十 対 三十
「バウアー大尉、偵察隊より連絡! 敵の戦車部隊を現在地より東方五kmの地点で発見したとのこと! 数は約三十、進路は南とのことです! 」
熟睡していた僕はオッペルのその声で目を覚ました。時計を見るともう朝の五時だ。だいぶ時間が経ってしまっている。大尉も寝ていたようだったがその報告を聞くと飛び起きたようで慌ててオッペルに指示を出した。
「そのことをすぐシラー少将に知らせろ! 敵は迂回して我々を後方から攻撃するつもりだろう。何らかの対策を立てないと……まずいな。 」
「了解しました! 」
オッペルはそう言うと無線機を操作し暗号電文を第七装甲師団本部に打った。
「ペットゲン、弾薬の残りはどれぐらいある? 」
大尉はペットゲンの方を向いてそう聞いた。
「榴弾はもう殆どないっスけど徹甲弾は四十発ぐらいあるっス。」
ペットゲンがそう答えると大尉は今度はハンスに聞いた。
「燃料はどうだ? 」
「さっき燃料補給車が通りかかったので少しだけ分けてもらいました。四分の一ぐらいは入ってます。」
どうやら大尉はシラー少将から敵戦車隊の迎撃を命じられた場合のことを考えているらしかった。だがそれはすぐに現実のものとなった。
「大尉、本部より連絡です。『第七装甲師団戦車大隊は現在占領している敵陣地を確保しつつ可能な限りの戦車を振り分けて敵戦車隊を迎え撃て』とのことです! 」
僕は半分寝ぼけていたがオッペルがそう言うのを聞いて急に意識がはっきりしてきた。今の戦力でI-34を三十台相手にしろだって? しかもこの僕らが今いる場所も死守しつつ? 何処にそんな戦力があるのだ? 僕は本部からの無茶苦茶な命令に怒りを覚えた。だが大尉は表情一つ変えない。それはおそらくこうなることを予想していたかのようであった。
「よし、部隊を二分せざるを得ないな。フランツ、今大隊の稼動可能な戦車は何台ぐらいだ? 」
「大尉、もう二十台程しかいませんよ。しかも四型戦車はそのうちの六台です。修理中の車輌は三型と四型合わせて十五台ぐらいいますがすぐに動かすのは無理だと思います。」
僕がそう答えると大尉は腕を組んでちょっと考えてから言った。
「 それだけか……。オッペル、シラー少将に連絡しろ。バウアー大隊は回せても十台程度だとな。我々だけでは時間稼ぎ程度しか出来ない。」
大尉はそう報告したがたとえ十台だけでも敵戦車を迎撃しろとの命令がシラー少将より発せられた。迂回して攻撃されて最前線の我々を支えてくれている後方の友軍の砲兵隊や整備隊が壊滅させられるようなことがあればそれは第七装甲師団にとって致命傷となる恐れがあるとシラー少将は判断したのであろう。後方の部隊のバックアップがなくなれば我々は前線を維持することは出来ないのだ。バウアー大隊は現在までの進出地点の確保と後方撹乱しようとする敵の駆逐という二つの任務を現有戦力でこなさなければならなくなった。戦力が消耗している今の第七装甲師団戦車大隊がその二つの任務をこなすのは非常に困難に思えたが大尉は文句一つ言わなかった。大尉は残っている弾薬と燃料の多い戦車十台を敵戦車の迎撃に選びすぐに彼らを率いて南東の方角に向かった。
「敵は三十台いるんですよ。こちらは十台で勝ち目はあるのでしょうか? 」
迎撃に向かう車内でオッペルが心配そうに大尉にそう聞いた。アマクヤードの戦いを乗り切れば生きて故郷へ帰れるとオッペルは強く思い込んでいたからこれだけ数的に不利な条件の悪い戦闘に赴くことが正直嫌な様子だった。だが大尉は淡々と答えた。
「正直ないな。我々はある意味死ねと命令されているようなものだ。だがシラー少将も馬鹿ではない。我々だけでは時間稼ぎにしかならないことは分かっている筈だ。何か手を打ってくれていると期待したい。」
オッペルは泣きそうな顔をしながら大尉の言葉に耳を傾けていた。大尉は続けた。
「誰かが敵の足を食い止めなければ第七装甲師団は一気に叩き潰されることになりかねないのだ。今回はたまたま我々がその役割を命じられたが今まで死んでいった戦友達の中には俺達と同じ様な役割をひっそりと果たしていった奴が大勢いる。これは兵士である以上義務であり仕方のないことだ。だが俺は簡単には死なないしお前達にも犬死はさせない。俺は任務を全うしつつ全員が生き残れるように全力を尽くす。俺が今出来ることはそれしかない。」
