蹉跌
1923年3月14日
この頃の別府グループの業績はそこそこの伸びを続けていた。なるほど、欧州の復興は一段落し、軍需から民需への転換も完了しつつあるし、そのあおりを受けて日本の実質経済も悪化しつつあった。だが、別府グループでは、鉄道院からの翔鳳丸や、大阪~日出航路の宝殿丸の建造、姫島丸の建造などの職にありついていたし、さらに安値になった鉄などの資材を神戸製鋼所が再加工し、コンテナ製造を行うなどした結果、現状それなりの受注は受けることができていた。まァ、資金の方はこの時期まさに黄金期を迎えようとしていたアメリカ経済の好況に便乗する形で、主に義男が主導して株式投資に手を出し、そこから得た資金の一部を以て運転資金としていた。まァ、別府造船にはまだまだ第一次大戦の前後でボロ儲けした資金が蓄えてあったし、それを投資して得た資金を運転に回しているためではあった。(ある意味、義男だからできる力業ではある)
また、東京にあるビルもこの年の9月~10月には1階部分に設けられた商店が順次オープンする見込みではあった。こちらは義男が必死にせっついて急がせたためではあったが、2階以上のオフィス施設のオープンにはまだしばらくはかかりそうだった。
そんな感じでそれなりに好調な別府造船ではあったが、この頃に起こったある事件が、別府造船の技術陣、経営陣に大きなショックを与えることとなる。
この日、一隻の船が別府造船所第3ドックに入渠した。ここは別府造船が建造した1万トン級ドックであった。そして船の名は勝竜寺丸。安土丸型9番船で、神戸の勝田汽船に納品した船であった。
水の張られたドックに入ってきた勝竜寺丸は痛ましい姿であった。船橋や煙突部分、後半の船室などが大破していた。2月のはじめにオホーツク海近海にて嵐によって船体が破損したことをうけ、急遽この別府造船にて調査と修理が行われることになったのだった。原因は波浪の中でモロに波を船体に被って上部構造物が圧壊したためであった。
本来ならばたいしたことない事故の一つとして処理されるべきものであった。だが、それを見た宮部と義男は顔を若干青くしていた。
「・・・不味いですね」
「あぁ、不味いなんてものじゃない・・・マジヤベぇ」
ドックに入居した船には工員達が大急ぎでとりつき、作業を開始する中、二人は視線を勝竜寺丸の破損部分に固定し、呆然としていた。
「原因は・・・わかるよな?」
「ええ・・・大体想像は付きます。」
「秘密にするわけにはいかないよね?」
「と言うか直ぐに行動を起こしませんと・・・大変なことになります」
「うん、知ってる。でも下手にかぎつけられても不味いな・・・主に川崎とか三菱とか三菱とか」
そう、二人はこうなった原因をある程度ではあるが想像がついていた。義男の方は未来知識から。一方の宮部は、自らの経験と技術者的な見地から。それぞれアプローチこそ別々ではあったが結論はおおむね一致していたと言える。
ここで、アメリカが建造した戦時輸送船、通称リバティー船のお話をしよう。リバティー船はその素早く、かつ安く建造するという目的から、様々な新機軸が採用された。簡易な船体構造に加え、ブロック工法や溶接がそれである。おかげで、ロバート・ピアリー号のようにおよそ7日間で完成するとか言うもはや意味不明な記録まで打ち立てられたわけであるが、その一方で問題も多々あった。
例えば1943年にはスケネクタディー号というリバティー船の親戚みたいなT2型タンカーが、突然何の前触れもなくまっ二つにへし折れるという事故があった。他にも、荒天の中を航海したために、船体に皺が寄ったり亀裂が発生するなんてこともあったようである。そうした事故の要因の一つとして、電気溶接の不備にあったものであることが推測されていた。
それが、まさに今別府造船で起こったのである。特に、この勝竜寺丸は安土丸型の中期ロットに属する船であり、実に船体の全工程の30パーセント以上が溶接に回されていた。特に、上部構造部分はそのほとんどが溶接に頼っていた。それがまさに仇になったのである。
ここで、もう何度目になるかわからないが溶接における問題を説明しよう。アーク溶接における最大の問題点の一つとして、アーク溶接は溶接速度がとても速く、適切なアーク溶接が行われれば溶接部の強度はかなり高い。反面、溶接時に発生する光が強く溶接箇所が見えにくくなるために、溶接不良などの失敗をしやすいという欠点があった。成功したらよいが、失敗したら途端にゆがみやすくなったり、脆くなるのだ。おかげで、上にあるように船が突然真っ二つに折れたりするのだ。
