負傷
「危ない! 少尉! 伏せて! 」
ハンスが僕に叫んだ。というのも僕らが今し方乗り捨てた四型戦車に向けて敵が砲弾を撃ち込んできたからだ。四型戦車の周辺の地面に外れた敵の徹甲弾が何発かボコッという音と共に地面にめり込んでから爆発した。僕らは四型戦車から僅か五〜六mしか離れていないところにいたので四型戦車めがけて飛んでくる敵弾の爆発に巻き込まれる可能性があるのでハンスは僕に叫んだのだ。僕はそれまでぼんやりと突っ立っていたがその声と爆発音を聞くと慌てて伏せた。そしてこのままでは負傷して動けないバウアー大尉とオッペルが危ないことにようやく気が付いて皆に言った。
「ハンス、ペットゲン、バウアー大尉とオッペルを運ぶぞ! 」
仰向けに寝かせている大尉の上半身と足をそれぞれ僕とペットゲンが抱えた。ハンスはオッペルを一人で背中に担ぐ。そうしてから僕らは目を見合わせると一斉に走り出し敵戦車と僕らの間の遮蔽物となっている土手沿いに四型戦車から離れた。だが二十mほど走ると足がもつれて僕とペットゲンは転倒してしまった。そこへハンスも追いついてきて同じ場所で倒れこむ。僕らは三人ともはあはあと肩で息をしていて暫く動けそうになかった。取り敢えず僕はそこで再び大尉とオッペルを地面の上に仰向けに寝かせた。大尉は左頬に深い切傷があって顔が血まみれになっていた。それ以外に右肩にも怪我をしているようでそこからも出血している。オッペルも側頭部と脇腹から大尉と同じようにひどく出血しているようだった。僕はそんな二人を見て取り敢えず止血の応急処置を施そうとした。だがその時だった。ド〜ンという爆発音が近くでした。応急処置をハンスとペットゲンに任せて僕が恐る恐る土手から頭を出して周囲を見渡すと残っていた最後の一台の四型戦車が撃破されたようだった。敵の戦車は我々が潜んでいる土手の手前五百mほどに迫ってきている。彼らの背後には友軍の三型戦車が燃えていた。
「くそっ、駄目か……。」
僕は思わずそう呟いた。友軍の戦車は全滅し敵の戦車はあと一分も掛からないうちに我々の目の前に現れるだろう。そうなれば降伏するか抵抗して死を選ぶかしかない。周辺の地形はところどころに遮蔽物となる土手があるだけでそれ以外はだだっ広い平地になっているので我々はもう逃げることは出来ないのだ。我々の左手五百mほどのところに逃げ込めば何とかなりそうな森が広がっているが土手から飛び出して走って逃げようとすればおそらく森に辿り着く前に背後から撃たれてしまうだろう。それに万が一逃げるということを選択すればそれは負傷しているバウアー大尉やオッペルを置いていくということになるのだ。それは出来なかった。
「少尉、最後まで戦いましょう。戦って死にましょう。ル・カメリカに降伏なんてまっぴらです。どうせ嬲り殺されるだけです。」
ハンスが腰からぶら下げたホルスターから拳銃を手に取りそう言った。ハンスはもう死の覚悟が出来ているようだった。僕はチラッとペットゲンを見た。ペットゲンは泣きながら大尉の止血処置をしていた。自分の身にこれから起こるであろうことを想像して恐怖を感じているのであろう。この場で虫けらのように殺されるのか捕虜となって強制労働でも強いられるのか、どちらにせよ悲惨な運命が待っていることには変わりはないのだ。そのことを考えると僕も身体の震えが止まらなかった。
「少尉! 」
ハンスは僕に決断を迫ってきた。降伏か死か。僕は目を瞑って暫く考えた後ハンスに言った。
「分かった、ハンス。最後まで戦おう。だが取り敢えず今はここにじっとして敵が俺達に気が付かずに通過してくれることを祈ろう。どうせ拳銃しかないのだ。敵の戦車を破壊出来る訳ではないのだから。」
僕らは敵の進む方向から少し右手に位置している。ひょっとすれば敵戦車はこのまま我々に気が付かず真っ直ぐに行き過ぎてくれるかもしれないのだ。わざわざ自分達から姿を晒して撃たれにいく必要はない。どうせ拳銃だけでは何も出来ないのだから。敵が素通りすることは可能性としては低いものだとは思ったが今の我々が生き残る為にはそれに賭けるしかないと僕は思った。
「頼むっス。そのまま行ってくれっス。」
ペットゲンが呟いた。敵戦車の履帯の震動はどんどん近づいてくる。僕らは土手の陰で大尉とオッペルを庇いながら身体を小さくしあとはひたすら祈るしかなかった。