大尉がそう言うともう誰も口を開く者はいなかった。正直なところそれまでは僕も心の中で「こんな勝ち目のない戦いへの参加を命令しやがって! 」とシラー少将に対して憤りを感じていた。だが冷静に考えればそれは部隊全体の崩壊を防ぐ為の致し方のない命令だということは理解出来る。しかしそれでも自分がいざ死地へ赴くとなれば我が身可愛さでそういった怒りの感情が湧いてきてしまうのだ。だが大尉はそうではない。自分の生死よりも第七装甲師団の存続と勝利のことしか考えていないのだ。それは僕にはとても真似出来ないことだった。
「よし、全車停止。四型戦車はこの付近の遮蔽物に身を隠して待機だ。敵は地図から推測すると今我々がいるこの地域を北から南に通過するだろう。そこを叩く。」
大尉が地図を見ながらそう言った。大尉はこの移動時間の間にそこまで考えていたのだ。僕は大尉のその姿勢を目の当たりにして相変わらずの自分の指揮官としての思慮の無さと人間としての未熟さを痛感させられた。
「三型戦車はどうします? 」
ハンスが大尉に聞いた。
「三型戦車は敵の通行ルートの側面に広がる森林で待機だ。四型戦車とI-34が砲撃戦を始めたら迂回して敵の後方から攻撃させる。後方から接近戦を挑めば火力に劣る三型戦車でも十分勝機はあるからな。」
大尉の指示通りに戦車を配備し待つこと三十分、敵は大尉の予測通りに現れた。
「来たぞ、距離千二百、I-34が多数だ。敵は全くこちらに気が付いていない。敵は二列で縦隊になって近づいてくるぞ。一号車は左の列の先頭を、二号車は右の列の先頭を狙え。三号車は右の列の二台目だ。全車徹甲弾装填。」
こちらの四型戦車は三台しかいない。十倍の数の敵に攻撃を挑もうというのだ。無茶だがあとは後方から仕掛ける三型戦車隊に期待するしかない。
「徹甲弾装填完了。」
ペットゲンが重たそうな75mm砲弾を主砲に押し込んだ。
「照準よし、いつでも撃てます。」
僕も照準器を覗き込みながらそう大尉に伝える。
「距離千百! 全車射撃開始! 」
大尉がそう叫ぶと四型戦車の主砲がそれぞれ一斉に火を噴いた。僕の放った砲弾は狙った敵戦車の左側の履帯を吹き飛ばした。
「よし! 命中だ! 動けなくなった奴は放っておけ! 近づいてくる奴を片っ端から片付けるぞ! 」
我々は敵戦車隊から見て前方やや右側に位置していた。まだ敵は何処から撃ってきたのか分かっていないようだ。今のうちに敵の数を減らさなければならない。ペットゲンが次弾を装填して叫ぶ。
「装填完了! 」
その言葉を聞きながら僕は照準を次の獲物に合わせる。
「照準よし! 」
僕が言葉を発した瞬間に大尉が号令を掛けた。
「撃てっ! 」
轟音とともに砲弾が発射されるが今度は外してしまった。だが僕が狙っていたのとは別の敵戦車が爆発を起こす。どうやら二号車が一台撃破したようだった。ペットゲンがまるで僕に「しっかりして下さい! 」とでも言わんばかりに次の徹甲弾を主砲に滑り込ませながら叫ぶ。
「装填完了! 」
「このくそったれめ! 」
僕はそう叫ぶと引金を引いた。敵戦車は閃光を放った後爆発に包まれた。良かった、今度はちゃんと当たったようだ。
「命中だ。いいぞ。」
大尉が嬉しそうにそう言った。敵戦車はまだその大部分が我々の正確な位置を掴んでおらず右往左往している。反撃される前に大きな損害を与えてしまえばこの戦力差でも大逆転勝利があり得るかもしれないのだ。僕はまた次の獲物に狙いを定めて引金を引いた。大尉がキューポラから敵戦車を見ながら叫ぶ。
「よしっ! 命中だ! また爆発を起こしたぞ! 次はその左にいる奴だ! 」
敵の数が多すぎるこの状況下では炎に包まれるI-34を見て喜んでいる暇はなかった。そして僕が次の目標に照準を定めようとしていると敵もようやく我々の位置を突き止めて反撃をしてきた。敵の砲火はかなり激しかった。やはり数の差が大きいのだ。
「三号車被弾! 射撃不能! 脱出する! 」
あっという間に一台が血祭りにあげられた。大尉がすかさず指示を出した。
「お客さんが多すぎる! 側面で待機中の三型戦車は敵後方へ迂回し攻撃を開始せよ! 」
大尉がその命令を出す前に三型戦車隊は迂回行動を完了していたようだった。すぐに縦列となった敵戦車の後方で爆発が起こった。三型戦車がI-34を撃破しているのだ。
「やったぞ! 一台撃破! 」
友軍の歓喜に満ちた声が無線を通して聞こえてくる。後方至近距離からの攻撃にはいかにI-34といえども脆いのだ。そして爆発は次々に起こった。それを見て大尉は言った。
「敵は完全に浮き足立っているぞ! フランツ、撃て! 撃て! 」
確かに敵は混乱しているようだった。今がチャンスなのは間違いない。僕は一台のI-34に照準を合わせて引金を引いた。するとそのI-34は爆発を起こして主砲が吹っ飛んだ。
「いいぞ! 撃ちまくれ! フランツ! 」
