宣戦布告
「ついにこの時がきてしまったか。」
思わず僕は小声で独り言を呟いていた。 覚悟をしていたとはいえいよいよ戦争が始まるのだ。戦車に搭乗して待機すること一時間半、僕はずっと砲手席に座ったまま同じ姿勢でじっとしていたので背中や足がすこし痛くなっていた。足や腰を伸ばし軽いストレッチをして脹ら脛を揉みながら時計を見ると作戦開始時間の零時まであと五分を切っていた。周囲を見渡しても皆そわそわしていて落ち着かないようで口を開く者は誰もいない。皆何を考えているのだろう?怖くないのかな?ちらっと目をやると戦車長のリコなんかは明らかに顔が強張っている。そしてあとの三人も固い表情のままちらちらと時計を気にしていた。やはり皆多かれ少なかれ緊張して怖かったりするんだろうなと僕は思った。ただ僕もおそらく他人から見れば表情はガチガチに強張っているのだろうけれども。僕は何気なく戦車砲の照準器から外を眺めた。だが外は真っ暗で何も見えなかった。そしてまた時計に目をやった。零時まであと二分になっていた。
「そろそろ零時です。」
ハンスが戦車内で久々に言葉を発した。その言葉を聞いて戦車内の全員があらためて自分の腕時計を覗き込んで暫く眺めていた。そして長針と短針が十二の数字を同時に指したその瞬間に遠くから野砲の音が響いてきた。そしてそれは絶え間なく続いた。敵の陣地への砲撃が始まったのだ。僕は戦車の上部ハッチを開けて頭を出し外の様子を伺ったが野砲の音が聞こえるだけで周囲の暗闇には変化はなかった。するとリコが上ずった声で指示を出した。
「わ、我々もこれより進撃を開始する。我が軍の主力は正面から敵陣地へ攻勢をかけるが我々はその後方に回り込み敵の補給路を遮断する包囲作戦を行う。エ、エンジンスタート!ぜ、前方の車輌に続いて進むぞ。」
「了解です。エンジンスタート。」
ハンスがそう言ってエンジンをかける。気温の低い夜だったがエンジンは一発でかかった。振動が細かく体に伝わってくる。他の戦車も次々とエンジンをかけていっていた。
「前方車輌が動き始めました。続きます。」
「よ、よし、車間距離を十メートルに保てよ。ぜ、前進!」
ハンスの言葉に続いてリコの指示が飛ぶ。履帯の鉄の軋む音が車内に鳴り響いた。いよいよ我々はル・カメリカ帝国の領土へ進軍を始めたのだ。これからは何が起こるか分からない。今この瞬間にも敵から放たれた砲弾が僕らの乗る戦車に直撃して命を落とすかもしれないのだ。表情は平然を装いながらも僕は死にたくないと心の中で強く思った。本当は戦車から飛び降りて逃げ出してしまいたかった。だが僕は軍人で使命は果たさなければならない。僕らが逃げ出せば美しい祖国マイルヤーナは隣国に蹂躙されてしまうのだ。僕らの乗る三型戦車の無限軌道は山間の道をル・カメリカ帝国に向けて真っ直ぐ突き進んだ。
進撃を開始してから六時間、我々はようやく山間の道を抜けてだだっ広い雪原に出た。だが敵との遭遇はなく東の空を見ると太陽が顔を出してくるところだった。朝がきて雪原を太陽光が照らしだす。我々は敵が周囲にいないことを確認すると全車輌を停止させて燃料の補給を開始した。すると大きな音がして我々の頭上に味方の爆撃機の編隊が現れた。おそらく夜が明けたので陸上部隊の援護を行うのであろう。数百の爆撃機が次々に我々の頭上を通り越していく様はなかなか迫力があった。我々は爆撃機の後ろ姿を見送ると燃料の補給を終えてまた進撃を続けた。
