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狂奔


1919年から1929年までのおおよそ10年間は『狂騒の20年代』と呼ばれている。それは、時代の一大転換期だったといえるのかもしれない。政治、経済、そして文化、芸術に至るまでが大きく変化していく時代だった。そして、その震源は主としてアメリカであった。

 

 大戦で最も特をした国はどこか?一般的には、日本とアメリカであったと言われている。日米共に国土を戦場とすることはなかった。まぁ、アメリカの場合は直ぐ側の大西洋が戦場だったが・・・兎に角、日米両国は英仏を中心とする連合国に対して物を売りまくった。特にアメリカはその圧倒的な生産能力を以て連合国を支え続けた。例えばフォードの大量生産システムがその代表例だろう。こうした巨大な工業力を背景として連合国は曲がりなりにも勝利をすることができた。


 そして、日本とアメリカは共に莫大な金を巻き上げることに成功した。日本はこれまで貯め込んできた借金を帳消しにでき、さらに大戦景気によって海運、工業も大きく発展させることに成功した。まぁ、海運についてはオンボロの旧式商船を大量取得したからなんだが・・・

 

 で、戦後。平和にはなったがアメリカにおいてその膨大な生産能力は遺されていた。その生産ラインは軍需品から民需品向けへと変化していった。大量生産大量消費の時代が本格的に始まったのだと言える。シボレーやフォードの車がすさまじい勢いで工場より吐き出され、給与を得た人々はそれらをこぞって買い求めていった。いまやアメリカにおいては大企業は競ってニューヨークやシカゴにおいて摩天楼の建設するようになり、一家に一台の自動車が普通の時代なのがこの時代だった。

 娯楽についてもラジオ放送が始まり、映画においても無声映画からトーキー・・・音声の入った映画へと変わっていくなど、変わっていった。ちなみに、フルカラーのアニメ映画である白雪姫は1937年公開なので、あと少しである。他にも、ジャズ音楽が本格的に普及したり、女性の参政権運動やショートヘアなどの風俗の変化、アールデコの誕生などいろいろな物があるのだが、割愛させていただく。


 このように、少なくともアメリカは豊かになっていた。株式市場においても、そうした好景気を反映してか、常に高値が付き続けていた。細かいグラフで見た場合は必ずしもそういう訳でもないのだが、全体的な場合は上り調子にあり、最高値を更新し続けていた。特に、1928年から29年頃にかけての相場はかなり強気であり、一般庶民まで株式投資に参加していたこともあってひたすら加熱が続き、一向に株価が下がる様子が無く、そんなわけで、ある経済学者に至っては『かくしてアメリカ経済は下がることのない高水準帯へと入ったのだ!』と宣言してしまうほどである。義男が聞いたら助走を付けてぶん殴るような台詞であるが、当時においてはごく普通の考えだった。信じられないことに!


 だが、永遠に好景気が続くと言うことはない。如何にアメリカ人の購買力が当時世界最大だったとしても(現在もだが・・・)供給が何時までも右肩上がりで続くわけがない。そもそもこの頃、所謂お金持ちになっていたアメリカ人は、第一次大戦前までにやってきた白人層であり、それ以降にやってきた白人系移民や黒人、そしてそれ以外の人々・・・例えば農民といった人々はこの一連の好景気の恩恵を限定的にしか得ることができなかったのだという。つまり、現代よりもアメリカの市場は小さかったのだ。市場が小さいと言うことは必然的に、需要も相応に少なくなると言うことだ。しかし、市場に対して商品の供給は続く。それは物余りを起こすこととなる。しかし、物価自体は上昇傾向にある。これがどういうことになるかは、直ぐにお分かりになるかも知れない。実体経済を悪化させ、悪性のインフレーションを招く。そしてそれは時間の経過と共に加速しつつあった。

 しかし、企業も投資家もそれほど危機感を抱いていた様子はない。いや、心配はしていた可能性はある。しかしそれは金融市場において解決することが可能であると考えていた節がある。まぁ、金融市場は常に莫大な金が動くのだし、20年代も終わりになりつつある頃には、市場は危険なまでに加熱していたこともあり、ある程度回せる状況にあったことは否定できない。

 だからこそ言えるのだが、終わるときは案外あっけない物である。そして同時に、極めて悲劇的であり、それでいてひどく喜劇的な状況を現出する原因にもなる。



 


1929年10月24日 ニューヨーク


 この日、ニューヨーク株式市場は当初、前日にやや下落した石油株や自動車株に買い注文が入り、株価はまた上がるのではないかというのが、トレーダーたちの見方だった。だが、そのあとすぐ、とんでもない注文がやってくる。

 10時25分ごろのことだったといわれている。一つの売り注文が出された。アメリカの自動車会社大手、ゼネラル自動車の株2万株。金額にしておおよそ125万ドルが売られたのである。これが地獄のふたを開けることになる。それを皮切りに、相場は一気に反転。あらゆる銘柄に売り注文が発生し、株価は全面安の様相を呈することとなる。信じられないことにそれが取引が終了する3時まで続くことになるのだ。

