マーダーⅡ
「まずいぞ! 敵はすぐ後ろに迫っている! 全車ターンだ! 主砲を後方に向けろ! 」
そうバウアー大尉が命令するとハンスは急いでマーダーⅡを旋回させた。するとまた爆発音が響きその後我々の後方に位置していた重歩兵砲を装備した一型戦車の部隊からの連絡はぷっつりと途絶えた。
「おそらく全車破壊されてしまったか。全車徹甲弾装填! 対戦車戦闘準備! 」
大尉のその声を聞いてナウマンが75mm徹甲弾を装填する。僕はふと敵はどれぐらいの数なのだろうか? と思った。 だが何を考えようとも僕に出来ることは照準器に映った敵戦車を確実に一台ずつ吹き飛ばしていくことぐらいしかないのだ。僕は考えるのをやめて照準器を覗き込みながら敵戦車が来るのを待った。
「来たぞ! I-34だ! 距離三百! 全車射撃開始! 」
大尉が叫ぶ。さっきまで空は雲に覆われて真っ黒で雨がマーダーⅡを打ちつけていたのに今は雨も止み雲と雲の間から太陽が顔を覗かせている。その太陽光線を浴びながら敵戦車は進むにつれて広くなってくる道を散開しながらこちらに向かって来ていた。数は二十台ぐらいいるだろうか? 僕はそのうちの一台を照準器に捉えて徹甲弾を放った。爆発音が響き大尉の叫び声がそれに続く。
「命中! 次発装填急げ! 敵は待ってくれんぞ! 」
僕は撃破したI-34の右横を走行している別のI-34にまた狙いを定めて徹甲弾を放った。鈍い金属音が響きその後また大尉が叫ぶ。
「いいぞ、フランツ! 黒煙を吹いて動きを止めた! 命中だ! だが今日はお客さんが多い。次はそのさらに右横にいる奴だ! 急げ! 」
僕はバウアー大尉の命令通りにその後も立て続けに敵戦車を破壊したが敵は全く怯まなかった。暫くするとこちらにも損害が出始めた。
「三号車がやられた! くそっ! 」
大尉のその声を聞きながら僕は別のI-34に狙いを定めていた。そのI-34は停車して主砲を旋回させ友軍の別のマーダーⅡに向かって射撃しようとしている。させるか! 僕は引金を引いた。
「外れた! もう一発! 急げ! 」
僕の放った砲弾は敵戦車のすぐそばに土埃を巻き上げただけだった。しまった! と思ったがもう遅い。敵戦車は発砲し我々の自走砲のすぐ近くで大きな爆発が起こった。おそらく友軍のマーダーⅡが今の敵の一撃で一台破壊されてしまったのだ。くそっ! 僕は次弾をそのI-34に叩き込んだ。I-34は爆発して炎上した。
「ハンス! 敵が一台左に回り込もうとしている! 左に四十五度旋回! 急げ! 」
落ち着く間もなく大尉の指示が飛ぶ。ハンスはすぐに車体を旋回させた。すると僕の照準器に側面を晒けだしたI-34が映る。僕が引金を引くとそのI-34は履帯を吹き飛ばされて動きを止めた。僕はさらにもう一発を撃ち込みそのI-34を燃え盛る鉄屑に変えてやった。だがその直後だった。ゴンという鈍い音がして戦車が揺れた。僕は直感的に敵の砲弾が当たったと思い一瞬ビクッとなって目を瞑ったが爆発は起きなかった。
「ハンス! 車体の向きを正面に戻せ! また一台こっちを狙ってる奴がいる! 急げ! 」
何が起こったか分からないうちに大尉の次の指示が飛んだ。ハンスが慌てて車体を旋回させる。
「ハンス! もう正面の敵はいい。誰か他の友軍の自走砲が破壊してくれた。そのまま旋回し続けて右に三十度の方向を向け! 」
ハンスが指示通りに車体を旋回させると目の前にI-34がいた。距離はもう百mぐらいだろうか。僕は徹甲弾を撃ち込みそのI-34の砲塔を吹き飛ばしてやった。
「ナイスです! 少尉! 」
ハンスがそう叫んだ直後だった。またゴンという鈍い音がして車体が揺れた。僕は今度こそ敵砲弾が当たったと思ったがまたもや爆発は起こらなかった。
「気を抜くな! ハンス! 車体を左にまた三十度戻せ! まだ敵はいるぞ! 」
ハンスが大尉の指示した向きに車体を向けたその瞬間だった。照準器の中に捉えたI-34は主砲を真っ直ぐこちらに向けている。敵も我々を狙っているのだ。
「徹甲弾装填完了! 」
ナウマンがそう叫んだ直後だった。僕らの乗るマーダーⅡを大きな爆発音と振動が襲った。煙で周囲が見えなくなり火薬の匂いが鼻をつく。今度ばかりは敵弾が命中して爆発したのだ。僕はパニックに陥り思わず車外に飛び出そうとした。だが僕の後ろにいたバウアー大尉が僕の肩を押さえつけて言った。
「逃げるな! 撃て! フランツ。」
そうだ。ナウマンが徹甲弾を装填してくれていてしかも敵戦車は真正面にいるのだ。逃げるのは敵戦車を片付けてからでも遅くはない。僕はなにを真っ先に逃げ出そうとしているのだ?! 僕は自分の咄嗟の行動を恥じた。そして僕は照準器に向き直ると敵戦車の砲塔基部に向けて慎重に照準し引金を引いた。ドォーンという音と共にI-34は爆発し炎に包まれた。良かった、何とか敵に止めを刺される前に起死回生の一発を放つことが出来たのだ。もし逃げ出していれば僕はあのI-34の前部機銃で撃たれていただろう。
