しようが構わん、好きにしたらいい。」
僕がそう言うとイーヴォは僕の方を見ながら頷いた。するとペットゲンがニヤニヤしながら言った。
「でも寄付のお願いは勘弁してくれっスよ。」
「新聞の押し売りもね。」
ハンスがそれに続く。僕らはそれらのジョークに大笑いした。イーヴォも皆の発言がこの場を取り繕うつもりで発されたものであることが分かっているので一緒に微笑んでいる。ハンスもペットゲンもカーソン教は決して好きな訳ではない。だが二人はイーヴォを受け入れた。これでいいのだ。戦場で生き残る為には宗教がどうのこうのなんてどうでもいい話なのだ。生き残る為に必要なのはお互いが信頼するに足る奴かどうかということだけだ。僕はそう思いながらワイングラスを口に運びつつふと時計を見た。もう夜中の二時だ。僕は雑談で盛り上がっている皆に早く寝るように促さなければならなかった。




