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戦車長

「痛っ! 」

僕の右肩にピリッと電気が流れたような痛みが走った。ベッドで寝ていた僕は思わず上半身を起こし左手で右肩を押さえた。

「痛いの? 大丈夫? 」

僕のベッドの横で椅子に座っていたリリーが心配そうに僕に寄り添う。僕は痛みを堪えながら無理矢理笑顔を作ってリリーに言った。

「ちょっと痛いだけさ。それよりリリー、この部屋に入り浸りでいいのかい? 他の仕事もあるんじゃないの? 」

「あたしは負傷した有能な士官の看護をしているのよ。これも立派な仕事だから大丈夫。あたしのことは気にしないで。」

彼女はそう言って微笑みながら僕の右肩の周囲を摩ってくれた。入院してから四日経つが彼女はずっと僕の面倒を見てくれている。リリーの座っている椅子の横にあるテーブルの上を見ると沢山の書類が置いてあった。おそらく僕の看病の傍に事務仕事をしているのだろう。彼女の心遣いが嬉しかったが申し訳なくもあった。

「ふぅ、昨日や一昨日に比べるとだいぶ痛みもマシになってきてるんだけどな。なかなか完治というわけにはいかないね。」

僕は額の汗を拭いながらそう言った。

「そりゃそうよ。あなたの肩にはかなり大きな鉄片が食い込んでいたんだから。そのおかげであなたは出血多量で死にかけてたのよ。 すぐに治るわけないわ。」

リリーが優しく言葉を続けた。

「痛いのは辛いでしょうけど……焦ってはいけないわ。」

「そうだね。でも考えれば怪我が治るまでの間は君とずっといられる訳だしね。そう思えば痛みも我慢出来るよ。」

僕とリリーは見つめあってそのまま抱き合いキスをした。お互いの愛おしい気持ちを伝えあおうとするような長いキスだった。するとその時部屋のドアが急に開いた。僕とリリーは慌てて唇と身体を離した。リリーの背後にあるドアの方を見ると何処かで見覚えのある顔が立っていた。だが僕は痩せてひょろっとした彼の名前を思い出すことが出来なかった。彼は僕らのキスシーンをまるで見ていないかのようにはきはきと元気良くこう言った。

「フランツ・マイヤー少尉殿! お久しぶりです。イーヴォ・ブライテンバッハです。」

僕はその名前を聞いてようやく思い出した。バウアー大尉が負傷して僕が急遽大尉の代わりに戦車長を務めた時に砲手をやってくれた若い兵士だ。その時は初の実戦参加ということもあってかなりおどおどしたものだった彼の態度はあれから数週間経った今では落ち着いてしっかりとしたものに変わっていた。

「おぅ! イーヴォか。久しぶりだな。どうした? 」

リリーとのキスを目撃されたかもしれないと思うとすこし気まずかったが僕も何も見られていないかのように咄嗟にイーヴォにそう言った。イーヴォはどうも自分のタイミングの悪さに本当に気付いていないようで平静な態度だったが顔を赤らめて小さくなっているリリーの後ろ姿を見てようやく何か雰囲気がおかしいということに気が付いたようだった。だが彼は開き直ったように僕に大声で話を始めた。

「少尉殿! 私は今現在ここで入院しておりますがあと一週間程で退院の予定であります! 退院後は少尉殿の部下として配属されるという命令を受けまして御挨拶に参りました! 」

部下? 何のことだろう? 僕はイーヴォが何のことを言っているのか分からなかった。かといってイーヴォが僕をからかっているようにも見えない。僕は正直に言った。

「イーヴォ、すまん。俺は君の言っていることが理解出来ない。今のところ俺は何の命令も聞いていないしな。それに俺はただの一砲手だぜ。何かの間違いじゃないのか? 」

僕がそう言うとイーヴォは困った顔をしながらもこう言った。

「いいえ、『第七装甲師団復帰後は少尉殿の命令に従え』という命令を口頭で受けましたので間違いありません! 」

イーヴォはそう言い張るが第七装甲師団本部は最前線にあり連絡の取りようもなく入院している今の僕にはその真偽は確かめようがなかった。僕はこれ以上イーヴォと話しても無駄だと思いイーヴォに言った。

