移動
エヴァが走り去った後僕はクレリバーの駅へ戻りそこから汽車に乗ってアルモアに向かった。エヴァには悪いことをしてしまったと思う。エヴァの泣き顔を思い出す度に胸が痛む気がした。エヴァの父親の話はエヴァにはせずに「たとえカーソン教信者でもエヴァのことが好きだよ」とうわべだけの言葉を優しく囁いて抱きしめていれば彼女の泣き顔は見ずに済んだのかもしれない。だがあの時僕はエヴァの父親とカーソン教に対する怒りを抑えきれずその娘であり同じカーソン教信者であるエヴァにそのままその怒りをぶつけずにはいられなかったのだ。今考えればもっと違う話の仕方もあったのだろうと思う。だが今後エヴァと付き合っていくならばいつか必ずエヴァの父親が今回僕に対してした仕打ちのことやカーソン教についてのことを話さなければならない時が来るだろう。遅かれ早かれいつかはエヴァの涙を見る時は来るのだ。エヴァとはもう会うことはないかもしれないがそれも仕方がない。僕はそう考えて無理矢理自分を納得させた。
汽車には三時間程乗っていたであろうか。僕はアルモアに着くと予約していた宿に向かい自分の部屋のベッドに飯も食わずに横たわった。「何故僕はここにいるのだろう?」そう思うとエヴァの父親への怒りがまたこみ上げてくる。このまま明朝に第七装甲師団に出頭して戦争が始まれば僕は死ぬのだろう。エヴァの父親の筋書通りになって自分が死んでいくと思うと腹が立って仕方がなかった。このまま出頭せずに脱走する?そして世の中にエヴァの父親やヨーゼフ中将が僕にしたことを訴える?いや、駄目だ。そんなことをしようとも結局は権力者の手にかかって僕は消されてしまうだろう。立場は違えどまるでオットーのように。
暫くベッドに横たわっていたが自分の力ではどうにも出来ない現実に対しての怒りと悔しさで僕はその日とても眠ることなど出来そうになかった。怒りがこみ上げる度に僕は枕を放り投げ椅子を蹴りとばし壁を殴った。気付くと拳の皮が剥け血がしたたっていた。その痛みなぞ感じないほど僕は怒り興奮していたのだった。だがこのまま部屋の中で暴れていても何も変わらない。もっとひどい怪我をするか宿の主人に警察を呼ばれるかぐらいが関の山だろう。僕はすこし落ち着こうとシャワーを浴びることにした。
シャワーの温水を頭からかぶりながら僕は考えた。こんなに僕が悩んでいるのとは反対にエヴァの父親やヨーゼフはのうのうと生きているのだ。そう考えるだけでもまた暴れたい衝動に駆られるのだが僕はそこをぐっと堪えて目を瞑った。今自分に出来ることは何か?流れ落ちるシャワーの水に包まれながら僕はじっと考え続けた。
そのまま二〜三十分シャワーを浴び続けていたであろうか。僕はシャワーを止めタオルで体を拭いた後服を着てからベッドの横に置いてあった机に向かった。そして鞄の中から便箋とペンを取り出すと手紙を書き始めた。今回の一連の出来事を僕以外の人間にも知ってもらおうと思ったのである。このまま僕が戦場で死ねばエヴァの父親やヨーゼフがした行為は闇に葬り去られ誰もそのことに気付かないだろう。それが僕としては一番腹の虫がおさまらないことだった。自分の力ではエヴァの父親やヨーゼフに一矢報いることすら出来ない。だが誰かにこのことを伝えてそれがじわじわと広まっていけば今すぐは無理でも近い将来奴らに一泡吹かせてやれるかもしれない。そう思うと便箋の上でペンはすらすらと踊った。僕は一連の出来事を便箋に詳しく記した。僕が今受けている精神的な苦痛をいつか同じようにエヴァの父親やヨーゼフに味わせてやる!と思いつつ。
二時間程で手紙を書き終えると僕はその便箋を封筒へ入れた。そしてその封筒の宛名のところにバウアー大尉の名前を記した。バウアー大尉なら手紙の内容を理解してくれるだろうし僕の無念さも分かってくれるだろう。それに一番信頼出来る人だしこの手紙を読んで僕に不利なことをしたりはしないとも思ったからだった。勿論バウアー大尉がこの手紙を読んだところで何も出来ないかもしれない。でもそれでも良かった。今出来ることはこれぐらいだし真実をせめて一人でも知っておいてくれればと思ったからだ。僕は宛名を書き終えると今出来ることは全てやり切ったという達成感で気が緩んでしまったのかベッドに横たわるとすぐに眠ってしまった。
