機関
1922年10月
「ようやく、こいつも就役か・・・」
「我々としても初めてですからな、こいつは」
「だからこそ、慎重を期してきたわけだが・・・初歩で躓いては何にもならんしな」
この日、義男をはじめとする別府造船所の幹部達は感慨深げに目の前にて作業が行われている一隻の船を見つめていた。
ここは、別府造船所第2号ドック。5000トン級用ドックである。
そこでは今日、一隻の船が完成しようとしていた。鋭くとがったクリッパーバウや一本の太めの煙突、真っ白な上部構造物、黒く塗られた船体をもつこの船はどこか気品と同時に新世代の船という印象を強くしていた。
その船の名は「宝殿丸」
総トン数1600トン。
全長96メートル
全幅12メートル
貨物積載量920トン
別府造船が近年建造した中ではやや小型の部類に入る船であった。
しかしこの船は、別府造船にとって未知の領域に入るための実験台とも言うべき船であった。
と言うのもこの船、機関にはディーゼルエンジンが搭載されていたからだ。
ディーゼルエンジンは第一次大戦以降少しずつ造船業界で広がりを見せ始めていた。例えばいまから3年後の1925年にはスウェーデンの客船であるグリップスホルム号がディーゼル搭載客船として活動しているし、大戦後の1930年にはアメリカの客船会社、ホワイトスターライン社が保有した3万トン級の大型客船たるブリタニック号はディーゼルエンジンを搭載している。日本でも大阪商船の紅丸や畿内丸型貨物船などがやはりディーゼルエンジンを搭載し、実際に商用航路で運用されていた。そう、第一次大戦後の海では、燃費が良くそこそこ高速なディーゼルエンジン搭載の船が海運業の中心に躍り出ようとしていた。ただし、その本格的な登場は20年代後半まで待たねばならない。
さて、別府造船所では、義男と雷蔵の肝いりでディーゼル搭載船の整備を推し進めようとしていた。これからの時代は燃費が良いディーゼル船こそが商船の主力になることは義男は知っていたし、社員達の多く・・・例えば山岡もこれからはディーゼルエンジンが主役になることを予感し、技術革新を上申してくるなど、別府造船では一丸となってディーゼルの新規開発に乗り出していた。また、ドイツから連れてきた多数の技術者の中にもディーゼル搭載の潜水艦の建造に当たった物がいたり、あるいはディーゼルの運用に長けた者が多くいたことも義男達の考えを後押しすることとなる。
かくして、そのディーゼルの運用試験船とも言うべき船が別府造船で建造されることに決まったのは、義男が日本に帰ってきて直ぐのことであった。当時すでに第一次対戦終了の影響によって海運業界では船あまりが起こり始めていたし、そのために別府造船でも船の建造を半ば中止しており、建造らしい建造は鉄道運搬船である「翔鳳丸」と少数の小型フェリーや漁船の建造に止まっていたこともあって、十分なリソースを有していた。ということで、この暇な期間を次世代の船のための研究に費やそうというのが別府造船の考えであり、同時にその船は別府汽船が運航を予定している大阪~日出間航路に投入されることが決まった。すでに日出港では大型のクレーンの建設準備と埠頭の建設が進んでおり、2000トン級の船までなら入港できるような設備を準備すると共に、港まで大神鉄道によって鉄道線がしかれ、直接物資を積み下ろせるようにしていた。それは、将来のコンテナを運用するための布石でもあった。そして、コンテナの運用設備はこの宝殿丸にも搭載されることになっており、コンテナ専用の貨物スペースや大型のクレーンまで装備していた。
基本的な船の括りとしては貨客船となっていた。船体後部に二階建ての構造物が船橋と一体化した作りとなっていた。そこが乗客の居住区画となっていた。一等と二等の二つに分かれており、一等は八畳ほどの個室でありそれが12部屋。残りは二等と言う形となっていた。二等は畳敷きの広間4つから構成されていた。それぞれの間仕切りは簡単に外すことも出来るようにはなっており、非常時には全ての部屋の間仕切りを取っ払って巨大な空間に出来るような設計となっていた。これは、万が一軍事輸送などに回されることになった際にはここに蚕棚のようなベッドを用意して輸送に回されることを想定した作りとなっていた。
