被弾
「少尉、どうぞ。」
ハンスはそう言うと僕にコーヒーカップを手渡した。
「あぁ、ありがとう。」
僕はそう言うとそのカップの中で湯気を立てている真っ黒なコーヒーを一口すすった。
「少尉、昨日の戦闘では少尉がいなければ僕らは多分死んでました。バウアー大尉も同じようなことを言ってましたよ。」
「そんなことはないよ。たまたまさ。」
激しい戦闘が終了し敵が撤退した後、我々バウアー中隊は一旦イカサの町に戻り弾薬と燃料の補給を受けていた。バウアー中隊だけではなくバウアー中隊が所属する第七装甲師団自体がかなり消耗していたが戦車や兵員の増強は無く噂ではまた違う敵の町の攻略戦が始まるらしいということだった。バウアー中隊の面々は敵の大部隊の攻撃を退けたということで士気はかなり上がっているように見えたが僕自身はかなり疲れていた。だが僕より若いハンスが僕に気を遣って珈琲を入れたり話かけたりしてくれているのだ。年上の僕が疲れた素振りを見せている場合ではないと思い僕はハンスに話しかけた。
「ところでハンス、お前何歳だ?」
「私ですか?私は二十歳になったところですよ。」
ハンスはニコリと微笑んで答えた。
「二十歳?本当か?落ち着いているな。」
「そうですか?そんなことないですよ。」
「いや、戦闘中も真っ先に敵に気が付くことが多いし取り乱すこともないしな。お前は優秀な操縦手だよ。」
「じゃあ優秀な中隊長兼戦車長と砲手と操縦手が乗っているバウアー中隊長車は第七装甲師団の中ではかなり優秀な方ですね。給料を上げてもらうようにシラー少将に交渉しないといけませんね。」
「勿論だ。それに中隊長兼戦車長は優秀どころか完璧だからな。あの人について行ってあの人の命令をこなしているだけでも他の軍人の倍ぐらいの仕事をこなしている筈さ。当然給料アップだな。」
僕ら二人は冗談を言い合いながら顔を見合わせて笑った。お互いがお互いを励まそうとしているのが態度を通じて伝わってきたような気がしたからだ。おそらくハンスもそう思ったのだろう。僕は温かい気持ちになった。
「中隊長が来られました!」
僕とハンスは自分達の乗る戦車の脇で雑談していたのだがそこへピエールがやってきてそう言った。戦車の中で無線機のメンテナンスをしていたリールもその声を聞いて慌てて戦車から飛び出してきた。そうして僕ら四人は戦車の前に整列してバウアー大尉を迎えた。
「全員揃っているな。ではこれより新しい作戦の説明をする。」
大尉は足早に僕ら四人のところへ来ると戦車の脇に置いてあったテーブルに地図を広げて説明を始めた。
「友軍の主力部隊はイカサの東方にあるボリ-チョという都市を攻撃する。このボリーチョには敵の軍需産業の工場があると言われその重要度はイカサの比ではない。早期にこの都市を占領することは敵国家の生産力を弱体化させることに繋がる。」
大尉は早口で喋り続けた。
「我が第七装甲師団は友軍主力の陽動隊としてボリーチョの南西にあるマイハという街を攻略する。ここも工場の立ち並ぶ都市だがボリーチョほど大きくはない。だが敵もそれなりに我々を迎え撃つ準備をしているだろう。全員気を抜くなよ!では全員乗車!すぐに出発だ!」
僕らは慌てて戦車に乗り込みマイハに向けて侵攻を開始した。三型戦車のエンジンが唸りを上げ雪と土を巻き上げる。第七装甲師団の車輌は一列になって白と黒の斑に覆われた大地の上を進んだ。
「バウアー大尉!前方右手に小さな村があります。」
出発してから二時間ほど経った頃だろうか、ハンスが覗き窓より外を見ながら叫んだ。
「ああ、あるな。小さな村のようだ。地図にもない。」
バウアー大尉は既に気が付いていたようだった。大尉は上部ハッチを開け頭だけを戦車から出し双眼鏡と地図を交互に覗き込みながらそう言った。
「敵が潜んでいる可能性がありますよね。調べた方が良いのでは?」
ハンスが答えるとバウアー大尉は頷いてすぐに無線で指示を出した。
