カーソン教
「皆御苦労だった。辛い訓練をよく弱音を吐かずに耐えたな。だがこの経験はいずれ必ず役に立つ。今日はジャンジャン飲んでくれ!」
二週間に及ぶ砲兵隊、歩兵隊、戦車隊の合同による訓練がようやく終わった。厳しい訓練の後はバウアー大尉が必ず僕ら四人を飲みに連れて行くというのが恒例行事になっていた。本人が酒好きなのもあるがこれがバウアー大尉なりの僕らに対する労いなのだということは四人全員が理解していた。またそれに加えて僕らは四人とも酒がそこそこ飲めたので毎回この行事をとても楽しみにしていた。
「では我が戦車中隊の発展を願って、乾杯!」
バウアー大尉の声を合図にビールがなみなみと注がれたジョッキを高々と掲げて乾杯し、そして一気に飲み干した。
「いや〜訓練後のビールは最高っスね!」
ペットゲンが既に顔を赤くしている。
「お前は未成年だろう。酒飲んでいいのか?」
バルクマンが笑いながら質問した。
「もう〜、堅いこと言わないで下さいっスよ。誰にも迷惑かけませんから。」
「毎回俺達が酔い潰れたお前を運んでるのをもう忘れてやがる。まあいい。俺が許す。」
バウアー大尉の一言で皆笑った。そして次々にビールのジョッキが運ばれては空になっていった。
暫くするとと全員がほろ酔いになっていた。そして僕も程よく酔っ払い上機嫌でジョッキを片手に皆と談笑していた。
「そういえば例の三型戦車のG型が正式に軍に採用になったらしいですね。」
僕はバウアー大尉に聞いた。
「らしいな。おそらく我々の戦車隊にも支給されるだろうな。」
「G型と言えば…少尉のお兄さんとまた顔を会わす機会があるんスかね?」
ペットゲンが口をはさんだ。
「いや、来たら殴られるから来るなって言っておくよ。な?」
そう言って僕はヒューブナーの方を見た。皆大笑いしていた。
そんな会話をしながら酒が進み全員がへべれけになりかけた時だった。僕はふと思い出して皆に問いかけた。
「そういえばこの前俺の兄貴が言ってたカーソン野郎ってどういう意味か皆知ってるのか?」
「え!少尉知らないんスか?」
ペットゲンが答える。
「ああ、何のことだがさっぱりさ。流行りの悪口じゃないのか?」
皆苦笑いしていた。そこでバウアー大尉が口を開いた。
「あまり大きな声では言えないが…カーソン教のことだ。」
「カーソン教?」
「少尉は本当に知らないんスね。今新聞なんかでも結構ニュースになってるんスよ。」
そういえば最近は基地の外で何が起きているのかといったことに全く無頓着になっていた。新聞も読まなければラジオを聞くことも無かった。
「今信者を急激に増やしている宗教団体なのだ。だがあまり評判が良くない。」
バウアー大尉が頭を振りながら言った。
「自分も聞いたことがあるんスけど結構ヤバい宗教らしいスよ。勧誘が無茶苦茶しつこくて強引だとか御布施だといってとんでもない額の寄付を要求されたりだとかいろいろあるみたいっス。」
ペットゲンが続けた。
「カーソン教は組織の中で機関紙を発行しているらしくそれをまた高値で売ってるそうだ。だが信者は喜んで金を払うらしい。免罪符だとでも思ってるんだろうな。」
バウアー大尉とペットゲンの話を聞いていて僕はカーソン教というのもを全く知らないことが自分の世間知らずをさらけ出しているようで少し恥ずかしかった。自分よりはるかに若いペットゲンでさえその宗教を知っているということが余計に僕の羞恥心を掻き立てた。確かに僕は宗教や信仰といった類のものには興味が無く物心ついてからは教会に行ったことすらないし神に祈りを捧げることなど今まで一度もしたことがなかった。僕の両親がもともと神に対する信仰心を持ち合わせていないのでその子供である僕が宗教に対して無知になるのも致し方ないであろう。だが僕が心の中で自分の無知を言い訳している間にもカーソン教の話題は膨らんでいった。
「もともとはル・カメリカの南部から広まりだした宗教らしい。我が国にもその教えが北方から伝わってきて北部には結構信者が多いらしいぞ。」
バウアー大尉が言った。
「でもその豊富な資金力と急激な勢力の増大、それに最近仲の悪いル・カメリカ発祥の宗教ということもあって毛嫌いどころか敵視する人も多いらしいですね。」
バルクマンも口を挟む。彼も結構知識があるのだと僕は内心驚いた。
「最近はカーソン教絡みの殺人事件も巷では起きているらしいスよ。ちょっとやり過ぎスね。」
会話に参加出来ない僕はフンフンと頷くだけだった。カーソン教の会話はその後も盛り上がっていたが皆明日のことが頭をよぎったのかしばらくして宴会は御開きになった。
