1.千夏
五年前にお向かいに引っ越してきた神崎さん夫婦には、四人の息子がいる。
長男、中学三年生の千春くん。世話焼きで優しく、誰にでも気遣いができるいい子だ。昨年あたりからぐんぐん背が伸びて、いまではすっかりわたしの背を追い越してしまった。
二男、三男、四男は三つ子で小学六年生。名前は千夏くん、千秋くん、千冬くん。一卵性なので顔は似ているが、性格は三人ともばらばらだ。兄弟四人に共通していることといえば、みんな美少年ということか。千春くんに限っては背が高くなってからイケメン要素まで加わっている。
もともと母親同士が学生時代の友人だったらしく、今では家族ぐるみのお付き合いをしている神崎家と我が桐谷家。四人の兄弟たちとも会うことが多い。素直に懐いてくれる子もいれば、捻くれている子もいるわけですが、可愛い少年と戯れることができておねーさんはたいへん嬉しく思います。
・・・・・・
高校三年の一学期。期末テストが終わり、夏休みまであと十日を切った。だんだんと暑さが増していく教室内。窓の外からはミーンミンミンミンミンミンと蝉の大合唱がうるさい。
すべてのテストを終え、何人かのクラスメイトは机に突っ伏して「終わった……」と震える声でこぼしている。テストが終わったと言いたいのか、テストの出来栄えに嘆いているのか。様子から察するに後者だろう。気持ちはわかる。わたしだってテストが返却されるのこえーよ!
「テストが終わって気ィ抜けてんだろうが、受験生の自覚を持って日頃から勉強しろよお前らー」
屍と化したクラスメイトは放置され、ホームルームはさくさく進んでいく。担任の先生がやる気のなさそうな声で注意したが、みんな聞く耳を持たない。だって今テスト終わったばっかりだよ?気が抜けたってしかたないよね!隣の席の友達とアイコンタクトで同意しあった。
「それと不審者の目撃情報が出てるらしいから外出するときは気を付けろよー。以上、かいさーん」
必要最低限の連絡事項を伝え、先生がホームルームの終わりを告げる。クラスメイトが各々席から立ち上がる中、わたしもボストンタイプのスクール鞄に筆記用具やプリントを詰め込んだ。教科書はまだ机にしまっておく。重いし、面倒だし、持って帰るのは最終日にする。
よっこらせ。年寄りくさい掛け声をお供に席を立ち、鞄を肩にかける。
「おーい、リツー」
「はいよー」
廊下のほうから名前を呼ばれ振り向くと、よく一緒に下校している友達がドアからひょっこり顔をのぞかせていた。
「私今日バイトあるから一緒に帰れない」
「おっけー。じゃあ校門まで一緒に行こー」
「いいよー」
他愛ない話をしながら一緒に靴箱へ向かう。バイトかー、わたしも夏休みにしよっかなー。お金欲しいしなー。求人情報誌で短期バイトの募集探してみるか!と考えたところで、ふと懸念事項が頭を過ぎる。
「バイトしたいけど、神崎兄弟と会う時間減るのはいただけない……」
「あー、リツがよく話してる三つ子くん?」
「あと上に中三の子もいる。みんな美少年で見てるだけで幸せになるよ神崎ママあんな美少年たち産んでくれてまじありがとございます!!って頭下げるレベルの可愛さ」
「リツならほんとに下げそうだわ」
「え、すでに実践済みですけど」
神崎兄弟を思い出すだけで顔の筋肉が緩む。四人とも可愛くてたまらん。千春くんはいつも朗らかで笑顔だし、千夏くんは元気いっぱいで子犬みたいだ。千秋くんは悪戯好きで生意気だけどたまに年相応に拗ねたりするし、千冬くんはツンツンしてるが照れ屋なだけで根は素直な子だ。なんだよ、四人とも天使かよ。可愛すぎるわ。
うっへへへへ。でれっでれに表情を崩して笑い声を漏らすわたしに、友達が容赦ない一言をぶん投げてくる。
「アンタが変質者として捕まらないか心配だわ」
なんともひどい言い草である。
・・・・・・
「あ、リツ姉ー!!」
「ナツくん? なにしてんの?」
「リツ姉のこと待ってた!」
靴箱で友達と別れて校門までやってくると、見慣れた人影があった。Tシャツと半ズボン姿の小学生。黒のランドセルを背負ったナツくんが校門の脇に立っていた。わたしを見つけるとぱぁっと表情を明るませ、ぶんぶんと手を振ってくれる。子犬みたいだ。ナツくん可愛い。
「よかったー!リツ姉来ねえからもう帰ったのかと思った。なんか通りすぎるひとにすっげえ見られるしさー」
「そりゃ高校に小学生がいりゃ目立つわ。ところで突然どしたの?急用?」
「急用っつーか、リツ姉といっしょに帰ろうと思って!」
にぱっ。太陽みたいに輝かしい笑顔で手を差し出され、反射的に自分の手を置いてしまった。
だって!こんな純粋無垢な笑顔で手を差し伸べられて!握らないわけにはいきませんよね!!
