リリーの手紙
親愛なるフランツへ
だいぶ寒さが厳しくなってきたけど風邪など引かずに元気に過ごしてる?
あたしはなんとかやっているわ。
最近はとっても忙しいの。
毎日怪我人が次々と運びこまれてくるわ。
その時あたしはいつも心配で倒れそうになるの。
あなたが大怪我をして運び込まれるんじゃないかと思って。
それは絶対ダメよ! この病院に来る時は軽い傷で来て!
ふふ、それは冗談よ、怪我なんてしないでね。
ところでこの前入院したとある将校の人に凄いことを聞いたわ!
その人が言うにはもうすぐ戦争が終わるって言うのよ!
ル・カメリカはもう限界なんだって。
あたし嬉しくて飛び上がりそうだったわ!
早く戦争が終わってあなたと会えるのを楽しみにしてます。
それまでは淋しいけど忙しさで気を紛らわせることにするわ。
絶対生きて帰ってきてよ!
約束だからね。
愛してるわ、フランツ。
リリー
「あ! また彼女からの手紙っスね? 顔がデレデレっスよ。少尉はいいっスよね、モテモテで。」
ホルニッセの中で戦車長席に座りリリーからの手紙を読んでいると横からペットゲンがちょっかいをかけてきた。リリーは結構まめに手紙をくれるのだがそれはいつも僕に元気をくれる。手紙を読んでいる時の僕の表情は知らぬ間に笑顔になっているらしくそのことはペットゲンが僕をからかおうとする格好の材料になっているようだった。だが僕も言われっ放しではない。
「煩いな、まぁ童貞のお前には分からないだろうな。愛している彼女からの手紙がどれほど嬉しいものかってことはな。」
僕はニヤついたまま反撃する。するとペットゲンはいつもすこしムキになるのだ。
「俺だって手紙ぐらいくれる女いるっスよ! 」
「母親だろ? 」
僕が更に攻撃を加えるとペットゲンはますますムキになって言った。
「違うっスよ! ネーナっていう近所の女の子っスよ! 」
そこへイーヴォが割って入ってきた。
「ペットゲンさんのお婆ちゃんて名前ネーナじゃなかったでしたっけ? 」
そう言われるとペットゲンは顔を真っ赤にして怒りイーヴォの頭をこずいた。僕とイーヴォは大笑いだ。
「そう怒るなよ。まぁお前は一刻でも早く童貞を卒業する為にもまず生きて帰らないとな! 」
僕はそう言いながらリリーの手紙を胸ポケットにしまった。手紙の文面にもあった戦争終結の噂は最近前線でもよく聞かれるようになっていた。そうなると我々兵士はつい祖国へ帰ったら何をしようとか誰と会おうとかいろいろ雑念に捉われてしまう。皆目の前の作業に集中出来ず頭の中はもう帰国した後のことばかり考えてしまっているのだ。僕も御多分に洩れず頭の中は故郷や両親、そしてリリーのことで一杯だった。
「お〜い! フランツ、運転手を連れてきたぞ! 」
その時僕の弛んだ表情を引き締めさせる声がホルニッセの外から聞こえてきた。バウアー大尉だ。僕は慌ててホルニッセの車体から飛び降りると大尉の前で敬礼した。ペットゲンとイーヴォも僕の横に並んで僕と同じように敬礼している。
「彼が運転手だ。ホルニッセも扱ったことがあるらしい。おい、挨拶しろ。」
「モ、モーラー軍曹であります。宜しくお願いします。」
そう言ってバウアー大尉の横に立ち敬礼する男はどこか落ち着きがなくビクビクしていてやや背の低い男だった。僕に敬礼をしつつも伏し目がちで僕と目を合わすことはなく顔は傷だらけだった。おそらく負傷を何度も繰り返しているうちにその傷跡が残ってしまったのだろう。彼のその傷跡を見ていると彼がそういう態度を取るのも分かる気がした。
「マイヤー少尉だ。宜しくな。」
僕は歳も同じくらいであろうモーラー軍曹に努めて明るく声を掛けた。彼がどんな性格であろうともこれからは同じチームとなるのだ。コミュニケーションを上手く取らねばならない。その為にはこちらが彼を歓迎している雰囲気を出さねばならないと思ったからだ。
「よ、宜しくお願いします。」
僕はモーラー軍曹と握手をした。その後ペットゲンとイーヴォも握手をして僕らは彼を迎え入れた。その様子を見ながらバウアー大尉は言った。
「ティーゲルが全て整備工場行きとなってしまった今、8.8cm砲を搭載したホルニッセは貴重な車輌だ。頼むぞ、フランツ。」
