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貝島

五:共同事業ノ範圏及其經誉ノ方針ニ關スル件


六:新二共同事業ヲ起シ又従來ノ共同事業ヲ中止若クハ騒止スルコニ鯛スル件


七:共同事業ニ關スル定款其他諸般ノ規則ノ制定若クハ愛更二閥スル件


八:共同事業ノ資産ノ管理及之力増減ニ關スル件



(貝島家憲より抜粋)


貝島財閥

それは炭鉱王とも呼ばれた貝島太助によって一代で築かれた北九州を中心とする鉱業を中核としており、ほぼ同時期に誕生した安川財閥や麻生財閥などと並ぶ北九州の3大財閥の一角をなす地方財閥であった。

さて、この貝島財閥であるがここは良くも悪くも三井財閥・・・そして井上馨との関係が深いものであった。

また、上に書いてあるような貝島家憲は一族としての規律を守るためのものであったが、そこには同時に、貝島財閥自身の経営を束縛させるものでもあったともいえる。

上記の家憲には少なくとも、現状の経営以上の共同事業を行うには三井や井上家の承諾が必要でもあった。


この貝島家憲のために、貝島財閥は多角的な商業を行うことは事実上不可能であった。



・・・では、多角経営をあきらめたのか?


答えは否である。


例えば貝島太助の後継者の一人ともいえる貝島太市はたしかにこの家憲に署名をおこなったものの、内心では苦々しく思っていた。

当然である。

なぜ好んで自らの商売の範囲を狭めねばならないのだ!

少なくとも太市自身はそう考えていた。

そのため、独自ででもなんとか多角化を成し遂げようと考えていた

だが、一族の総意として家憲に賛成した以上は・・・少なくとも表立っての反論は不可能である。

ここで彼が考えたのが条文の穴を付く方法である。

手っ取り早いのが他の財閥と縁戚関係を結びそれによって財閥間の結びつきを強める・・・所謂閨閥をつくってその中で徐々に参入をしていこうと考えていた。

だが、そこで一番の障害が三井財閥と井上公爵家の存在であろうということは容易に想像が付いた。

三井と言えば住友や三菱と並ぶ日本3大財閥の一角。

近年でこそ鈴木商店によって押されてこそいるものの、いまだその巨大さは計り知れないものがある。

今の貝島では少なくとも彼らには勝てない。

というか、ダビデとゴリアテ・・・少なくともそれ以上の差はあろうて。

つまり、下手を打ってしまえば貝島など消し飛んでしまう。

なので時間を掛けて三井や井上の勢力を削っていく必要があるだろう。また、それだけではなく、他の財閥とも手を結ぶことが必要だ。



・・・ではどうする?

影響力のないかつまだ小さなところと関係を結ぶ

ということである。

財閥が如何に強大とはいえ、まだまだ日本中にはその影響を受けていない・・・あるいは受けにくい企業も数多く存在する。

実際、太市の妻の兄は後の日立グループの総帥である

このように、戦争景気によって数多くの新興財閥が誕生しているのだ。

もちろん、大財閥の影響があるところが大多数だが、そこと手を結んでいけばよい。



だが、大財閥の影響をほとんど受けていない会社・・・そんな都合のいい会社がそう簡単にあるわけ・・・























・・・あった。



それが九州、大分県日出町にある別府造船所であった・・・。



実際、別府造船はこの戦争特需に早くから乗り込むことに成功しており、それだけでなく神戸製鋼所を買収して鉄材の安定確保を行っていた。

それだけでなく、ここ数年で造船、鉄鋼、鉄道、海運といったように事業を多角化してグループ化しつつある。

そして大半(鉄道を除く)はそれなりに成功を続けている。

その上、大財閥からの関係も少量の金を借りる以外ほとんどなくどちらかというと地元の自治体との連携のほうが圧倒的に強かった。

だが、それ以上に彼を食いつけさせたのはそこの長男でかつ営業取締役の位置にいる来島義男が35近くにもなってまだ未婚で、それを心配する父親の来島雷蔵が嫁を探し回って頭を抱えているという情報だった。


