北部戦線
次の日の夜になってようやく列車は止まった。それまで僕は狭いコンテナの中でやることもなくただ体を横たえているしかなかった。周囲の人間も暇を持て余していた。皆寝るかだらだらと雑談をするぐらいしかやることがないのだ。コンテナには窓がなく外の様子はほとんど分からなかった。ただコンテナの壁の所々に小さい穴が空いていてそこから外を覗くことは出来たが線路の脇に立っている木ぐらいしか見えなかった。そして車内はその穴から差し込む太陽光ぐらいしか照明となるものはなく常に薄暗かった。それに加えて鮨詰め状態だったことから暇つぶしのカードゲームに興じることも出来ない。おまけに丸一日食事も取っていなかったので皆合言葉のように「腹が減った」を連発していて雰囲気は最悪だった。
列車が止まるとコンテナの扉が開けられた。すると扉から冷気が流れ込んできた。コンテナの中は人間が大勢いて毛布も支給されていたからそれほど感じなかったが外はかなり寒かったのだ。そしてコンテナから外に出るとそこはだだっ広い雪原だった。雪の上に立って周囲を見渡していると明らかにアルモアやクレリバーの街と比べて気温が低く寒く感じることから列車は北上してきたことが推測出来る。どうやら僕の祈りは通じなかったようだった。やはり列車はル・カメリカとの国境により近づいてしまったように思われる。
コンテナから降りるとすぐに車輌を列車から降ろす作業が始められた。皆空腹過ぎて元気も無かったが命令なので仕方がない。小声でブツブツ文句を言う者も多かったが作業は進められた。だが積み込み作業に比べると降ろす作業はかなり楽だった。ほんの数時間で全車輌が降ろされた。そしてちょうどその降車作業が終わるか終わらないかのタイミングで 野戦炊事車が現れて我々に温かい食事を提供してくれた。どうやら我々の到着に合わせてこの場所に来ようとしていたが遅れたらしい。待ちかねた食事にむしゃぶりつき空腹と疲労でふらふらだった我が第七装甲師団はやや元気を取り戻した。
食事を終えるとここから目的地までは鉄道等の輸送機関がないので全員が車輌に乗り込み山間の道を抜けて移動を行うとシラー少将から説明があった。その後全員に乗車命令が出て僕は戦車に飛び乗った。エンジンがかけられ一台ずつ車輌が動き出す。第七装甲師団はシラー少将の乗る装甲車を先頭に一列縦隊になって夜道を進み出した。
周囲は真っ暗だった。自分の車輌の前方だけはライトで照らされているが見えるのは前を走っている戦車の後部と雪の積もった白い道だけだった。だが山間の道とはいえ思ったより雪は少なく普通に走行するには特に問題はなかった。その為か僕の乗る戦車の中でも操縦手以外はやることがなく皆うたた寝したりしていた。僕も特にやることが無かったが出発して三時間を過ぎた頃操縦手が辛そうにしていたので一声かけてやった。
「替わってやろうか?」
「あ、ありがとうございます。少尉殿。」
僕が声をかけた若い操縦手は小さい声で礼を言い戦車を停めた。後続車も停めることになるので僕らは素早く席を移動した。そして今度は僕が車輌を操縦した。これをきっかけに僕はその操縦手と会話をするようになった。彼の名はハンスといい年齢は二十歳だと言った。出身地を訊ねるとクレリバーだという。同郷の者同士だと分かると僕らはすぐ打ち解けた。それからお互いの家の場所やどんなところに屯していたのかといった話で盛り上がった。彼とは二〜三時間話をしていただろうか。僕は転属して初めて話が出来る友人が出来たようで嬉しかった為かその数時間があっという間に感じられた。
気が付くと朝になっていた。山の向こうから太陽が顔を出そうとしている。会話で気が紛れていて気付かなかったが戦車というものは振動がひどく乗り心地は決して良くないので長時間乗っていると腰やお尻がすごく痛くなってくるのだ。それに眠気も襲ってくる。僕も先ほどのハンスのように辛さを感じ始めた時だった。無線でシラー少将の装甲車から連絡が入った。先頭車輌が目的地に到着したという。僕もその数分後に目的地と言われる場所に到着した。そこはナリータという小さな村だった。村の住民は戦車の到着に驚いている様子で早朝だというのに何人もの人が見物に来ていた。僕は誘導員の指示に従い戦車を所定の場所に停めた。すかさずカモフラージュをするように命令が出され僕とハンスは戦車をシートで覆いその上に木の枝や雪を被せた。僕とハンスがその作業をしていると装填手の男も手伝ってくれた。彼ともその時をきっかけに話をするようになった。名前はピエールといい年齢は十九歳だと僕に話してくれた。彼もまたハンスと同じように親しみやすい人柄で僕らはすぐに仲良くなった。だが戦車長と通信手の二人は作業を手伝いもせず何処かへ行ってしまった。
カモフラージュが一段落すると師団長より各自休息を取れとの指示が出た。僕とハンスにピエールは四坪程の小さな小屋に入りそこで毛布を受け取ると横になり足を伸ばした。そして誰からということもなく僕らはお喋りを始めた。
「そういえば戦車長と通信手は姿を見てないけど一緒に居なくていいのか?」
僕が問いかけるとハンスが答えた。
「あの人はよく姿をくらませるんですよ。ほっといていいです。」
「命令が出ればふらっと現れますからね。」
ピエールも続いた。僕は二人のこの受け答えを聞いてこのチームはあまりうまくいってないことを悟った。
