仲間
目の前に小高い丘が広がっている。そこに次々と野砲が打ち込まれ爆発音が連続して響き吹き飛ばされた土砂が辺りにバラバラと散っている。丘は仮想敵陣地であり今日の訓練はそこの占領だった。今は砲兵隊が援護射撃をしており土煙が舞う丘の様子を照準器から眺めながら僕は戦車長であるバウアー大尉の指示を待っていた。
「よし、援護射撃やめ!戦車隊前進!」
やっと出番だ。バルクマンがギアを入れ戦車を前進させる。僕らに続いて他の戦車も動き出した。不意にバウアー大尉が叫ぶ。
「前方11時の方向に仮想敵トーチカだ!距離200、榴弾装填!急げ!」
ペットゲンが榴弾を装填する。僕は砲塔を旋回させて目標を探した。バウアー大尉が叫ぶ。
「車体を前方の盛り土の前で停止させろ!砲塔だけ出して射撃するんだ。あのトーチカに対戦車砲があれば先に攻撃されるのはこっちだ。地形を上手く使ってなるべく敵に姿をさらけ出さないようにするんだ。全員よく覚えておけよ!」
戦車が停止し僕は目標を定める。そして叫んだ。
「照準よし!」
「打て!」
バウアー大尉の掛声で引金を引くと爆音と硝煙が車内を満たす。そしてまたバウアー大尉が叫んだ。
「よし、命中だ!相変わらず調子いいな、フランツ。」
バウアー大尉のよく通る声が響く。訓練開始から一週間経って皆かなり疲れていた。そういう時こそバウアー大尉は声を出して皆を鼓舞するのだ。普段は厳しいが意外と気を遣っているバウアー大尉の人柄も皆が彼を慕っている理由の一つであろう。
「戦車隊は撃ち漏らした敵を片付けながら前進しろ。歩兵隊を乗せた装甲車はその後に続け。」
バウアー大尉が他の戦車と歩兵隊に指示を出す。彼は僕らの戦車の長であると同時に戦車中隊の中隊長でもあるのだ。彼の指揮官としての非凡な才能は皆に知れ渡っていた。
「よし、バルクマン、我々も前進だ。」
「了解!」
バウアー大尉の指示でバルクマンが戦車を動かそうとしたその瞬間だった。前につんのめるような衝撃があり戦車はエンストしてしまった。その後バルクマンが何をやっても戦車は動かなかった。
「エンジンは掛かりますが動きません。トランスミッション系の故障かもしれません。」
バルクマンがバウアー大尉に報告する。
「応急処置で直るか?」
「やってみます。」
その後バルクマンが試行錯誤したが結局戦車は動かなかった。やはりトランスミッションの故障で僕らの手には負えず 戦車は整備工場へ牽引された。この半年間故障はほとんど無く信頼性の高い三型戦車であったがやはりたまには休憩も必要なようだった。ペットゲンがバウアー大尉に聞こえないように小声で言った。
「僕らもちょっと休憩出来ますね!」
僕らは笑った。
整備工場に着き整備兵に修理にどれぐらい時間がかかるかを聞いてみると二〜三時間で直るという。その間僕らは弾薬や燃料の補給を手伝っていたがそれでも手持ち無沙汰になり工場の横にある整備兵用の休憩テントの中で一服していた。バウアー大尉だけは司令部に顔を出しに行きあとの四人はそこで雑談していた。
「これだけのトラブルは初めてっスね。」
ペットゲンが口を開く。
「いや、半年経って初めてトラブルが起こるなんてのはかなり優秀だぜ。以前乗ってた戦車の中には故障続きでまともに動かないものもあったしな。」
バルクマンが答えた。
「そうなんスね。でも戦闘中の故障なんて想像したくないっスね。ところでフランツ少尉、煙草恵んでくだせえ。」
「全部お前にやってもう無いぞ。」
僕は答えた。
「マジっスか?任務で疲れてる時の楽しみなんて飯と煙草しか無いのに。」
それを聞いてバルクマンは言った。
「お前はまだ若いんだから疲れてなんかないだろう。でも仕方ないな。やるよ。」
バルクマンはそう言って笑いながら煙草を一本差し出した。
「ありがとうございます!この恩は一生忘れません!」
ペットゲンはそう言って美味そうに煙草を吸いだした。
「調子のいい野郎だ。」
それまで黙っていたヒューブナーがボソッと口を開いた。それを聞いて皆笑った。
整備工場に来て二時間半が経ち修理もそろそろ終わろうかという頃だった。雑談の合間にテントの外を見るとどこか見覚えのある戦車が停まっていた。
「おい!あれってこの前のG型じゃないか?」
思わず僕は叫んだ。
「そうですね。僕達がこの前テストした三型戦車G型です。何故ここにあるんでしょうね?」