 この日、この一連の取引で失われた資金はおおよそ30億ドルにおよんだ。当時のアメリカ人の総生産のおおよそ3パーセントに達する。それがたった一日で吹っ飛んだのだ。


・・・これがいわゆる『暗黒の木曜日』の顛末である。始まりは突然であったと歴史の教科書では言われている。だが、それは正解とは言えない。なぜならば、予兆はすでにいくつかあった。まずは作中でも何度か書いている通り、株式市場が極度なまでに過熱していたことであろう。このころ、アメリカ人の一般庶民にまでが株式投資に手を出していた。

 彼らが株取引に参加する要因はいくつかあった。ジョゼフ・ケネディ(ケネディ大統領の父親)やジェシー・リバモアみたいな凄腕のトレーダーによる株式投資の荒稼ぎが彼らを一獲千金の夢を与えたこと。 情報システムの発達・・・当時、電話回線を利用したティッカーという機械があり、株価の最新価格がほとんどリアルタイムで打ち込まれるシステムなのだが、それが都市部の映画館や食堂といったところに設置されたことで、人々は別に取引所に行かなくてもある程度の株の最新価格を知ることができるようになったこと。

 そして、ブローカーローンと呼ばれる借金の一種ができたことがあげられる。株式取引には当然のことながらある一定のまとまった資金を必要としている。だが、そう簡単には資金を用意することは難しい。そこで、今ある手持ちの資金を担保として利用して銀行などから資金を借り入れるという手法がとられることになった。上限は手持ちの資金のおおよそ10倍まで借りることができる。が、金利自体が高く、そもそも株価が上がっている状況下ならば利益を出せるが、株価が下がった時にはその損益も自分持ちというハイリスク・ハイリターンなローンである。ちなみに、現代でも証拠金取引…いわゆるFXでもレバレッジという似たようなシステムがある。

 こうした技術や金融システムの発達、そして成功者の存在・・・そうしたものが大衆を投資・・・もとい投機の世界に誘うのである。こうして、加熱した相場はこうなるとコントロールが効かなくなる。規模が大きくなればなるほど取引額も大きくなるが、その分下がった時の損失分も半端ではなくなるのだから・・・


 もう一つの予兆は、アメリカにマネーが流れ込み続けているということにあったとも思われる。この状況を憂慮したイギリスは、国債金利の引き上げを発表したのだ。当時のアメリカの国債金利は6パーセント。それをイギリスは6.5パーセントに引き上げることによってアメリカからマネーを自国に引き付けようとしたのである。これによって投資家たちはアメリカから資金を引き揚げてイギリスの市場に資金を投入するようになる。それが9月ごろのことであり、それに連動して相場も9月3日に最高値を付けて以降、株価自体はじりじりと下がり続けていた。


 悪化する実体経済、大規模なマネーの海外流出、借金をしてでも株を買おうとする投資家たちが続出する加熱した相場・・・どこかで見たような光景である。大体10年位前に。ある人にとっては30年くらい前なのかもしれないが・・・そう、まさにバブル崩壊やリーマンショックと非常に似通っているのである。

 


 

 この事態に誰も何もしようとしなかったのか?と言われると、別にそんなことはない。この事態に驚いた銀行家たちはすぐさま対応策を協議し、その結果、大規模な株の買い支えによって対応することにした。彼らはこう見えても金融のプロたちであり、豊富な資金もまた保有していた。彼らはUSスチール株などに大規模な買い注文を行うことによって翌日25日のこれ以上の暴落を防ぎ、かつ株価をある程度引き上げることに成功する。これで何とか相場はある程度の安定を取り戻すことができるだろうと彼らは考えた。だが、当時の株式市場が彼らの想像を大きく逸脱するくらいに規模が大きくなっていたことを彼ら銀行家たちは理解していなかったのかもしれない。本当の惨劇はこれからだった・・・。


 

 市場が休日の週末、アメリカ全土だけでなく世界中ににこの一連の大暴落の情報が流れた。そのため、この暴落を聞きつけた投資家たちは週明けの月曜日に慌てて資金の引き上げを開始。一連の暴落は火曜日になっても続く。いわゆる暗黒の月曜日と惨劇の火曜日と呼ばれるものだ。この一週間の悲劇的なまでの大暴落によって計上された損失は300億ドルに達した。



 1929年10月29日 ニューヨーク 


「( ´_ゝ`)クックック・・ ( ´∀`)フハハ・・ ( ゜∀゜)ハァーハッハッハッハ!! 」


 ニューヨークの町行く人々がそろいもそろって顔を青ざめさせて今にでも首を吊るんじゃないだろうかというような暗いお通夜モードで行きかっている中、セントラルパークに近いホテルの一室にておっさんがだいたいこんなどっかの悪役みたいな感じでケタケタ笑っていたりする。言うまでもないが義男である。


「ちょっと、落ち着いてください。また自殺者が出るんじゃないかってホテルの人も気が気じゃないんですから!そうです!そ素数を数えましょう!ほらっヒッヒッフー!」


 同じ部屋にいた女性・・・茜が必死になって義男の馬鹿笑いを止めようとしていたが、彼女も彼女でおかしい。素数を数えるどころかラマーズ法になっている。そういえば1は素数だったのだろうか?