「分かった。俺もあとで命令を確かめておくよ。もし本当に俺の部下になるというのならその時はよろしくな、イーヴォ。」

「こちらこそ宜しくお願い致します! では失礼致します! 」

イーヴォはそう言うと部屋を出て行こうとした。僕は確かめておくと言いつつもイーヴォの言葉をあまり信用していなかった。正直なところ僕はイーヴォが僕の部下になることなどないと思っていたのでイーヴォの後ろ姿にすこしふざけて嫌味を言った。

「イーヴォ、今度俺の部屋に入る時にノックしなければ罰として一晩中戦車の整備をやらせるぞ。」

「はっ! 申し訳ありませんでした! 少尉殿! 」

イーヴォは振り向いて顔を強張らせたまま敬礼をするとそのまま出て行った。僕は笑いを堪えてイーヴォを見送った。

「……見られたかしら? 」

イーヴォが出て行って暫くしてからリリーが真っ赤な顔のまま僕に聞いてきた。

「いや、あいつは見てないよ。もし万が一見られててもあいつなら病院の皆に言いふらしたりはしないよ。大丈夫さ。」

「でも……恥ずかしいわ。」

「あ! リリー! いつの間にか痛みが消えてる! イーヴォのお蔭だよ。」

僕がそう言うとリリーはようやく笑顔を見せた。そして時計の針が正午をすこし回ったのでリリーは食事の用意をすると言って部屋を出ていった。僕はリリーを待つ間ベッドの上で上半身を起こし天井をぼんやりと見つめながらさっきのイーヴォの言葉を思い出していた。イーヴォは口頭で命令を受けたと言っていた。誰がそんなことを言っていたのだろう? 病院関係者はそんなことを言わないだろうしひょっとしたらここに入院している第七装甲師団所属の誰かだろうか? いくら考えても今の僕には真実は分かりようもなくさっきイーヴォに聞いておけば良かったと僕は思った。そういえばバウアー大尉やオッペルは生きていているのだろうか? 先の戦いで負傷した大尉達のことはずっと気にはなっていたが僕は自分の怪我もあったのでそれを調べる余裕がなかったのだ。僕が大尉達の安否をどうやって調べようかとぼんやり考えているとリリーが戻ってきた。

「フランツ、お待たせ。今日も栄養満点の野菜スープよ。」

リリーは部屋に入ってくると悪戯っぽく笑いながらそう言って僕の目の前にスープの入ったお皿を乗せたお盆を差し出した。このスープは入院して四日連続だったのだ。だが僕は嫌な顔一つしなかった。軍人ではない一般の人であればさすがに四日間毎日同じスープが運ばれてくるとなるとうんざりするだろうが僕は戦場で戦っていた時のことを考えれば毎日決まった時間に温かい食事が取れることだけでもありがたいことだと思っていたのだ。僕はにこやかにリリーに礼を言った。

「ありがとう、リリー。いつも食事を運んでもらって。僕はこのスープ、好きだよ。」

「毎日同じメニューなのに文句一つ言わず偉いわ。他の人は大概不平不満を並べるのに。」

「美味しいじゃないか、このスープ。文句なんかないよ。それと次からは自分の食事は自分で運ぶよ。いつも君にさせて悪いし。」

「ここにいる間はのんびりしてくれたらいいのよ。あなたは今まで大変な思いをしてきたんだから。今ぐらいゆっくりして。」

彼女はそこまで言うとすこし寂しそうな表情をした。傷が癒えたら僕が戦地に帰らなければならなくなることをふと思ったのだろう。それを思うと僕も切ない気持ちになった。

「リリー。」

僕は彼女をベッドの横へ座らせるとキスをした。傷が痛むのは辛いけれどもここにいればリリーと甘い生活が送れるのだ。怪我よ、治ってくれるな、そしてこのままここにいる間に戦争が終わってしまえ、と思いながら僕はリリーを抱きしめていた。するとバタンとまたドアが急に開けられた。リリーがまた顔を赤くして恥ずかしそうに僕の胸に顔を埋めて小さく「きゃっ! 」と叫ぶ。イーヴォめ、さっき注意したところなのにまたノックもせずにドアを開けやがって! 僕は思わずむかっときて彼女を抱きしめたままドアの方を見もせず大声で叫んだ。

