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楼閣

1922年7月10日 亀戸町


 日本の東に坂東と呼ばれる土地がある。広大な関東平野を有し、古くは鎌倉に幕府が開かれたり、戦国大名たる北条氏がその根拠地としたりした。やがて時代は下り江戸時代には徳川の狸ジジイが江戸にその本拠地を置いたことで、それまで辺境であったこの地が一気に日本の政治、経済の中心へと押し上げられていった。やがて明治の御維新以降に天皇が京都より移り、この地に都を開くことで、首都として確立されることとなった。そしてそれ以降もこの街の膨張は続いている。

 さて、そんなこの街の一角にて一つのビルが建設されていた。起重機が唸りを上げてて分厚い鉄骨を持ち上げていき、コンクリートが深く深く掘られた穴に流し込まれていく。足場を組むべく作業員達が棒を担いで行ったり来たりを繰り返していた。その様子を一人の男がボンヤリと眺めていた。義男である。


「あー、早く完成しないかな~」


「まだ、基礎工事が終わったばかりですよ。工事の完了には少なくともあと2年は必要でしょう」


 まるで子供のように目をキラキラさせていた義男に宮部が水をぶっかけるように言った。この日、二人は東京の鉄道院に営業のためにやってきていた。新型の鉄道運搬船に加えて、コンテナの提案についてのことであった。大神鉄道や限定的ながら機能し始めた別府汽船を用いてのコンテナの運用データを精査した結果、鉄道院も満足がいくような運用が可能だと判断したらしい。だからこそ、義男は技術主任である宮部を伴っていた。義男は技術屋ではなく一介の営業屋にすぎず、専門的なことは宮部を通さねばどうしようもなかったのだった。とはいえ、この宮部も営業は全くの門外漢というわけでもない。彼はまだ英国に行く前に一時期営業部に配置転換されていたこともある。別府造船所では、技術部と営業部の人間が双方に一時的に出向するということがある。そこで技術者は営業を学び、営業員は技術の基礎をたたき込まれる。ちなみにこれを提案したのも義男であった。実際に一昔前のソニーやパナソニックなどの企業は技術屋が営業もこなしていたこともある。これによって技術者達はユーザーが本当に求めていることを知り、開発することが出来たのだった。それが日本が電子で世界を席巻することになった理由の一つにもなっていることを義男は知っていた。


 ・・・話がそれてしまった。現在義男達が立っているのは言うまでもなくビルの建設現場である。もっと詳しく言うなれば、別府グループ東京営業所になる予定のビルの建設現場である。ビルの高さはこの時代では驚きの31メートルであり、この時代としたら日本最高のビル建築物のひとつとなることは間違いのなかった。(この時代最も高いビルで1923年完成の旧丸の内ビルで8階であった)また、広さは約6400平方メートルとかなり大きかった。基本的に鉄筋コンクリートであり、外壁には煉瓦も使われていた。

 世間は、また成金が訳の分からない迷惑行為をしつつあると特に新聞社が書いていたが、義男はどこ吹く風であったりする。というより、むしろ義男達別府グループにとっては何かと日本中や世界の情報が集まるここに拠点を設置することがどうしても必要であったのだ。そしてこれから力を入れていかねばならないであろう東日本への営業活動のためにも・・・。商売とは情報が命なのだから。とはいえ、別府グループとて三菱や住友、鈴木や三井と並べられるほどの金を持ってるのかというと別にそんなことはない。なので、土地代金のくそ高い山手線の内側に進出なんて微妙にせこい義男が許すはずがなかったため、東京の中でもうちょっと土地料金の安いところはないかな~?と探したところ、後に江東区と名付けられることになるこの場所に別府造船東京営業所を開設することに決まったのだった。場所は東武鉄道亀戸駅の直ぐ近くであった。この頃は江東区という場所はなく、北部は深川区と呼ばれており、その他には亀戸や砂といった個々の街があったに過ぎないが、都心にも近いこともあってそれほどアクセスが悪いというわけでもなかった。現に、この辺りは後に副都心として機能することにもなる。


 さて、そんなわけで建造することになった別府ビルであるが、そこには数々の問題が上がってくることになった。一つが日本最高のビルであると言うことである。この時代もっとも高い建物の一つとして浅草の12階建て・・・凌雲閣というものがあった。それでも高さは54メートルくらいしかない。ついでに丸の内ビルは31メートルくらいしかない。・・・現代の新宿の都庁やあべのハルカスに比べれば驚くほど低く、お世辞にも摩天楼とは言えない。こうなってしまったのは、始末の悪いことに当時の日本には市街地建築物法とか言う訳の分からない法律があり、それによれば高さ31メートル以上の物は建築禁止という法律であった。さすがの義男としても法律をかえることは出来ず、やむを得ず8階建てのビルとして建築することにしたのだった。


