偵察
「まったく……とんでもない野郎に目をつけられましたね。」
ハンスがキューベルワルゲンの運転席で地図を片手に深い溜息をつきながらそう言った。キューベルワルゲンの車輌後部のトランクルームの扉を開けてそこに必要物資を詰め込んでいたオッペルがそれを聞いて手を止め済まなさそうにハンスに言った。
「すみません。僕があの中尉を怒らせたばかりにこんなことになってしまって……」
「そのことなら俺も同罪です。申し訳ない。」
オッペルの作業を手伝っていたナウマンも被っていた帽子を脱いでハンスに詫びた。ハンスは慌てて皆に言った。
「そんなつもりで言ったんじゃない! 皆は何も悪くないよ! 俺は自分の腹癒せで偵察任務を押し付けてきたそのゲッハっていう中尉に腹が立っているだけだ! 」
「いや、それは俺からも謝らせてもらう。俺がもっと上手くあの中尉をなだめておけばこんな任務を命ぜられずに済んだんだ。巻き込んでしまって本当に済まない。ハンス、お前はここに残ってもいいんだぜ? あの中尉の御指名は俺とオッペルとナウマンの三人なのだから。 」
ゲッハ中尉をなだめることが出来ずに最終的にこの事態を招いたのはやはり僕の所為なのだ。僕もオッペルとナウマンに続いてハンスにそう謝った。
「一人で残る方が嫌ですよ! もう皆謝るのはやめて下さい。さっさとこんな偵察任務は終わらせてしまいましょう。そろそろ出発しますよ! 忘れ物はないですね? 」
ハンスがそう言ってキューベルワルゲンの運転席に座りエンジンを掛けた。僕が助手席に座りオッペルとナウマンは後部座席に飛び乗った。
「では車を出しますね。」
ハンスはそう言うとギアを入れてアクセルを踏み込んだ。キューベルワルゲンはその小さな車体を震わせながら友軍の陣地を後にした。
僕ら四人を乗せたキューベルワルゲンはヤシアリバー沿いを一旦北上した。我が軍の陣地の北約四kmのところに灌木が東西に十km程生い茂っている地域がありその灌木の合間を我々は進もうとしたのだ。見晴らしの良すぎる場所をこんな小さな車で走行してもし敵の戦車にでも見つかってしまえば一発でやられてしまう。灌木に身を隠しながら慎重に進むプランを僕らは選択した。「敵兵よ、頼むから出て来ないでくれ! 」と僕は祈ったがそれが通じたのか出発してから四十分程経ってもキューベルワルゲンは攻撃を受けることは無かった。
「静かですね、少尉。」
運転しながらハンスが言った。
「ああ、そうだな。周囲は灌木だらけで灌木の向こうには何もない平野が広がっているだけだ。オッペル! 何か見えるか? 」
僕は双眼鏡を覗きながらオッペルに聞いた。オッペルが冗談ぽく返事をする。
「木と土以外何も見えません! 」
オッペルも僕と同じ様に双眼鏡を手に周囲を警戒していたが拍子抜けするほど周りの風景は退屈だった。
「敵も動いていないようですね。やはり我々と同じ様に損害が多すぎて反撃する戦力が無いのでしょうか? 」
ナウマンも双眼鏡を片手に僕に聞いてきた。
「かもな、それか今は敵も戦力を集結させて我が軍に対する反抗作戦の準備でもしているのかもしれんな。さて、そろそろ情報が正確なら湖がある筈なんだが……。」
僕はそう言ってふと前を見た。すると我々が走っている道沿いに人が立っているのが見えた。
「少尉! 前方に子供がいます! 」
僕が気付くのと同時にハンスがそう叫んだ。我々の前方五百m位のところに確かに子供が立っている。オッペルは護身用にキューベルワルゲンに一丁だけ積み込んだマシンガンを手に取りその子供に向けようとした。
「よせ、オッペル! 相手は子供だぞ! 」
僕は慌ててそう叫んでオッペルにマシンガンを構えるのを止めさせた。そしてハンスにスピードを落としてゆっくり近づくように指示をした。その子供は四歳か五歳ぐらいの女の子で武器などは持っていないようだ。だが悲しげな目で僕らのことをじっと見つめている。僕らはゆっくりとその女の子の目の前で車を停めた。
「おい、オッペル、お前ル・カメリカ語が話せるだろ? 何をしているのか聞いてみろ。優しくだぞ。」
