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転属命令

エヴァに会った翌日は太陽が顔を出し気温も高くどこか季節の移り変わりを感じさせる日だった。それは寒い冬が終わりもうすぐ春がやってくることを予告しているようだった。

僕は昨日エヴァと別れた後ギリギリで門限に間に合い基地に帰ることが出来た。そして一晩寝た後また今日の戦車隊の訓練に参加していた。訓練中はエヴァのことは考えてはいけないと思い極力バウアー大尉の命令に集中するようにしていたが指示待ちの間などで集中力が途切れる瞬間にはどうしてもエヴァのことを考えてしまう。それは僕の頭の中にまとわりついてなかなか消えそうにも無かった。

エヴァの幻想と格闘しながら訓練をこなし時刻は昼の十二時を回った。するとバウアー大尉が突然司令本部から呼び出しを受けて我々の中隊は急遽訓練を中断し全車両の一斉点検と燃料、弾薬の補給をすることになった。激しい訓練が続いていたので調子の悪くなった車両もあった為にこういう措置が取られたようだが我が中隊長車はそれほど不調という訳ではなかった。取り敢えずバルクマン達と皆で履帯にこびりついた泥落としからエンジンの各部チェックまで一通りの点検作業を行ったが大きな故障もなく僕らは手持無沙汰になった。その時バルクマンが言った。

「休憩しましょうか?」

僕らは補給部隊からコーヒーを調達して各々が戦車の上に腰掛けた。そして青空の下コーヒーカップを片手に雪に囲まれた風景を見ながら僕らはくだらない冗談を言い合っては笑った。それはまるで雪山登山にでも来ているようで訓練の合間とは思えないほど楽しい時間だった。冗談を言い合っている間に僕は自分の転属のことを皆に話さなければいけないことを思い出したが今のこの雰囲気をぶち壊したくなくて今日は話すのをやめようと思った。楽しいことを話している間はエヴァのことも忘れていられる。僕は今の楽しい時間がなるべく長く続くことを祈った。そして冗談交じりの雑談が一瞬途切れた時にペットゲンがまた新たな話題を口にした。

「そういえばこの前補給部隊にすごく太った人がいたっスよね?」

ペットゲンはライターをいじりながらバルクマンの方を見た。

「いたな。少尉の知り合いの人ですよね?確か噂では憲兵隊に連行されたんですよね?」

バルクマンが答える。どうやらオットーの話をしているらしい。皆は僕がオットーの顔と名前は知っているという程度の関係だと思っており親しい付き合いがあることまでは知らなかった。

「あいつがどうかしたのか?」

僕はペットゲンに聞いた。ペットゲンは煙草に火をつけながら答えた。

「あの人死んだらしいスよ。憲兵隊の尋問に耐えきれなくなって自殺したらしいス。」

それを聞いて僕は思わず手が震えコーヒーを少しこぼしてしまった。だが皆はそれに気付かなかった。コーヒーは雪の上に落ち雪上に黒い斑点を作った。僕は口を開いたままペットゲンを見つめていた。

「俺憲兵隊に昔仲の良かった先輩がいるから教えてもらったんスけど、あの人反カーソン教団体の人間だったみたいスね。それで憲兵隊が仲間が誰なのかを執拗に尋問したらしいスよ。尋問というよりは拷問だったみたいスけどね。」

僕はもう驚きのあまり何も言えなかった。話が唐突過ぎて悲しい気持ちにもならなかった。ただあんぐりと口を開けて話を聞いているだけだった。僕の気持ちを知らないペットゲンは話を続けた。

「でもここだけの話なんスけど…自殺に見せかけて殺された可能性もあるらしいス。反カーソン教団体の人間が情報が漏れるのを恐れて殺したって噂もあるらしいスよ。憲兵隊の中でも真相を知ってる人はごく一部のようっス。俺の先輩もそこまでは分からないって言ってたっスよ。」

ペットゲンの話を聞いていて僕はオットーの死に対する悲しみよりも自分達の保身の為に仲間を簡単に殺す輩に対しての怒りが心の中でメラメラと燃え上がっていた。その怒りの炎はこういったゴタゴタを引き起こしている反カーソン教団体とカーソン教の両方に対しての嫌悪に結び付き僕の両者に対する感情はこの瞬間に決定的に悪くなった。もうカーソン教に関わるどころか名前を聞くのも嫌になった。

「それが本当ならひどい話ですね。ねぇ、少尉?」

「ん?あぁ、そうだな。」

バルクマンに突然声をかけられたが僕は曖昧な返事しか出来なかった。平静を装ってはいたが腹の中は煮えくり返りそれどころではなかったのだ。僕は腹の中の怒りと動揺を取り敢えず鎮めようと思った。そしてバルクマンの問いかけを無視するようにペットゲンに声をかけた。

