鉄鋼
「鉄は国家なり!」そう言ったのはかつての独逸の母体となったプロシャの宰相ビスマルクだという。プロシャは1870年の普仏戦争によって仏蘭西を打ち破り、独逸第二帝国を樹立することとなる。神聖ローマ帝国以来の統一された独逸が現れたのである。その成功の影には独逸の強大な国力があった。その比類無き工業力を支えたのが、ルール炭田などを中心に活動する巨大企業、クルップなどをはじめとする鉄鋼会社の存在であった。そう、この時代は鉄の生産量こそが国家の力の根幹だったのだ!
これは別に嘘ではない。軍艦を作るにも、ビルを建てるにも、車を作るにも鉄は必要不可欠な資源だ。つまり、国家の根幹であるというのは間違いないことであった。事実、粗鋼生産量・・・つまり、鋼鉄の生産量は国家の工業力を計るための重要な指標の一つとしても活用されている。
それでは1920年代の日本の粗鋼生産量はどんな感じだったのだろうか?その指標として、1920年の日米独の粗鋼生産量を見て、そこから比率を見てみよう。まず当時の粗鋼生産量は全世界を合わせるとおよそ7000万トンである。そのうちのおよそ6割に当たる4000万トンがアメリカで生産されていた。そして、ドイツは850万トンであった。最後に日本は僅かに1パーセントにも満たない81万トン程度でしかなかった。その後粗鋼生産量は増大するものの、その理由としては鋼鉄の元となるスクラップの輸入超過も原因と考えられている。
鋼鉄を作り出すための方法としてはどのような物があったのであろうか?特殊鋼を別として、基本的な鋼の生産方法は、実はあまり変わっては居ない。まず鉄鉱石・・・赤鉄鉱や磁鉄鉱(よく砂地で磁石を使ったらひっつくアレ)といった採掘された酸化鉄から二酸化炭素を抜き取って・・・いわゆる銑鉄(スクラップとも言えるが)をつくる。それでもその後に炭素などの不純物が結構残っていたりするので、そこで燃焼をさせて不純物を取り除いたら、粗鋼の完成である。・・・といった感じである。
さて、この時代の鋼鉄の作り方としては大きく分けて、平炉法と転炉法の二つのやり方があった。ちなみに今の日本の製鋼法は後者が主流である。が、戦前は逆で平炉法が主流であった。平炉を使うやり方の方が当時の日本としては安上がりであったからである。平炉を使えば、先に言った鉄鉱石にスクラップを混ぜて平炉に放り込んで内部で燃焼させたら鋼材が完成する。つまり、スクラップさえあれば鋼材が出来るのである。そして、日本はアメリカやインドなどからそうしたスクラップを大量輸入していた。だってその方が安いんだもん。が、転炉などで作った方が質は良い鋼が生産できるし、一から作ろうと思えばそっちの方が効率的である。
しかし転炉・・・つまり高炉を用いたやり方だと一からやるため規模が大きい物でなければ採算に合いにくいのである。元々日本の製鋼業は、海外からの輸入だけでは国内の需要に追いつかなくなったために出来た産業という感じが強く、日本で列強の製鉄所並みの機能を有しているのは八幡製鉄所くらいの物でしかなかったし、それで十分というのが昨今の日本の鉄鋼業界の状態であった。
国内には多くの中小零細の製鋼会社が存在しており、多くの平炉や高炉もあった物の、高炉の多くは小型の物であり採算性の低い物でしかなかった。また、技術も生産基盤も貧弱であり、その貧弱な状態で競争をしているというとんでもなく悪い状態であった。こうした競争は、ある程度の生産基盤を得た後にやるべきことなのだが、まぁ、今言っても詮のないことである。
さて、この状態を見た義男は神戸製鋼所の当時の社長であった伊藤乙次郎に「こんな状態で良く競争なんてやる気になるよ・・・もっとデカイ業界になってからやれってんだ」とどこか呆れたように言った。それには伊藤も苦笑いをしていたという。が、義男の考えは明らかに、大規模な製鉄設備・・・つまり、世界で使われているような高性能な高炉を用いての粗鋼の生産をおこなおうとしていた。実際、彼は見たことがあるのだから。京葉コンビナートや四日市コンビナートといった巨大なコンビナートや神戸や加古川に存在している未来の巨大な製鉄所の姿を・・・。義男には確信があった。「この会社ならば、今ならば、あの新日鉄やいけ好かない住友をも越えうる日本一の製鉄会社を作れる!」ということがあった。