だが結局この日は進軍中に会敵することはなかった。前日の夜中からこの日の夕方まで我々はぶっ通しで隊を進めてきてかなりの距離を走破していたにもかかわらずだ。山間のうねった道も多かったがそれでも直線距離にして二百km近く進んでいるとある士官は言っていた。だが我々は補給物資を積んだトラックが故障して走行出来なくなるというトラブルが発生した為一旦その進行を止めることにした。トラックの修理をしている間僕は初めて戦車を降りル・カメリカの領土に足を下ろした。周囲を見渡しても全てが真っ白だったが思ったほど寒くはなく積雪も深くはなかった。そのことを裏付けるかのように我々の通ってきた道をふりかえって見ると轍が残っておりそこには黒い土が所々姿を現していたのだ。この地にも春は訪れつつあるのだなということを僕は実感した。その時シラー少将の側近が僕ら戦車隊のところへやってきて主力部隊から戦況経過の報告があったことを教えてくれた。その報告によると主力部隊の奇襲による攻撃は成功しル・カメリカの部隊は随所で撃破されているという。そして敵は混乱し敵地の後方へ迂回しようとしている我が部隊の同行など全く掴めていないようだとシラー少将は考えているらしかった。だが明日には退却する敵軍に遭遇するのではないか?とその側近は言って去っていった。それを聞いて思わず僕はほっとした。少なくとも今日一日は生きていられると思ったからだ。
だが二時間ほど経ってトラックの修理が終わろうかという時だった。歩哨から連絡があり敵の戦車らしき車輌が西の方角から近づいているという。数は二十〜三十程度でこちらには全く気が付いていないとのことだった。おそらく友軍の攻撃を受けて敗走している部隊だろう。ついに戦車部隊に出番がきた。僕はすこし手が震えていたがそれを皆に悟られないようにしながら戦車に乗り込んだ。もうこうなってしまっては逃げ出しようもない。ベストを尽くすだけだと僕は開き直った。師団長から連絡が入りそれを受けてリコが前進の命令を出すとハンスが応える。我が三型戦車は前進を始めた。我々戦車隊は歩哨からの報告をもとに敵の進行ルートを想定して待ち伏せする作戦をとった。ちょうど敵の予想進行ルートのすぐ脇に戦車隊が隠れて潜めそうな森林があった。我々はその森林まで進むと慌てて簡単なカモフラージュを施し敵の進行を待った。辺りはすこし暗くなりかけている。暗くなる前に敵が予想通り我々の前に躍り出てくれれば格好の餌食なのにと僕は思った。
「敵はもう見えてますか?」
戦車の上部ハッチを開けてそこから頭を出し双眼鏡を覗いているリコにピエールが聞いた。リコは何も答えなかった。おそらく彼の双眼鏡に敵影は写っていないのであろう。僕も戦車砲の照準器から外を見たが照準器の視界は狭く何も見えなかった。だが暫くするとリコが上ずった声を上げた。
「い、いた!敵が近づいているぞ!」
リコはそれだけしか言わず双眼鏡を覗き続けていた。僕は思わず聞き返した。
「どの方向から来てます?数と種類は?あと距離はどれぐらいですか?」
「え〜と…。方向は十時だ。数はまだよく分からない。おそらく戦車だろう。距離はまだ千メートルぐらいあるかな。」
「了解。主砲を目標に向けます。」
リコの頼りない返答にイラっとしながら僕は主砲を十時の方向に向けて照準器を覗き込んだ。敵の車輌が一列になって雪道をこちらに向かって走ってくるのが見える。暫く観察していると僕らの乗る三型戦車と同じような大きさの戦車とそれより小型の戦車の二種類がいて数は両方合わせて三十ぐらいいるということが分かった。両方とも僕らの戦車と同じくらいの口径の戦車砲を持っている。おそらく37mm前後の主砲なのだろう。攻撃能力は互角だ。先に当てた方が勝つ。僕は自分の鼓動の響きが大きくなるのを感じた。