「ペットゲン、ところで煙草くれないか?」

「いいっスけど少尉は煙草吸わなかったんじゃなかったでしたっけ?」

「たまには吸いたくなるんだよ。」

煙草は数年前に吸ったことがあるという程度でその時は何とも思わなかったがこの日の煙草はとても美味く感じた。煙草の煙が心の中に霧を作って嫌なことを少し隠してくれるような気がした。

「バウアー大尉が来られました!」

不意にバルクマンが叫んだ。全員戦車を飛び降り戦車の前面に四人が横並びになって整列し大尉を迎えた。

「全員作業を継続しろ。だがフランツ!お前だけは俺とちょっと来い。」

バウアー大尉の顔には明らかに怒りの表情が浮かんでいた。この前ワインを飲み交わした時の穏やかな大尉とは別人のようだった。僕は自分が何故大尉に怒られるのか全く心当たりがなかったが取り敢えず大尉の後に続いて皆と離れた。皆心配そうな顔で僕が大尉に連れて行かれるのを見ていた。


大尉は僕を人気の無いところまで連れてくると僕に向き直った。やはり顔には怒りの色が浮かんでいる。大尉をこんなに怒らせるとはよっぽど何かとんでもないことを知らぬ間にしていたのだろうか?僕は二〜三発は殴られることを覚悟した。

「フランツ、お前何かやらかしたのか?」

思いがけない大尉からの質問に僕はきょとんとしてしまった。何のことを言われているのか全く分からなかった。

「何のことでしょうか?」

「俺には正直に話せ。何があった?」

僕は頭の中で最近自分がした怒られそうなことを頭の中で思い浮かべてみたが何も出てこなかった。ひょっとしたらこの前我慢出来ずに工場の横で立小便をしたことを怒っているのか?いや、その程度のことではここまで大尉は怒るまい。何故なら大尉だってたまにしているのだから。

「大尉、本当に何のことか私には分かりません。」

僕はそう言って大尉の目を見た。大尉も僕の目をじっと睨みつけていた。だが僕は悪いことは何もしていない。ここで目を逸らしたら負けだと思って僕も負けずに大尉の目を見つめ続けた。

「本当に何も心当たりがないんだな。」

大尉はそう言ってようやく目線を落とし溜め息をついた。

「大尉、何があったのです?」

僕は聞いた。大尉は再び僕の目を見てゆっくり口を開いた。

「今さっき俺が司令本部に呼び出されただろう?そこで言われたことをそのままお前に伝える。お前は明後日付けで第七装甲師団の第701戦車大隊に転属だ。明日中に荷物をまとめて北部国境近くのアルモアという町にある第七装甲師団司令部へ明後日朝出頭しろとのことだ。」

僕は最初大尉が冗談を言っていると思った。だが大尉の顔を見ているとそうではないらしい。僕は思わず言い返した。

「何故そんな急に転属なのです?!戦車学校の話はどうなったのですか?!」

「戦車学校の話はなくなった。戦車長昇進の話もだ。ヨーゼフ中将が直々に俺にそう命令したのだ。中将の話では第701戦車大隊では優秀な砲手が不足しているという説明だ。それ以上は俺には分からん。」

もう僕は頭が真っ白になっていた。だが時間が経つにつれて怒りがこみ上げてきた。何故そんな訳の分からない命令をされなければならないのか?僕はまた大尉に詰め寄った。

「納得がいきません!ヨーゼフ中将に会わせて下さい!僕にこの慣れ親しんだ部隊を離れろという命令の正当な理由が知りたいです!優秀な砲手が不足しているから転属だなんて理由はあり得ない!砲手なんていくらでもいるでしょ!」

「ヨーゼフ中将には俺が既に転属の理由を問いただした!俺も納得がいかなかったからだ!」

僕も大声になっていたがそれ以上の大声で大尉も言い返してきた。すこし間を置いて大尉は静かにまた話を始めた。

「何故お前だけが転属なのか俺もおかしいと思った。しかも戦車長の推薦すら取り消されての転属だ。だがヨーゼフの親父は砲手の不足の一点張りだった。だから俺はお前がヨーゼフの親父の気に入らないことを何かやらかしたのかと思ったのだ。だがお前に心当たりが無いとすれば理由は分からない。もう俺にはどうすることも出来んのだ。すまん、フランツ。」

さっきまで怒っていた大尉の顔は今は落ち着いてすまなさそうに僕を見ていた。僕もすこし落ち着きを取り戻したがそんな大尉の顔を見ていると転属という言葉が現実のものとして心の中に大きく響きだした。


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