あるいは、鉄そのものにも問題があったりすることもある。鉄は混ぜ物や産地などの違いで特性が変化したりするため、完全に同じというわけでもないのだが、共通していることにある一定の温度によって伸び縮みするという特性がある。そのため、1934年に竣工した大鯨という船は、おそらく溶接用鋼材の問題であろうか?昼間に温められて伸びた鋼材が夜になると冷えて収縮し、キーンという甲高い音を立てた。人々はそれを『大鯨の夜泣き』と呼んだ。他にも、リバティー船でも突然船体がへし折れた原因の一つとして、縁付き鋼が使用されたことが挙げられている。
他にもアメリカのリバティー船だけではなく、日本の戦時輸送船でも同じように波浪など何やらで突然船体に亀裂が発生したりしたりしているし、軍艦でも1930年代の第4艦隊事件で駆逐艦の艦首が三角波を食らって切断(!)されたりすることもあった。このように、溶接というものは非常に高い技術とリスクを伴うものであった。だが、だからと言ってこのまま放っておくわけにもいかなかった。今やるべきことは今後の対応であった。なにしろ、別府造船の船がすべて使えないものになる可能性があるからだ。これはゆゆしき事態だった。リベット内に戻るとまた建造に膨大な時間がかかる。すぐに、緊急の役員会議が開かれた。中には新任のドイツ人であるハンスや神戸製鋼所から派遣されてきた技師がいた。彼らは一様に衝撃を受けてもいた。
「これは、ヒドイですね。」
「ああ、今回は幸いと言っては何だが、上部構造の破損のみで終わった。」
「船体部分に皺や亀裂などは発生していないのでしょうか?」
黒田の質問に宮部が答えた。
「現在のところ、船体部分にそのような痕跡は発見されておりません」
「鉄鋼の専門家としては、どうか?」
今度は義男が神戸製鋼所から派遣されてきた技師である長尾に尋ねた。
長尾は、神戸製鋼にて溶接可能な鋼材の研究、開発のリーダー的存在であった。
「現状ではまだ何とも・・・しかし、接合部のみならず、鋼材そのものの問題も否定はできないかと」
「分かった。そちらのほうの対処も頼む。」
「しかし、これからの対応はどうします?」
営業取締役の後藤が訪ねた。
「船体の方は、一時はリベットに戻すのはやむを得ないかもしれん」
「やはり・・・」
宮部がどこか残念そうな表情をしたが、それは仕方がない。欠陥品というほどでもないが問題がある商品を顧客に手渡すことは難しい。リバティー船の場合は、そのまま溶接の使用が続行されていたが、それは戦時だったからというのもあるだろう。残念ながら今は平時だ。
だが一方で、溶接そのものを完全に中止するということも今後の経営や造船所での技術力を高める上で考えるならば明らかに論外であった。例えば海軍は第4艦隊事件などの結果、溶接から完全に手を引いてしまった結果が太平洋戦争の艦艇建造や修理、そして戦時標準船の建造に暗い影を落としてしまう結果となったのだ。義男はそれを知っていることもあって、安易な中止と言うこともまた危険であると感じていた。
「だが、上部構造部分とコンテナ製造などで溶接は続行する。また、併せて原因究明と対処を進めるように。それと、対策が上手くいったら再び船体部分の溶接作業を再開しようとは考えている・・・建造計画云々は、姫島丸などの最近建造した船の調査をしてから再度判断するが・・・」
「それで、これまで溶接を用いた船はどうします?」
「直ぐ全て調査だ。特に、姫島丸や宝殿丸、翔鳳丸(流石にヤバイので、負荷がかかるであろう部分は鋲打ちにしたが)は徹底的に調べろ!」
「海外に売っ払ったものもですか?」
「そうだ。海外には設計部員や技師も派遣するように・・・ついでに海外営業部からも何人か行ってもらう」
「顧客の大半は・・・英国でしたかな?」
「そうだ・・・まぁ、ついでに英国の造船所や新造船を見てきてくれると嬉しいが、あるいは・・・」
そこまで言うと義男は口を閉じた。
義男の頭の中にはある一つの考えがあったりするのだが、それはあえて黙っておいた。
「しかし、保証や賠償を求められた場合はいかがいたします?リコールでもしますか?」
榊原が尋ねた。
「いや、個別保証にする。船自体も初期ロットと後期ロットにかけて工法も違っているしね。無論、調査を行ってからにするが・・・」
変な奴が出てきても困るからね・・・と、義男は苦笑混じりに言った。
「だとしたら、結構な額になりますな・・・」
一色の懸念に義男は溜息混じりに