わたしのものより幾分かちいさい手を握ると、ぎゅっと強く握り返される。 「よーし、帰るぞー!」 張り切って出発したナツくんに引っ張られて歩き出す。
繋がったわたしの右手とナツくんの左手。五年前よりおおきくなったなあ。ナツくんたちもハルくんみたいに大きくなるのかなあ。成長を見守れるのは嬉しいが、姉離れされる日を考えると寂しくもなる。
しかし、今はこの可愛い可愛い少年期を、がっつりしっかり思い出に残させてもらおう。中学生になったら一緒に帰りたいなんて言ってくれなくなるかもしれない。おねーさんは甘えてくれるナツくんを力の限り堪能させてもらいます。
「ナツくんは可愛いねえ」
「は?なんで?」
「だって一緒に帰りたいなんて言ってくれるからさー。おねーさん嬉しい!」
可愛い可愛い。繰り返し口にしながら、空いた手で斜め下にあるナツくんの頭を撫でる。すると、ナツくんがむっと唇を尖らせた。キッ。不満げに睨みつけてくるが、上目遣いが可愛いぜちくしょう!と思うだけで、怖さは微塵も感じられない。
しかしナツくん本人は割と本気で不満だったらしい。その場で足を止め、人差し指をわたしの眼前にびしりとたたきつける。
「リツ姉、なんでオレがむかえに来たかわかってねえだろ!」
「え?一緒に帰りたかったってナツくんが言ったんじゃん」
「そうだけどちげーの!オレはリツ姉があぶない目にあわないために来たの!」
「うん?」
ナツくんなにが言いたいの? 意図を汲み取れず首を傾げる。危ない目にってどういうこっちゃ。
理解できてないことが伝わったらしく、ナツくんがしかたねーなとでも言いたげに指を下ろした。しかし説明はない。きょろりと辺りを見回し、わたしの手を引いて再び歩き出してしまう。
「ナツくん、詳しい説明を求む」
「いやだ。オレのことガキに言うみてーに可愛いって言ったから教えてやんねえ」
「わあ、ふてくされてるナツくんかーわーいーいー」
「ぐ……!」
棒読みで煽ってみると声を詰まらせた。ナツくんはちょっと背伸びしてる姿も可愛いし、指摘されると狼狽えるところも可愛い。だいたい、ランドセル背負ってる小学生はガキで間違ってないはずだ。子ども扱いされるのが普通だろう。
じーっとナツくんの頭頂部を見下ろして、返事を待つ。ナツくんは単純、もとい、聞き分けの良い素直な子なので、すぐに折れてくれると踏んでいる。
案の定、一分もしないうちに「あーもーわかったよ!」と不貞腐れモードを解いてくれた。
「学校でふしんしゃが出るって先生が言ってたんだよ!リツ姉ひとりで帰るとあぶないだろ!」
「お、おう?」
そういやうちの担任もそんなこと言ってたっけ。いや、待て待て、どっちかというと危ないのはナツくんだろ。こんな可愛い子がひとりで歩いてたら誘拐されかねない。おねーさんは心配だ。ついさっき友達に「お前が不審者みたいだ」と言われたが、わたしが本物の不審者ならこのままお家に連れて帰る可愛さですからねナツくん。
「ナツくん、不審者は可愛い子を狙うから気を付けるのはナツくんだと思う」
「なに言ってんだよ、リツ姉かわいいじゃん」
「……」
さも当然のように返されて、不覚にも小学生相手にきゅんとした。なんでさらっとこんなこと言えちゃうんですか!神崎ママの教育どうなってんですか!!このままだと天然タラシに育っちゃうよ!!
「……ナツくんかっこいーい」
照れ隠しに、普段あまり使わない言葉で褒めてみる。すると。 「!」 棒読みでもナツくんには効果抜群だったらしい。パアァァァァッ。幼いながらも整った相貌が、輝かんばかりの笑顔になった。
「リツ姉のことはオレが守るから安心していーぜ!」
ニシシッ、と笑って胸を張るナツくん。きゅん。またしても胸が高鳴る。
おいおいまだ小学生だっていうのにナツくん男前すぎるだろおおお!!
可愛い外見とは裏腹に男前発言をされ、萌えのツボにクリティカルヒットした。悶絶しかけたがまだ年上の威厳は保っていたい。ナツくんってば!なんでそんなに可愛いの!どんだけおねーさんを虜にする気ですか!という叫びは胸中にとどめる。頬の筋肉はゆるっゆるだが、それくらいは許してくれ。
「じゃあナツくんに家までエスコートお願いしようかなー」
「おう!まかせろ!」
ナツくんが喜びに満ちた眼差しをこちらに向け、つながった手を前後に振り始める。こんなちょっとした仕種すらくっそ可愛いですね。いつだってわたしに癒しを与えてくれるちいさなボディーガードに、帰ったら冷蔵庫の中のプリンをあげようとそっと心に決めた。