 さて、東京営業所がこの時代としては高い高層ビル(笑)として建造されることが決まったわけであるが、義男としては恐れている物がいくつかあった。最大の物は地震であった。義男はこの後起こる関東大震災の時期は正確には覚えていなかったが、ここ数年以内に確実に起こるであろうと考えていた。だからこそ、ここでとんでもなく丈夫なビルを建設してしまって、この後に続けられるような優秀なビルを建設しちまおうと考えたのだ。だからこそ、最新の技術という物を義男は躊躇なくつぎ込んだ。


 当時、ビル建設においてその基礎工事に使用されていたのは木製の杭であった。実際、旧丸の内ビルでは松杭が使用されており、1999年に建て替えられる際に発掘されたのだが、異様なまでに杭の鮮度が良かったこともあって、驚くことに新しく建てられた新丸の内ビルの床材などに再利用されていたりする。だが、義男としては腐る可能性のある木の杭よりも頑丈な鉄筋の基礎を打ち込んだ方がよいと判断していた。上記の例はいくつもの要素と幸運に恵まれたからであり、決して常に同じ結果であるとは限らなかったからだ。また、首都圏の地下はかなり水が豊かな地形であり、木製の杭でもある程度の高層建築ならば有用ではあったが、それでこれからやってくる大震災に本当に耐えられるかどうか義男は疑問視していたのである。

 工法としては、現代で言うところのケージング工法と呼ばれる物の一種を利用することとした。これは穴を掘った後に鉄筋籠を入れてそこに生コンクリートを注入するという物であった。当初はコンクリートの棒をあらかじめ作っておき、後で打ち込もうという案もあったが、巨大なクレーンの用意や強度問題などから、結局はコンクリートの流し込みと言うことで決着した。・・・現代におけるビル建設で多用されている方法の一つである。


「基礎は最低でも40メートルはぶち込め」


「重量を減らすために溶接も多用すること!」


「コンクリートと鉄材は絶対にけちるな!軍艦用や輸入物の良い奴も使え!」


 と、兎に角これでもかと言うほど丈夫な構造の基礎や鉄材を利用することにした。このことには重役達も待ったをかけようとしたが、義男は「これだけは絶対に必要だ!」と言って聴こうとしなかった。義男の脳裏にあったのは、前世の日本で発生した阪神淡路大震災や東日本大震災の光景であった。義男はいずれも実際には体験してこそいない物の、地震の驚異は十分に認識していた。関東大震災は直下型の大地震ではあったが、だからこそ丈夫な基礎が必要だと考えていた。本人としては、本当は現在のビルで用いられているような振り子などの免震機構を備えたかったのだが、免震技術という物が現在ではまだ確立していなかったことから泣く泣くやめざるを得なかった。だからこそ、丈夫な建物をと望んだのであった。しかし、その一方で、外壁には煉瓦を使用するなど外観は現代で言うところのちょっと古風な建物として見せようともしたが、そこでも煉瓦に穴を開けて鉄筋を通すなどの工夫を行っていた。そのために工費はかさんでしまうことになったが、義男は総工費として800万円を準備させていた。(必要ならばもっと払う気でもいる)ちなみに、戦艦長門のお値段は4300万円だったりする・・・。


 これだけのビルが建設できるようになったことの背景には、これまで高止まりしていた鋼材価格の暴落によって資材調達が容易になったことや、アメリカや欧州での別府グループの行っている株式投資が順調であることであった。20年の初め頃から暗黒の木曜日までにアメリカにおいては俗に言う「狂騒の20年代」という経済的な発展がめざましい時代にさしかかっていた。当時のアメリカ人達は「終わりなき黄金時代」と呼んで、その反映は永久に続くと勘違いしていた。・・・なんか日本のバブル時代とよく似ていると思うのは多分筆者だけではないと思う・・・兎に角、そうしたことから捻出した資金を義男はこのビルの建設に充てることにしたのだった。 

 

 また、別府造船における溶接技術が一定にレベルに到達したことも忘れてはならない。 第一次大戦頃から始まった別府造船の溶接は通常の普通鋼ならば十分に溶接をすることが出来るようになりつつあったし、軍艦などで多用される高張力鋼でもドイツ人技師らとの協力の下、試作が重ねられており、完成に近づいていた。これに加えて、軍艦で使用されるはずだった良質な鋼材をビル建設用の資材として使用することが出来たことで安価に、そしてほとんど鋲を打つことなくビル建設を行うことが出来るようになったのだった。


 義男はこのビルを、別府グループの広告塔の一つとして使おうとも考えていた。日本最大級のビルであると言うこと、最新鋭の技術を用いていると言うこと、そして何よりも・・・頑丈だと言うこと。義男はこのビルは最低でも関東大震災クラスの地震に耐えなければならないと考えていた。

