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還元

お詫び


先日誤ってこの話のデータを消去してしまいました。

データにつきましてはグーグルキャッシュよりサルベージし、推敲の上、いくつか書き加えて修正いたしました。


本作を読まれている皆様にご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。


企業の活動というものは言うまでもなく金を稼いで利益をえるということが至上命題である。

だが、その利益の一部を社会に還元し、社会に貢献こともまた企業がこの世に存在する意義の一つである。



「桟橋を手配して欲しい?」


「ええ、大分の最大手企業であります御社にぜひお願いしたいのですよ。」


忘年会から10日ほど立ったある日、正月もそろそろ終わった今日この頃、一人の男が別府造船所の社長室に現れた。


男の名は油屋熊八と名乗った。

数年前に別府温泉で新しい宿をつくって主人となった男であった。

「亀の井ホテル」というんだそうな。

雷蔵も彼の名前くらいは聞いたことがあったが、それ以上に興味は持たなかった。

そんな男が数日前に会いたいといって電話を貰ったのだ。

そして彼から提案されたのが

別府温泉にやってくる客用に桟橋を整備したいが何か良い手はないかということである。


この時代、別府温泉にやってくる客は別府湾から船で直接乗りつけるということをやっていたのだが、このときはまだ船から艀に乗り換えて岸に向かうという方法をとっていた。

しかし、それでは危険だと油屋は言ったのである。


「万が一事故が発生したら取り返しが付かなくなります。そうなれば一時的にせよ別府には観光客の就役が大幅に低下する可能性があります。」


それには確かにと雷蔵もまたうなずいた。

彼自身造船屋としての見地から見ても別府の港湾施設は貧弱そのものであるといえた。

元々大分県内では最高クラスの良港である以上、どこかで整備する必要があると考えていたのだ。

実際、別府造船としても買い付けたり自前で生産した鋼材を大分港で陸揚げしたり。八幡製鉄所から鉄道に乗ってやってくるのだが、それにしては距離も遠く、どうせなら山一つはなれた別府港から陸揚げする必要があったため港湾整備の必要度がかなり上がっていた。

 

「大阪商船さんとはすでに?」


「ええ、先方は乗り気でして、埠頭の建設を計画しています。」


「ではなぜウチに?」


「それでは不足だと感じたためです。」


(まぁ、そうだな。)


雷蔵は思わずため息をついた。

別府にはすでに大阪~別府間を結ぶ船が就航している。

大阪商船の「紅丸」だ。

排水量は1000トンにも満たない小さな船である。

この時代、当然ながら本州と九州を行き来するには船しかなかった。

当たり前のことだが関門トンネルやら関門連絡橋なんてものは存在していない。

船こそが日本の島々を結ぶ唯一の手段だったのだ。


ここ数年、確かに景気は大戦の影響から上り調子であり、それに乗じて観光業界も活性化しつつあった。

観光需要も高まりを見せている。

そのため、いずれはより大型の船舶も必要になるだろう。


「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府・・・か」


何年か前から有名になりだしたキャッチコピーを思い出した雷蔵は思わず苦笑した。

観光地が発展に必要なのは知名度であろう。

幸いここは古くからの有名な温泉郷だネームバリューも十分だ。

だが、それ以上に必要なのがサービスである。

優秀なサービスこそが顧客をつかみ、リピーターを増加させるのである。

それが固定層を生み利益の安定化につながるのだ。


雷蔵も油屋同様に別府の発展を願う立場であった。

しかしさすがに企業の存在意義として慈善や利益の社会への還元を行うことは必要ではあったとしても、さすがにこればかりは彼を躊躇させた。


技術も造船の技術を応用すればよい。

だが、コストがそれに見合うとは到底思えなかったのだ。


「で重役会議という訳ですか・・・。」


専務の富樫輝彦が言った。



「そういうことだ。」


そういった雷蔵の目の前には社の重役達が集まっていた。

中には義男の姿もあった。

彼もまた営業部長に就任していたのだ。


「社長としては、いかがなさるおつもりで?」


副社長の武田信夫が尋ねた。


「私としては、できることならこの計画に参加したいと考えている。」


雷蔵は静かに答えた。


「まあ、確かに我々としましても神戸からの鋼材をいちいち大分や門司から陸揚げする必要はありませんしね。」


義男が笑いながら言った。

実は義男、ドックの建造を決定したあとも資金の調達と投資を続けていた。

目的は鉄鋼メーカーを傘下に持つことであった。

船の資材として鋼材は絶対に必要であった(木造船やコンクリ船なら話は別だが)

