説得
1915年6月17日 別府造船所 第二号ドック
一隻の貨物船が進水のときを待っていた。
全長100メートル余り、最大幅16メートル。
だが、貨物を多量に積み込むにはこれくらいが丁度良い。
別府造船所が建造を推し進めている安土丸型貨物船(排水量:5200トン、積載量:8600トン、速力13.5ノット)
その5番船である高松丸であった。
川崎造船にならってイシャーウッド船体構造を採用し、さらに部分的ながら、現在最新式の造船方法となっているアーク式溶接も取り入れ、建造期間の短縮と資材の節約を狙っていた。
またこれは将来電気式溶接を全面に押し出した船を建造するための布石でもあった。
ドックへの注水を眺めながら社長の来島雷蔵は息子の義男と雑談をしていた。
「お前のいったとおりになったな。」
「言ったでしょ?儲けられる自信はあるって」
「まぁ、な・・・」
雷蔵は半ば溜息をつきながら思った。
一体息子の目には何が映っているのだろうか?
ピタリピタリと未来を予知してのける義男にどこか不思議な感覚を雷蔵は覚えた。
「さぁ親父、そろそろ進水式だ。行こうぜ?」
そういうと義男は焼酎の入ったビンを雷蔵に手渡した。
船首に向かいつつも雷蔵はこうなったいきさつを思い出していた。
1910年8月20日 別府造船所社長室
「なんだ、この計画書は?」
来島義男の父、雷蔵はいぶかしげに義男が自信満々で提出した計画書を手に取った。
「新しいドックの新設計画だよ。」
「ドック・・・?」
パラパラと計画書をめくっていくうちに彼の顔から驚きの表情が生まれた。
そこには5000トンクラスのドック新設の必要性が訥々と記されていた。
しかし、建造してもせいぜい1000トン未満の舟しか作らなかった造船所がいきなり5000トン級の船を建造しようとしているのである。
正気を疑いたくなるものだ。
「お前、ウチでこんなものを作る気なのか!?正気か!?」
「正気だよ。ついでに言うなら本気でもある。」
自信満々に言う義男に雷蔵は溜息をついた。
「あのな、今のご時勢こんなもん作って何になると言うのだ?」
「今じゃない。確実に近い未来に必要になるからだよ。先行投資と思えばいい。根拠もある。」
「ほう・・・ではその根拠は?」
「これ。この2つ」
そういうと義男は新聞紙を取り出した。
イギリスのタイムスと、アメリカのワシントンタイムスであった。
ワシントンタイムスにはパナマ運河についての特集が書かれていた。
パナマ運河のことは雷蔵も理解していた。
たしかに、中央アメリカを貫くパナマ運河が開通すれば船舶需要はさらに上昇するだろう。
だが、それだけでいきなり経営方針を変えろと言われるとちょっと無理がある。
そのあと義男はもう一つの記事。
タイムスを取り出した。
そこにはドイツやオーストリアとの対立について書かれている記事があった。
「・・・欧州のことが我々とどう関係すると言うんだ?」
「親父・・・いや、今は社員として話したい。社長、このままでは欧州はナポレオン戦争以来の未曾有の戦争になるはずです。」
「・・・まあ、そうなるだろうな」
雷蔵は特に興味もなく合槌を売った
「そして、戦争になると当然物資が売れる。」
「ああ・・・」
「この戦争は長期化すると思われます。そうなると膨大な需要が欧州からやってくるでしょう。それは船も同じです。」
「・・・つまり、戦時特需を考えていると言うのか?」
「その通りです。」
「しかしそれこそ絵に描いた餅なのではないか?そもそもこの前の普仏戦争だってすぐに戦争が終わったろ?」
「ええ、しかし今回ばかりは違います。協商側にはロシアがついています。つまり、地政学的に考えて、ドイツは東西両面からの挟撃を受けているのです。つまり両方の敵に対処せねばならないドイツは当然兵力を分散させてしまうでしょう。そして、泥沼化です。また普仏戦争並みの活躍をドイツがしたとしても少なくとも2年は戦争をするでしょう。また、ナポレオンがロシア遠征で敗北したこともお忘れなく。」