「戦車長、徹甲弾装填してよろしいですね?」
僕は思わずリコに聞いた。リコは緊張しているのか何も指示を出さないからだった。
「あ、ああ。」
リコはそれだけ言った。それを聞いて僕はピエールに指示を出した。
「ピエール、徹甲弾装填だ。」
「了解。」
ピエールが徹甲弾を戦車砲に詰め込む。それを確認してから僕はまたリコに聞いた。
「一番先頭の車輌に照準を合わせます。よろしいですか?」
「あ、ああ。」
「射撃開始の指示だけはきっちりお願いします。」
「分かった。」
僕はまずいと思った。リコは極度の緊張で我を失い何の指示も出せなくなっている。僕もかなり緊張していた筈なのだが敵を目前にして次に自分が何をやらなければならないかということが何故か次から次へと頭に浮かんでくる。これはおそらくバウアー大尉に散々しごかれた日々の訓練の賜物であろう。そしてだんだん自分が落ち着いてきているということも感じていた。リコに任していては心許ない。僕がしっかりせねばと思った。
「距離約三百です。」
僕は照準器を覗き込みながら皆に距離を伝えた。そして僕は先頭の車輌に狙いをつけていつでも引金を引ける準備をしていた。というのも敵は真っ直ぐ我々の潜む森林の前を西から東へ横切ろうとしている。そして僕らの隊は森林の中を敵が進んでくる道に沿って東西に一列に並んでおり僕の乗る戦車は一番東端に位置しているのだ。敵の先頭車輌が僕の乗る戦車の前に差しかかれば我が軍の全車輌は敵の側面から攻撃可能な位置にいることになる。僕はそのタイミングを森林に潜む全車輌に伝えようと思い無線のヘッドセットを取った。
「中隊全車輌へ!こちら中隊最後尾の123号車!敵先頭車輌までの距離二百!」
僕は無線で叫んだ。リコは僕の無線の意図が分からずおどおどしている。すると森林の西端に位置する中隊長車から返信があった。
「了解!123号車へ。敵先頭車輌の位置を報告し続けろ。敵先頭車輌が123号車の前を通過しようする時を射撃開始のタイミングとする。」
「了解!」
僕はそう言うと照準器越しに敵先頭車輌の姿を追い続けた。照準器の中の敵戦車はやや小型の軽戦車で兵士を何人か乗せておりその兵士の表情までもうはっきりと分かるほどの距離だ。敵の反撃を阻止するには最初の一発は必ず当てなければならない。それはバウアー大尉にいつも散々言われてきたことだった。
「敵先頭車輌までの距離百!」
もう敵戦車は目の前だ。だが敵は一向に僕らに気付く気配がない。まさかこんなところに敵が潜んでいるとは思ってもいないのであろう。僕は汗ばむ手を引金にかけた。そして照準器を覗きながら無線のヘッドセットに向かって叫んだ。
「敵先頭車輌が123号車前方に差しかかりました!」
「全車射撃開始!」
中隊長車の命令を聞き終えた瞬間に僕は引金を引いた。ドーンという音とともに硝煙が立ち込める。だが次の瞬間もっと強烈な音が響いた。僕の放った37mm砲弾が敵の軽戦車の装甲を貫通しその軽戦車が爆発を起こしたのだ。燃料タンクか弾薬庫にでも直撃したのだろう。戦車の上に乗っていた兵士が爆風で吹っ飛ぶ姿が見えた。
「よし!やったぞ!ピエール!次弾装填だ!徹甲弾!今度は隣の中型戦車をやってやる!」