僕にそう言われてオッペルはその女の子に語りかけた。だがその女の子はじっとオッペルの顔を見つめているだけだった。
「少尉、何も話してくれません。おそらくこの辺りの住人の子供でしょう。もう行きましょう。」
オッペルはそう言ったが僕はその女の子のことが何故か気になった。するとハンスがポツリと言った。
「お腹が空いているんじゃないのかな? 」
僕はその言葉にピンと来てオッペルに言った。
「オッペル、荷物室にパンを少し積んでただろ? あれをこの子にあげてやれ。」
「あれは任務が長引いた時の非常食ですよ。」
オッペルが少し不服そうに言った。
「全部とは言わん。少し分けてやれ。」
僕がそう言うとオッペルは車を降りて車の後ろに回り込みトランクルームの扉を開けるとパンを取り出した。
「マーガリンもあるだろ? 貸してくれ。」
僕はそう言ってパンとマーガリンをオッペルから受け取るとナイフでパンを薄く切りその上にマーガリンを塗ってその女の子に笑顔で差し出した。
「お嬢さん、どうぞ。」
最初は悲しげな目で僕を見つめていただけだったその女の子はやはりお腹が空いていたようですぐにそのパンをペロッと食べてしまった。僕はもう一切れを差し出したがその女の子はそれもすぐに平らげてしまった。すると女の子が小さな声で何かを言った。
「今この子は何と言ったんだ? オッペル。」
僕がそう聞くとオッペルがニヤリとして言った。
「『ありがとう。』ですって。」
僕はそれを聞いて無性に嬉しくなった。そしてその女の子の顔に色濃く染み付いていた悲しみの色も少しやわらいだような気がした。するとハンスが微笑みながら言った。
「僕らの食べるパンは無くなりそうですね。」
ハンスはそう言いながらその女の子の後ろを指差した。僕もその方向を見ると今度は同じ四歳か五歳ぐらいの男の子が灌木の間から姿を現したのだ。おそらくお腹を空かしていたが僕らの前に出てくる勇気がなくて隠れていたのだろう。先の女の子がパンを貰ったのを見て出てきたのだ。僕はオッペルに言った。
「腹一杯食べさせてやろう。」
「はい! 」
オッペルはもう不服そうな態度は取らなかった。僕らはその子供達に二斤のパンを与えた。後から来た男の子は大喜びでパンを頬張っている。その姿は見ている僕らの心を暖かくさせた。
「お腹一杯になったかい? うん? 」
僕がそう聞くとその男の子が何かを言った。オッペルが通訳してくれる。
「『余った分はお母さんに持って帰ります。本当にどうもありがとう。』 ですって。」
僕はそれを聞いて複雑な気持ちになった。おそらくこの子達は戦火に巻き込まれて家族と空腹を堪え忍んでいるのだ。我々は自分達の国の正義を信じて戦っているが女子供にはそんなことは全く関係の無いことでありこの子やその母親はまさに戦争の被害者なのだ。こんな小さな子供が戦争で追い詰められている様を目の当たりにして我々の行動が本当に正義と言えるのか? という思いがふと頭をよぎった。その時男の子がまた何事かを口走った。オッペルがすかさず通訳する。
「少尉、この子が聞いてます。『あなた達は何処から来たの? 』と。」
「遠いところから来た、とでも言っておいてくれ。また今度会うことがあればその時はまたパンをあげる、ともな。さぁ、そろそろ行こうか。」
僕らは二人の子供に別れを告げてまた出発した。子供達は別れ際には笑顔で手まで振ってくれた。ナウマンがボソッと僕に言った。
「やっぱり子供は笑顔でないと。少尉、良いことをしましたね。」
「そうだな。」
僕はそれだけ答えて双眼鏡を手に取りまた目標とする湖を探しだした。
我々はさらに灌木の合間を進んだ。五分程進むと霧が立ち込めてきて視界がかなり悪くなってきた。
「ハンス、ゆっくりだぞ。」
僕がそう言った次の瞬間だった。ハンスが急ブレーキを掛けて車を停めた。
「どうした!? 」
僕が聞くとハンスは前方を指差しながら言った。
「少尉、 人が倒れています。 どうやら軍服は着ていないようですが……。」
僕がハンスの指指した方向を見ると確かに道の左手に男が一人倒れていた。