「リール!第七装甲師団本隊へ連絡!バウアー中隊はここで一旦停止しあの村に敵兵が潜んでいないか調査に向かう、第七装甲師団本隊はそのまま進まれたし、調査終了後すぐに追いかけ再度合流する、とな。」
バウアー大尉はリールにそう命令を出した後、中隊の別の戦車にも命令を続けた。
「五号車と六号車は俺について来い!今からあの村を調べる。後の中隊戦車はここで待機だ。リール!歩兵隊にも随伴を要請しろ。」
「了解!」
僕らバウアー中隊の一号車と五号車、そして六号車は歩兵を乗せた装甲車二台を連れてその小さな村に向けて進路を右に変えた。
「敵からの攻撃は今のところありませんね。」
村まであと500m程に近づいた時にハンスが言った。僕らの進む道から村まではなんの遮蔽物もなくこちらは丸見えの状態だ。今狙い打ちされたらたまったものではない。僕の額には汗が滲んでいた。僕は目を凝らして視界に入る民家に敵兵が潜んでいないか探したが今のところは誰もいないように見える。
「敵兵なんかいなければいいのに。」
リールが祈るように呟いた。その直後だった。ドォーンという爆発音が響く。それと同時にリールが大声で「うわぁ~」と叫んだ。僕も声こそ出さなかったが小便を漏らしそうになるほど驚いた。
「黙れ!馬鹿者!何の音だ?」
バウアー大尉が怒鳴る。すると無線が鳴った。
「こちら五号車、地雷によりキャタピラが破損した。走行不能。」
「全車停止せよ!他にも地雷が埋設されている危険がある。動くなよ。工兵隊を呼べ!」
バウアー大尉が無線で指示を出した。たまたま僕らの乗る一号車の右横を併走していた五号車が地雷を踏んでしまったのだ。
「ちっ!まずいな。」
僕は思わず舌打ちした。村から丸見えの状態で動けなくなったとなるとそれは敵にとっては格好の標的でしかない。敵が仕掛けてくるなら今だ!僕がそう思った瞬間だった。またもドォーンという爆発音が響いて僕らの乗る戦車が大きく揺れた。リールがまた悲鳴を上げる。
「くっ!狙われてるぞ!敵は何処だ?」
今度の爆発音は間違いなく敵の戦車砲が僕らを狙って射撃をしたのだ。幸い今のは外れたが敵は狙いを修正して二発目を打ってくる。それまでに敵を見つけなければならない。
「いない!何処にもいないぞ!」
リールがパニックになっているとそこへ今度は凄い爆発音と衝撃がきた。それは今まで体験したことのない強烈なものだった。搭乗員全員が思わず悲鳴を上げる。一瞬のことで僕は最初何が起こったのか分からなかった。だが鼻をつく火薬の匂いと立ち込める硝煙、そしてリールの軍服に血が付いているのを見てようやく理解した。どこかに命中弾を喰らったのだ。僕は敵弾の命中したところが悪ければ戦車が大爆発を起こして自分が死んでいたのではないかと思うと全身冷汗に包まれて頭の中は真っ白になり何も考えられなくなった。
「やられた~!血が出てる~!」
リールが左腕を押さえて泣き叫んでいる。だがその声をバウアー大尉の怒声が掻き消した。
「黙れ!フランツ!見つけたぞ!敵対戦車砲だ!左二時の方向だ。距離四百!榴弾だ!」
僕はバウアー大尉のその声でようやく正気を取り戻した。そして火薬の匂いと硝煙と呻き声で溢れている戦車の中で大急ぎで戦車砲を目標に向けた。
「ラッキーだな!敵はこちらに命中弾を与えて破壊したと勘違いしたようだ。照準を五号車に合わせようとしている。やれるのは今しかない。任せたぞ、フランツ。」
戦車砲を二時に向けて照準器を覗き込むと敵の対戦車砲は僕らの乗る戦車の砲塔が動いたので慌てて照準を五号車からこちらへ戻そうとしている。鼓動は高鳴り全身汗まみれで呼吸も乱れていた僕だが相変わらず両腕だけは機械のように素早く正確に動いた。そして僕は引金を引く。その引金を引く瞬間だけは普段雑念だらけで物事に集中出来ていない僕の頭の中も静かになり落ち着いているように感じた。
「命中!一撃必殺だな!」