つまり、「大財閥の影響力がなく、グループ化しており、成功している、そこそこ大きな会社、おまけに本拠地は大分で割と近い。社の重要人物、それも御曹司が未婚」


このすべてに別府造船所が見事にフィットしていたのだ。




これを耳にした太市はすぐに人を送ってその造船所のことを調べさせた。


そして、聞くところによると別府造船が発展を続けているのはその来島義男という男が中心となって新事業を次々と立ち上げていたり、しているからだという。

資金調達も彼が中心となって行っているのだとか・・・。

つまり、来島義男は有能な投資家であるということがこの時点で太市にも理解することができた。

若いころには奇行で有名だったそうだが、海軍兵学校を受験して失敗して以来現在では鳴りをほとんど潜めているらしい。

その奇行も別に最近書生や底辺の活動家を中心に広がっている社会主義思想というわけでもないらしい。

もっと別の・・・パラパラとかいうとにかく訳の分からない変な何かだという。

それがなんのことかは太市にはわからなかったが、とにかく思想面では問題がないようだ。


これは太市にしてみれば鴨がネギを背負ってきたどころか碗と鍋とうどんその他調味料一式をもってやってきたようにしか思えなかったのだ。

これは是が非でもほしい。

すぐほしい!

聞けば別のいくつかの競合他社も彼に興味を抱いているのだとか


すでに父親であり、社長でもある雷蔵と接触を図ったものもいるとか


これはまずい。すぐにでも雷蔵と接触を図って関係を持たねばならない

そう考えた。




その一方で、では結婚相手にはだれがいいだろうか?


周りを見回してみたら・・・実はあんまりいないことに太市は気が付いた。

実際、妹のシゲノは今年で27だがすでに他家に嫁に出て行ってしまってここにはいない。

太市は頭を抱えた。


「相手がいない・・・どうしよう?」


が、親戚一同と話をした結果、一人の少女に目を付けた。


それが貝島茜(13)である。


茜は正しく言うと貝島家の傍流の娘で太市からみたら 従姉妹(・・・)に当たる存在である。

たしかに未だに婚姻可能年齢には達してこそいないが、当時田舎だと10代の結婚などは珍しいことではなかった。

一応傍流とはいえ、自分の一族ともつながっている。

少々幼いし、結婚相手は30を超えた男だがまぁ、大丈夫だ。問題ない(多分!)

それに、この時代ではこういう財閥の御曹司や令嬢などは愛人が外にいるというのが基本的な仕様であった。

茜にはまだいないようだが、それでもすり寄ってくる人物はいるようだった。

それもそうかと考えつつもまだ13なのでさすがに手は出されていないようだった。


「まぁ、彼にはいるだろうな・・・」


ふと、そういうことが頭にちらついた。


実は義男がヘタレ・オブ・ヘタレのヘタレキングとも言うべき位のヘタレで愛人の「あ」の字も存在しない魔法オッサンであることを知らない太市は義男が当然愛人を囲っていると考えていた。