「この辺りに住む農民かな? 少し近づいてみよう。」
僕はそう言ってハンスに車をその倒れている男に近づけるように指示した。そして僕は車を降りてその男のところに歩みよった。男はうつ伏せに倒れていた。周囲を調べたがその男は手には何も持っておらず付近には手榴弾や地雷といった罠が仕掛けられている様子も無かったので僕はその男に触れて身体を起こし仰向けにしてから声を掛けた。その男は六十歳ぐらいの老人で顔には殴られたような痣がいたるところにあった。
「おい! 大丈夫か? 」
老人は気を失っていて何も答えなかったが息はあった。僕は痛々しいその姿を放ってはおけなかった。
「助けてやろう。おい、みんな。手伝ってくれ! 」
おそらくその老人を見て同じ気持ちになったのだろう。皆文句一つ言わずに車を降りて僕らは四人で応急手当てを始めた。
「右腕と左足が骨折してますね。あと身体にも傷が何ヶ所かあって少し出血しています。」
ナウマンが老人の身体を見ながらそう言った。
「俺達が出来る応急措置なんて高が知れているがしないよりはマシだろう。ハンス、骨折箇所に当てる添木をその辺で探してきてくれ。オッペル、消毒用のアルコールと包帯を持ってこい。」
僕らはてきぱきと動いて措置を施した。どうやら命に別条はなさそうだ。あとはこの老人が意識を取り戻すのを待つのみとなった。だがその時老人を取り巻くようにして座り込んでいた僕らの周囲が一瞬ガサガサと騒がしくなった。僕らは驚いて立ち上がり周囲を見渡すとライフルを構えた五〜六人の男がその銃口を真っ直ぐこちらに向けていた。
「しまった! 敵兵に囲まれてしまった! 」
そう心の中で叫んだ瞬間はもう遅かった。応急措置に気を取られ過ぎて周囲の警戒を怠ってしまったのだ。間近でライフルを突き付けられ僕らは降伏するしかなく手を上げた。すると僕らにライフルを構えた男の一人が何事かを叫んでいる。おそらく抵抗をするなとでも言っているのだろうか? 僕は立って手を上げたままオッペルに聞いた。
「何て言ってるんだ? 」
「『手を上げて頭の後ろで組め』と言ってます。あと『この老人を酷い目に遭わせたのはお前達か? 』とも聞いてます。」
「俺達は倒れていたこの老人を助けていた、と伝えろ。」
オッペルは手を頭の後ろで組みながらライフルを構えている男の一人に状況を説明した。だが男は僕らが身に付けている護身用のピストルを取り上げながらオッペルの話に何の反応も示さなかった。僕らは黙って立っていたが暫くするとその男が何事かをオッペルに言った。僕はオッペルに聞いた。
「何て言ったんだ? 」
「『お前達はマイルヤーナ軍か? 』と言ってます。」
僕らはそのことを認めざるを得なかった。ル・カメリカの言葉を喋れない僕らがル・カメリカ軍の人間だと嘘をついてもすぐ見破られると思ったからだ。だが僕らの着ている軍服を見ればマイルヤーナ軍というのは一目で分かる筈なのに何故そんな質問をするのだろう? と僕は思った。よく見るとそのライフルを構えた男達は軍服を着ていない。どうも正規の軍人ではないようだ。レジスタンスか何かだろうか? 僕らをどうするつもりなのだろう? 僕がそんなことをあれこれと考えているとその男達は黒い布とロープを持ち出して僕らの両手を後ろ手に縛り目隠しをした。何処かに連れて行かれるようだった。
「助けてくれ! 殺さないでくれ! 」
オッペルが泣き叫んだ。僕もいざ両手の自由と視界を奪われると急に途轍もない恐怖感に襲われた。これから酷い拷問を受けるのだろうか? それとも虫けらのように簡単に殺されてしまうのだろうか? もう二度と故郷には帰れないのだろうか? そう考えると僕もオッペルのように泣きたかったが自分が誇り高きマイルヤーナ軍の士官であるということを必死に自分に言い聞かせてなんとか表面的には冷静を保った。
「どうなるんでしょう? 僕達……。」
普段しっかり者のハンスでさえ声が恐怖で震えているようだった。僕らはライフルを突き付けられてただ黙々と歩くしかなかった。