また、実験船であるという側面から、この船には別府造船が持つ全ての技術をつぎ込んだ物となっていた。船体はほとんど完全に溶接が用いられていたのはもちろんのこと、建造期間を削減するためにと言うことでブロック工法が用いられていた。また、この船では日本でおそらく初めてであろう球状船首・・・いわゆるバルバス・バウが備え付けられることにもなっていた。この船は一応内海航路を想定して建造されていた物の、ある程度の外洋航海能力も必要であると義男が考えたことと、実際に装備して従来の船とどのくらいの違いがあるのかという実験台として運用される予定であった。
ディーゼルエンジンにはズルツァー社製の2ストロークディーゼルエンジンを2基2軸で2000馬力16ノットを発揮できる仕様であった。ドイツからやってきた技術者達の中には船の大きさの割に少し過大な出力であり、さらに燃料の燃焼効率の良いMAN社の4ストロークディーゼルにした方が良いのではないかという声もあったが、「こいつはこの後に続くであろう外洋航海用の大型船のテストベッドだから」という義男達の考えによって2ストロークとなった。(ちなみに別府造船所ではズルツァー社とMAN社の両方からそれぞれのディーゼルエンジンのライセンス製造権を得ている)
さて、ここで2ストロークエンジンと4ストロークエンジンのメリットとデメリットについてお話ししよう。中学校の技術の授業で内燃機関について習った方もいらっしゃるかもしれないが、最近ではそういうことを教えることも少なくなったと聞いたこともあるので、あえてここで簡単ではあるが説明させていただく。
まず機関という物は空気と燃料の混ざった混合気を燃焼室に送り込んで圧縮させた後で燃焼(というか爆発)させ、その力でクランクを回し、排気する。この一連のサイクルがピストンの上昇と下降で行われるのだが、それが4回行うのが4ストローク。2回だけなのが2ストロークである。これは、ガソリンエンジンでも、ディーゼルエンジンでも同じことが言えるのである。
2ストロークの場合、4ストロークに比べてバルブが一基などである分、構造が単純であり、部品点数も低い分整備しやすいのだ。さらに大出力が出せると言うというのが最大の利点であると言えよう。大出力が出せると言うことは、その分スピードも出ると言うことで、日本海軍の大型潜水艦は基本2ストロークディーゼルを用いていた。燃費も良くかつ出力もデカイとあれば言うことはないだろう・・・最も、2ストロークとていいことだけではない。当然ながらデメリットも存在する。
4ストロークと比べ、燃焼効率が悪く、不完全燃焼を起こした燃料を少しだけ出してしまうのだ。尤も、船舶の場合、機関スペースは自動車やバイクと違って広くとることが出来るため、再燃焼のための機械なども置かれており、この問題はクリアできる。ただし、燃料の燃焼効率が低いと言うことは燃費にも関わることであるため、燃費として考えるならば4ストロークの方がいいだろう。また、騒音が大きいというデメリットがある。これは静粛性を基本とする潜水艦には少しデメリットとなろう・・・尤も、潜航中はモーターで動いているため、問題にはなりにくい。他にも、低速時での運転などは明らかに4ストロークの方が上であったりするなど、操作性などの面においても2ストロークは十分であるとは言えないだろう。
他にも内燃機関にはロータリーやら6ストロークやらいろいろな種類が存在する物の、一つ一つ説明すると時間がいくらあっても足りない上に、私はそれほど詳しいわけでもないことから、基本この二つのみとさせていただく。
さて、こんな感じのディーゼルではある物の、確かに燃料消費などの面では優秀であるし、次世代のエンジンとしてはきわめて有望な物であることに違いはないだろう・・・が、それで全てが上手くいくかというと決してそういう訳でもないのだ。というのも、ディーゼルエンジンは通常のガソリンエンジンなどに比べて製造が難しいのだ。というのも、ディーゼルはガソリンエンジンに比べて燃焼室での爆発をゆっくりとしたものであり、その分丈夫に作ってやらねばならない。また、それは燃焼室のみならずピストンなども丈夫な物を使ってやらねばならない。じゃないとシャフトやクランク、ピストンが破損する可能性があった。現に、そうした事故が偶に発生している。そうした問題の多くは基本的に材料が大きい。ある程度の熱や衝撃に耐えられない材質では優秀なディーゼルは出来ないのだ・・・まぁ、ディーゼルに限らずエンジンという物はそれなりの熱に耐えられるような特殊鋼が必要となってくる。当時の日本ではまだ十分な熱に耐えられるような鋼材は出来てはいなかった。こちらはまだ神戸製鋼所では開発が続いているがまだまだ十分ものになっているとは言えず、これからさらなる技術革新を進めていく必要があるだろう。