 また、広告塔である以上、一般の人間でもある程度のフロアには入れるようにもしなければならないと考えていた。そのため、一階および地下は一般人にも開放できるような空間を持つようにさせた。現代の梅田ビル群と同じような物である。規模はそれらと比べたらかなり小さいが・・・。


「下は食品や衣料品などの店にするのですか?」


「ああ、それと、中央部は広場にする」


「広場ですか?」


「何かの催し物・・・そうだな、欧米で言うところのファッションショーや歌手を招いたりしてな・・・後は・・・いざというときの避難施設にもなり得るだろうから。」


「避難施設・・・ですか」


納得がいくような行かないような表情を浮かべながら宮部は言った。


「まぁ、何かあったときには役に立つと思えばいい。だから、完成したら毛布などを備蓄させる予定だ。だからこそ井戸も掘らせた。」


「やりすぎじゃないですか?」


「災害はいつ来るかわかった物じゃないからね、備えに過ぎると言うことはない」


その何かあったとき・・・が実は間近に迫っているかもしれないのだが・・・という言葉を義男は一瞬出しかけたが、無理矢理喉の奥に唾と一緒に飲み込んだ。不確定なる未来など明かすべきではないのだ・・・。


「二階以上はビジネス施設とする予定だ。」


「容積的にも、そんなもんでしょう」


こともなげに二宮は言った。


「少なくとも・・・うちと神戸と汽船・・・今はこれだけだが」


「将来的には増やしていくと・・・?」


「山岡君も独立させる予定だしね。それに電子機器関連もやりたいしね・・・独逸の通信機器の解析は?」


「通信技師達の話では複製はお手上げとのことでした。」


「まだそんなものか・・・ドイツからやってきた技師もいただろ?」


「ええ、ですが・・・組み立て云々と言うよりも、元々の材質が大きく違っているとのことです。天と地ほどの差があるとか」


「まだまだと言うことか・・・」


「全くです」


 義男と宮部はそろってため息をついた。ドイツ人技師らとの協力は仰げても彼らが元々持っていた工業力とこちらの工業力は赤子と大人との違いのごときものであった。技術力など比べる方がおかしいという物だ。だが、だからこそ技術は研究を続けなければならない。いずれこの別府グループが日本の工業界のトップランナーとなるためにも。


「だからこそ、技術革新は続けないとな」


「はい、良い物を作ればお客は理解してくれます」


「そのための営業であり、そのための需要調査というものだ」


「その拠点に・・・なりますかね?」


宮部の問いに、義男は少し考えてから言った。


「・・・それが出来るも出来ないも、俺ら次第ということじゃないかね?」


「・・・かっこうよく言おうと考えたでしょう?」


「チッ、バレたか。だが、思っていることは本当だ」


目を細めた宮部を見ながら義男は悪びれずに笑いながら言った。


 このビルが完成するのはこれからおよそ数年の年月がかかることになる。そのビルは「亀戸ビルヂング」と名付けられ、義男が思い描いたとおり別府グループを象徴する広告塔の一つとして機能することになる。そして、その名が世に知れ渡る機会は近づきつつあったのだが、そのことは義男はまだ半分くらい知らなかったりする。


 なお、義男がこの場所にビルを建設をするようにしたのにはちょっと前世の思い入れも含まれていた。なにしろ、江東区には後に東京国際会議場・・・通称ビッグサイトができるのだから・・・。彼はやがて高さ制限が緩和された暁には、ビルを増築した上に、地下スペースないしは一階施設を完全にフラット化し、同人誌即売会などのイベントも行えるようにしたいという密かなる野望があったりするのだが、彼のこのささやか(?)な野望はついに実現することはなく、凹むことになるのはずっとずっと未来の話である。

皆様こんばんは、今回はビル建設のお話です。


別府グループとしても首都に営業部を配置しないといい加減に拙くなりつつあります。実際東日本方面での営業活動はほとんどノータッチですし、情報を手に入れるためにも何かと拠点を置く必要があります。と言うわけで、折角なのでビルを一つおっ立てることにしました。この程度の規模のビルは今の日本にはごまんとありますが、当時の日本にはありませんでした・・・。本当ならば80メートルの摩天楼を建てたかったのですが・・・例の法律によって無理でした。それでも外壁の煉瓦には鉄筋を通したり、鉄筋コンクリートにしたり、基礎を現代風にしたりと徹底しました。ちなみに、丸の内ビルヂングの総工費は約600万円でした。

 ビルのモデルは大阪駅前の第1ビルにしました。東京には余り詳しくないですが、大阪にはよく行きますので・・・少し前にそ梅田の地下を彷徨いました。彼処は本当にダンジョンです・・・。


次回は、視点が別府から離れる予定です。

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