レジスタンス
「リリー! 見てくれよ! 一応歩けるようにはなってきたぜ!」
僕は病院の廊下の手摺に摑まって立ちながらリリーの方を見てそう言った。
「凄いわ! 少尉! じゃあ次は杖を使って外を歩いてみる?」
リリーはそう言って微笑んだ。
「勿論トライするよ!ベッドで一日中寝てるだけなんて退屈過ぎて死にそうだ。」
「じゃあ部屋へ戻って外出着と杖を取ってくるわね。ちょっと待ってて。」
イカサの病院に入院してから一週間が経ちようやく傷の痛みが和らいできたので僕は歩行の為のリハビリを開始した。本当はもっと早くリハビリを始めたかったのだがリリーが無理をすると結果的には完治まで長引くからと言ってなかなかそれを許してくれなかったのだ。今朝起きてから僕は病院の廊下を手摺に摑まりながら何度も往復していた。その姿をリリーに見せてようやく僕は一週間ぶりに病院の外に出るお許しを得たのだった。
「今日は暖かいから上着だけでも寒さは大丈夫よ。地面も凍ってないし。でも気を付けてね。転倒して骨折でもしたら入院が大幅に長引くわよ!」
彼女はそう言って悪戯っぽく微笑むと僕に上着を着せて杖を手に握らせてくれた。僕は杖を使うのは初めてでぎこちない動きながらも何とか病院の外に出た。
「今日は暑いぐらいだね。もう季節は春なんだな。」
「この一週間ですごく暖かくなったわ。さぁ、ゆっくり歩いてみて。無理は駄目よ。」
僕はリリーに支えられながら杖を使ってゆっくり歩いた。暫く歩くと僕はしくじってバランスを崩し倒れそうになった。思わず僕はリリーの体に抱きついて体勢を保った。彼女からいい匂いが漂ってくる。仕事とはいえ見知らぬ男に抱きつかれて嫌だろうなと思い僕は思わず彼女から体を離そうとした。
「ごめん、リリー。」
「いいわよ。あなたが転ばないように私がいるんだから。遠慮なくつかまって。」
そう言いながらも彼女の顔はすこし赤くなっているように見えた。僕は倒れないように暫く彼女に抱きついて直立した姿勢を維持した後また歩行を再開した。僕はちょっと気まずくなって彼女に話かけた。
「ごめんね、ずっとリハビリに付き合ってもらって。他の仕事はいいのかい?」
「大丈夫よ。あなたを元気にするのも私の立派な仕事なんだから。」
彼女は顔を赤らめながらも笑って僕にそう言った。その彼女の顔を見ていると僕も変に意識してしまって余計にふらついてしまい僕ら二人は見事に転んでしまった。
「だ、大丈夫かい? リリー!」
「私は平気よ。うふふ、お互い怪我はないみたいね。」
衣服に付いた砂を払いながらながら僕らは顔を見合わせて笑った。
「ねぇ、だいぶ歩いたわね。この先に公園があるわ。そこで一休みしない?」
「いいね。行ってみよう。」
僕らはリリーの言うすぐ近くの公園までゆっくり歩いていった。
公園に着くと僕らはベンチに座った。まるで今が戦争中だということを忘れてしまうほどのどかで暖かい日だった。公園の中央には広場があってそこでは占領下イカサのル・カメリカの子供が何人か遊んでいた。僕らは暫くその子供達が走り回るのを眺めていた。
「ねぇ、フランツ少尉。あなた出身は何処?」
「フランツでいいよ。クレリバーさ。」
「クレリバー? いいところじゃない!高級住宅街があるのよね?」
「いやいや、確かにあるけど僕の家はお金持ちじゃないよ。お金持ちなら親が兵隊なんかさせやしないよ。僕は学生時代出来が悪くてね、軍隊ぐらいしか僕を受け入れてくれなくてさ。」
「私も勉強は苦手だったな。私姉がいるの。姉が看護学校に通っててそれで私も何となくその道に進んだんだけど…。姉は成績優秀でいつも私は比較されて駄目な妹だって言われてたわ。姉は今国内の大きな病院に勤務しているけどそんな姉と比較され続けるのが嫌で私は従軍看護婦に志願したの。親には内緒でね。だから実は愛国心が人一倍強い訳ではないの。」
「リリー、僕も一緒さ。僕にも優秀な兄貴がいていつも周囲からは比較されて嫌だったよ。昔は劣等感の塊だったんだ。」