「さて、こいつを造ってみたはいいが・・・」
「ものにはなると思いますよ?」
不安そうに見つめる義男に宮部が語りかけた。
「大丈夫かな?」
「機関士にはドイツ海軍の潜水艦乗りを採用しましたし、クレーンだって実際にコンテナを上げ下げするなどして試験を繰り返したんです。」
「まぁ、ぶっつけ本番というわけではないけどね」
「ですから、大丈夫でしょう」
「うーん・・・」
「それに、これで心配していてどうするんです?この後には第二期、三期の貨物船および貨客船建造計画が控えているんですよ?」
「それはそうだが・・・」
「気持ちは分かりますが、ここでうなっていても仕方ないでしょう。」
「まぁ、こいつで採算をとる気は確かにないけれどね。それでも採算が悪すぎるのも心配していたから・・・」
「それが社長の腕の見せ所ではないですか?」
「まぁ・・・な・・・」
義男は苦笑いを浮かべながら宝殿丸をみつめた。
義男は確かに技術の基礎は知っているがこいつは技術屋ではない。そのため、ちゃんと稼働してくれるのかどうか本当に心配であったのだ。ただでさえこの船は別府造船にとって新たな世界を切り開いてくれるであろう船なのだ。こいつがこけてしまえば、この後に続く高速客船や貨物船は全ておじゃんになってしまうであろう。それを防ぐためにもこの船には成功してもらわねばならなかった。
まぁ、元々この船は乗客を乗せるために造ったわけではない。あくまで実験船であり、運用目的も大阪で積み込んだ貨物を日出で降ろすことを目的としていた物であった。乗客はあくまでこれからの別府汽船が客船を運用する上で必要なノウハウの蓄積のためであった。そのため、収容可能な乗客数も一等24人、二等160人という最大200人程度を想定しており、それほど多くの人間を運ぶことを考えているわけではなかった。まぁ、入港する港も日出という別府に比べればネームバリューが遙かに劣る地域であることからも、義男が観光客を輸送することを目的としていないことは明かであった。すでに別府港には紅丸や緑丸、菫丸といった大阪商船の客船が運航されてもいる。ここで大阪商船と競合してもそれほど大きなメリットが存在しないことは確かであった。例え競合しても、直接別府に乗り付けることの出来る大阪商船に対し少し離れた日出より出港する別府汽船では利便性の上で圧倒的に下がってしまう。なにしろ別府から別府汽船の船を使って大阪に向かおうと思えば国鉄で日出まで向かい、そこから埠頭まで歩くか、新しく造られた鉄道に乗っていくかの二択なのだ。面倒なことこの上ない。それよりは大阪商船の船を使って大阪に帰った方が遙かに楽であろう。
とはいえ、あくまで他の汽船会社との対立を避けようとしているのは今だけでしかない。何しろ別府汽船はまだまだ小さな会社でしかない以上、同業他社と戦うことは可能な限り避けたかったのだ。ならば可能な限り役割分担をになうことが必要となる。今回の場合は日出への物資輸送・・・多くの場合は別府造船で使用される鋼材などの材料を輸送するための手段として運用されることを目的としており、大阪商船のパイを奪う気など無いというのが義男の考えでもあった。今だけは・・・
この後別府汽船は世界中の商用航路に進出を少しずつ進めていくこととなる。中には日本郵船の持つドル箱航路たるアメリカ航路もあったりするのだが、別府汽船が大阪商船や日本郵船と競合するようになるには今少し時間が必要であった。
皆様こんばんは
今回は久しぶりに船の話になります。
宝殿丸は六甲山系の石の宝殿と言うところからとることにしました。ネーミングとして考えたらいまいちですね(笑)
船のモデルは昔東海汽船で運行されていた「かめりあ丸」にしました。
動力にはディーゼルを使ってみました。この頃にはすでに潜水艦の動力としてディーゼルが運用されていましたので、十分な機能を持っていると言えるでしょう・・・取得コストは高そうですが。
次回は、鉄道関係の話になるかもしれません