「・・・なるほど、確かに根拠もある程度筋が通っている。だが、我々にはお金がないのだよ。来島義男営業課員」
「・・・つまり、資金さえ集めればこの計画が可能だと言うことですか?」
「約束しよう。ただし、資金調達は一ヶ月に限る。」
「ありがとうございます!早速行ってまいります!」
そういうと義男は慌てて社長室を飛び出していった。
雷蔵は彼の提案に乗り気ではなかった。
欧州大戦なぞ確かに起こったとしてもせいぜい3ヶ月かそこらには終わるはずだと考えていたためだ。
しかし、ここで彼に親ばかが出てしまう。
何だかんだ言って海軍には落ちたものの、子供の頃は神童として知られた彼にかけてみたかった気持ちがどこかにあったのだから・・・。
そして、まぁ直ぐに懲りて土下座しに来るさ。
どうせこの不景気だ。こんな田舎造船所に金を貸してくれるような馬鹿な奴はいない。
そのときは一発殴ってそれで終いにすればいい。
とも考えていた。
しかし、当の義男は雷蔵の予想を覆すことになる。
一ヵ月間、義男は走りに走り回って日本中の銀行に言っては資金を調達するべく土下座をしまくり、そして調達した資金に加えて、さらに自分の給料と貯金を全部使ってさらに投資を行った。
義男は生前保険会社の社員だった。
保険会社というものは顧客から集めた金を投資に利用する。
彼は営業の人間であったけれどそれでも組織に参加していたために営業と投資のイロハはよく理解していた。
また、ちょっとしたギャンブルのような感覚で給料を使ってマネーゲームをしていたこともあった。
その中にはこの時代にはまだ考えられていない概念もいくつか存在していた。
義男は転生したために半ば忘れかけていた知識を脳みそのごミ溜めから引っ張り出してきて必死に金を稼ぎまくったのである。
結果・・・一ヵ月後
「社長!約束どおり、資金を調達してきました!」
目の前に資金の証書を彼は突き出すことが辛うじて出来た。
そこには5000トンドックを作り上げるには十分すぎる予算が提示されていた。
金を集めてきたのだから嘘は言えない。
結局、雷蔵は義男に折れて5000トン級ドックの建設に乗り出すこととなった。
もちろん社員は反発したがそれは雷蔵が必死に食い止め、また、義男自信も土下座をしていざとなったら責任は自分がとるからとか何とかいってごまかし、事なきを得ることが出来た。
そして、1913年の8月にドックの建造をはじめ、完成したのが1914年の6月
大戦前夜のことであった。
そして戦争は義男の目論見どおり長期化してしまい、それに伴って需要も大幅に伸びた。
現在別府造船所は創設以来最大の注文を受けている。
お陰で義男がドック建設にこさえた借金も初期の受注で完済してしまっており、現在ではひたすら続く物資の高騰によって未曾有の利益を上げている。
そして、今に至る・・・か。
全く、息子の頭の中はどうなっているのやら?
だが、まぁ、なってしまったことは仕方がない。
これから我が社はどうなっていくのかは分からないが・・・とにかく私のような存在はもう古いのかもしれないな・・・。
進水する船に向かいながら横を歩く義男を見つめつつ雷蔵は静かにそう考えていた。
第一大福丸型貨物船群はわずか数年のうちに75隻も就役したベストセラー貨物船です。建造期間がわずか30日くらいでできるというリバティ船並みの高速建造ができてかつ堅牢と、第一次大戦前後の川崎を代表する船でありました。
本作の安土丸型貨物船群もそれをモデルにしています。
しかし、田舎造船所。
果たして大戦と言うボーナスタイムは長くはありませんし、資本を如何にゲットして戦後の不況に備えるのかが焦点になって来るでしょう。
その内架空の艦船のスペックを集めたものをあげようと考えております。
※一ノットは1時間に1海里進む速さ、で、1海里は1.852kmです。
つまり、時速1.852キロとなります。