次の日からは戦車隊単独の訓練が始まりまた早朝から我々は戦車に乗り込み白い大地を走り回った。訓練はほぼ毎日様々な状況を想定して行われた。大衆紙のゴシップ記事で最近よく見かけられるというル・カメリカとの開戦の噂の信憑性が高いのではないかと僕ですら思ってしまうほど訓練の内容は実戦に即したものになっていた。
僕らは昼過ぎまで射撃訓練に従事しその後燃料と弾薬の補給の為に補給部隊との合流ポイントに向かった。皆疲れと空腹でヘトヘトだったが温かい食事にありつけるということで車内はすこしリラックスした雰囲気になっていた。バウアー大尉は戦車の砲塔上部のハッチを開け上半身を車体の上にさらけ出して双眼鏡を片手に補給部隊を探していた。僕とペットゲンも砲塔側面のハッチを開けて上半身を乗り出し凍った真っ白い地面を眺めながら佇んでいた。
「補給部隊がいたぞ。合流する。」
バウアー大尉が叫ぶ。僕らの右前方に補給部隊のトラックが数台縦列に停まっていた。戦車を近づける。
「何か様子が変スね。」
ペットゲンが僕に向かって言った。確かによく見ると一台のトラックの周りに人が集まっている。
「どうした?何かあったのか?」
バウアー大尉が戦車から飛び降り近くにいた兵に聞いた。僕らも戦車を停止させ降車しその人だかりに群がった。そして中の様子を伺った時僕は思わず驚き叫んだ。
「オットー!何をしてるんだ?」
人だかりの真ん中に士官学校時代の同期で友人でもあるオットーがいた。だが僕が驚いたのはそのことではなくその足下に若い兵士が倒れていることだった。よく見ると口から血を流している。その若い兵士に向き合っていたオットーも僕に気が付いたようで振り向きながらこう言った。
「このガキがドジな野郎で…トラックとトラックの間に挟まれちまったんだ。」
「お前が運転していたのか?」
「いや、違う。停めていたトラックが逸走したみたいだ。」
オットーは自分の部下が事故で血を流して倒れているというのに意外と平然としていた。もし僕が目の前でペットゲンが血を吐いて倒れでもするところを見たら僕は右往左往して何も出来ないだろう。僕は冷静な態度をとるオットーを見ながらそう思った。そこへバウアー大尉がやってきて僕らの間に入りオットーを問いただした。
「救護班は呼んだのか?逸走防止の車輪止めはしていなかったのか?逸走した車輌の運転手は誰か?」
オットーは矢継ぎ早の質問にも淡々と答えた。
「救護班は既に呼びました。もう来ると思います。車輪止めはキッチリされていなかったようです。運転手は彼です。おい!ヨハン軍曹!大尉殿に状況を詳しく説明しろ!」
オットーに呼ばれて出てきたヨハンという軍曹は怯えた表情でバウアー大尉の前に出てきた。
「こんな凍った路面上で車輪止めもせず車を停めていれば逸走するぐらい想像がつくだろう!忘れていたのか?」
バウアー大尉にそう言われてヨハン軍曹はおどおどしながらもこう答えた。
「いえ。大尉殿、自分はちゃんと車輪止めをしました。間違いなくこの手でしたのです。ですが今見ると車輪止めが外れていました。何故だか自分にも分からないのです。」
「なんだと?じゃあ車輪止めがひとりでに外れたとでもいうのか?」
バウアー大尉が訝しげにヨハン軍曹を睨みつけた。だがヨハン軍曹も負けずにバウアー大尉の視線から目を逸らさずにいた。それはあたかも自分は間違いなく車輪止めをしたので非はありませんという意思表明のようだった。
「救護班が来ました!」
ペットゲンが叫ぶ。それを聞いてバウアー大尉が続けた。
「取り敢えずこの話は後だ。皆担架に乗せるのを手伝ってやれ。まだ息がある。助かるかもしれん。」
倒れていた兵士は担架ごと車に乗せられ僕らはその車を見送った。そして救護班が走り去った後のまだ騒然としている事故現場をバウアー大尉が取りまとめた。
「この補給部隊の指揮官は誰か?」
「自分であります。」
オットーが進み出た。
「すぐにこの事故のことを司令本部に報告して指示を待て。事故現場に手を触れないようにと部下全員に必ず伝えろ。司令本部がすぐに事故の調査をするだろう。それまでは待機だ。」
「了解であります。大尉殿。」
オットーはそう言って敬礼しその場を離れ自分の部下に指示を出していた。その後ろ姿を見ながらバウアー大尉が言った。
「何か引っ掛かるな。だがこの後のことは我々の仕事ではない。事故調査隊に任せよう。さあ、戦車に戻るぞ。」
僕らは騒然とした事故現場を後にした。僕はその前にオットーのことが気になって一声かけようとしたがその機会はなかった。