「お互い似た境遇ってことね。」
僕らは顔を見合わせて笑った。するといつの間にか僕らの座るベンチのすぐそばに三歳ぐらいの男の子が立っていてじっと僕らを見ている。僕ら二人は揃ってその男の子を見た。
「どうしたんだろう。」
「言葉が通じないものね。多分お腹が空いてるんじゃない? 坊や、これを上げるわ。」
彼女はそう言うとポケットからチョコを取り出してその男の子に差し出した。その男の子は警戒するようにじっとそのチョコを見つめていた。だがやはりお腹が空いていたのだろう。暫くすると歩み寄ってきてチョコを手に取り夢中で食べ出した。僕らはその様子をにこやかに眺めていた。すると母親らしき女性が飛んできてその男の子を叱りだした。見ず知らずの人に物をもらったことを責めているようだったが言葉が通じないので何を言っているのかは分からなかった。そしてその母親は僕らに向き直ると頭を下げて何かを言っている。お礼を言っているようだったがその表情はあまり感謝しているようには見えなかった。彼女のプライドに障ったのかもしれない。その母親は茶色い髪が乱れてボサボサになっていて目の下にくまがありかなり疲れている感じのする女性だった。僕らは彼女に「大したことはしていないから気にしないで」というゼスチャーをしながらそのベンチを立った。
「帰ろうか?」
「ええ。」
僕ら二人はまた寄り添いながら病院まで歩いて帰った。
その日の夜、僕は昼寝をたっぷりした為か眠たくなかったので一人で病院の廊下を行ったり来たりして歩行訓練をしていた。そうしているとそれだけでは僕は物足りなくなり杖を持ち出して病院の外をすこし歩いてみようと思った。夜の外出は危険かもしれないとも思ったが眠ることも出来ず退屈なのだ。僕は念の為護身用の拳銃を携帯して部屋を出た。僕の病室は建物の二階にありそこを出て階段を降りて行くとすぐ玄関があった。この病院はもともとホテルだった建物を利用しており玄関は広くなっている。今日は運び込まれてくる負傷者もおらず電気は消されていて真っ暗になっていた。僕は暗闇の中を一人杖をついて玄関に向かって歩いていった。目がだんだん暗闇にも慣れてきてふと前を見るとガラス張りで両開きの玄関ドアがありその外側に友軍の連絡用の小型乗用車が停まっていることに気が付いた。そして次の瞬間その小型乗用車の近くにチラッと人影が見えたのだ。僕は最初友軍の見回りの兵士かと思ったがそうではなかった。よく見るとその男は立った状態からしゃがみこんで車の下部を覗きこむような姿勢を取っている。しかもマイルヤーナ軍の軍服は着ていない。月明かりだけでハッキリとは分からないが明らかに不審な人物だ。その男はキョロキョロ周囲を見渡しながら何かをしている。だが病院の中からガラス張りのドア越しに近づいてくる僕には全く気が付いていないようだった。おそらくドアのガラスが月明かりにわずかに反射して病院の中の様子を分からなくしているのだろう。周囲には味方の兵士は誰もいない。軍人である以上はその場にいる僕が不審者の正体を突き止めなくてはならない。それが僕の義務だと思った。僕は拳銃を手に取ってその男に気付かれないようにゆっくりと近づいて行った。
「動くな! 手をあげろ!」
僕は病院の玄関ドアを開けながらそう言ってその男に拳銃を向けた。その男はかなり驚いた様子でちらっとこちらを振り返ったがそのまま逃げ出そうとして走り出した。
「止まれ!」
その男には止まる気配は無かった。おそらくレジスタンスなのだろう。昼間は一般市民を装っているが一旦暗闇に紛れると牙を剥いてくる恐ろしい連中だ。僕はためらうことなくその男に発砲した。パン! という音が響いてその男は倒れた。
「何事だ!」
暫くすると銃声を聞きつけて歩哨に当たっていた味方の兵士が数名駆けつけてきた。僕は倒れた男に銃口を向けたまま彼らに説明をした。