「イーヴォ! さっき言っただろ! ノックぐらいしろ! 」

「これは失礼しました。少尉殿。」

僕の怒鳴り声を受けて返ってきた言葉を聞いて僕は「おや? 」と思った。イーヴォの声ではないのだ。しかもその声は以前よく聞き慣れた太く低い声だ。僕はそこで初めてドアの方を見た。すると体格のいいガッチリした男がニヤニヤしながら僕を見ている。

「バウアー大尉! 」

「お互いなんとか生きていたようだな、フランツ。」

僕は思わず立ち上がり大尉の方へ歩いていくと握手をした。命の心配をしていた大尉が目の前にいる。良かった、大尉は生きていたのだ。大尉は左頬に大きなガーゼを貼られているが元気そうだった。

「この前はお前に助けられたようだな。ありがとう。」

「いえいえ、俺なんかそれまでは大尉にいつも助けられていたんですから。大尉のお蔭で俺は今生きていられるんです。礼を言わないといけないのはこっちの方ですよ。」

そう言って僕らは微笑みあった。そして僕は大尉の左頬のガーゼを見ながら言った。

「怪我は左頬だけですか? 回復具合はどうです? 」

「俺の傷は左頬とここだ。」

大尉はそう言って右肩を指差して言葉を続けた。

「だが軽傷ですこし縫っただけでもともとそんなひどい怪我ではないのだ。昨日身体検査をされたが特に異常はないとも言われたしな。俺はもうすぐアマクヤードへ戻る。」

大尉の口からアマクヤードという地名を聞いて僕はようやく入院する前のことを思い出した。第七装甲師団は今頃どうなっているのだろうか? 僕は思わず大尉に聞いた。

「作戦は上手くいったのでしょうか? 」

すると大尉はやや顔をしかめて言った。

「いや、アマクヤードの街に侵入するところまではいったがその後は膠着状態で激しい市街戦が続いているらしい。シラー少将が俺とお前の帰りを首を長くして待っているらしいぞ。」

大尉の表情で第七装甲師団が苦戦しているということは分かった。どうやら戦争は入院中に終わることはないらしい。僕は内心かなりがっかりしていたが大尉は構わず言葉を続けた。

「オッペルも重傷だが生きている。あいつは別の病院に運ばれて治療を受けている筈だ。お前は右肩を手術したんだろ? 治ったらアマクヤードでまた会おう。正直戦場には戻りたくはないがな。」

戦場へ戻るという話は考えただけでもうんざりさせられるものだったがオッペルが生きているという話は僕の心に光明をさすものだった。僕はそれを聞いて温かい気持ちになり大尉にこう言った。

「良かった、オッペルが生きているって聞けて。大尉、立ち話もなんですから部屋に入ってゆっくりして下さいよ。酒はないですけどお茶ぐらいならありますから。」

僕はそう言って大尉を部屋の中に入れようとしたが大尉はチラッとリリーを見ると頭を横に振った。

「それは遠慮しておく。実はこう見えても俺は忙しいのだ。すぐに戻らねばならん。ではな。」

大尉はおそらく部屋の中で一人で赤い顔をしているリリーに気を使ったのだろう。大尉は部屋には入ろうとせずそのまま僕に背を向けて歩き去ろうとしたが数歩進むと急に何かを思い出したように僕の方に向き直ると言った。

「そうだ、フランツ。一つだけお前に言っておくことがある。」

「なんです? 」

僕がそう答えると大尉はニヤッとして言った。

「お前が次に第七装甲師団に戻る時は戦車長だ。もう砲手ではない。しっかりやれよ。詳細はまた後でな。」

大尉はそう言うと今度こそ僕に背を向けてそのまま歩き僕から離れていった。その様子を見ながら僕は暫く大尉の言ったことを反芻してようやく気が付いた。イーヴォが言っていたのはこのことだったのだ。

「俺が……戦車長? 」

正直嬉しかった。今までの働きを大尉が認めてくれて僕を戦車長に推薦してくれたのだ。こんな出来の悪い僕を根気強く育ててくれた大尉に改めて感謝の念が心の中に湧き上がってくる。僕は遠くなった大尉の後ろ姿に思わず叫んだ。

「ありがとうございました! 」

すると大尉は振り向きもせず左手だけを軽く上げてそのまま去っていった。僕は大尉の後ろ姿を見えなくなるまで敬礼しながら見送った。

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