僕はそう言って先ほど破壊した軽戦車の後ろを走っていた中型戦車に照準を合わせた。敵の戦車は何処から攻撃されているのかも分からずパニックに陥っているようだった。ピエールが弾を込める。僕はすぐに引金を引いた。軽い衝撃と硝煙がまた辺りに立ち込める。するとまた爆発音がした。
「命中だが駆動輪と履帯を吹っ飛ばしただけだ!砲はまだ動いてる!ピエール!徹甲弾だ!」
敵戦車は被弾し動けなくなっていたが戦車砲を回転させこちらへ向けようとしていた。どうやら森林の中から待ち伏せ攻撃をされたということにようやく気が付いたらしい。だが敵の戦車砲がこちらを向く前に僕は引金を引いた。
「命中!敵戦車大破!凄いです!フランツ少尉!」
操縦席から戦闘の様子を見ていたハンスが叫んだ。敵戦車が二発目を喰らって大爆発を起こしたのだ。その戦車の砲塔が吹っ飛ぶのが見えた。燃え盛る戦車の傍で敵歩兵がどうしていいか分からず右往左往しているのが見える。僕は思わず叫んだ。
「前方機銃を打ちまくれ!歩兵を片付けろ!」
それを聞いて通信手が慌てて戦車の全面に備え付けられている機銃に手をかけた。タタタタと7.92mm機銃の射撃音が響く。敵の兵士が何人か倒れるのが見えた。敵は完全にパニックに陥っているようだった。
「敵戦車一台東へ逃げます。二時の方向!」
ハンスが叫ぶ。僕は大急ぎで砲塔を右へ旋回させた。逃がすか!
「徹甲弾装填しました!」
ピエールも叫んだ。僕はそれを聞いてから逃げる敵戦車に狙いを定めて引金を引いた。しかし今度は砲弾は外れた。僕は思わず舌打ちしピエールに叫んだ。
「次弾装填急げ!」
「了解!」
僕は再度逃げる敵戦車の後ろ姿に狙いを定めた。通常戦車というものは前方の装甲が一番分厚くなっており後方は一番薄くなっている。当てられれば間違いなく仕留められるのだ。僕は今度は落ち着いてゆっくりと引金を引いた。
「やった!命中です!」
ハンスがそう叫ぶ声がかき消されるぐらいの爆発音が響いた。僕の放った37mm砲弾は逃げる敵戦車のエンジン部分を直撃したのだ。敵戦車は動きを止め炎にその身を包まれていた。
「三台撃破です!凄いですよ!少尉!」
「まだ敵はいる。喜ぶのは早いぞ、ハンス。」
僕はそう言うとまた照準器を覗き込み次の獲物を探した。すると一台の敵戦車が僕らの方に向かって真っ正面から突っ込んできた。リコが慌てて叫ぶ。
「敵が近づいてくる!早く撃て!」
するとその戦車は近づきながら一発発砲した。だがその砲弾は僕らの戦車にかすりもせずはるか後方に飛んでいった。僕は落ち着いて敵戦車に照準を合わせて引金を引いた。
「やったぞ!」
爆発音と共にリコが叫ぶ。こちらが放った砲弾は敵戦車の全面装甲を貫いていた。
「よし、動く戦車はもういなさそうだ。中隊長車へ、こちら123号車。これより歩兵の掃討に向かう。ハンス!前進だ!」
こうして僕らの三型戦車はゆっくりと動きだした。そして逃げ惑う敵歩兵に機関銃弾を浴びせた。敵が走ってきた道の上は鉄屑と化した戦車と炎とおびただしい数の兵士の遺体で覆われていた。
こうして戦闘は一時間もかからずに終了した。結果は我が軍の圧勝で敵は殆ど反撃することすら出来なかった。敵は戦車十八両と輸送用トラックを十五両を失い我が軍は損害ゼロだったのだ。僕の乗る123号車の戦果は戦車四台撃破で中隊の中での戦車撃破数はトップだった。僕らはシラー少将から直々に褒められて123号車は師団の中で一躍有名になった。この調子なら何とか生き残っていける、と思い僕は心の中にようやく一筋の光明を見出した気がした。