大尉の言うとおり現在の第七装甲師団の主力は7.5cm砲を搭載した四型戦車や突撃砲で8.8cm砲を装備しているのは僕らのホルニッセだけなのだ。7.5cm砲は優秀でI-34と対峙するには十分な威力を持っているのだが8.8cm砲を一度使ってしまうとどうしてもやや物足りなさを感じてしまう。その貴重な8.8cm砲を僕は任されたのだ。なんとか整備工場からティーゲルが戻ってくるまではこの盆地を守らねばならない。僕は帰国だなんだと今は浮かれている場合ではないということを再度自分に心の中で言い聞かせてから大尉に返事をした。
「任せて下さい! 」
僕がそう大きな声を出した直後のことだった。陣地の中で周囲の警戒をしていた兵士が叫んだ。
「前方に敵戦車! 」
全身にピリッとした緊張感が走る。おそらくペットゲンとイーヴォも同じであろう。だがそれと同時に僕らはホルニッセの車体に駆け上がっていた。その後にモーラーが続く。
「ペットゲン、徹甲弾準備! イーヴォはトラベリングロック解除しろ! ……軍曹! エンジン始動だ!」
僕はモーラー軍曹に指示を出す時ついハンスの名前を呼びかけてしまった。その為かモーラーという言い慣れない名前がすんなりと出てこずモーラー軍曹のことを軍曹とだけ呼んでいた。ティーゲルの運転手席に座るハンスの後ろ姿を思い出すと今でも目頭が熱くなる。僕はそれを隠すように砲隊鏡を手に取り前方を見据えた。
「第七装甲師団全部隊へ、敵は我々の陣地へ正面から突っ込んでくるぞ! I-34が約三十台、距離は二千だ! 」
ホルニッセは基本的に四人乗りの為戦車長が無線手を兼ねなければならない。僕は砲隊鏡を覗き込んで得た情報を無線で全部隊に報告した。すると自分の四型戦車に戻ったバウアー大尉から無線で返答がきた。
「こちらバウアーだ。了解した。全車戦闘準備! もうすこし引きつけるぞ! 」
いよいよ戦いが始まるのだ。ホルニッセの砲身に取り付けられたトラベリングロックを外したイーヴォが車内に戻ってきた。
「ん!? 少尉、I-34の中に何台か砲身の長い奴がいます! 改良型でしょうか? 」
車内に戻ってきて照準器を覗き込むなりイーヴォがそう言った。僕もそれを聞いて慌てて砲隊鏡を覗き込む。すると確かに今までのI-34より明らかに砲身の長いタイプがいるのだ!
「新しいタイプだな。よし我々はその新型を叩くぞ。照準しろ。」
敵は真横に5m程の間隔で十台程並びその後ろをさらに後続車が続くような隊形で突っ込んできている。我々が陣取る盆地に続く街道は幅が100mも無い為敵は道一杯に広がってこちらを目指してきているのだ。僕は砲隊鏡で敵戦車の新型が何台いるのか数えていたがその時敵戦車の一台が急に爆発した。そしてよく見るとその爆発した一台のI-34は衝撃の為ひっくり返ってしまっている。どうやら工兵が仕掛けた地雷に引っ掛かったのだ。その後も何度か爆発が起きて何台かのI-34が動けなくなったが埋設した地雷の絶対数が足りない為か敵の大半の戦車はそのままこちらに突っ込んでくる。するとバウアー大尉の命令が響いた。
「全車撃ち方始め! 」
第七装甲師団の装備する対戦車砲が次々に火を吹いた。猛烈な砲撃音が耳をつんざくように鳴り響く。最初の砲撃で何台かのI-34が脱落するのが見えた。そして僕らのホルニッセもワンテンポずれて8.8cm砲弾を放った。すると新型のI-34は爆発を起こしてその動きを止めてもうもうと煙を吐き始めた。
「あの新型、どうやら装甲はたいして分厚い訳ではなさそうだな。よし、次はその右隣を走っている新型を狙え! 」
僕がそう言うとイーヴォが砲塔を若干右に向ける。その間に敵戦車も反撃してきた。ホルニッセの周辺の地面に敵の徹甲弾が突き刺さる。
「うわぁ! ホルニッセの砲塔周囲の装甲は10mmしかないんだぞ! しかも天井も無いから徹甲弾どころか榴弾ですら当たったら即昇天だ! 早く撃って敵の数をどんどん減らせ! 」
敵の砲弾に焦ったのかモーラーがそう口走る。確かにホルニッセは自走砲なので装甲も薄くオープントップになっている。だがそんなことは皆口にしないだけで分かっているのだ。今更そんなことを口にするモーラーに対して僕はかなりイラッとしたがイーヴォを落ち着ける為に敢えてゆっくりとこう言った。