 というのも、義男はともかく茜までこんな状況になっているのは当然ながら訳がある。


「だって信じられるか!?ゼロが一体いくつあるんだ!?しかもドル換算だ!」


「それは解っています!ええと・・・ひとつ、ふたつ・・・」


「こんだけありゃ、何もかもができるぞ!ええと・・・まずは新車買って、家もリフォームして・・・」


・・・なんか発想が偶然宝くじを当てたサラリーマンみたいなこといっているが、こいつは言うまでもないが大企業の経営者である。


「・・・信じられませんわね」


「今まで稼いだ金と融資してもらった金と株を残らずこいつにぶち込んで勝負したんだからな!でもこれって・・・下手な国家予算より上じゃね?」


茜と義男は二人そろって金額が書かれた紙を見ながら震えていた。


 

 二人がニューヨークにやってきたのはつい2週間ほど前のこと。エンプレスオブエイジアに乗ってそのあとサンフランシスコから大陸横断鉄道に乗ってやってきたのである。目的は、大恐慌に備えるため。イギリスが国債の金利引き上げを行うという情報を入手してからすぐに義男はアメリカ行きを決定したのだった。今の状況下においては自分が言ってほとんどリアルタイムで相場に参加していなければならないと義男は認識していたのだ。バブルこそ経験していなかったが、リーマンショックは経験していたこともあり、株価の変化の恐ろしさは身に染みていたのだ。加えて、この時代は立会取引が基本だったことも影響している。

 さて、義男が日本を離れることに役員たちは難色を示すかとおもわれたが、「いや、あんたいてもいなくても日常業務は回るし」というわけであっさりと行っていいよと言われたりする。ちょっとは引き止められると思った義男は少し悲しくなったのは内緒であるが、事実として普段のこいつは自動判子押し機なのだから仕方がない。

 というわけで、義男は茜を連れてニューヨークに行くことにしたのだった。夫婦で旅行という体裁で。ちなみに、二人の息子は雷蔵に預かってもらっている。


 そして、ニューヨークにやってきて2週間。株をちょっとずつ売りながら義男は茜と二人してホットドッグを齧り、コカ・コーラを飲み、夜はジャズハウスにてジャズを聴くという結構アメリカンな生活を割と楽しんでいたりするのだからあながち嘘ではない。ちなみに義男は4キロ太った。多分血圧と血糖値もだいぶ上がっているはずである。濃いものが基本好きなのだが、さすがにポンドステーキとかが毎日続くと結構きつい。茜も茜で船の中で飲んだスコッチやラガーに目覚めてしまっており、こっそり持ち込んで飲んでいたりする。この時代、アメリカは禁酒法時代真っただ中だったのだ・・・。


 だが、とにもかくにもその時が来た。義男は正確な時期と額を知っていたわけではない。だが、なんとなくだが、いつ暴落するのかはわかっていた。そして彼は一気に売りに触れる少し前に売り逃げに成功していたのである。そして市場が閉まる少し前に一気に買い注文を出したのだった。それをここ1週間にわたって続け、結果、莫大な額と大量の株を稼ぎ出すことに成功したのだった。二人がなんかおかしくなっているのはそれが原因である。


「さて、そんなわけで金を稼いだわけだけど・・・何に使おう!?」


「予定以上に稼いだよですからね。その辺は会社の皆様と話し合ったほうがよろしいかと・・・ですが、これだけあればだれも何も言うことができなくなりますわね」


「そ・・・そうだな。」


「ええ、あとはあなたの構想通りに進めば問題はなしということです」


 動揺しながら言う義男に対して少し早く落ち着くことに成功した茜はすましたように言うと、来る途中に買ったバーボンをグラスに注ぎ、ロックで飲み干した。



 

 

皆様お久しぶりです。

まず最初に、半年近く音さたなく申し訳ございませんでした。親戚の関係や自身の転属などでしばらく余裕がなかったこともあります。あと、ちょっと別のものを書いておりまして・・・実際に揚げるのは帆船ものにしようかイタリア海軍ものにしようかでなやんでいるのですが・・・


今回は義男が無双する話にしようかと思って書いていたのですが、なぜか世界恐慌の説明になってしまいました。実際この暴落では初日の24日だけで11人もの投資家が自殺していますので、茜が必死義男の奇行を止めようとしていましたが、止めようとした本人もかなり動揺していたりします。実際にどのくらい稼いだかどうかは内緒ですが、かなりの額を稼いだことは確かです。

次回は、恐慌後のアメリカで多分義男が無双するかもしれません。うん多分、きっと大活躍する・・・はず



ありがとうございました。

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