「敵が退却していきます! 」
ハンスが操縦席より前方を見ながらそう言った。すると大尉がすこし息を荒くしながら答えた。
「そ、その様だな。お、お前達、怪我は無いか? 」
大尉にそう言われて僕は自分の身体を見たがどこも怪我などはしていなさそうだった。
「大丈夫です。」
ハンスがそう答えた後僕も大尉に答えた。
「私も大丈夫です。でも大尉、先ほどはすみませんでした。もし私が逃げ出していればこの自走砲は破壊され全員戦死していたと思います。冷静さを欠いておりました。」
僕は自分が義務を放棄して真っ先に逃げ出そうとしたことを大尉に詫びた。その行為は仲間との信頼関係を損ねるものでありチームの一員として絶対にやってはならなかったのだ。戦闘が終わった安堵感など僕の心にはなかった。それよりも大尉に「こいつはこんな人間だ」と蔑まされているのではないかと思うと僕は居ても立っても居られなくなっていた。だが大尉は何も言わなかった。
「大尉? 」
僕は大尉が僕の行為に腹を立ててもう口も聞いてくれないのかと不安になり後ろを振り返った。すると大尉は僕の後ろの車長席でぐったりとしていた。大尉の顔に付いた血が目に入る。僕は動揺して思わず大尉に向かって大声を出していた。
「大尉! 大丈夫ですか!? 大尉! 」
僕は大尉の肩に手を掛けて揺さぶった。すると大尉はようやくうっすらと目を開けた。
「ナ、ナウマンは大丈夫か? 」
僕は大尉にそう言われて初めてナウマンの方を見た。するとナウマンは狭い自走砲の車内で倒れて血まみれになっていた。
「ナウマン! 」
僕はまた大声を上げていた。おそらくさっき敵弾が命中して爆発した時にナウマンと大尉は傷を負ったのだろう。僕はマーダーⅡの車体の右側前面の装甲板がぐしゃぐしゃになっていることにもその時初めて気が付いた。僕はマーダーⅡの中心に備え付けられた75mm対戦車砲を中心として車体の左側にいたので車体の右側は戦車砲で死角になり車体右側前面に被弾していたことを分かっていなかったのだ。そしてマーダーⅡの車体の左右にある薄い装甲板にもそれぞれ一つずつ丸い穴が空いていることにもその時初めて気が付いた。おそらく戦闘中に聞いたゴンという鈍い音は敵の徹甲弾が薄い装甲板を貫いてその丸い穴を作った時の音だったのだろう。徹甲弾だったから装甲を貫いただけで爆発しなかったのだ。もしその徹甲弾が榴弾であったなら僕もナウマンのように血まみれになって倒れていたのかもしれない。そしてナウマンにとって不幸だったのが車体右側前面の装甲板に最後に命中した敵弾が徹甲弾ではなく榴弾だったことであろう。ナウマンはその破片を大量に身体に受けたのだ。僕とハンスは75mm対戦車砲が盾となって破片を防いでくれたから無傷で済んだのだろう。
「ハンス! 手を貸せ! 」
僕はハンスにそう言うと二人でバウアー大尉とナウマンを自走砲から降ろし地面に横たわらせた。大尉は肩と顔の右頬に榴弾の破片による傷があり出血していた。大尉は止血すれば何とか助かりそうだったがナウマンは違った。意識はなく身体の右半分に無数の破片を受けていた。血まみれのナウマンをなんとか助けようと僕は必死にナウマンに声を掛けた。
「ナウマン! しっかりしろ! もうすぐ衛生兵が来てくれる! それまで頑張れ! 」
僕の声にナウマンは意識を取り戻したようだった。だが血まみれのナウマンは目を開けることが出来ないようだった。ナウマンは小さくこう言った。
「い、嫌だ。し、死にたくない……。」
ナウマンの閉じた瞳から涙が流れた。死に直面したナウマンの心情を思うと僕も涙が出てきた。僕は泣きながらナウマンに声を掛け続けた。
「ナウマン! しっかりしろ! 」
だがナウマンはそれ以上僕の声に反応することはなくもう二度と口を開くことはなかった。僕は眠っているようなナウマンの顔を暫く茫然と見つめていた。
「おーい! 衛生兵! こっちだ! 」
すると不意にハンスが大きな声を出した。占領した敵基地から走ってくる一人の衛生兵の姿を見かけてハンスが呼びかけたのだ。衛生兵はバウアー大尉のところまで来てくれるとすぐに応急処置を始めた。僕とハンスはその様子を眺めていたが暫くすると占領した敵基地の方から友軍の装甲車や戦車が走ってくるのが目に入った。
「敵は完全に降伏したようですね。友軍の陽動部隊の連中が到着したようです。作戦は成功ですね……。」
疲れ果てた表情でハンスがポツリとそう言った。僕はそれには何も答えずただ近づいてくる友軍の装甲車や戦車に目を遣りながら手当を受けているバウアー大尉と血まみれのナウマンの横で座りこんでいるだけだった。