「大丈夫だ。イーヴォ、落ち着いて狙えよ。」
僕がそう言った直後イーヴォが叫ぶ。
「照準よし! 」
「撃てっ! 」
ドォーンという大きな砲撃音が鳴り響くのとほぼ同時にまた一台のI-34の新型が爆発して動きを止めた。どうやらイーヴォの調子はいつも通りかそれ以上のようだ。
「こちら突撃砲小隊二号車! 被弾! 」
不意に友軍から被害状況を知らせる無線が入る。敵もただ突っ込んでくるだけではない。きっちりと反撃してきているのだ。僕は大尉に無線で連絡を入れた。
「大尉、敵戦車の中に新型がいます! 従来のI-34より長砲身のタイプが少数混じっている様子! そいつらを優先的に撃破します! 」
「その様だな、任せたぞ! フランツ! 」
大尉からそう言われて僕は新型のI-34を見つけては射撃を繰り返した。敵も必死で応戦してくる。だが数で劣るとはいえきっちりと陣地を構築し遮蔽物を利用して戦っている我が軍の方が時間が経つにつれて次第に優位になっていった。
「いたぞ! 新型だ!今日の五台目! 二時の方向、距離800! モーラー、右へちょい旋回! 」
戦闘が始まって三十分、今日の戦場となったガバナー盆地へ続くこの街道はI-34の残骸で一杯になっていたがその中をよろよろと前進してくる一台の敵戦車を見つけ僕は砲撃を命じた。
「まだ来やがるのか、この間抜けめ! 」
イーヴォがそう言いながら照準を合わせる。僕はその敵戦車をずっと砲隊鏡で見ていたが敵戦車の大半が破壊されて敗色濃厚な中をそのI-34だけは我々に向かってくるのだ。確かにイーヴォの言う通りそのI-34は勝機も無いのにわざわざ命を捨てにくる大馬鹿者に思えた。だが次の瞬間そのI-34は履帯の動きを止めたかと思うと我々の方に砲塔を向けてきたのだ。僕は慌てて言った。
「イーヴォ、急げ! 敵がこちらを狙っているぞ! 」
今までの楽勝ムードは何処へやら、車内に緊張が走る。ホルニッセの装甲なんてI-34の戦車砲の威力から考えればあって無いようなものなのだ。僕はイーヴォが早く撃つことを祈った。だが次の瞬間だった。
「ボコッ! 」
激しい音と共にホルニッセの前面装甲の一部に大穴が空いた。敵戦車の放った徹甲弾がホルニッセを直撃したが爆発せず装甲を突き抜けて後方にそのまま飛んでいってしまったのだ。これが榴弾だったら我々は死んでいたに違いない。そう思うと僕は一瞬で全身に鳥肌が立ち恐怖の為か奥歯がガタガタと震えた。
「照準よし! 」
イーヴォは照準器を覗き込んでいる為か敵弾がホルニッセを捉えていたことに気が付かず冷静にそう叫んだ。僕は震えて上ずった声でそれに答えた。
「う、撃てっ! 」
次の瞬間こちらに砲身を向けていたI-34は派手に爆発を起こした。そしてその爆発を合図にしたかのように敵からの攻撃はピタリと止んで戦場に静けさが戻ってきた。どうやら今日のところは敵は撤退したようでもうそれ以上砲弾が飛んでくることは無かった。
「フゥ、終わったようだな。全車損害状況を知らせよ! 」
バウアー大尉の声が無線でそう鳴り響く。僕はホルニッセに開いた大穴を見ながら額に浮きでた冷や汗を拭いつつバウアー大尉に返答した。
「こちらホルニッセ、敵弾貫通するも損害なし。」
それを聞いてイーヴォはようやく敵弾がホルニッセを捉えていたことに気が付き前面装甲の大穴を真っ青な表情で見つめていた。
「今日はたまたまついていただけかもしれない。でも取り敢えず生き延びれて……良かった。」
汗を拭いながらそう言うイーヴォの言葉を聞きながら僕はふと周囲を見回した。敵戦車も三十台近い数が燃えていたがこちらもそれなりに損害が出ていたようで何台かの四型戦車と突撃砲が燃えていた。
「もう戦争も終わりだってのになんでこんな無意味な攻撃を仕掛けてきやがるんだ!? ル・カメリカめ! 」
モーラー軍曹が怒りの表情でそう呟いた。だがそれとは対照的にペットゲンは疲れ切った表情でボソッとこう言った。
「今回はたまたま勝てたっスけど次も同じように来られたらヤバいっスよ……。早く停戦にでもなればいいのに……。」
ペットゲンの言葉はそのまま僕の考えていることを代弁していた。