「この病院に入院しているフランツ少尉だ。不審者を発見したので制止するよう命じたが逃げたので発砲した。あの倒れている男とこの乗用車を調べてくれ。この乗用車には何か仕掛けられているかもしれん。」
それを聞いた兵士達は僕の上着の階級章をちらっと見てから慌てて敬礼をした。
「失礼しました! 少尉殿! すぐに調べます!」
彼らはすぐに二手に分かれて乗用車と倒れている男にそれぞれ恐る恐る近づいていった。味方の兵士が来てくれたことでようやく僕はホッとして肩の力が抜けた。そして全身が汗ばみ呼吸もかなり乱れていることにその時初めて気が付いた。いつもはどでかい戦車砲を扱っている僕だがこんな小さな拳銃で生身の人を撃ったのは今回が初めてだったのだ。実はかなり緊張していたのだろう。そして暫くすると乗用車の下部を懐中電灯片手に調べていた兵士が大声で報告してきた。
「少尉殿! 爆発物らしき物が車体の下面に取り付けられております!」
「すぐに爆発物処理班を呼べ。勝手に触るとドン! といくかもしれんぞ。」
僕はそう指示を出した。そして今度は倒れている男の方に近づいていって別の兵士に問いかけた。
「その男は生きているか?」
「少尉殿! こいつは死んでおります。それとこいつは男ではありません。女です。」
「なにっ!? 女だと?」
僕はそいつの顔を覗きこんだ。頭部を覆っていた頭巾が剥ぎ取られたその顔を見た時僕はぎょっとした。
「懐に拳銃を所持していますね。おそらくレジスタンスの一味だと思われます。」
僕はその女の顔をまじまじと見つめていた。茶色いボサボサの髪の毛に目の下のくま。そう、その女は昼間僕とリリーがチョコを上げた男の子の母親らしき女だったのだ。今は目を見開いたまま口から血を流して絶命している。
「少尉殿の放った銃弾が心臓を貫いてますなぁ。お見事ですよ。少尉殿!」
周りの兵士達はそう言って笑っているが僕はとても笑う気にはなれなかった。自分が撃った相手は昼間に一度顔を合わせている女だったのだ。戦場で顔も知らない敵兵を戦車ごと吹き飛ばして殺すのとは訳が違う。自分が人を殺したという生々しさが実感としてあった。そしてそのこともショックだったがそれ以上に気になることがもう一つあった。あの坊やはどうなるのだろう。母親が死んで父親はいるのだろうか? もし父親も死んでいたりしたらあの子は一人で生きていけるのだろうか? そして母親が殺されたことを知ったらあの子はどう思うのだろうか? ーーそういった問いかけが一瞬のうちに頭の中にぐるぐると渦を巻いた。だがその時不意に病院の玄関ドアの方から聞き覚えのある声がした。リリーだ。僕の頭の中の渦はすこしだけ和らぎ僕の注意は彼女に向いた。
「あの〜、何かあったんでしょうか?」
振り向くとやはりリリーだった。だが彼女は不安そうな表情を浮かべて立っている。当直だったらしく騒ぎを聞きつけて病院の中から出てきたのだ。僕は慌てて拳銃をポケットに隠すと足を引きずりながら病院の玄関ドアのところへ行って射殺された女の死体にリリーが気付く前に彼女を病院の中に追い返そうとした。今は軍人である僕が悩んでいる場合ではない、軍人ではない一般人の彼女にこの光景を見せて怖い思いをさせないことが最優先だと僕は思ったからだ。
「リリー、何でもないよ。部屋に入ってて!」
「え? フランツなの? 何をしてるの? きゃぁっ!」
僕の姿を見とめて一瞬微笑みかけた彼女だったが急に表情が変わり小さく悲鳴を上げた。全ては手遅れで彼女は倒れて血を流している女を見てしまったようだった。
「な、何があったの…?」
そう言ってすこし震えている彼女の瞳には涙が浮かんでいるようだった。僕はゆっくりと彼女に近づいていって優しく抱きしめながらこう言った。
「大丈夫、怖くないよ。もう部屋へ戻ろう。」
彼女は無言で頷いた。そして僕とリリーは病院の中のリリーの部屋へ向かってゆっくりと歩いていった。