翌日の早朝に僕は宿を出て手紙を投函した後第七装甲師団が駐留している基地まで歩いていった。のんびりと街中を歩くなんてこれからはもう出来ないかもしれない。そう思うとまた心の中に怒りや悲しみといった負の感情が湧いてきた。そして歩きながら眺めるアルモアの街はどこか寂しげだと思った。早朝で街中を歩いている人が少ないということもあるのだろうがクレリバーの街並みと比べるとどこか暗い感じがしたのだ。だがその時僕はふと思った。僕の目に飛び込んでくるものは全てその時の僕自身の気持ちをフィルターに通して入ってくる。今僕は何を見ても全て暗く灰色にしか見えないのかもしれないと。
数十分歩いて僕は基地に着いた。基地のゲートをくぐってそこから第七装甲師団の司令部に出頭した。司令部は粗末な二階建ての木造の建物の二階にあった。司令部と書かれた部屋のドアをノックし中に入ると第七装甲師団の師団長が出迎えてくれた。師団長はシラーという名前で階級は少将だった。シラー少将は僕と握手すると優秀な戦車乗りを歓迎すると言ってくれた。まだ四十代前半であろうか。若くてエネルギッシュな感じのする師団長だった。
師団長に挨拶した後僕は戦車の整備工場に向かうように命じられた。そこに新しい戦車の乗組員達が待っているということで師団長と別れた後僕は早速そこに行ってみた。新しい仲間達と早く打ち解ける必要があると思ったからだった。だがそこで出会った新しい乗組員達はそうは思っていなかったようだった。僕が挨拶をしても余所者が来たという感じで誰も僕と目を合わさないのだ。新任の砲手を歓迎するという雰囲気は微塵もなかった。そして僕の方も彼らのそういった排他的な態度にうんざりしてしまいそれ以上話掛けるのをやめた。心底鬱陶しいと思ったのだ。まるで喧嘩の前の睨み合いのような状態が続いたが暫くするとシラー少将が現れて師団に所属する全ての戦車搭乗員を整備工場の前に集合するように号令をかけた。睨み合いはそこで終わりとなった。そして戦車兵達が全員集合するとシラー少将は命令を下した。「今から二十四時間以内に第七装甲師団の全ての車輌に補給を行った後その車輌と必要機材をアルモアの駅まで移動させそこに停車している長距離移動用の列車に積み込め!」と。
取り敢えず僕はその鬱陶しい奴らにまぎれて補給作業を手伝った。会話は一切しなかったが少なくとも「あいつはやる気がない」といった文句は言わせないようにしようと思い僕は手伝えることは全て手伝った。自分の乗る戦車の弾薬の積み込みから各部の簡単な整備と点検に最後には戦車の運転まで全てをやった。戦車は以前乗ったことのある三型戦車のF型だったので取り扱いは慣れたものだった。だが師団全体の作業は積み込む車輌や機材の多さもあってその日の夜中までかかった。僕もくたくたになったが最後まで他の部隊の作業を手伝ったりした。するとそんな僕の仕事ぶりを見たからか誰も僕に敵意むき出しの態度は取らなくなった。そこそこ使える奴だと思ってくれたらしい。だが僕はそんなことは一切気にしていない素振りをして汗まみれになりようやく最後の積み込み作業を終えた。そして師団全体の積み込み作業が終わるとシラー少将から第七装甲師団の兵士全員に車輌を積み込んだ列車へ乗るようにと新たな命令が出た。僕らは粗末なボロボロのコンテナに乗せられた。全員が乗車し終わると上官の一人がコンテナの入り口のところにやってきて大声で僕らに今後のことを説明をした。それによると今晩から明日の夜にかけてぶっ通しで列車を走らせるのでコンテナの中でほぼ一日を過ごすとのことだった。コンテナの中は鮨詰めに近かったので僕らは各々が慌てて足を伸ばして横になれるスペースを確保した。その上官はそれだけを伝えるとコンテナの扉を閉めて何処かへ行ってしまった。目的地の説明は無く暫くすると列車は動き出した。周囲の人間は皆この列車が何処に向かうのかを推測しあっていた。「東方の山岳地帯の麓にある演習場だ!」と言う奴もいれば「南方の沿岸部のビーチだ!」と冗談を言う奴もいた。要するに行先は誰も知らないようだった。そんな会話を聞きながら僕は祈った。ル・カメリカとの国境付近にさらに近づくのだけはやめてくれと。朝起きたらビーチの脇にでも列車が止まっていれば本当に嬉しいのに。そう思いながら作業による疲労と昨日の寝不足の為か僕はいつの間にか深い眠りに落ちてしまっていた。