「戦車長はどんな人なんだ?」
僕はハンスに聞いた。
「名前はリコといいまして階級は少尉です。性格はあまり大きい声では言えませんが…僕は好きではありません。自己中心的な人です。いつも自分が楽をすることばかり考えていますね。作業を手伝ってくれたことなんて一度もありません。」
「フランツ少尉殿が赴任された時も自分の戦車長の立場が奪われるんじゃないかって漏らしてたらしいです。階級が同じ少尉ですからね。小さい人ですよ。」
ハンスに続いてピエールも意見を述べた。なるほど、初対面の時の態度はそういうことだったのかと僕は納得した。戦車長がそんな態度だからその部下の彼らは当然僕に対して話しかけずらかったのだということを今ようやく僕は理解した。ハンスが続けた。
「戦車長とは僕もピエールもあまり話をしません。もう同じ戦車に乗るようになって二週間になるんですけどね。」
「でもフランツ少尉殿が来てくれて僕らはちょっと楽になりました。これから宜しくお願いします。」
ピエールにもそう言われて嬉しく思った反面僕はすこし戸惑った。僕の頭の中には同じ戦車に乗り込む搭乗員というのはほうっておいても仲良くなるものだという思い込みがあった。狭い車内で四六時中顔を付き合わすのだ。仲が良い方が仕事もやりやすいに決まっている。それが二週間経っても打ち解けていないというのはよっぽど戦車長が偏屈な男なのだろうと僕は考えた。
「まぁ取り敢えず様子を見させてくれよ。あまりにコミュニケーションが悪くて任務遂行に具合が悪いようであれば俺が戦車長と君達の間に入って潤滑油になるからさ。さぁ、今日は疲れたからちょっと仮眠しよう。」
僕がそう言って横になると二人も毛布を被った。僕とハンスは昨夜はほぼ寝ていないのだ。ピエールもうたた寝をしていたとはいえ熟睡は出来ていないだろう。僕らはすぐに意識が薄れていった。
三時間ほどして起こされると食事の用意が出来ていた。野戦炊事車が停められているあたりからいい匂いがしてくる。僕らは三人で食事をとった。そしてその後は戦車への燃料の補給と各部の点検をして待機しておくように命令が出た。ハンスとピエールとくだらない冗談を言い合いながらの作業は楽しかった。それは前の部隊にいた頃のことをすこし思い出させるものだった。僕はふとバルクマンやペットゲンにヒューブナー、そしてバウアー大尉のことを思い出した。皆元気でやっているのだろうか?
三人で和気あいあいと点検作業をしていると戦車長と通信手が現れた。通信手は無言で戦車に乗り込み通信機の点検を始めだしたが戦車長は何もせずに戦車長席に座っているだけだった。誰かの作業を手伝うということもなくたまに通信手に話しかけるだけだった。その様子を横で見ていて思った。これではチームはまとまらないなと。
補給と点検作業が終わると辺りは暗くなってきていた。師団長からはまた各自休憩せよとの指示が出ていて僕らは小屋でくつろいでいた。勿論そこには戦車長と通信手の姿は無かったが。
「この後我々はどうなるんでしょうね?」
ハンスが口を開いた。
「ル・カメリカとの国境周辺の警備じゃないんですか?」
ピエールが答える。僕は「このまま開戦して最前線行きさ!」と言いかけて慌てて言うのをやめた。もしその言葉を口にしてしまうと現実になってしまうような気がしたからだ。もし開戦せずにピエールの言う通り第七装甲師団の任務が国境周辺の警備であったなら戦場に行かなくて済む。少なくとも今はその考えにすがっていたかった。僕にも国を守る為に戦うという気持ちは勿論あったけれども本音としてはやはり戦場には行きたくなかった。僕はそんなことを考えながら配給されたパンをコーヒーで喉の奥に流し込んでいた。その後暫く雑談していると急に小屋の扉が開けられて伝令兵が顔を出した。全員すぐに集合するようにとのことだった。僕らは慌てて小屋から飛び出した。
集合場所には師団の全兵士が集められた。何事かと思っているとシラー少将がゆっくりと僕らの前に現れた。顔がすこし強張っているように見える。少将は僕らの前に立つと一枚の紙切れを両手で左右に広げながら口を開いた。
「今から総司令部からの命令を伝える。北部戦線の第七装甲師団兵士諸君!」
北部戦線?初めて聞く単語だった。だがよく考えるとそれはル・カメリカとの戦いを示す言葉だった。とうとう恐れていたことが現実になってしまったかと僕は思った。そして次の瞬間頭の中が真っ白になりめまいがしてその場に倒れそうになった。それをなんとか踏ん張ったがその時はそれ以上何も考えられずシラー少将の顔をぼんやりと眺めているしかなかった。少将は続けた。
「今から五時間後の午前零時をもって我がマイルヤーナ共和国はル・カメリカ帝国に宣戦布告する。我らの領土を再三脅かす行為を繰り返してきたル・カメリカに力による制裁を加えてやるのだ!北方の蛮族を我が領土から追い払い我が国の主権を確保する正義の為の戦いである。その中で第七装甲師団は先行して敵国に進行する友軍の支援を行う。詳細は各指揮官から個々に伝達せよ。では諸君!行け!行って思う存分暴れるのだ!」
「了解であります!師団長殿!」
師団の兵士全員が声を合わせてそう力強く返事をした。いよいよ戦争が始まってしまうのだ。意気揚々としている皆の中で僕は一人恐怖を感じていた。死にたくない、その思いだけが心の中でぐるぐるとうずを巻いていた。