再入院
「腹が減ったなぁ。」
僕はそう一人で呟きながら道端に座り込んでいた。あまりに腹が減り過ぎて動く気力がないのだ。食べ物は何も持っておらず腹はグゥグゥと音を鳴らしている。僕はそのまま地面に寝そべった。
「バウアー大尉達は何処に行ったんだろ? 」
僕はバウアー大尉やペットゲン達を探してその辺の道を歩き回っていたのだが皆の姿は何処にもなかった。そうしているうちに僕は道に迷ってしまいその上強い空腹感に襲われて何もする気がなくなってしまったのだ。
「これから……どうしようかな。」
僕は仰向けに寝転んで空をぼんやり見つめた。天候は曇りで視界に入るもの全てが灰色がかっているように見える。暫くそのまま寝そべっていると空腹感と入れ替わりに今度は眠気が僕を襲ってきた。僕は頭の中がぼんやりしてきてふと「このまま寝てしまおうか」と考えた。するとその時僕の耳に微かに水の流れる音が聞こえたような気がした。気になって耳を澄ますと確かにその音は微かだが聞こえている。どうやら近くに川が流れているようだ。喉も渇いてきたので僕は重い腰を上げて音のする方にゆっくり歩いていった。
「あれ? ここって……来たことあるぞ。」
僕は川の畔に辿り着いたがその場所には見覚えがあった。広く大きくて流れの早い濁った川の畔。だがいつどういう目的でここへ訪れたのかは思い出せなかった。すると対岸に人が何人か立っているのが見える。それは昔戦車に一緒に乗っていたナウマンとピエール、それに士官学校で同期だったオットーだった。僕は皆との再会が嬉しくなり大きな声を掛けた。
「おお〜い! 久しぶりだな! 何やってんだ? 」
だが僕がそう大声を出しても皆ニヤッと笑うだけで誰も返事をしない。僕の声が聞こえていないのかと思い僕はもう一度更に大きな声を出した。
「俺の声、聞こえてるか〜!? 」
それでも皆ニヤニヤして僕の方を見ているだけで言葉は何も発しなかった。僕は皆が悪ふざけをして返事をしないのだと思いちょっと怒ったふりをして川を横切って皆のいるところへ行ってやろうと思った。
「お前ら! 無視するなよ! そこでちょっと待ってろ! 」
そう言って僕は川に足を踏み入れた。やはり流れは早い。対岸まで行けるかな? とすこし不安に思っていると今度は不意に後ろから僕の左手が引っ張られた。
「駄目よ! フランツ! 行っては駄目! 」
振り返るとリリーが目の前にいた。リリーが心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。
「えっ! リリーかい? 久しぶりだね〜! 相変わらず綺麗だよ。再会のキスをしようか? 」
僕は突然のリリーの登場に驚きながらも嬉しくてちょっとふざけて彼女を抱き寄せようとした。するとリリーは真っ赤な顔になって言った。
「ちょ、ちょっとフランツ! 止めて! 」
僕は頬に平手打ちを喰らった。そこで僕はようやく目が覚めた。夢を見ていたのだ。
「少尉はもう大丈夫だよ。意識も戻ったし。暫くゆっくり休むといい。」
僕は気が付くとベッドの上にいた。目の前に僕の左手を握りながら顔を真っ赤にして怒っているリリーとその後ろにはニヤニヤと笑っている軍医がいた。どうやら僕は夢を見て寝ぼけながらリリーにキスをしようとしたようだった。リリーは真面目だし人前でキスするようなタイプの女の子ではない。それで恥ずかしくなって僕に強烈な平手打ちを喰らわしたようだった。
「じゃあリリー、後は頼んだよ。少尉さんに栄養のあるものを食べさせてあげなさい。」
白髪で眼鏡をかけた目の細いその軍医はそう言うと部屋を出ていってしまった。その後ろ姿を見送ってドアがパタンと閉まるとリリーと僕は二人きりになった。すこし気まずくなったので僕は何か話をしようと思いリリーの顔を見た。するとさっきまで怒っていた筈のリリーが目に涙を溜めて僕の顔を見ている。彼女は僕の左腕を摩りながら暫くするとわんわん泣き出した。
「リリー? どうしたの? 」
僕はリリーの泣いている理由が分からずそう問いかけた。リリーは暫く泣きじゃくった後ようやく少し落ち着きを取り戻してから口を開いた。
「……良かった、本当に良かった、意識が戻って。」
彼女はハンカチを取り出して涙を拭いながらそう言った。そんな彼女を見ていて僕はようやく自分が負傷したことを思い出した。負傷しておそらくこの病院に担ぎ込まれたのであろう。
「それだけ心配をかけたってことは僕はかなり長い間寝てたんだろうね。ここは……イカサだよね? 」
