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昇進

エヴァに会った日の夜はちらつく雪が猛吹雪に変わったが次の日の朝になると空は晴れていた。僕らの戦車は前日の訓練でトランスミッションの調子が悪くなったので整備中隊に預けられていたが夜のうちに修理は完了していた。だが夜の間のその猛吹雪で工場のシャッターが雪に埋もれてしまい工場から戦車が出られないという事態になっていた。その日は工場前の雪掻きから一日がスタートした。

僕は汗びっしょりになりながらスコップでシャッター前に大きく積もった雪の山を掘り返していた。だが暫くするとペットゲンがニヤニヤしながら僕を見ていることに気が付いた。

「何だよ?気持ち悪いな。」

僕がそう言うとペットゲンのニヤニヤは更にひどくなった。

「フランツ少尉、聞いたっスよ。昨日はかなりの美人が面会に来てたらしいスね?」

「ああ、あいつはただの幼馴染みだぜ。」

僕はとっさに嘘をつき平静を装ったが当然ペットゲンの追求はそれで終わらなかった。顔を近づけてきてこう言った。

「そんな訳ないっスよ!恋人っスよね?少尉もやるっスね。本当のこと言って下さいっスよ。」

僕は嘘をつき続けることとペットゲンの質問攻めが続くことが面倒臭いと思ったので態度を一変しあっさりエヴァとの関係を認めた。

「はいはい。そうだよ。恋人だよ。羨ましいだろ?まぁ女っ気のない童貞のお前なんか恋人が出来るのにあと百年はかかるぜ。」

「あ、酷いっスよ!俺だってそのうち彼女ぐらい出来るっスよ!」

ペットゲンが少しムキになったのが僕には愉快だった。そしてその態度からペットゲンは本当に女っ気がないことも感じて取れた。バルクマンとヒューブナーもいつの間にか手を止めて笑いながら僕らのやりとりを見ていた。僕はペットゲンにこう言ってやった。

「分かったよ。まぁ無理するなって。俺がそのうち彼女に言って誰か紹介してくれる友達がいないか聞いといてやるよ。」

「マジっスか?!俺真に受けるっスよ!もし戦争なんか始まったらいつ死ぬか分からないっスしそれまでに恋人欲しいっス!」

戦争と死という単語が心に深く突き刺さった。ペットゲンの言葉を聞いて僕とバルクマンにヒューブナー、そしてその台詞を口にしたペットゲン自身ですら全員が凍りついたように動きが止まった。それまでののほほんとした空気が急に鉛の様に重くなって全身にのしかかってくるようだった。皆が直視を避けていた戦争への不安がペットゲンの言葉によって考えざるを得ない身近な現実のものとして突きつけられたのだ。エヴァとのデートなど戦争が始まったら出来なくなるだろう。そしてデートどころか自分がいつ死んでもおかしくないという状況に僕ら軍人は毎日晒されるのだ。それは想像するだけで恐怖で気が狂いそうになることだった。皆動かずにじっと俯いて白い地面をぼんやり見つめていた。そしてほんの数秒の沈黙が何十分も続いたように思えたその次の瞬間だった。背後で大きな声がした。

「熱い!あっ!コーヒーをこぼしちまった!」

振り返ると片手にコーヒーカップを持ったバウアー大尉が歩いてきた。どうやらコーヒーを飲もうとしたがそれが熱すぎて一度口に含んだコーヒーを吐き出してしまったらしい。軍服が茶色に汚れていた。

「四人とも朝っぱらからご苦労なことだな。雪掻きは終わったか?」

大尉はそう言ってコーヒーで汚れた軍服を隠す様子もなく僕らに近づいてきた。凍てついていたその場の空気が急に溶けたようで大尉の存在はまるで太陽のようだった。そして普段あまりお目にかかることの出来ない大尉のドジな一面を目にしてまずペットゲンが吹き出した。それに続いてあとの三人も皆笑いだした。大尉は少し困ったような顔をしたが照れ隠しに笑顔でこう言った。

「上官を馬鹿にする奴は独房行きだぞ。さあ、用意が出来ているなら戦車に乗れ!」

「了解!」

大尉の一声でまた皆いつもの表情に戻った。そして戦車に乗り込みながらペットゲンが僕に向かって笑顔でこう言った。

「紹介の件は約束っスよ。俺待ってるっスからね。」

「分かったよ。お前の童貞卒業まで俺が面倒見てやる!」

それを聞いて皆また笑った。そして全員が乗車すると大尉が叫んだ。

「よし、中隊長車発進だ!」

そしてその日も雪上での激しい訓練が始まった。


その日の訓練は夕方の六時半頃に終わった。僕はバウアー大尉に言われた通り訓練終了後司令部へ向かっていた。何故自分が司令部へ呼ばれるのか皆目見当がつかなかった。不安だらけのまま僕は司令部のドアをノックした。