バルクマンもテントの外を眺めながら呟いた。さっきまではシートを被せられて気付かなかったが僕らのいるテントから少し離れた建物の脇に三型戦車G型が佇んでいた。するとそこへ小型の乗用車が走ってきた。運転席と助手席に男が一人ずつ乗っていたがその二人は何事かを話しこんでいる様子で前を見ていなかった。乗用車は三型戦車に向かって走っている。急ブレーキも間に合わずその乗用車は僕らの目の前で戦車の後部に追突してしまった。
「ドジな野郎もいるもんですね。」
バルクマンが笑いを堪えながら言った。乗用車は急ブレーキでスピードを抑えたお陰か多少の傷がついただけで済んだようだった。だが暫くすると今度は助手席に乗っていた男が運転していた男を激しい勢いで叱責しだした。
「この間抜け!何をやっているんだ!貴様は減給だ!我が社の新商品にぶつけやがって!」
乗用車をよく見るとハーゲ社のマークが付いていてハーゲ社の社用車らしかった。ハーゲ社の社用車がハーゲ社の新商品である三型戦車G型にぶつかってしまったのだ。おそらくハーゲ社の技術者なのであろう。その助手席の男は運転手に怒り続けた。
「貴様の運転は下手過ぎる!それでなくともいつもいつもヘマばかりしやがって!このノロマ!」
確かにあの運転では怒られるのも仕方ないか、と思いながらいつの間にか四人全員でその様子を見ていたのだが助手席の男の怒りは収まりそうにもなくネチネチした罵倒は延々続き運転手の方は泣きそうになっていた。僕らもさすがに少し不快な気持ちになってきた。その時だった。
「あの野郎ちょっとやり過ぎだ。」
普段無口なヒューブナーがそう呟いて走り出していた。もう見ていられなかったのであろう。二人の仲裁に入ろうとしているのだ。だがヒューブナーは普段無口で温厚な分キレて暴れると手に負えなくなる。ましてやメーカーの人間を殴ってしまったりすれば大事だ。全員でヒューブナーを追いかけた。
「おい!もうその辺で勘弁してやれ!」
ヒューブナーは乗用車のところまで行くと助手席の男にそう言った。だがその男はまったく怯むことなくヒューブナーに言い返した。
「誰だ?貴様は?関係無い奴は引っ込んでろ!」
僕はヒューブナーを追って近くまで走って来てその男を見て仰天した。なんとその男は兄のルドルフだったのだ。だがルドルフの方は頭に血が上っているせいか僕のことは気付いていないようだった。
「貴様らは下っ端の軍人か。余計な口出しするな!頭の悪そうなツラしやがって。俺は軍の高官にも顔が効くんだぞ!貴様らなんぞ…」
ルドルフがそう言いかけた瞬間ヒューブナーが拳を握りしめた。
「やめろ!ヒューブナー!」
思わず僕は叫んでいた。そして二人の間に割って入った。
「兄さんもやめて下さい。ちょっとやり過ぎですよ!」
「フランツ…」
兄はやっと僕に気付いた。兄は昔からその頭の良さ故にプライドが高く周囲の人間を見下すところがあった。僕が兄を心底好きになれない理由はこういった高慢な態度を取ることだったがその態度を半年間一緒に同じ釜の飯を食った戦友に対して取ったのだ。僕は兄に対する怒りを抑えながら言った。
「僕らはもう任務に戻りますから。」
僕はそう言って顔を紅潮させているヒューブナーを連れてその場を立ち去った。兄は去る僕らにはもう何も言わなかった。だが決まりが悪かったのであろう。運転手にはまだ文句を言っていた。
「運転技術をもうすこし磨いておけ!このカーソン野郎が!」
兄はそう言って傷の付いた乗用車で走り去った。カーソン野郎ってどういう意味の悪口なのだろう?とふと思いつつ僕は全員を連れて整備工場に戻ってきた。その後僕ら四人は暫く無言になった。
「…そろそろ修理終わるみたいっスよ。」
ペットゲンが沈黙を破った。
「さあ行きましょう。バウアー大尉もそろそろ戻って来られますし。」
バルクマンが続いた。
皆場の雰囲気を良くしようとしてくれているのだ。その気持ちが僕は本当に嬉しかった。僕も皆に謝罪した。
「皆、嫌な気分にさせてすまない。しかもあんな兄貴がいることもばれてしまった。身内として本当に情けない。申し訳ない。」
皆それを聞いて黙っていたが暫くしてヒューブナーが言った。
「もう落ち着きました。大丈夫ですよ。軍人は切り替えが大事です。」
「さすがヒューブナー軍曹!軍人の模範ですな!」
ペットゲンが場を和ます。
「当たり前だ。軍曹はお前よりはるかに優秀だ。」
バルクマンの一言で全員に笑顔が戻った。
「では我らの愛車に乗り込みましょうか。」
戯けながらペットゲンがハッチを開けた。僕も心の中で気を遣ってくれる皆に感謝しつつ戦車に乗り込んだ。
そしてその日もまた夜中まで訓練は続けられた。