大尉がそう叫んだ直後だった。激しい振動と鈍い金属音がした。それと同時に金属同士が擦れた時に発生する独特の嫌な匂いが鼻をつく。これは今までに何度か経験があるので僕には何が起こったかすぐ分かった。敵戦車の砲弾が我々の四型戦車のどこかに命中したのだ。だが爆発は起こらなかったので僕らはそのまま戦闘を続けようとした。
「次弾装填完了! あっ! 大尉!? 」
いつもの滑らかな動きで砲弾を戦車砲に押し込んだペットゲンが悲鳴に近い声を上げた。ペットゲンの視線は僕の背後に向けられていた。僕が慌てて背後を振り返ると大尉が血まみれになって戦車長席にぐったりともたれかかっている。おそらく先ほどの振動の時に喰らった敵弾はキューポラ付近に命中したのだろう。大尉はその時飛び散った装甲の破片か何かをどこかに喰らったようだった。顔が血まみれで生きているのか死んでいるのかも分からなかった。
「大尉! 大丈夫っスか!? 」
ペットゲンのその泣きそうな声を僕は出来る限りの大声で遮ろうとした。
「ペットゲン! 狼狽えるな! 」
僕はそう言って砲弾を放ったがやはり僕にも動揺があったのだろう。その砲弾は外れてしまった。僕は照準を微調整しながらペットゲンに語気を強めて言った。
「ペットゲン! 装填急げ! 」
敵が目の前にいる以上は大尉が意識を失おうが戦闘は継続しなければならない。そうなると指揮を取るのは少尉である僕の役目なのだ。不安だがそんなこと言っていられない。殺らなければ殺られるのだから。
「は、はいっス! 」
ペットゲンはすこし慌てながらも徹甲弾をまた主砲に押し込んだ。
「戦車の攻撃機能は失われていない! これからは俺が指揮を取る! どちらにしろ目の前の敵を片付けなければ大尉も助からないのだ! 」
僕はそう叫んで慎重に狙いを定め砲弾を発射した。その砲弾は見事にI-34を捉えて前面装甲を貫通しI-34は大爆発を起こした。
「よし、次にいくぞ! ペットゲン! 」
僕が威勢よくそう叫んでも無線からはそれを打ち消すように友軍の損害を知らせるメッセージが次々に鳴り響いた。
「七号車被弾! うわぁ! 」
「四号車行動不能! 脱出する! 」
奇襲が成功したのも最初だけで数に勝る敵は徐々に冷静さを取り戻し反撃に転じていた。後方から攻撃を仕掛けた三型戦車も次々に破壊されていった。
「くそっ! 」
僕はそう叫んでまた別のI-34を狙おうとしていた。すると今度は大きな爆発音がして戦車内が一瞬で煙と火薬の匂いで満たされる。まずい! どこかにまた敵の砲弾を喰らったのだ!
「一号車被弾! 全員脱出しろ! 」
爆発音のせいで耳がキーンと鳴っている。その為かオッペルが「ぎゃ〜! 」と泣き喚いているようだったが僕にはそれはあまり聞こえなかった。僕は出来る限りの大声で皆に脱出を命じると戦車砲塔の側面にあるハッチを開けて戦車内から外に飛び出た。そしてそのまま戦車の砲塔の上部に駆け上がり破損して変形したキューポラの上のハッチを開けて負傷して意識のない大尉を戦車から引っ張り出そうとした。だが大尉の身体はなかなかハッチから戦車の上へ引っ張り上げられない。大尉の身体が重いのと僕の力が弱いせいだろう。するとペットゲンが僕を手伝ってくれた。大尉の身体はようやく戦車から引き上げられ僕とペットゲンは大尉を抱きかかえたまま戦車を飛び降りた。
「全員脱出したか!? 」
僕がそう叫ぶとペットゲンが叫び返した。
「オッペルがまだっス! 」
「何だと!? 」
僕はそう言って自分達が脱出した戦車を振り返って見た。すると無線手席の上部にあるハッチをハンスが開けてそこからオッペルを引っ張りあげようとしている。どうやらオッペルも負傷しているようだった。
「ペットゲン! 手伝え! 」
「分かってるっスよ! 」
僕とペットゲンは再度戦車の上に駆け上がってハンスを手伝いオッペルをハッチから戦車の外へ引きずり出した。オッペルも軍服が血まみれになっている。どこかに傷を負っているのだ。
「少尉、まずいっス。敵戦車が近づいてくるっス。」
血まみれのバウアー大尉とオッペルを地面に横たわらせているとペットゲンがそう言った。ペットゲンの視線の方向に目を遣るとI-34の履帯の軋む音がどんどん大きくなってきている。どうやら我々戦車部隊は敗北したのだ。捕虜という言葉が急に現実のものとして頭の中に浮かんできた。
「し、少尉……。」
ハンスが不安気にそう呟いて僕を見つめている。ペットゲンも同じく僕の顔を見つめていた。だが僕は頭の中が真っ白になっていて彼らに何を指示すればいいのか、そして自分が何をすればいいのか分からずただぼんやりと突っ立っているしかなかった。