「フランツ・マイヤー少尉です。只今出頭しました。」

「おう!入れ!」

部屋の中からヨーゼフ中将の声がした。僕が恐る恐るドアを開け部屋の中に入ると正面に立派な机がありその後ろにヨーゼフ中将が座っている。そしてその机の向かって右側にバウアー大尉が立っていた。僕が何事だろうと思っておどおどしているとバウアー大尉が口を開いた。

「フランツ。お前は戦車長に昇格だ。正式な案内はまた文書で届くが今日からちょうど一週間後の来週の木曜日にお前はマイルヤーナ陸軍戦車学校に再入学だ。そこで戦車長としての訓練を受けろ。」

僕は大尉が口を閉じた後の数秒間は何を言われたのかが理解出来なかった。頭の中でその言葉を反芻させてやっと理解した。まさか自分が戦車長になれるなんてと正直思った。マイルヤーナ戦車学校というのは僕が陸軍に入隊して戦車兵を志願した時に最初に戦車兵としての基礎をみっちり叩き込まれた学校だ。確か僕が今いる基地からざっと四十kmほど南に行ったところにある。そしてバウアー大尉が話を続けた。

「フランツ、お前は優秀な戦車兵だ。俺が戦車長に推薦した。戦車長になればお前ならすぐ小隊長から中隊長へと上がっていける。頑張れよ。」

大尉の話を聞いていてようやく嬉しさがこみ上げてきた。僕は学生時代から人に誇れるようなものが何もなく兄への劣等感もあってか常に自分は駄目な人間だと思いがちだった。弱気な自分を強くして他人から認められたいという気持ちも常にあった。それ故に敢えて厳しい軍隊に思い切って入隊したということもあったのでバウアー大尉のような尊敬する人に認められたということ自体が僕は本当に嬉しかった。

「はい!頑張ります!」

僕がそう返事をするとそれまで僕らのやりとりを黙って見ていたヨーゼフ中将が口を開いた。

「厳しいバウアー大尉にそこまで誉められる人間はなかなかおらん。期待しとるぞ、マイヤー少尉。」

「ありがとうございます!」

僕はそう言って中将に敬礼した。中将は微笑みを浮かべて僕の顔を見ていた。僕は普段から中将に対して温厚なイメージを抱いていたが今日の表情は更にそのイメージを深めるものだった。中将は机の上に置いてある書類を僕に見せながら言葉を続けた。

「この書類がバウアー大尉からの推薦の書類だ。私もサインをしてマイルヤーナ戦車学校の方へ送っておくよ。」

そう言って中将はその書類にサインをした。そしてその書類を封筒に入れながらふと何かを思い出したかのように僕の顔を見上げまた口を開いた。

「そういえば君はブラウンさんとは知り合いなのかな?」

僕はブラウンという友人や知人を瞬時に頭の中で探したが思い当たらなかった。

「ブラウンという姓にちょっと心当たりがありません。どちらのブラウンさんでしょうか?」

「無線技師のブラウンさんだよ。この前基地にブラウンさんが来た時に君を呼び出すように頼まれたんだが。」

僕はようやくそこで気が付いた。ブラウンさんというのはエヴァのお父さんのことだ。エヴァも姓はブラウンだった。いつもエヴァと呼んでいるのでブラウンという名前にぴんと来なかったのだ。

「あっ!あのブラウンさんですか!そうです。知り合いです。ブラウンさんの娘さんと学校が同じだったのが縁でしてそれ以来のお付き合いです。」

僕はとっさに出鱈目を言った。エヴァとの関係をあまり他人に知られたくなかったからだ。

「そうか。君があの人とどういう繋がりがあるのかな?とふと思ったのでな。」

そう言うと中将は封筒を片手に立ち上がった。

「ではこの封筒は送っておく。戦車学校でも頑張れよ!フランツ・マイヤー少尉!」

中将にそう言われて僕は敬礼をして部屋を出た。そして考えたことはこの嬉しい話をいつエヴァや両親に話そうかということだった。僕は近いうちに何とか一日休みを取ろうとその理由を色々考え胸を躍らせながら自分の宿舎に戻った。

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