敵対戦車砲は僕の放った砲弾で吹き飛んでいた。バウアー大尉の少し安心したような声が聞こえてきて僕もすこしほっとした。だがその砲撃戦を合図に敵の攻撃が始まった。村から敵の対戦車ライフルがこちらを狙ってバンバン撃ってきたのだ。
「待機中のバウアー中隊へ!こちら中隊長車だ。やはりあの村には敵がいる!戦車二台が小破!至急応援を寄こしてくれ!」
大尉はそう無線機に怒鳴った後僕とハンスとピエールに指示を出した。
「我々の戦車は左側の駆動輪を破壊されたようだ。今は動けないし周囲には地雷の危険もあるので我々は外に逃げ出すことも出来ない。よってここで固定砲台となって友軍を援護する!フランツ。視界に入る全ての民家を吹き飛ばせ!もう一度対戦車砲に撃たれたら俺達は全員あの世行きだ!敵の反撃の芽を摘んでしまうぞ!ピエール、榴弾装填しろ!そしてハンス、リールの怪我を見てやれ。」
僕は敵の潜んでいそうな民家を片っ端から砲撃した。動けなくなった五号車も僕らに続いて砲撃を開始したので視界に入る民家は全て瓦礫の山と化した。そうして暫く砲撃を続けていると村からの敵の銃撃は完全に沈黙した。それを確認してからバウアー大尉はハンスに向かって言った。
「リールはどうだ?」
痛い痛いと喚くリールの傷口を覗き込んでいたハンスは言った。
「破片か何かが飛んだのでしょう。左腕から出血してます。ですが軽傷です。取り敢えず包帯巻いておきます。」
「大袈裟な奴だ。」
バウアー大尉は呆れたようにそう言ったが顔には笑みが浮かんでいた。リールの無事が分かって安心したのだろう。だがその時だった。
「後方に敵戦車!」
無線から誰かの大声が聞こえたと思った直後に大きな爆発音がした。バウアー大尉が後方に目を遣りながら叫ぶ。
「まずいぞ、六号車がやられた。フランツ!敵戦車が右後方五時の方向だ!主砲を廻せ!早く!」
唯一損害を受けていない六号車が撃破されてしまったのだ。残った戦車は動けない僕らの一号車と五号車のみ。しかも敵戦車は後方から近づいており僕らは装甲の薄い後部を敵にさらしている。一発喰らえばエンジンが爆発し僕らはあっという間に丸焼けだ。僕は大急ぎで戦車砲のハンドルを回した。また全身が冷汗に包まれる。
「敵戦車は一台だけだ!距離二百!動いていない!こちらを狙ってくるぞ!フランツ!急げ!」
ようやく僕らの主砲が敵戦車の方向を向いた時だった。敵戦車が発砲し五号車の近くに着弾した。外したのだ。この距離で動いていない目標を外すとは致命的なミスだ。その一回のミスが生死を分けることを思い知らせてやらなければ!僕はそう思いながら敵の戦車に照準を合わせた。だが引金を引く前にその戦車は爆発して火を噴いた。
「なんだ?」
僕が思わず声を発すると無線が鳴った。
「バウアー大尉!お待たせしました。こちら第二小隊!敵戦車一台を撃破!」
「馬鹿者!遅いぞ!だがまぁいい。感謝する。」
バウアー大尉の顔に安堵の表情が浮かぶ。危機は脱したのだ。大尉は言葉を続けた。
「周辺には地雷の危険がある。工兵隊に地雷除去をさせてからこちらに来てくれ!でないと足を吹っ飛ばされることになるぞ!」
「第二小隊了解!」
その無線のやりとりを聞きながらリールが呟いた。
「ゆ、友軍が来てくれたのか。はぁ、助かった。」
リールは傷口を押さえて肩で息をしながらも笑みを浮かべた。だがその目には涙が溜まっている。今回の戦闘もピンチの連続だったのだ。涙が出るのも無理もないと思った。
「おい、みんな前方を見てみろ。敵兵が投降してくるぞ。」
バウアー大尉が双眼鏡を片手に言った。僕らは恐る恐るハッチを開けてその様子を窺った。すると敵の兵士が十名位であろうか。白旗を掲げて瓦礫と化した民家から出てきていた。やっと戦闘が終わったのだ。生き残れた、そう思うと急に身体中の緊張が解ける気がした。そして僕は早く第七装甲師団本隊に合流して温かい真っ黒な珈琲が飲みたいと思った。