「そうよ。あなたはここに連れてこられて手術を受けた後丸一日意識が戻らなかったの。どう? 右肩は痛くない? 」
そう言われて僕は自分の右肩を見た。包帯でぐるぐる巻きにされた右肩の辺りには特に痛みは感じなかった。僕は左手でそっと右肩を触った。だが左手には触ったという感覚があったものの右肩には触られたという感覚はなかった。
「痛みはないよ。でも変な感じだ。」
「麻酔がまだ効いているのね。暫くすると痛みが出てくるかもしれないわ。取り敢えず安静にしててね。」
そう言うとリリーはようやくニコリと微笑んだ。右肩が包帯で巻かれていて右手が動かしにくかったので僕は左手で自分の身体のあちこちを触った。他に怪我をしていないのか気になったからだ。僕はリリーに聞いた。
「他にどこか怪我しているところはあるのかい? 」
「ないわ。右肩だけよ。」
リリーのその言葉を聞きながらも僕は上半身を少し起こして自分の身体に異常がないのかを再度確認した。良かった! 足も手も指も全てある! 僕はすこしほっとした。
「まだ動いては駄目よ。寝てて。」
リリーはそう言いながら優しく僕の上半身を支えて再度寝かしつけようとした。リリーの顔が僕の間近に迫る。よく見るとリリーの顔の目の下にはくまがあり疲労の色が濃く出ていた。
「ずっと看病してくれていたのかい? 」
彼女はその問いかけには何も返事しなかった。彼女は僕を寝かすと笑顔で僕の頭を撫でながら言った。
「私は大丈夫よ。あなたは何も考えないでいいわ。傷が癒えるまではここでのんびりしていたらいいのよ。」
彼女の優しい言葉と指の感触はとても心地の良いものだった。まだ麻酔の効果が完全に切れていなかったことと五体満足を確認出来て安心したことも重なって僕はいつの間にかまたうとうとと深い眠りに落ちていってしまった。
「フランツ、起きて。食事にしましょう。」
リリーの言葉で僕は目を覚ました。部屋には美味しそうなスープの匂いが漂っている。ドアの方を見るとリリーがお盆を二つ重ねてその上にスープの入った皿を二つ乗せて運んできている。すると次の瞬間僕のお腹がグゥと鳴った。リリーと僕は顔を見合わせて笑った。
「ちょうどいいタイミングだったみたいね。さあ一緒に食べましょう。」
僕は自分が先ほど夢の中で物凄く空腹だったことを思い出した。リリーが支えながら僕の上半身を起こしてくれる。目の前に出された食事は以前入院した時に嫌というほど食べさせられた野菜のスープだったが今日は物凄い御馳走に見えた。リリーはベッドの脇で、僕はベッドの上でそれぞれお盆を膝の上に置いて食事を始めた。
「リリー、ありがとう。では早速、頂きます! 」
僕はそう言うとスープをペロリと平らげてしまった。リリーは僕の旺盛な食欲に驚きながらもう一度炊事場に行っておかわりを持ってきてくれた。僕はそのおかわりのスープもすぐに胃に流し込みようやくそれですこしお腹が落ち着いた気がした。リリーは僕の膝の上の空になった皿とお盆をベッドの近くにあるテーブルにどかした。そして僕を微笑んで見つめながら「食欲があるのはいいことよ」と言いつつ自分のスープを口に運んでいる。久しぶりに見るリリーは凄く可愛かった。戦場ではほとんど見ることも触れることもない女性、その中でもとびっきり可愛いリリーを目の前にすると僕は男として理性を殆ど失いかけていた。
「フランツ、そういえばあなたそんなにその野菜スープ好きだったかしら? 」
彼女は悪戯っぽくそう微笑んだ。その笑顔を見た途端僕はもう我慢の限界だった。
「リリー、会えて嬉しいよ。」
僕はそう言いながらベッドの上で身体を移動させリリーに近づこうとした。するとリリーが食事を止めて膝の上にあった自分のスープの皿とお盆を近くのテーブルに置いてから慌てて僕の身体を支える。
「駄目よ、じっとしてて。」
間近で見るリリーの顔はすこし疲労が溜まっている感じはあるけれどもやはり綺麗だった。僕は彼女を無理矢理抱きしめるとキスをした。
「ち、ちょっと、フランツ、あたしまだ食事中なんだけど! 」
彼女はそう言って僕から離れようとした。僕は離れようとするリリーを左手一本で強引にベッドに引き入れた。
「ごめん、食事は後にして。愛してるよ、リリー。」
僕はリリーをもう一度強く抱きしめてキスをした。
「ちょっと、フランツ、止めて! まだ昼間よ! 」
そう言ってリリーも最初のうちは抵抗していたが暫くするとおとなしくなった。僕はリリーの身体から放たれるいい香りに包まれながら夢中で彼女を愛した。