なにしろ30超えているのだ。

さすがに女の一人や二人くらいは囲っているのだろう。

特殊な性癖(ある意味義男は特殊だが)でもない限り、女っ気が全くないというのは当時の男としてはあり得ることではなかった。

どうせ小作人の娘あたりを見初めていて表に出さないということくらいはあるかもしれない。

茜との間に子供を作ってくれればそれで良い・・・そう思っていた。



だが、別府造船所では常識は投げ捨てるものであったということをこの時の太市は知らなかった。

あるいは理解しようとしなかったのかもしれない。


後年「どうしてあの時の私は協力相手として別府造船を選んだのか今になっても理解できない。それくらいの変人だった・・・」


そういったという。



さて、そんな訳で1916年4月、太市は雷蔵となんとか首尾よく接触を果たすことができた。

というか打診をしてみてからすぐにやってきた


「さて、本日はどうもお招きいただき、有難うございます」


「いやいや、何の。息子さんのためを思えばこそではないですか!」


平身低頭頭を下げて雷蔵は最初から下手に出ていた。

対して太市も鷹揚に対応した。



最も、雷蔵にしてもただでやってきたわけではない。

当然打算がある程度ある。

実は、息子の相手は結構来ていた。

中堅の華族の令嬢から大きなところでは岩崎や住友の一部からも声がかかったと言われていた。

だが、下手に大財閥と手を組んだら乗っ取られるかもしれないし、

雷蔵はそう考えており、流石にそれは躊躇していたのだ。

ただ、貝島は三井との関係が強く、そういう意味から考えたら三井の系列のお嬢さんを貰ったと考えたほうがいいかもしれない

だが、下手に 本物(・・)の一族と結ぶよりはずっといい・・・そう考えたのだ。



たしかにこの時代は成金が多数できたと言っても義男はやや頭一つ飛びぬけていたと言える。

実際、1000トン未満のドックしかなかったような会社がわずか数年のうちに5000トンドックを二基設置し、おまけに製鉄所や鉄道まで傘下に収めたのだ。

それも有力者の後援もなくほとんど自分で集めた原資で・・・だ。

これは明らかに異常であるとすら言える。

一つがまだ三井の影響力を大きく受けていることに脅威を覚えつつも海運では大阪商船や日本郵船らとならぶ大企業なのだから。(まだ海運業に参入する前。つまり別府造船の海運業への参入はある意味三井に喧嘩を売ったともいえるが気にしてはならないww)

新規の顧客を手に入れるという意味でつながりはある程度欲していた。

また、神戸製鋼所の燃料となる石炭やコークスを比較的だが安く手に入るかもしれないという考えもあったりする。


さて、縁談自体はきわめてスムーズに進んだ。

双方共にメリットが大きかったためでもあった

ついでに言うと、三井自身も来島家との婚姻自体には別に反対はしなかった。

井上馨の後をついで顧問となった鮎川義助もそれほど問題視はしていないようであった。

まぁ、一応傍流であったこともあるのだろうが・・・。



「しかし、いきなり見合いの後1年半後に婚姻・・・ですか」


太市は雷蔵が義男の結婚を推し進めようとしていることにやや驚いていた。



「まぁ、やや性急ですがな。あの馬鹿息子にはちょっとでも速く身を固めてもらわんと私が持たんのですわい」


ハッハと笑う雷蔵を見ながら太市もまた


だが、ソレもいいかもしれないと考えていた。

何かいちゃもんをつけられる前にさっさと決めてしまおうと考えたのだ。



「・・・では?」


「しかし、いくらなんでもいきなり婚姻するのでは我々としてもやや性急でありますゆえ、しばらく入り足婚をしてみるのは?」


「それもいいですな。では見合いの半年後を目処とすべきでしょうか?」


「わかりました。そのように計らいます・」


とにかくその結果、来島義男と貝島茜との見合いが決まった。

見合いの月日は1916年5月

入り足婚の時期は1916年10月となった。





皆様お久しぶりです。

貝島家憲ですが・・・全文載せたほうが良かったですかね?

今回は貝島家と来島家の婚姻についてのお話でした。

私はあまり当時の婚姻とかに詳しくないものでして読者の皆様から沢山のアドバイスをいただきまして、誠にありがとうございます。


外部から見た義男・・・正しくバケモノですねww

先読みをしすぎと言いますか。

それに影響力がほとんどないが故にあまりまだ目をつけられてもいない。

そういう意味で考えればある意味チートです


さぁ、時は1916年10月。

大戦という名のボーナスタイム終了まで後2年。

ラストスパートです。

そこが終われば本当の本番が始まります。


次は少し経営の話が入れば・・・いいかもしれません(遠い目)

後、時間が少し飛びます。

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