そして、第一次大戦では鋼鉄は値上がりする。

それを理解していた義男は早いうちに生命線たる鋼材を自前で生産拠点を持とうと考えていた。

そこで当時目をつけたのが神戸にあった神戸製鋼所である。

元々は鈴木商店傘下の企業だったのだが、経営難から1911年に分離独立化してしまった。

その後も鋼鉄価格の据え置きによって厳しい経営であったのを義男が株を少しずつ購入し1914年の5月に正式に別府造船の傘下につけたのである。

お陰で、鉄鋼の供給路を自前で手に入れたためなんとか船の建造を安定的に続けることができていたのである。



「船を運用するのならば我々も使うことを前提として考えることができるのですが・・・」


常務の細川昌平が残念そうに言った。

現時点において買い付けた鋼材の運搬は大阪商船や山下汽船などの汽船会社に依存していた。

船を自前で整備するだけの数が現状ではまだ用意できていなかったのだ。


「確かに、だが我々はあくまで造船会社単体として存在している。運用はやろうと思えばできるかもしれないが、ずぶの素人だ。」


「ですが、このままで放置しておくのもマズイ・・・ということですか。」


武田が再び口を開いた。


「しかし、何故ウチに・・・」


「我々の港湾整備計画をどこかで嗅ぎ付けたのかもしれないね?」


「かもしれませんね。ついでに羽振りがいいことも知ってのことでしょう。」


雷蔵が茶化すように言ったのを聞いた武田が苦笑しながら言った。

だが、これはあながち間違いではないだろうということは全員が承知していた。

実際、別府造船の現在の年商は約1億以上に達していた。

資産は日本でもそこそこのレベルには入るだろうと考えられていた。


「しかし、いかがいたしましょうか?」


経理部長の安東忠弘が尋ねた。


「取り敢えず、大阪商船さんは乗り気のようだ。ただし、必要以上の拡張には流石にな・・・」


「ですが、別府港の整備はこれからの観光客の増大をみても確かに必要性がありますね」


これまで黙っていた義男も賛成の意を示した。

たしかに別府港の整備には多額の資金が必要だが、現在の別府造船の資産ならある程度は可能だと考えていた。

また、彼自身もある考えがあった。


「ですが、本格的なコンクリート製の埠頭を整備するのはやはりコストの面から難しいと思います。ですが・・・」


「では、何か案があるのかね?」


「ええ。思いつきの範疇ではありますが」


「ふむ、取り敢えず言ってみなさい。」


雷蔵が促した。


「はい、私は浮桟橋を用意しようと考えています。これなら、ある程度のコストは抑えることができるかと」


義男は自信たっぷりにそういった。


義男が考えていたのは今で言うポンツーン(浮桟橋)である。

この時代、べつに浮桟橋はそれほど珍しい存在ではなかった。

ただ、重量物の運用は難しかったが。

だが今回はあくまで人員輸送に限っての話である。


それでも、要は推進力のない平べったい船であると考えることができる。

そして、美味く改良すれば飛行機だって離発着できるだろう。

実際、現代でも辺野古での基地拡張計画の際にフロートを用いた滑走路を整備するという計画が持ち上がったことは記憶に新しい。

別府造船所ではまだ浮き桟橋の本格的な開発、設計は行ったことはなかったが


フロートを利用すれば簡易に限定的ながら滑走路が整備できる。

太平洋戦争で基地建設に日本軍が四苦八苦したことを知っている義男にしてみれば、今回の提案はこのフロート滑走路のための実用実験にちょうど良いではないかと考えたのだ。


「ですが、現在我々のドックは全て埋まっておりますよ?」


細川が若干不安そうに尋ねた。


「ご心配なく、漁船用の船台ならば空きが多少あったはずです。それを使えばなんとかいけるかと」


「具体的には?」


「現在わが社は溶接を部分的ながら実用化しております。これを使います。また、ポンツーン(浮桟橋)ならば連結も容易ですので、ちょうど良いので船台を利用した急速建造法の実験にも役立つかと。また、構造材は神戸から仕入れ、それを持ってきて組み立てることもできます。それに、動力は必要ありませんし、ある程度の浮力さえあればよいかと・・・いかがでしょうか?」


「ですが、水深の問題もあります。」


富樫がそれに反発した。


「それはこちらが整備した浚渫船を用意すればよろしいかと思います。ただ、わが社単独では厳しいですので水中土木を行える企業を探してくる必要がありますね。」


「確かに。ならばある程度はできますね。」


「・・・いかがでしょう、社長?」


義男からの提案に雷蔵はしばし戸惑ったものの、他に代案もありそうになかった。

そのため、しばし考えた後


「では、技術部の者達の意見とコストを精査し次第、最終的な判断を行うこととしよう。」


と、浮桟橋の整備に一応のゴーサインを出すことにした。

しかし一方で雷蔵はいずれ本格的な埠頭と運行部門の整備は必要不可欠になるとも考えていた。

ただ、それが実現されるのはもう少し後になってからのこととなる。










別府に行くルートはこの時代、下関から関門海峡渡って門司などに上がってそこから汽車でいくのと大阪などから船でやってくるルートのふたパターンがありました。

しかし、当時は埠頭などの整備が十分でなくお客は基本艀を利用していたといわれております。

桟橋が完成するのが1916年

丁度良いのでここで船台を用いたブロック工法とメガフロートの実験をやってみました。

まぁ、メガフロートの場合はちょっと難しそうですが。


また、油屋熊八は作中にも出てきた亀の井ホテルを作った人物でして、由布の温泉をさらに開発したりしたりした人物で、別府温泉中興の祖といわれております。

現在、別府にはかれの像もあります。

ちなみに、雷蔵が言った「山は富士・・・」のキャッチコピーも彼が作りました。

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