「そのまま行っちまえ! そのまま行っちまえ! 」
僕は心の中で何度もそう叫んだ。履帯の震動に合わせるように起こる恐怖の為の身体の震えは止まりそうもなかった。そしてその震動の発生源がおそらく我々の位置から数十mのところまできた近づいたであろう時、僕は恐怖の余り気分が悪くなっていた。
「うえっ……うえっ……。」
僕は堪らず吐こうとした。だが口からは何も出ず地面に唾液を撒き散らしただけだった。しかしその次の瞬間だった。ドーンという爆発音と共に悲鳴が飛び交った。僕はその突然の爆発の音と衝撃の大きさに思わず驚いて叫んでしまった。
「うわぁ! 何だ!? 」
僕の心臓の鼓動はとてつもなく早くなり全身を一気に冷汗が覆った。だが僕はそこでふと考えた。今の爆発はかなり近くで起こったもので近くで爆発するようなものといったら敵の戦車ぐらいしかない、友軍の戦車はもう既に破壊されているのだから、と。ということは友軍の増援が来たのだ! 僕はゆっくりと身体を起こし土手から頭を出して周囲の様子を窺った。すると案の定だった。I-34が土手の向こうで燃えている。そして燃えているI-34の横にいた別のI-34がまた爆発を起こした。敵戦車が攻撃を受けているのは分かったが僕が周囲を見渡しても友軍の戦車らしきものはいない。どうやら敵戦車はかなり遠距離からの攻撃を受けているらしかった。
「少尉、あれです! 88mm高射砲ですよ! 」
周囲をキョロキョロ見渡していた僕に背後からハンスが話しかけてきた。ハンスは南の方角を指差している。その方向を見るとかなり遠くに友軍の88mm高射砲のシルエットがいくつか見えた。距離は千八百ぐらいはあろうか。その距離でも88mm高射砲はやすやすとI-34を撃破しているのである。僕はその88mm高射砲の高い攻撃力を驚きながらも頼もしく思い無意識のうちに叫んでいた。
「いいぞ! もっと撃ちまくれ! やっちまえ! 」
暫く友軍の砲撃が続いた後敵は多くの残骸を残して撤退していった。88mm砲の前に敵はなす術がなかったのだ。それを見届けると僕はほっとしてその場に座り込んでしまった。
「た、助かった。」
僕はそう呟くと思わず深呼吸をした。だが安心した途端に右肩に激痛が走った。右肩を見てみると僕は目を疑った。軍服が破れ血がかなり出ているのだ。
「えっ! 」
僕は思わずそう叫んでしまった。いつこんな怪我をしていたのだろう? それに何故今まで気が付かなかったのだろうか? よく見ると出血はかなりひどく傷は深そうだ。そう思った瞬間僕は地面に仰向けにばったりと倒れてしまった。
「少尉! 大丈夫っスか!? 少尉! 」
遠のいていく意識の中でペットゲンの声が響く。僕はどうやら出血多量のようだった。気が張っていたせいなのだろうか、さっきまではあんなに普通に動けていたのに今は指一本すら動かせない。意外と重傷のようだ。もう死ぬのかな、とふと思ったが悲しいとか悔しいという感情はなかった。出血多量で意識がぼんやりしてきているせいか死に直面した自分をどこか客観的に見つめているもう一人の自分がいるように思った。その後僕は瞼だけは動かせそうだったのでふと目を薄っすらと開けるとペットゲンの顔がすぐそこにあった。ペットゲンは目に涙を溜めて僕に大声で話しかけている。
「少尉! しっかりするっスよ! 少尉! 」
ペットゲンとはまだ一年ぐらいの付き合いだろうか? でも僕が戦車搭乗員になる為の訓練を受け始めた頃からの知り合いでずっと苦楽を共にしてきた仲間なのだ。もっと古くから顔を合わせていたような気がする。そのペットゲンが死にかけている僕を見て涙を浮かべてくれているのだ。こんな戦争の最中でもこんないい友人と知りあえたことは幸せだった、短かったけれども僕の人生は満更でもなかったのかな? とふと思った。すると遠くでハンスの声が聞こえる。
「衛生兵! 急げ! 早くしろ! こっちだ! 」
ハンスも僕やバウアー大尉の為に精一杯大声を張り上げてくれているのだ。ハンスもいい奴だったな。ハンス、ペットゲン、オッペル、バウアー大尉、皆ともうちょっと生きていたかった。そう思うと悔しい気持ちも心の中で少しだけ湧き上がってくるがそれ以上に僕は眠気を感じていた。眠ったらもう二度と起きることはないのかもしれない。だけど眠たい、堪らなく眠たい、そう思いながら僕の意識は深い闇の中にふっと消えていった。