だからこそ、義男は行動した。ドイツではルールにいたクルップの製鉄所からクビになった技術者達を再雇用し、日本に連れてきて神戸製鋼所に放り込んだ。現在では日本人工員にはドイツ語を覚えてもらいつつ、技術者には日本語を覚えてもらいつつ、鋼鉄と高炉建設の研究に全力で取り組んでいる状態であった。
だが、彼らと協議を行った結果、まずは高炉を作る必要性に義男と伊藤は迫られることとなった。特殊鋼の生産には高炉の存在が必要不可欠なのだ。だが、元々平炉メーカーであった神戸製鋼にとっては厳しいものであった。なにせ高炉もないし運用のノウハウもないからだ。
だからこそ、まずは高炉を含む製鉄所を建設し、十分な粗鋼生産設備を作り出すと共に、それを基本として今度は特殊鋼の生産施設を準備するという物であった。
このため、1922年2月20日、義男は神戸製鋼所社長である伊藤と高炉を保有する大規模製鉄所の開発計画の立案のために神戸に向かい、一応基本草案だけでも共有しようと神戸市内にある小さな洋食屋にて二人で話し合うことにした。別に美味いオムライスとかが食べたかったわけではない・・・すいません、嘘です。なんか食べたくなったから伊藤を引っ張って行きました。
「基本的な計画としてはまずは25年初め頃までに実験用の3t級高炉からかな?」
「まぁ、そんなもんでしょう」
「で、1930年から31年はじめごろまでには500トン級高炉を5基以上建設する。昼夜一貫作業ならかなりの粗鋼の生産が可能になると思う。」
義男は何でもないように言ったが、その言葉に伊藤は驚いた。
「ちょっと待ってください!今の日本でそんな高炉を持っているのは八幡くらいですよ!?」
「ん?それがどうした?」
「うちじゃそんな金ありません!」
「いまから大体6~7年くらいしてからのことじゃないか。許可さえ取れば一発だ」
「それでもです!」
「心配するな。俺が出す。」
「・・・いくらかかると思っているか分かっているんですか?」
「大丈夫だ。俺達が戦争と投資で稼いだ貯金をつかう。何、2000万もあればいいんじゃないかな?もう少しコストがかかるかもしれないから実際はその三割増しくらいかね・・・?」
価格次第だねと笑いながらオムライスを美味そうに食べる義男を見ながら、伊藤は戦慄した。こいつ本当に金銭感覚大丈夫か?というかこの戦後不況の中に入りつつある中で平然と大規模な設備投資を計画するなんて頭のねじが外れているんでないか?とすら思った程である。
「何、今八八艦隊はこけて鋼材価格は暴落しているし、欧州での復興も戦後から数年がたった今は一息が付いた頃だし、鋼材の価格は世界的に見ても落ち着いている。そう簡単に鋼鉄価格が高騰することはないだろうなあ・・・・・・・地震や戦争で街一つが消し飛びでもしない限りな」
義男のこの最後の方の言葉は消え入りそうな声であったが、伊藤にもしっかりと聞こえていた。伊藤は当時これは冗談の類だと思っていたが、義男は妙に本気そうに言っていたと当時のことを回想している。
だが、義男がこうも急いでいるのには訳があった。1934年には日鉄が出来るからである。日鉄は現在の新日鉄の前身みたいな物であるが、この時代は半官半民の国策会社であった。先に話したように、日本という国は製鉄能力が低く、多くの場合は海外から入手したスクラップと鉄鉱石を混ぜた平炉方式を使っての粗鋼生産を中心としていた。だが、だんだんとこの頃になると「いい加減に自分たちで自給自足をある程度出来る体制にしようぜ?」という考えが出てくる。これによって日本最大の製鉄会社ができあがるわけだが、半官半民会社であり、株式の多くは大蔵省が保有していることもあって、日鉄の利益は国の利益という状態になる。となると、やはり当然と言うべきか、日鉄の利益が最優先されることとなる。お陰でこの後新規の高炉の建造しようとするとなにかと国からの規制がかかることとなる。
それは、日鉄が一応解散した戦後であっても暫く変わることはなかった。新日鉄時代であっても国との太いパイプが存在していたことが大きい。おかげで川崎製鉄が高炉を建造しようとしたら1年半以上も待たされることになった。ちなみに新日鉄の高炉建設届けは速攻でできたりするのだからヒドイと言わざるを得ない。