「仕方ないさ、俺達がやっちまったことだし筋は通さないと。・・・ただし、極度のかさ上げとか変な改造をしていたら無視することにしてくれ。調査はしても保証金は払うな。・・・程度にもよるが」
「しかしこのままでは、造船計画やスケジュールに大幅な変更が必要になりますが・・・?」
黒田が尋ねた。
「まぁ、その辺は仕方がない。どのみちこの不況だからな。多少の遅延はやむを得ん。折角作った船が沈没しちまったらどうしようもないからね。」
「では、航路開設を優先すると?」
「まぁ、船があっても航路が無くちゃどうしようもないからね。ただし、運行は少し遅れるかもしれない。幸い、俺達はまだ金がある。それなら、埠頭を整備した方がマシというものだとも思う。それに、今は一刻も早く調査を行うべきだろう。」
数日後、安土丸型を売却した世界中の汽船会社に別府造船の技術者がすっ飛んでいった。海外に売却したものの中には、とうの昔に海難事故で失われたりスクラップになったものや、転売されたものもあったりしたが大半は未だ普通に商船として運用されていた。そして、おおよそ数ヶ月をかけた調査などによって、幸い、勝竜寺丸ほどヒドイものはなかったものの一部の船の船体や上部構造に対して若干の亀裂や歪みがあることが分かった。船主に対しては別府造船から保証金を支払うなどして対応をした。尤も、すでに旧式化した船であったこともあって、資金はそれ程のものでもなかった。中にはふっかけてくる船主もいたりするが、・・・
さて、そうして各地から集積されたレポートによれば、破損や歪みがあった船は、前期ロットから中期ロットにかけて集中しており、後期になればなるほどそうした物は低くなっていることがわかった。ここから、原因の大きな部分として、工員の習熟度が低かったことが予想された。ただし、鋼材面でも一部改訂が必要であると判断された。結果、従来までの縁付き鋼よりも脱酸鎮静鋼と呼ばれる種類の方がまだマシになると神戸製鋼の技術者は判断した。ただ一方で、溶接用鋼材の試作は続行することとした。
また、こうして得たレポートなどは、直ぐに義男が大学に持ち込んで、力学や金属工学の教授に見てもらったりと対策の実行や、協議などに数ヶ月間義男達別府造船の社員は追われることとなる。だが、これはかえって別府グループ各社にとってはある意味良かったことでもあった。
なにしろ、溶接の不備やそれに対する対策を早めに知ることができたのだから。あまり話が大きくならなかったことも幸いした。尤も、失った代償もまた大きいものであった。別府造船は、一連の補償額に計600万円を支出する羽目になったし、上部構造はともかく、船体部分の製造にはリベット打ちを全面的に使用することとなり、建造のスピードが一気に落ちることとなった。また、既存の船も一部が修理ないし改装の必要があるとして、リベット打ちにやり直した船もあった。
そんな感じで義男をはじめとする社員達がうんうんうなっている頃に、再び別府造船を震撼させる事件が発生する。尤も、それは義男達がやらかしたことではない。それは自然発生的なものであった。
1923年9月1日午前11時58分32秒・・・マグニチュード7.9、死者行方不明14万2800人・・・関東大震災である。
帝都にて大地震が発生した・・・この一報に義男は思わずうつむいた。そして、ニヤリと微かにだが、口元は笑っていた。
皆様お久しぶりです
・・・3ヶ月ぶりくらいでしょうか?
大変長くお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。
2月中には挙げる予定だったのですが、転勤やら他に書きたいものがあったり何やらで書くのも遅れてしまいました・・・
今回は、溶接における失敗の話でした。当初は発電関係の話にしようかとも思ったのですが、結局考えた末にこの話に変更しました。溶接を物語の中に据える上では忘れてはならない話だと思ったからです。
しかし、具体例が上手く書けていない上に、失敗したけれど成功したよみたいな感じになっています。もうすこし、主人公達が苦境に立たされるような場面が描ければよかったのですが・・・
また、大鯨の件ですが、アレは鋼材にも原因がありますが、やはり習熟度も大きな問題だと考えられます。後は金属工学がまだこの頃の日本では十分でなかったことも挙げられます。
さて、ようやく1920年代の最大の事件の一つ、関東大震災までやってきました。戦間期における折り返し地点です。