義男としてもうかうかしていたら日鉄が出来てしまって高炉建設が遅れてしまうという恐れが出てきたこともあって出来るだけ早く作りたいというのが本音であった。まぁ、神戸製鋼でも高炉建設は何度か議題に上がっていたこともあって、グループ内での意見統一は比較的容易だろうというのが義男や伊藤らの考えであった。
しかし、義男的には本格的な製鉄所の建造はできるだけ急がねばならなかった。というのも、華盛頓条約の結果、陸奥は標的艦になったわけであるが、その原因となった鉄材の不足を補う必要があるため、もっと製鉄所を作るべきではないか?という意見が軍部を中心にでてきている。ここに財界の大規模な合同製鉄会社設立構想が合体してしまえば、史実より早く日鉄が出来かねない。それは義男的にはどうしても避けて欲しい最悪のシナリオである。
だが、完成してしまえば?神戸製鋼はさっきも言ったとおり八幡製鉄所を上回る製鉄設備を保有する日本最強の製鉄会社に成長できるだろう。そうなれば、妻である茜の実家である貝島炭産からのコークスが生きてくることが出来るだろうし、効率が上がりコストも抑えることが出来るはずだ。問題は鉄鉱石を手に入れるためのルートであるが・・・少なくとも現状では大陸からの原材料輸入に頼らざるを得ないかもしれないが、兎に角そうした鉱山の権益を手に入れることに今後は精力を傾注する必要があるだろうと義男は考えた。そう、具体的には世界恐慌で世界経済が滅茶苦茶になって大混乱している隙に・・・
「ところで、今から計画を立案するとして、その製鉄所の完成にはどのくらいかかるかな?」
「そうですな・・・おおよそ5~6年はかかると考えられます。土地収用や資材の買い付けなどもありますからね」
伊藤はぅ~んと唸りながら言った。
「わかった。できるだけ早めに会議に掛けて欲しい。俺もこのことは重役会議にかけて早めに金をひねり出せるようにするから。」
「分かりました。では遅くとも協議の上来月の半ばまでには青写真を完成させます」
「たのむ。銀行方面は俺に任せてくれ。まぁ、分銀だけじゃ厳しいかもしれんから別方面からもアプローチをかけてみるが・・・」
「ところで、来島社長?」
「ん?」
「社長はどんな未来を想像していますか?」
話はそろそろ終わりだな~とコーヒーにミルクと砂糖を放り込んでいた義男に伊藤は思わず尋ねてみた。
巨大な高炉を備えた製鉄所を作る必要性を理解して、そのために躊躇無く投資を行おうとするこいつは一体どんな世界を思い浮かべているのか気になってみたのである。
「そうだな~」
と義男は少し考えた後
「空には巨人みたいな飛行機が飛び、東京~大阪間を2~3時間で結ぶような高速鉄道が存在し、神戸、大阪、名古屋、東京には13階建て何か目じゃない摩天楼みたいなビルが建ち並び、そしてその下の道を縫うように4車線あるいは6車線の自動車専用道路が日本中をくまなく結んで、無数の車が縦横無尽に走る。そして、俺はそんな社会を見ながらのんびりと昼寝をする・・・そんな時代にしてみたいね」
まるで見たことがあるかのように義男は一気に話してニッコリと微笑んだ。それは義男にとっての過去であった。でも、その世界はこの時代を生きる伊藤達にとってみればまるで少年の抱く夢のような物であった。
「そんな世界が実現すると思うのですか?」
「するんじゃないかな?俺達がやろうと思えば。時間はかかるけどね?」
「そのための第一歩ということですか?」
「いや、すでに3歩目位じゃないかな?」
義男はそう言うと朗らかに笑いながらコーヒーを啜って冷めたコーヒーのえぐみに思わず顔をしかめるのであった。
皆様こんばんは、気がついたらもう8月も終わりです。
今年も暑かったですが、まだまだ暑さは続きそうな気がします。速く秋になって涼しくなって欲しい物です。
さて、今回のお話は日本の鋼鉄事情でした。高炉を有する製鉄所建設のタイムリミットは日鉄関連法ができる1933年頃くらいまででしょう。
この時代は基本平炉が主体でした。これではコストは安い代わりにくず鉄がないとまともな鋼が出来なくなります。また、高圧機関に必要な特殊鋼の生産にも高炉は必要不可欠ですし、高炉の整備は火急に必要とする物でした。なのでいそいで製鉄所を作ることにしました。作る場所は現在の灘浜か加古川かでちょっと悩んでいます。どちらも神戸製鋼の製鉄所があるところです。
次回は、また経営から離れます。




